『エヴェレスト 神々の山嶺』:2016、日本

1924年6月8日、イギリス人のジョージ・リー・マロリーとアンドリュー・アーヴィンがエベレストの山頂を目指していた。しかし2人は山頂を目前にして、消息を絶ってしまった。初登頂はエベレストの初登頂は1953年5月29日、エドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによって達成される。しかし2人の登頂は、マロリーとアンドリューの後という可能性も残されていた。彼らが山頂に到着したかどうかは、今も謎のままである。
1993年、ネパール。カメラマンの深町誠は写真集を撮影するため、工藤が率いる遠征隊に参加してエベレストに登頂していた。途中で2人の隊員が滑落すると、深町は急いでシャッターを切った。隊員2名の死亡事故を受けて登頂が中止になり、写真集の発売も無くなった。深町は工藤に、「何とかなりませんか。この遠征隊に参加するために、あちこち借金しまくったんですよ」と告げる。工藤は写真集の出版に固執する彼を怒鳴り付け、「よく平気でシャッターを切れたもんだな」と批判した。
ネパールの首都であるカトマンドゥを歩いていた深町は骨董品店に立ち寄り、マロリーがエベレストへ持参したのと同じタイプのカメラを見つけた。彼は店主に値段を聞くが、高すぎるので立ち去った。深町は遠征隊の斎藤と会い、カメラのことを話す。もしも本当にマロリーのカメラで、フィルムが残っていれば、エベレスト登頂の歴史が変わる大発見になる可能性もある。斎藤に「買わない手はありませんよ」と言われた深町は店へ戻り、150ドルでカメラを購入した。
そこへアン・チェリンとピサル・サルパという2人の男が現れ、「この店では盗品を扱っている」と店主に言う。少年がサルパの所持品を盗み、店へ持ち込んだのだ。深町はツェリンにカメラの返却を求められ、素直に応じた。店を去った2人を追い掛けた深町は、サルパの正体が7年前に消息を絶ったクライマーの羽生丈二だと気付いた。日本へ戻った深町は山岳雑誌の編集長を務める宮川と会い、ネパールで会った羽生がマロリーのカメラを持っていると話した。羽生は山で死んだと言われているが、宮川が見せた彼の写真に目をやった深町は「間違いない」と告げる。
1968年、ヒマラヤに挑戦する長谷渉の遠征隊が空港で取材を受ける様子を、羽生と仲間の井上真紀夫は食堂のテレビで見ていた。「遠征費は百万円だってな。なんでダメな奴らが行けて、俺たち行けねえんだよ」と井上が愚痴ると、羽生は「俺と鬼スラやろう。冬の鬼スラだ」と言う。「自殺するようなモンだ」と井上が告げると、彼は「有名になるしかない。冬の鬼スラならヒマラヤにも負けない。何のために生きてんだ。山やらなきゃ死んだも同じだろ」と熱く訴えた。羽生と井上は谷川岳一ノ倉沢から滝沢第三スラブという難所の鬼スラを成功させ、新聞に取り上げられた。
深町は井上と会い、羽生のことを尋ねる。井上は羽生の才能を絶賛した上で、「羽生は山屋としては完璧だった。人間としては最低だったがね」とと言う。ヒマラヤ遠征隊が登頂に失敗して帰国すると、羽生に会った長谷は冬の鬼スラについて「たった2人で成功させるなんて凄いですね」と感嘆した。すると羽生は、「俺一人でもやったさ。ザイルパートナーなんて、誰だって良かったんだ」と告げた。それを聞いた井上は、彼と袂を分かった。
岸文太郎という若者は羽生に憧れ、彼と組むことを望んだ。山岳会の面々が「パートナーが滑落して動きが取れなくなり、ザイルを切れば自分だけは助かる時にどうするか」と話していた時、羽生は「その場になったら会長だって切りますよ。幾ら綺麗事並べたって、切る時は切るさ」と冷淡に告げた。その話は、たちまち山屋の間で広まった。そんな中、ある事件が起きた。羽生が北アルプス屏風岩を登攀している時、ザイルパートナーの岸が滑落死したのた。羽生がザイルを切ったという噂が広まり、以降の彼は単独で登攀を続けた。
深町は羽生について調べ、7年前にネパールへ渡っていること、1991年にパスポートが切れて不法滞在になっていることを知る。彼は再びネパールへ行くため、宮川に金を貸してほしいと頼む。宮川は難色を示すが、深町は「これをモノにすればアンタの会社だって大儲けだ。大きなチャンスなんだ」と説得して援助を取り付けた。そんな彼に文太郎の妹である涼子が連絡し、「兄が死んでから毎月、私の所へお金が届くようになりました」と話す。彼女は筆跡で羽生だと判明したこと、それがきっかけで交際するようになったことも語る。
