『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』:2007、日本

14歳の碇シンジは、父の碇ゲンドウから呼び出されて第3新東京市にやって来た。迎えに来るはずの葛城ミサトを待っていると、街に 第4の使徒が出現した。使徒撃滅のために国連軍が出撃する中、ミサトが車でシンジを迎えに来た。戦車大隊が攻撃しても全く効果は無く、 国連軍上層部は「直撃なのに」と苛立つ。だが、国連直属の特務機関NERV(ネルフ)司令官であるゲンドウや副司令・冬月コウゾウは、 使徒がATフィールドを使っているため、通常武器が効かないことを知っていた。
国連軍が切り札の武器を使っても、やはり使徒はびくともしなかった。これにより、使徒壊滅の指揮権はゲンドウに移った。シンジは 戦術作戦部作戦局第一課所属のミサトに連れられ、NERV本部にやって来た。2人が乗ったエレベーターが開くと、技術開発部技術局第一課 所属の赤木リツコが立っていた。彼女はシンジに、汎用人型兵器エヴァンゲリオン初号機を見せた。
ゲンドウがシンジの前に現れ、使徒撃滅のための出撃を命じた。初号機に乗るようリツコに促されたシンジは、「出来るわけ無いよ」と 反発する。するとゲンドウは冬月に連絡を入れ、「レイを起こしてやれ」と告げた。シンジの眼前に、深く傷付いた少女・綾波レイが 運ばれてきた。苦悶しながらも出撃しようとする彼女の姿を見て、シンジは自分が出撃することにした。外に出た瞬間に初号機は転倒し、 頭部損壊で沈黙する。だが、動けないはずの初号機は暴走し、ATフィールドを簡単に破って使徒を倒した。
初号機の中で失神したシンジは、ベッドの上で意識を取り戻した。同じ頃、ゲンドウは人類補完委員会の会議に参加し、秘密結社ゼーレの キール・ローレンツらと話し合っていた。ゲンドウは会議の参加者に、ドイツでエヴァンゲリオン2号機と専属パイロットの試験を行って いることを説明した。ミサトはシンジを引き取り、同居させることにした。夕方、家に向かう途中で、ミサトは使徒専用迎撃要塞都市で ある第3新東京市の姿をシンジに見せた。
第5の使徒が出現し、シンジは初号機で出撃した。しかしシンジは恐怖で足がすくんでしまい、ミサトから一時退却を命じられた。だが、 正気を失ったシンジは命令に背き、使徒に突撃する。使徒の崩壊と同時に、初号機は活動を停止した。静かな抵抗を示すシンジに、ミサト は「続けるかどうか自分で決めなさい。嫌なら出て行きなさい」と告げた。シンジの行動は、全てゲンドウの予想通りだった。ゲンドウは 次の段階として、もう少しシンジをレイに接近させようと企んでいた。それは14年前からの計画だ。
レイはシンジと同じ14歳で、中学校では同じクラスだ。レイは陰気で、ほとんど喋らない。彼女は最初の適格者、つまり試作零号機の専属 操縦士だ。過去の経緯は全て抹消されている。零号機は実験中に異常が発生し、制御不能となって暴走した。搭乗していたレイは、深手を 負った。だが、NERVは戦力増強のため、暴走事故を起こした零号機の凍結解除を決定した。
ゲンドウはシンジには冷淡だが、レイに対しては優しい笑顔を見せた。シンジが「あんな父親なんか信じられない」と言うと、レイは彼に 平手打ちを食らわせた。第6の使徒が現れ、シンジは初号機で出撃する。だが、いきなりの攻撃を受け、危機に陥った。助けを求める シンジの声を、ゲンドウは無視した。ミサトは初号機を強制回収し、シンジには救護措置が取られた。使徒は攻撃を停止し、その場に 留まった。ミサトは日本全国から電力を接収し、ヤシマ計画を発動することにした…。

原作・脚本・総監督は庵野秀明、監督は摩砂雪&鶴巻和哉、主・キャラクターデザインは貞本義行、主・メカニックデザインは山下いくと、 新作・画コンテは樋口真嗣&京田知己、総作画監督は鈴木俊二、作画監督は松原秀典&黄瀬和哉&奥田淳&もりやまゆうじ、メカニック 作画監督は本田雄、特技監督は増尾昭一、色彩設計は菊地和子(Wish)、美術監督は加藤浩(ととにゃん)&串田達也(美峰)、 CGI監督は鬼塚大輔&小林浩康(スタジオカラーデジタル部)、撮影監督は福士享(T2スタジオ)、音響監督は庵野秀明、編集は奥田浩史、 演出は原口浩、音楽は鷺巣詩郎。
声ノ出演は緒方恵美、林原めぐみ、三石琴乃、山口由里子、立木文彦、清川元夢、石田彰、長沢美樹、子安武人、優希比呂、関智一、 岩永哲哉、岩男潤子、麦人ら。


