『エスパイ』:1974、日本
ミラノとジュネーブを結ぶヨーロッパ国際特急に、国連の東欧紛争調停委員4名が乗っていた。車で列車を追った殺し屋の巽五郎は、透視能力を使って4人の位置を確認し、ライフルで全員を狙撃した。テスト・ドライバーの三木次郎がコースで車を走らせる様子を、田村良夫とマリア原田が観察していた。三木は事故を起こしてガードレールに激突しそうになるが、その寸前で車がバックして事無きを得た。
三木は田村とマリアに連れられ、国際公害研究機構を訪れた。支部長の法条や職員の寺岡と会った三木は、「僕が公害研究に役立てるとは思わないんですが」と困惑した。すると法条は、「大いに役立ってもらうよ。ただし公害研究ではなく、君の超能力をね」と言う。彼は三木に、「我々の組織の本当の名前は、国際超能力機構。君は正式に組織の一員となったわけだ」と告げた。
「どうして僕が?」と三木が言うと、法条たちは彼が激突寸前で助かった時の映像を見せた。それは念動力で車を逆方向に押し戻したのであり、本格的なトレーニングを受けたらピラミッドも動かせるというのが法条たちの考えだった。ただし問題は力がコントロールされていないことであり、現在は三木か他人の生命が危険になった時のみ無意識に発動される。「力は強力だが、このままでは超能力者としては赤ん坊と一緒だ」と田村は告げた。
「こんな話に乗れと言われても」と拒否反応を示す三木に、法条は「乗れなければ世界を見ることだな」と言う。さらに彼は、「東欧の小国バルトニアに勃発した扮装が、今や世界の台風の目になっていることは知っているね。バルトニアは、いわばアメリカのキューバだ。遅れ馳せながら紛争調停委員4人をジュネーブ平和会議にまで漕ぎ付けた。だが、その矢先、4人は殺された。犯人は超能力者であることは、一般には発表されていない」と語った。
三木が「貴方がたは一体?」と正体を尋ねると、法条は「世界の要人は我々のことを、エスパイと呼んでいる」と答える。寺岡は「我々の究極の目標は平和だ。言ってみれば超能力の平和利用だ」と言い、田村は「犯人は俺たちと全く逆の、いわば逆エスパイとも言うべき殺人超能力集団だ」と述べる。法条は「彼らの正体や目的は不明だ。しかし、彼らの行動は世界を破滅に向かわせていることは間違いない」と言い、三木にESPカードを当てる実験を行わせた。
法条はエスパイ国際機構総責任者のP・Bから、敵の次なる目標がバルトニア首相の暗殺にあることを知らされる。バルトニア首相は訪日し、アメリカ大統領と会談することになっていた。法条は田村たちに、半年前に行方不明となったアジア支部員のポールがイスタンブールのトルコ支部に助けを求めて来たことを話す。逆エスパイ組織の手先になっていたが、その恐ろしさに逃げ出したのだという。ポールの口を割らせて逆エスパイ組織の情報を聞き出すため、彼は田村とマリアを派遣することにした。
イスタンブールに飛んだ田村とマリアは支部員のゴドノフと合流し、ポールが隔離されている場所へ向かうが、巽が密かに尾行していた。ポールに尋問した田村は彼の心を読み、パリにいる首相が替え玉で本人はサンモリッツにいることを知った。マリアはドアの外を透視し、巽が来るのを目にした。巽が発砲しようとすると、田村が超能力で阻止する。田村を助けようとしたマリアは、背後から巽に捕まる。巽はテレポーテーションを使い、マリアを連れて姿を消した。
田村はゴドノフと手分けして、マリアを捜索する。田村はゴドノフの警告を無視し、怪しげなナイトクラブに足を踏み入れた。すると、逆エスパイのボスであるウルロフの声がテレパシーで聞こえて来た。ウルロフは田村の手足を超能力で椅子に拘束し、「せっかくの俺の招待だ。ゆっくり楽しむんだな」と笑う。正気を失っているマリアがステージに現れ、妖艶に踊り出した。田村が拘束を外そうとすると、椅子から電流が放出された。