羽生がネパールに渡ってからも、ずっと涼子への手紙は届いていた。しかし3年前、「大切にしてくれ」というメモを添えたネックレスが贈られてからは、連絡が途絶えていた。深町は彼女に、羽生がカトマンドゥで生きていることを教えた。深町は涼子に勧められ、宮川の編集部で長谷と会った。羽生と長谷は、競い合うようにして登山を繰り返した。1979年のグランドジョラスで、羽生は重傷を負いながらも諦めず、片手片足と歯だけで登攀を成功させた。
1985年、羽生と長谷は初めて同じ遠征隊としてエベレストへ赴いた。悪天候に悩まされたため、長谷はノーマルルートを選択しようと提案する。しかし羽生は「何度も登られている箇所に何の意味があるんだ」と反対し、南西壁を登攀するよう主張する。そこで両者は隊を2つに割ったが、二次隊に回された羽生は山岳協会指令に「誰かの後なんて我慢できない」と抗議する。納得できなかった彼は指示に従わず、下山してしまった。
長谷は深町に、山屋である羽生が自分にしか出来ないことをやろうとしているはずだと告げた。涼子はカトマンドゥへ行きたいと言い、宮川は「こうなったらお前も行くしかねえだろ。金は何とかする」と深町に告げる。カトマンドゥへ飛んだ2人は斎藤と合流し、ツェリンが出没する登山用品店の場所を教えられた。登山用品店へ赴いた深町たちは、ツェリンと遭遇する。ツェリンは涼子のネックレスに付いている緑の石に気付くと、「その石を大事にしてください」と言う。
深町が羽生の居場所を尋ねると、ツェリンは「彼のことは忘れて下さい」と告げて姿を消した。深町と涼子は金を渡した少年の情報により、田舎の村に住むツェリンを見つけ出した。彼の家には、羽生も住んでいた。羽生はツェリンの娘であるドルマと結婚し、子供も産まれていた。7年前、エベレストの単独登頂を目指した羽生は、吹雪でベースキャンプから動けなくなった。その時に彼を村まで運んでくれた命の恩人がツェリンとドルマだった。羽生は涼子と別れることを決意し、ネックレスを贈ったのだ。
涼子は「絶対に死なないって約束して下さい」と告げ、彼の元を去った。深町は羽生の様子を見て、彼が冬期南西壁の無酸素単独登頂を狙っていると確信した。彼は前人未到の挑戦を撮影するため、同行することに決めた。涼子は彼にネックレスを渡し、羽生に返してほしいと頼んだ。深町はエベレストへ登って先回りし、羽生とツェリンを待ち受けた。「写真を撮らせてくれ。嫌だと言っても付いて行くぞ」と深町が頼むと、羽生は「勝手にしろ」とぶっきらぼうに告げた。
深町がベースキャンプでカメラのことを尋ねると、羽生は8100メートル地点でマロリーの遺体が転がっていたこと、そこで発見したこと、中にフィルムは入っていなかったことを話す。深町が「マロリーは頂上を踏んだかな」と口にすると、羽生は「生きて帰らなかった奴が頂上を踏んだかどうかなんて、そんなとこはどうだっていい。死ねばゴミだ」と言う。深町が「どうして山に登るかと訊かれて、マロリーはそこに山があるからだと言った」と言うと、彼は「違うな、俺は。俺がここにいるから、山に登るんだ」と述べた。深町が岸の死について尋ねると、羽生は「岸文太郎を殺したのは俺だ」と短く言うだけだった。
天気待ちが3日目に入ると、羽生は深町に「冬の南西壁の最大の敵は、風だ。こんな所に長くいると危ない。3泊4日。やるなら、そこしか無い」と告げる。彼は計画を詳しく説明し、ずっと南西壁のことばかり考えて来たことを明かす。翌朝、羽生は深町に「ここから先は無関係だ。何があっても干渉しない。それだけは約束しろ。俺が逃げないように、俺を撮れ」と言い、ベースキャンプを出発した。2人はアイスフォールを抜け、ウェスタンクームで一夜を過ごす。
翌日、深町は絶壁を登っている最中、ミスを犯して意識を失ってしまう。羽生は深町を救助するが、そこで時間を費やしたことで予定地点まで行けなくなった。ビバークを余儀なくされた羽生に、深町は「なんで俺を助けた」と質問する。羽生は「アンタを助けたのは俺じゃない。岸だ。アンタを助けて、これでチャラだ」と告げた。深町は岸が滑落しそうになった時、ザイルを切らなかった。それどころか、「諦めるな。お前が死んだら、俺も死ぬ。お前と一緒に死ぬぞ」と声を掛けた。しかし岸は自らザイルを切り、死を選んだのだ。羽生は自分の言葉が彼を追い詰めたのだと、責任を感じていた。
次の日、「俺のせいで、3泊4日はもう」と深町が謝罪すると、羽生は「そんなことは関係ない」と口にする。そびえ立つ絶壁を見た深町は「あんなとこを登るなんて不可能だ」と怖じ気付き、登攀を再開した羽生には付いて行かなかった。下山を選んだ深町は、羽生の「俺を撮れ」という言葉を思い出す。振り返った彼がカメラの望遠レンズを構えると、羽生が絶壁に挑んでいた。「行け」と言ってシャッターを切った深町は、天候の悪化に気付いた。深町は「逃げろ」と必死に叫ぶが、羽生の姿は雲の中に消えた…。

