『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』:2012、日本

式波・アスカ・ラングレーのエヴァンゲリオン改2号機と真希波・マリ・イラストリアスのエヴァンゲリオン8号機は、上空に浮かんでいるコンテナの強奪作戦を展開する。地上からの自動防衛システムやコンテナ内の物体による攻撃を受ける中、8号機が退却を余儀なくされた。コンテナ内の物体はA.T.フィールドによってアスカを攻撃し、脱出しようとする。「何とかしなさいよバカシンジ!」とアスカが叫ぶと、逃げようとする物体が爆発した。コンテナの強奪に成功する様子を地上から眺めていた渚カヲルは、微笑を浮かべながら「お帰り、碇シンジくん」と口にした。
意識を取り戻したシンジは、旗艦“AAAヴンダー”の中にいた。葛城ミサトや赤木リツコ、伊吹マヤ、青葉シゲル、日向マコトといった面々の姿があったが、どうも様子が違っていた。他に、高雄コウジや長良スミレ、北上ミドリ、多摩ヒデキといった知らない面々も乗っていた。ミサトは冷淡な態度を取り、鈴原サクラにシンジを隔離室に移すよう命じた。敵の出現が報告され、副長のリツコは艦長であるミサトに撤退するよう進言する。しかしミサトは却下し、主機を使うよう命じた。
アスカが無事だと知ったシンジは、自分も初号機で手伝いたいとミサトに申し出る。だが、ミサトは彼に、何もしないよう告げた。敵に包囲される中、ヴンダーは大艦隊を率いて浮上した。リツコはシンジに、エヴァ初号機がヴンダーの主機に使われていること、シンクロ率は0.00%なので乗っても起動しないことを説明した。シンジの首にはDSSチョーカーが取り付けられていたが、それは彼がエヴァに乗った時の安全装置だとリツコは説明した。もしもシンジが感情を抑制できずに覚醒した場合、シンジを殺すための装置ということだ。
シンジはサクラからトウジの妹だと挨拶され、年齢的な問題で困惑する。するとアスカが現れ、「あれから14年経ってるってことよ」と言う。シンジは再会を喜ぶが、アスカは彼に対する激しい怒りを示した。アスカの外見は全く変化していなかったが、それはエヴァの呪縛のせいだと彼女は語った。シンジはミサトやリツコたちに、助け出した綾波レイのことを尋ねる。リツコは初号機を調査してもレイが発見されなかったことを話し、残っていたという復元されたSDATプレーヤーを渡す。それはレイが持っていた物だった。SDATプレーヤーを見たシンジは、やはり自分はレイを助けたのだと確信した。
ヴンダーは攻撃を受け、壁を破壊したEVANGELION Mark.09が姿を現した。レイの声が頭の中に響く中、シンジはMark.09に付いて行こうとする。ミサトがDSSチョーカーのリモコンを構えて「行ってはいけない」と告げ、反発するシンジに「ネルフのエヴァは全て殲滅します」と言う。「私たちはヴィレ。ネルフ壊滅を目的とする組織です」という言葉に動揺しながら、シンジは「でも乗ってるのは綾波なんですよ」とシンジは口にする。「違うわ。レイはもういないのよ」と言われたシンジは「嘘だ」と怒鳴り、Mark.09と共に脱出した。
シンジが意識を取り戻すと、そこはネルフの病室だった。レイの案内で外に出たシンジは、廃墟と化したネルフ本部を目にした。ゲンドウがシンジの前に現れ、時が来たらカヲルと一緒にエヴァンゲリオン第13号機に乗るよう指示して姿を消した。無機質な部屋を与えられたシンジは、外に出てレイを見つける。しかしシンジが話し掛けても、レイは無感情で対応するだけだった。シンジはカオルから、ピアノの連弾に誘われた。演奏している内に、シンジは楽しい気分になった。
シンジはカオルにSDATプレーヤーの修理を頼み、彼を誘って一緒に星空を見上げた。カオルはシンジに「ありがとう、誘ってくれて」と礼を言い、彼を見つめながら「僕は君と会うために生まれてきたんだね」と述べた。後日、支給されたシャツを来たシンジは、鈴原トウジの名が刺繍されているのに気付いた。彼は修理を終えたSDATプレーヤーをカオルから渡され、暗い顔で「心配になったんだ、友達が。みんながどうなっちゃったのか分からなくて、怖いんだ」と明かした。
カオルは「知りたいかい?」と問い掛け、防護服を着用させたシンジを連れて断崖を下る。雲が切れると、シンジの眼前には異様な光景が広がっていた。カオルは彼に、「君が初号機と同化している間に起こった、サードインパクトの結果だよ。この星での大量絶滅は、珍しいことじゃない。むしろ進化を促す面もある。生命とは本来、世界に合わせて自らを変えて行く存在だからね。しかし、リリンは自らではなく、世界の方を変えて行く。だから、自らを人工的に進化させるための儀式を起こした。古の生命体を贄とし、生命の実を与えた新たな生命体を作り出すためにね。ネルフでは人類補完計画と呼んでいたよ」と語った。
「ネルフが、これを」と動揺するシンジに、カオルは「一度覚醒し、ガフの扉を開いたエヴァ初号機は、サードインパクトのトリガーとなってしまった。リリンの言うニア・サードインパクト。全てのきっかけは、君なんだよ」と教える。シンジは「違う。僕はただ、綾波を助けたかっただけだ」と否定し、「僕は知らないよ。そんなこと急に言われたって、どうしようもないよ」と感情的になって喚いた。
カオルは冷静な口調で、「君の知りたかった真実だ。結果として、リリンは君に罪の代償を与えた。それが、その首の物じゃないのか」と指摘する。シンジが「罪だなんて。何もしてないよ。僕は関係ないよ」と頭を抱えると、カオルは「君に無くても、他人にはあるのさ。ただ、償えない罪は無い。希望は残っているよ。どんな時にもね」と告げた。ゲンドウは冬月コウゾウから「ゼーレの少年が第3の少年と接触。外界の様を見せたようだ。果たして、どう受け止めるのか」と言われ、「ゼーレのシナリオを我々で書き換える。あらゆる存在は、そのための道具にすぎない」と冷徹に述べた。
シンジは部屋に戻り、「綾波を助けたんだ、それでいいじゃないか」と呟いた。シンジはレイの部屋に通うが、いつも彼女はいなかった。冬月はシンジを将棋に誘い、母親のことを覚えているかと尋ねた。まるで記憶が無いことをシンジが告げると、彼は一枚の写真を見せた。レイに良く似た女性を見つけたシンジに、それが彼の母親であることを冬月は教えた。「旧姓は綾波ユイ。大学では私の教え子だった」と冬月は言い、彼女がエヴァ初号機の制御システムになっていることを明かした。
冬月はユイが自ら発案したコアへのダイレクトエントリーシステムの被検者に志願したこと、それをシンジも見ていたことを話す。そして彼は、シンジの知っている綾波レイがユイの情報をコピーした複製体の1つに過ぎないこと、現在は初号機の中に保存されていることを説明した。全てはゲンドウが自らの願いを叶えるための計画だ。シンジが廃墟と化したネルフ本部で会ったレイは、オリジナルから複製されたスペアだった。
「誰も信じられない」と第13号機への搭乗を拒否するシンジに、カオルは「僕だけは信じてほしい」と声を掛ける。それでもシンジは耳を貸そうとしなかったが、カオルは彼の首に装着されているDSSチョーカーを簡単に外した。シンジが驚いていると、カオルは「リリンの呪いとエヴァの覚醒リスクは僕が引き受けるよ」と言い、それを自分の首に付けた。カオルはシンジに、補完計画発動のキーとなっている2本の槍を抜いて世界を修復しようと説く。シンジはカオルを信じ、一緒に第13号機へと乗り込んだ…。