1995年から1996年に掛けてテレビ東京系列で放送されたTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の新しい劇場版シリーズ第1作。
過去に「シト新生」「Air/まごころを、君に」「DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に」という劇場版が作られているが、それと テレビ版は、本作品の制作に伴って「旧世紀版」と庵野秀明は呼びたいらしい。
新シリーズは4部作になっている。

製作サイドは本作品のことを、リニューアルでもリメイクでもなくリビルド(再構築)だと主張している。
しかし実質的には、リメイク以外の何物でもない。
リメイクという表現でマイナスの印象を与えることを嫌ったのかもしれないが、でもリメイクはリメイクだよ。
特に、この1作目に関しては、TVシリーズ第壱話から第六話までの内容の、ほぼ焼き直し。
1作目は出発点で、2作目からは旧作とは異なるパラレル・ワールドへ突入して行く。
本作品は、そのための前置き、いわゆるプロローグだ。

テレビ版を知らず、いきなり本作品から見た人には、きっと何が何やらチンプンカンプンだろう。
どういう世界観なのか、時代設定はどうなっているのか、エヴァンゲリオンや使徒とは何なのか、分からないことだらけだろう。
だが、どうせ最初から、製作サイドはエヴァを知っている人しか相手にしていないので、それでいいのだ。
いわゆる「いちげんさん」はお断りの映画だ。

アニメという分野においては、オタクだけを相手にしても商売は充分に成り立つのだ。
そのことを分かっているから、庵野監督は自身の会社“スタジオカラー”で資金を調達し、宣伝も会社の主導で行い、自主制作の形で 第一回作品として公開した。
インディーズでやった場合、もちろんリスクは色々と考えられるが、ヒットした時の儲けはデカい。
エヴァであれば、稼いでくれることは、あらかじめ分かり切っている。
だから彼は、そういう思い切ったやり方を取ることが出来たのだ。

エヴァンゲリオンは大ブームを巻き起こしたが、私は全くハマらなかった。
一応、TVシリーズに関しては全て見たし、基本的にオタクの資質を持っている人間だと自覚しているが、まるで乗れなかった。
ガンダムやイデオン、バイオレンスジャックやデビルマン等を既に知っていた身としては、「庵野監督が自身のハマった作品など様々な所 からネタを拾い集めて、それをコラージュしたアニメ」という評価しか出来ない。
いや、まあコラージュでも面白い作品はあるだろうけどね。

「旧作ファンならこう見るだろう」という視点での捉え方は無意味である。
なぜなら、これを見る大多数は旧作を見ているはずだからだ。
ピクサーやジブリ作品のように、普段はアニメを見ないような人を受け入れるタイプの作品ではない。
「旧作ファンでない人は」という視点は存在しないに等しいので、それと比較する意味での「旧作ファンなら」という批評は無意味だ。

かつて『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』もブームを巻き起こしたが、それとの大きな違いは、世界が閉じられている ことだ。
その大きな理由は、作り手側もオタクだということにある。
オタクの生み出す作品というのは、その世界が閉じられていることが多い。
閉じられた世界で作品を作り、閉じられた世界に生きるオタク達と一緒になってエヴァ・コミューンを形成する。
エヴァンゲリオンのブームというのは、エヴァという心地良い温泉に浸かっている人々によって作られた、そういう現象なのだ。

オタク向けの作品なのに大ヒットしたのは、それよりスゴいパワーがあって、一般人にまでブームが波及したからではない。
単に、昔に比べるとオタクが市民権を得るようになって、オタク人口が増えただけだ。
でもまあ、実際にデカく稼いでいるんだから、大成功だよね。
なんだかんだ言っても、稼いだ奴が偉いのよ、世の中は。
同じ作品を何度も擦っても、熱狂的ファンは多いので、ちゃんと付いて来てくれるし、美味しい商売だよな。

庵野監督はアニメ界の大先輩である富野由悠季監督を「イデオンで終わった人」と評しているが、どうやら本人も「エヴァで終わった人」 になりそうだ。 実写に転向しての一作目『ラブ&ポップ 』で期待を抱かせたが、その後の『キューティーハニー』が製作会社を潰す大コケに終わって しまい、実写の世界で生きて行くのも無理になって、結局は安全に稼げる(簡単にオタクを騙せる)エヴァに戻って来たって ことなのだろう。 きっと庵野監督は、このシリーズを完結させて何年が経ってから、またエヴァの冠を称した新たなアニメを作るだろう。 ここに戻ってきたことで、もう彼はエヴァの呪縛から逃れられなくなった。そのチャンスが全く無かったわけではないはずだが、自ら 手放してしまった。 後はもう、アニメの世界から足を洗うまで、ずっとエヴァにこだわっていくしか道は残されていないかもしれない。

(観賞日:2009年7月6日)

 

*ポンコツ映画愛護協会