監督は平山秀幸、原作は夢枕獏『神々の山嶺』角川文庫・集英社文庫、脚本は加藤正人、製作代表は角川歴彦、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎&平野隆&豊島雅郎、企画・プロデュースは高秀蘭、プロデューサーは井上文雄&岡田有正、共同プロデューサーは片山宣、プロダクション統括は椿宜和、撮影は北信康、山岳撮影は村口徳行、照明は渡部嘉、美術は中澤克巳、録音は小松将人、編集は洲崎千恵子、VFXスーパーバイザーは長谷川靖、プロデューサー補は山本英之、山岳監修は八木原國明、音楽は加古隆、主題歌『喜びのシンフォニー/HIMNO A LA ALEGRIA(ODE TO JOY)』歌唱はイル・ディーヴォ。
出演は岡田准一、阿部寛、尾野真千子、佐々木蔵之介、THINLEY LUNDUP、ピエール瀧、甲本雅裕、風間俊介、田中要次、山中崇、塚本耕司、外波山文明、綾田俊樹、荒谷清水、林家彦いち、伊藤洋三郎、RAJANI GURUNG、竹嶋康成、佐藤文吾、外波山流太、富岡英里子、後藤健、舟山弘一、名取将、BASUDEV KHANAL、KAMAL DEKOTA、SARANSHA KHAREL、EVAN GURUNG、JONATHAN SHERR、SERGEY KUVAEV他。


夢枕獏の小説『神々の山嶺』を基にした作品。
舞台となったネパールやエベレストで実際に撮影が行われている。
監督は『信さん・炭坑町のセレナーデ』『太平洋の奇跡-フォックスと呼ばれた男-』の平山秀幸、脚本は『だいじょうぶ3組』『ふしぎな岬の物語』の加藤正人。
深町を岡田准一、羽生を阿部寛、涼子を尾野真千子、長谷を佐々木蔵之介、ツェリンをテインレィ・ロンドゥップ、宮川をピエール瀧、井上を甲本雅裕、岸を風間俊介が演じている。
角川映画40周年記念作品。

まず最初に感じるのは、劇中における「現在」を1993年にしている意味が乏しいってことだ。実話を基にしているわけではないのだから、普通に考えれば映画が公開されるのと同じ年にしておいた方がいいはずだ。
小説における時代設定が刊行と同じ1993年なので、それを踏襲しているのだが、そこは映画に合わせて変更すればいいだけだ。
しかし、そう簡単に変更できない事情があった。実は小説が刊行された後の1999年、マロリーの遺体が発見されたのだ。
これによって、小説の内容が事実に合わなくなってしまったのだ。