黒人ダンサーのアブドゥラが現れてマリアと抱き合い、田村の心を乱れさせた。カッとなった田村は超能力でアブドゥラの舌を捻じ切るが、気を失った。彼が意識を取り戻すと、船の中にいた。近くにはウルロフがいて、「3000ボルトの電流のショックで、お前の超能力は消えた」と告げた。ウルロフは「俺たち超能力者は、人間じゃない。人類というくだらない生き物を滅ぼすために生まれてきた超人類だ。人類を絶滅するには殺し合いをさせるしかない。そのために戦争という道具を与えてやったんだ」と語った。
田村はウルロフから仲間になるよう誘われ、即座に拒絶した。手錠を付けられて海に沈められた田村だが、法条に救われる。彼が意識を取り戻すと、ソ連の原子力潜水艦の中だった。法条は田村に、P・Bの要請を受けたアメリカとソ連のトップが、バルトニア首相の暗殺を阻止する目的で一時的に手を組んだのだと説明する。さらに法条は、マリアがゴドノフたちに救出されたことを田村に教えた。
インドの予言者であるサラバッド老師も潜水艦に乗っており、特有の条件さえ整えば誰でも使えるのがテレポーテーションだと話す。田村が超能力を失ったことを話すと、「それは一時的なことだ」と彼は述べた。田村、法条、サラバッド老師はサンモリッツで三木と合流し、ヘリコプターでバルトニア首相のいる山荘へ向かう。敵の車を発見したサラバッドに、法条は「護衛のヨーロッパ支部員がサイキックカーテンを張り巡らせてありますし、心配は無いと思いますよ」と告げた。
逆エスパイ組織は激しく鐘を鳴らして超音波を発生させ、サイキックカーテンを張っていた護衛たちの念動力を封じた。ヘリコプターが山荘の近くに着陸すると、サラバッドは能力を使って田村たちの耳を守った。サラバッドは三木に山荘へ走るよう命じ、田村には超音波の発信源が近くの家であることを教えた。田村が家へ飛び込むと、待ち受けていたアブドゥラが襲い掛かった。殺し屋2人は山荘に乗り込み、護衛たちを射殺する。そこへ三木が駆け付けて殺し屋1名を始末するが、初めての殺人に強いショックを受けた。彼が動揺している間に、もう1人の殺し屋が首相を射殺した。
車で山荘へ向かっていたマリアの眼前に、家で争う田村とアブドゥラの様子が浮かび上がった。田村の目の前で、アブドゥラは火だるまになって絶命した。田村が山荘へ行くと、三木が沈み込んでいた。法条が「我々の完全な敗北だ」と漏らすと、サラバッドは「いや、敵の負けだ」と言う。死の瞬間に真実を意識したことで、ここにいる首相が替え玉であることを意識させたのだと彼は語る。公式行事に参加している首相が、やはり本物だったのだ。
三木が使えない状態だと判断した法条は、首相が訪れるパリヘ田村を差し向けた。ナイトクラブでの出来事を今も引きずっているマリアと会った田村は、「これからが大変だ。バルトニア首相が日本を去る日まで油断は出来ない。お互いの明日を考えようじゃないか」と告げて彼女を元気付けた。ウルロフの手下であるジュリエッタは空港へ行き、首相の乗る飛行機の機長と副機長に催眠術を掛けた。田村とマリア、それにサイバッドは、首相と同じ飛行機に搭乗した。磁気嵐を見た機長と副機長が催眠状態に陥り、飛行機は墜落しそうになった。サイバッドは飛行機を浮上させるが、全精力を使い果たして死亡した。