総監督は庵野秀明、監督は摩砂雪&前田真宏&鶴巻和哉、企画・原作・脚本・等は庵野秀明、エグゼクティブ・プロデューサーは大月俊倫&庵野秀明、主・キャラクターデザインは貞本義行、主・メカニックデザインは山下いくと、画コンテは鶴巻和哉&樋口真嗣&摩砂雪&前田真宏&小松田大全&轟木一騎&庵野秀明、総作画監督は本田雄、作画監督は林明美&井上俊之、特技監督は増尾昭一、副監督は中山勝一&小松田大全、総演出は鈴木清崇(タツノコプロ)、色彩設定は菊地和子、美術監督は加藤浩、CGI監督は鬼塚大輔&小林浩康、CGI監修は板野一郎、撮影監督は福士享、編集は李英美、総監督助手は轟木一騎、脚本協力は榎戸洋司&鶴巻和哉&前田真宏、アニメーションプロデューサーは緒方智幸、音楽は鷺巣詩郎。
テーマソング「桜流し」宇多田ヒカル 作詞/宇多田ヒカル、作曲/宇多田ヒカル,Paul Carter。
声ノ出演は緒方恵美、林原めぐみ、宮村優子、坂本真綾、三石琴乃、山口由里子、石田彰、立木文彦、清川元夢、長沢美樹、子安武人、優希比呂、麦人、大塚明夫、沢城みゆき、大原さやか、伊瀬茉莉也、勝杏里、山崎和佳奈、野田順子、儀武ゆう子、斉藤佑圭、真理子、小野塚貴志、宮崎寛務、合田慎二郎、手塚ヒロミチ、岩崎洋介。