映画版でも、「マロリーの遺体が発見された後の物語」にした場合、その内容が事実を否定してしまうという問題が生じる。そういう理由で、たぶん1993年という時代設定にしているのだろう。
ただ、そんなのは「大人の事情」であって、観客からすると何の関係も無いことだ。
1993年という設定にするのなら、映画として「その時代にしている意味」を用意した方がいい。でも、そういうのは何も見当たらない。
まあ昔に比べるとエベレスト登頂の難易度が下がっているので、それで2016年にするのを避けたという可能性は考えられるけど。

説明不足が甚だしいので、話に付いて行くのは容易じゃない。
この映画の説明不足は大きく分けて2通りあって、1つは「登場人物や相関関係など物語に関わる説明」で、もう1つは「専門用語に関する説明」だ。
前者について具体的に書くと、羽生と長谷のライバル関係、羽生と岸の師弟関係、羽生と涼子の恋愛関係など、羽生と周辺人物の関係性の描写がものすごく薄い。
たぶん「時間が足りない」ってのが大きな理由だろうとは思うけど、そんなのは観客からすると何の言い訳にもならないからね。

後者に関しては、「どんだけ観客に求める知識量が多いのか」と言いたくなる。
急に羽生が「オニスラ」とか言い出しても、山に詳しくなきゃ「彼が何と言ったのか」さえ分からん。
しかも「鬼スラ」と言ったことが分かっても、具体的に何を意味するのか、いかに凄いことなのかは全く分からないし。
それは他の部分でも同様で、とにかくエベレストや登山に関する基本的な情報を何も教えてくれないのよね。
エベレストの南西壁がいかに危険なのかってことさえ、あまりピンと来ない状態になっている。

そんなわけだから、劇中で描かれたり語られたりしている出来事がいかに凄いのか、いかに危険なのかが分かりにくいったらありゃしない。
幾ら登山家やエベレストを題材にした映画だからって、そっちの専門的な知識が豊富な人間ばかりが観賞するわけじゃないでしょうに。
たぶん山のことなんか何も知らないジャニーズファンや岡田准一のファンだって、大勢が観賞するはずだ。
それなのに、ジャニーズファンに限らず、登山の初心者に対して、あまりにも不親切で不誠実な作りなのだ。

冒頭、深町は滑落者が出たのに、平気でシャッターを切る。工藤から批判されると、「それが仕事ってモンでしょうが」と主張する。
この段階で「全く好感の持てない男」になっているが、それでも「写真のためなら何でもやるぐらい、その仕事に命を懸けている」ということなら、そっち方面のキチガイであっても魅力的な男として描くことは出来るだろう。
ところが深町は、その設定を早々と自らの行動で破綻させてしまう。彼はマロリー所持品らしきカメラを見つけても、その場では買おうとしない。斉藤の言葉を受けて購入するもが、ツェリンに要求されると簡単に渡してしまう。
それは変だろ。世紀の大発見になる可能性を秘めているカメラだぞ。
幾ら盗品であっても、何の執着も見せないのは変だろ。

エベレスト登頂を断念して帰国した深町は、せっかく撮影した羽生の写真を全て燃やして処分してしまう。そんでエベレストのことは完全に忘れようとした深町だが、羽生の言葉が頭から離れず、戻ることに決める。
でも、いつの間にか深町の目的が「羽生の写真を撮ること」から「エベレストへ登頂すること」に変化しているのは、まるでワケが分からんよ。
そんでエベレストへ登った彼はマロリーのフィルムを発見するが、「もういいんだ、そんな物は」と全く興味を示さない。
「じゃあ、お前は何のためにここへ来たんだ」という問い掛けに深町は「分からない」と答えるが、本人が分からないのなら、こっちが分かるはずも無いわ。

深町は羽生と会った後、日本へ戻って彼の関係者に話を聞いて回る。
だけど、羽生は有名人なんだから、大抵のことは山岳雑誌の編集者である宮川が情報を持っているんじゃないのか。
実際、関係者が話す内容って、どう考えたって「その当事者じゃなくてもクライマー事情に詳しい人なら知っているであろう情報」が大半だぞ。
「周囲のキャラクターを使って羽生という人物像の輪郭を描いて行く」という手法を採用していることは理解できるけど、無理があるわ。