ウルロフはバルトニア首相が無事に来日したことを報じる新聞記事を見て、巽に「首相が大使館を出発するのは1時。あと4時間だ。その間に田村と三木を殺せ」と告げた。法条は田村と会い、三木をメンバーから外す考えを明かす。「迷いは隙になる」と言う法条に、田村は「一度だけチャンスを下さい。彼と話し合ってみます」と告げた。三木はジュリエッタは催眠術で廃工場に連れ込まれ、待ち受けていた殺し屋たちに襲われる。そこへ田村が駆け付けて三木を救い出し、「あらゆる超能力の源は愛なんだ」と説く…。監督は福田純、原作は小松左京 早川書房刊「エスパイ」、脚本は小川英、製作は田中友幸&田中文雄、撮影は上田正治&原一民、美術は村木忍、録音は伴利也、照明は森本正邦、編集は池田美千子、由実かおる衣装デザインは志村雅久(そごう)、特撮監督は中野昭慶、協力監督は大森健次郎、音楽は平尾昌晃&京建輔。
主題歌「愛こそすべて」唄:尾崎紀世彦、作曲:平尾昌晃、作詞:山口洋子、編曲:京建輔。
出演は藤岡弘(藤岡弘、)、若山富三郎、加山雄三、由美かおる、草刈正雄、岡田英次、睦五郎、内田勝正、高村ルナ、山谷初男、ジミー・ショウ、アンドリュー・ヒューズ、スティーブ・グリーン、ウィリー・ドウシー、ロルフ・イェッサー、フランツ・グルーバー、伊藤光一、勝部義夫、細井利雄、守田比呂也ら。
『週刊漫画サンデー』で連載された小松左京の同名SF小説を基にした作品。
脚本は“血を吸う”シリーズの小川英、監督は『ゴジラ対メガロ』『ゴジラ対メカゴジラ』の福田純。
田村を藤岡弘、ウルロフを若山富三郎、法条を加山雄三、マリアを由美かおる、三木を草刈正雄、サラバッドを岡田英次、寺岡を睦五郎、巽を内田勝正、ジュリエッタを高村ルナ、ボールを山谷初男、ゴドノフをジミー・ショウ、P・Bをアンドリュー・ヒューズ、バルトニア首相をスティーブ・グリーンが演じている。最初に東宝が映画化を企画したのは1966年のことだが、その時は製作中止となっていた。
その後、ユリ・ゲラーの来日がきっかけで超能力ブームが巻き起こり、それに便乗する形で再び映画化の企画が持ち上がった。そういう経緯で製作されたのが、この映画である。
エスパイは「超能力を持ったスパイ」を意味する言葉だし、超能力ブームに乗っかったという事情を考えても、「派手な超能力バトル」を売りにした内容にするのが当然だろう。
ところが実際には、派手な超能力バトルなんて無いのである。まず冒頭シーンからして、「超能力の使い方を間違ってるぞ」と言いたくなる描写になっている。
巽は走っている電車を透視し、窓の向こうに座っている4人の位置を確認して狙撃するのだが、それって確かに透視能力は使っているけど、標的を殺すために使った直接の能力は狙撃の技術でしょ。
しかも、走っている列車の中にいる乗客を遠くから狙撃して始末するって、相当の腕前だぞ。もはや超能力が無くても、その技術だけで充分だろ。
それだけの腕があれば、「走る列車を透視して標的を確認する」という無意味な超能力の使い方をしなくても、もっと狙いやすい場所で射殺すればいいだろ。エスパイの一員となった三木が最初にやらさせるのは、ESPカード当てだ。マリアから送られてくるテレパシーを受けて、そのカードを当てるというものだ。三木は全く分からず、田村がやってみるとピタリと当てる。
それは「恋人だから通じ合っている」ということなんだけど、それ以前の問題として、「エスパイの訓練って、その程度なのかよ」と言いたくなる。
そりゃあ、ESPカードを使うのは、超能力者としては良くあることだ。
だけど、エスパイって「世界を救うためのエージェント」のはずでしょ。ESPカードを的中させる程度の超能力なんて、ほとんど役に立たないんじゃないのか。イスタンブールでは田村と巽が対峙するので、どんな超能力バトルが繰り広げられるのかと思いきや、またも巽は銃を使う。