1995年から1996年に掛けてテレビ東京系列で放送されたTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の新しい劇場版シリーズ第3作。
シンジの声を緒方恵美、レイを林原めぐみ、アスカを宮村優子、マリを坂本真綾、ミサトを三石琴乃、リツコを山口由里子、カヲルを石田彰、ゲンドウを立木文彦、冬月を清川元夢が担当している。
加持リョウジ、鈴原トウジ、相田ケンスケ、洞木ヒカリといったキャラクターが、今回は登場しない。

シンジはアスカの言う通り、本当にバカシンジである。ただ単に「逃げ腰のヘタレ」というレベルに留まっていない。
むしろ、ただ逃げてばかりいるだけの方が、主人公としては失格だが、まだ遥かにマシだっただろう。
こいつは余計な時だけ身勝手で無謀な行動を取り、周囲に多大な迷惑を掛けたり、取り返しの付かない結果を引き起こしたりする。しかし、都合が悪くなると、すぐに逃げ出してしまう。
シンジは自分のせいでニア・サードインパクトという大惨事が起きたのに、「僕はただ、綾波を助けたかっただけだ」「僕は知らないよ。そんなこと急に言われたって、どうしようもないよ」「何もしてないよ。僕は関係ないよ」と、徹底的に責任を否定する。そして「綾波を助けたんだ、それでいいじゃないか」と現実逃避する。
そんな主人公に対して、応援する気持ちも共感する気持ちも沸くはずがない。

シンジはニア・サードインパクトを引き起こしただけに留まらず、今回はカオルが止めるのも聞かずに槍を抜き、フォース・インパクトを起こそうとしている。
大人に利用されているとか、辛い目に遭っているとか、そういうことがあっても全く同情の気持ちが沸かない。
それぐらい、シンジは一点の曇りも無い、不快感丸出しのクズ野郎なのだ。
ただし彼だけでなく、他の面々も全く共感を誘わない。何を考えているのかサッパリ分からんし。

これを「普通の映画」として捉えた場合、「欠陥だらけのクソ映画」と言い切ってしまってもいい。
まず映画の冒頭からして、それが何を描いているシーンなのかサッパリ分からない。映画の導入部なのに、誰が何のために何をやろうとしているのか、何も分からないのである。
「何か1つだけ謎めいた部分がある」というレベルではない。
一応、物語が進行した後で、「シンジと初号機が乗っているコンテナを強奪する作戦だった」ということは見えて来るが、観客の心を掴むべき導入部が意味不明ってのは、得策とは思えない。

導入部をミステリーとして描くなら、それはそれで1つの戦略だ。
しかし、それならアクションシーンとしての描写は、むしろベクトルが完全に逆だろう。
アクションシーンで始めるのなら、そこに「アクションで観客の気持ちを掴もう」という意図があるはずで、それなら「何をやっているのかサッパリ分からない」というのはマイナスでしかない。
謎があっちゃダメとは言わないが、あまりにも多すぎると、アクションに気持ちが乗れず、高揚感が喚起されないのだ。