涼子と羽生の関係については、彼女しか知らないことも多いだろう。
ただし、「そもそも涼子の存在が不要」という問題があるからね。
原作では重要な役割を果たすキャラクターなんだろうけど、映画だと存在意義が乏しい。それどころか、すんげえ邪魔。
ボリューム過多な原作の内容を大胆に削ぎ落とす必要があったはずで、その中で彼女も排除した方が良かったんじゃないかと。
そりゃあ、「大作映画だし、ヒロインは必要でしょ」というハリウッド映画的な考え方に至るのも分からんではないけどね。

エベレストへ戻る深町に涼子に同行するのなんて、「なんでだよ」と言いたくなる。
「私の大切な人は、みんな山で死にました。何なんですか山って。そこまでして登らなきゃならないんですか。私もこの目で見るなきゃ納得できません」と言うけど、こっちはアンタが「この目で見なきゃ納得できません」と言って深町に同行することが納得できないよ。
モンベルのプロダクト・プレイスメントのためだけに同行しているようなモンだわ(そのシーンにおける彼女の服装は全てモンベル)。
まあ彼女だけじゃなくて、深町や羽生もモンベル製品を使っているけどね。

前半で深町が関係者の聞き込みをするシーンでは、「いかに羽生が傲慢で冷淡な男なのか」ってことがアピールされる。
しかし、何しろ演じているのは阿部寛だし、っていうか彼じゃなくてもキャラの立ち位置として、羽生が冷酷非道な人間じゃないことはバレバレである。
なので岸が滑落死して「羽生がザイルを切った」という噂が広まったという説明が入った時点で、「彼が岸を見殺しにしたわけじゃない」ってこともバレバレだ。

ただ、バレバレであっても、そこで「そういう噂がありまして」という形にしてあるのなら、後半までは真実を秘密にしたまま引っ張るべきだろう。
ところが、すぐに涼子が現れ、「兄が死んでから毎月、私の所へお金が届くようになりました」と話す。
その段階では、まだ「羽生がザイルを切った」という可能性がゼロになったわけじゃないけど、もう「冷酷な人間」という人物像は完全に払拭されている。
あと、そもそも「口は悪いけど、ホントは思いやりのある男」というキャラ造形自体が、あまり成功しているとは言い難いのよね。それが「魅力的な男」というイメージに、まるで結び付いていないのよ。

深町とエベレストへ登攀する際、羽生は「ここから先は無関係だ。何があっても干渉しない。それだけは約束しろ」と言う。
でも、それがネタ振りってのはバレバレだ。「そんなことを言うからには、途中で深町が危機に陥り、羽生は自身の目的を後回しにしてでも彼を救うんだろうなあ」と思っていたら、その通りの展開が訪れる。
そこは予定調和であろうと、分かりやすいフラグの回収になっていようと、まあ悪くは無いよ。
ただ、その回収が早すぎやしないか。
ネタ振りをしてから5分ほどで、もう回収の手順が訪れるのよ。

序盤で深町が工藤から「お前だって元は山屋だろ」と言われているけど、それぐらいしか情報が無いので、カメラマンである彼が危険な登攀を普通にこなしているのも違和感を抱かせる。
山岳カメラマンとして活動しているし、冒頭でエベレストの遠征隊に同行しているから、それなりのキャリアがあることは分かる。
ただ、幾ら何でも「冬期南西壁の無酸素単独登頂」を成功させちゃうのは無理があるだろうに。
天才的クライマーである羽生が何年も準備して、ようやく成功するような偉業なんだぞ。
それを何の準備もせず、その場の思い付きでエベレストへ戻っただけの奴が、なんで成功させちゃうんだよ。

終盤、エベレストの頂上を目指す深町は、羽生の遺体を発見する。ここで羽生の残した手帳を見つけ、彼が開くと「もういいか、まだか。休むのは死ぬ時だ。休むな。生きている間は休まない。休むなんて、俺は許さないぞ」などと書かれている。
この言葉が羽生の声で再生され、まるで深町が死者とテレパシーで通じ合える能力を会得したかのようになっている。深町は羽生の遺体に「一緒に帰ろう。俺に取り憑け」と呼び掛け、額を合わせる。
きっと魂を揺さぶられるシーン、高揚感を喚起するシーン、感動的なシーンとして用意されているんだろうけど、深町がヤバい人になっているようにしか見えない。
この映画を最後まで見ても、山の面白さ、登山の醍醐味、登山家の魅力といったモノは、何一つとして伝わらない。
なぜ羽生が山に登るのか、なぜ深町が山に登るのか、それは全く分からない。

(観賞日:2017年4月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会