一方の田村は「銃の向きを変えて銃撃を回避する」という能力は使っているものの、逃げる巽をただ追い掛けるだけ。巽は透視能力で壁の向こうにいる田村の位置を確認し、また発砲する。
もうさ、透視能力とか、ほとんど意味ねえじゃん。
エスパイも逆エスパイも、敵を攻撃するためには超能力を使わないんだよな。
「伝説」として恐れられている超能力もテレポーテーションだから、やっぱり攻撃の能力じゃないし。田村をナイトクラブで椅子に拘束するのはウルロフの念動力だが、抵抗する田村に電流が流れて体が焦げちゃうのは椅子の仕掛けであって超能力ではない。
で、敵が何をするのかと思ったら、マリアのオッパイをさらして田村を動揺させるという作戦。
もはや超能力なんて全く必要が無い。
マリアの心を操るのに超能力を使っているのかと思いきや、後で「マリアはショックで麻酔から覚めた」という法条の台詞があるので、麻酔なんだよね。しかも「強力な催淫剤」だってさ。
なんで催淫剤なんだよ。メチャクチャだな、敵の行動は。それと、仮に麻酔じゃなくて超能力でマリアの心を操っていたとしても、その必要性が無いんだよね。例えばマリアを拘束して動けない状態にして、オッパイさらすのを田村に見せ付けても同じことだし。
っていうか、そもそも「田村を動揺させるためにマリアのオッパイをさらす」という作戦自体が、バカバカしいだろ。そんなことしなくても、3000ボルトの電流を流して能力を奪うことは出来るだろ。
で、田村はマリアを助けられずに連行されているので、そこから「能力を失った田村がマリア奪還を目指す」とか、「田村がマリアを救出するために能力を取り戻そうとする」とか、「三木や法条がマリアを助けるために行動する」とか、そういう展開が待っているのかと思いきや、「ゴドノフたちに救出された」という法条のセリフだけで終わらせてしまう。
そうなると、マリアを助けようとして超能力を失った田村の行動は、全くの無意味だったことになってしまう。
そりゃダメだろ。マリアはナイトクラブでオッパイさらしたことに強いショックを受けてズルズルと引きずっているが、レイプされたわけでもないんだし、そこまで深く落ち込むようなことでもないだろうと思ってしまう。
いや、そりゃあ普通の生活をしている女性なら分かるのよ。
だけど、マリアはエスパイとして世界を救うために仕事をしているエージェントなわけで。
その程度のことで、いつまでもクヨクヨしてるんじゃねえぞ、と言いたくなるのよ。
何も知らないウブな女子高生みたいな態度なのでね。そもそも登場人物の設定や配置からして、疑問が湧く。
物語の序盤で三木次郎がエスパイにスカウトされるので、彼が実質的な主人公として扱われるのか、訓練を積んで成長していく様子を描くのか、それとも入ってすぐに現場へ派遣されるのかと思っていたら、すぐに田村とマリアがイスタンブールへ差し向けられる展開になる。そこに三木は同行しないので、当然のことながら、しばらくは放置される。
で、だったら田村が超能力を使って大活躍するのかと思いきや、あっさりと能力を失ってしまう。
それでも主人公としてのポジションは手放さないので、「2つの超能力集団の戦い」という構図であるはずなのに、なぜか超能力を使えない奴がメインという妙なことになってしまう。
三木も合流して超能力を使うのだが、自分の力が怖くなって殻に閉じ篭もり、あっさりと役立たず状態になってしまう。
そんな風に、登場人物が無駄にグダグダしちゃうもんだから、ちっとも超能力バトルが盛り上がらない。超能力の表現も、かなり冴えないことになっている。