シンジが意識を取り戻した後、「あれから14年が経過した」という設定が明かされる。いきなり14年もジャンプする展開には驚いたが、それは決して歓迎する意味でのサプライズではない。
で、14年が経過したのにシンジやアスカが年を取っていないのは「エヴァの呪縛」という魔法の言葉(別の言い方をすれば「御都合主義」)で処理されてしまう。
それと、14年が経過したはずなのに、ミサトやリツコが14歳も年を取ったようには全く見えない。
あと、サクラがトウジの妹と知ったシンジが驚いているのだが、そもそも「シンジより遥かに年上で、お姉さんに見える」という前提がちゃんと成立していない。サクラが童顔で、そんなに年上には見えないのだ。

「アダムスの器」「ガフの扉」「リリン」「リリス」「インフィニティー」「カシウスの槍」といった用語が出て来るが、説明は何も用意されていない。
ネルフ本部にはゲンドウと冬月しかスタッフがいないのに、なぜか第13号機の準備は普通に整えられている。
シンジの首にガッチリと装着されているDSSチョーカーを、なぜかカオルは簡単に外すことが出来る。
普通の映画として考えれば、これは唐突で強引な展開だらけで、観客置き去りの不誠実な娯楽作品である。

とにかく、この作品の欠点は「特殊な用語の羅列」&「極度の説明不足」という部分が大きい。
ただし、それは「普通の映画」として解釈した場合だ。
これは「普通の映画」ではない。エヴァンゲリオンなのだ。ってことは、一部の熱狂的でコアなファンだけに向けられた、「コミューン映画(by古川土竜)」なのである。
「これはエヴァンゲリオンである」ということを考えれば、どれだけ説明不足であろうと、意味不明な描写が多かろうと、「そんなのは大した問題じゃない」と言えるのではないか。
説明不足なのは今に始まったことではなく、それがエヴァの仕様だ。むしろ、ある意味では「これぞエヴァ」という仕上がりだと言えるのではないか。

『新世紀エヴァンゲリオン』が風呂敷の畳めない話であることも、庵野秀明にエヴァのデカすぎる風呂敷を畳む力が無いことも、とっくの昔に分かっている。
何度繰り返したところで、結局はTVシリーズと同じように投げっ放しの如き状態で終わってしまうことは目に見えている。
「まだ庵野秀明を諦めない」という人もいるんだろうけど、それは彼を買いかぶり過ぎている。
とは言え、決して庵野秀明に才能が無いというわけではない。そうではなく、エヴァは彼の手に負えないってことだ。

庵野秀明だけでなく、たぶん誰がやってもエヴァは手に負えない。
なぜなら、辻褄を合わせるつもりなんて無いまま話を展開させ、最初から回収するつもりなんて無いまま伏線を巻き散らし、答えなんて用意しないまま幾つもの謎を散りばめたからだ。
そのせいで、畳むつもりが無いまま風呂敷を広げまくったのに、「辻褄を合わせて伏線をキッチリと回収し、全ての謎に答えを出し、風呂敷を綺麗に畳む」という作業を要求されるのだ。
そんなの無理に決まっているでしょ。

エヴァ好きなオタクからすると、「ワケの分からないことだらけ」という内容が、たまらないのではないか。分からないことが多ければ多いほど、自分たちで考察して楽しむことが出来るからね。意味不明な内容になっていることで、「素人には絶対に理解できないだろう。
我々のような本当のエヴァ好きだけが楽しめるのだ」というオタク精神がくすぐられるしね。
ようするにエヴァって、「ファンが色々と考える」というところまで含めて成立する作品なんじゃないかな。
オタクの皆さんが勝手に色々な考察をしてくれれば、それで商売としては成功ってことよ。
だから庵野秀明とガイナックスは、クリエイターとしては卑怯だけど、商売人としては狡猾だ。
って、どっちも褒め言葉になってないね。

(観賞日:2014年10月9日)


2012年度 HIHOはくさいアワード:3位

 

*ポンコツ映画愛護協会