三木が事故を回避するシーンは「念動力で車を押し戻した」という設定なんだけど、カット割りのマズさも手伝って、どうにも分かりにくい。
それ以降の超能力も、なんか地味。そもそも、主に使われるのはテレパシーと透視能力だし。
当時の特殊効果のレベルとか、製作費の問題とか、色々と事情はあったんだろうと思う。
ただ、それにしたって、もう少し何とかならなかったものかと。あまりにもチンケだ。
だから観賞した人の感想が、由美かおるのオッパイに集中しちゃうのよ。エスパイも逆エスパイも、どちらも念動力を持っている。だから、それを使って敵を攻撃することが出来そうなモンだけど、そういう目的では、ほとんど使わない。
田村はアブドゥラの舌を捻じ切るけど、殺すわけではない。三木は山荘で殺し屋を弾き飛ばすけど、念動力だけで始末するのではなく、敵が落とした銃を拾い上げて発砲する。
ひょっとすると、殺し屋が爆発したのは念動力のパワーという設定なのかもしれんけど、銃を向けているので分かりにくい。
そこはホントなら「自分の超能力の凄さを知って怖くなる」というシーンであるべきなのに、発砲して殺しているようにも見えるので、「初めての殺しに恐怖する」という違う意味になってしまっている。逆エスパイの方も、直接的な攻撃方法として念動力を使うことは皆無に等しい。
山荘の殺し屋2名は銃を所持しており、それを発砲するだけ。直接攻撃どころか、他の用途で超能力を使うことも無い。
アブドゥラも田村と普通に格闘しているだけで、超能力は全く使わない。
そもそも、殺し屋2名やアブドゥラは逆エスパイなのかどうかも怪しい。
マリアがアブドゥラを殺す時には念動力で火だるまにしているが、それは「近くにあった火を動かして焼き殺している」ということであり、何も無い状態から発火させたわけではない。終盤に入っても、廃工場でのバトルはガンアクションと格闘アクションで、超能力は全く使われない。
田村は超能力が復活していないから仕方が無いにしても(ホントはそういう状態にしていること自体が間違いなんだけど)、逆エスパイの連中も超能力を使わない。
じゃあ田村の言葉を受けて首相の護衛に戻った三木が超能力を使って活躍するのかと思いきや、ウルロフの催眠術を見破るだけ。
それは超能力でも何でもないぞ。三木が催眠術を見破った後、巽が現れて銃を向ける。そこで三木は念動力を使うのだが、銃口の向きを変えるだけ。攻撃のためには念動力を使わない。
で、ようやく田村の能力が復活するのだが、そこで使うのはテレポーテーション。
やっぱり攻撃のための能力じゃないんだよな。
その後に巽が銃を構えると田村は念動力を使うけど、壁まで弾き飛ばすだけ。
ほぼノーダメージの巽が再び銃を構えたところで、護衛たちが一斉に発砲して彼を始末する。終盤、田村は自分の力を恐れている三木に、「超能力は殺人の道具なんかじゃない。俺には今、初めて分かった。愛だ。それがあらゆる超能力の源なんだ」と話す。
「何をバカなこと言ってんだ」とツッコミを入れたくなってしまうところだが、これが恐ろしいことにマジなのだ。
もっと恐ろしいことに、それが本作品のテーマなのだ。
最終決戦、田村とウルロフが互いに念動力で物をぶつけ合い、ようやくマトモに「敵を直接的に攻撃するために超能力を使う」という様子が見られたかと思ったら、田村がウルロフを火だるまにして呆気なく終了するのだが、そこでウルロフが「愛か。愛ゆえの超能力か」と呟く。そんな結末なのだ。
「いや、違うよ」と言いたくなるが、困ったことに、それは製作サイドの勝手な改変ではなく、小松左京の真剣なメッセージなのだった。(観賞日:2014年5月9日)