『ELECTRIC DRAGON 80000V』:2001、日本

幼少期、竜眼寺盛尊は友人たちが「危ないぞ」と警告するのを無視し、鉄塔に登った。電線に雫が垂れて竜眼寺の体内に電気が走り、彼は電波塔から転落した。医師は脳の原始的な部分にダメージを受けたこと、それは欲情を司っている部分であることを説明した。竜眼寺は獣の衝動が抑え切れずに暴力を振るうようになり、何度も施設に入用されて電気治療を受けた。成長した彼は左腕に刺青を入れ、ボクサーになった。しかし相手をKOするだけでは満足できずに暴れ、また拘束されて電気治療を受けた。
竜眼寺は家で寝る時に手足をベッドに拘束し、自らの衝動を抑え付けていた。彼はエレキギターをアンプに繋いで爆音で鳴らし、破滅から救われていた。竜眼寺は電気と感応し、爬虫類と心を通わせる男だった。彼は爬虫類専門のペット探偵として、生活するようになっていた。ある時、竜眼寺はトカゲを探してほしいという依頼を受け、調査を開始した。彼は依頼主と電話で話し、これ以上は捜索しても無駄ではないかと話す。しかし依頼主が「どうしても諦め切れないんですよ」と言うので、竜眼寺は調査を続けることにした。彼は依頼主と電話で話しただけで、会ったことは一度も無かった。依頼主は彼に、「近い内に、必ず会えるようにしますから。楽しみに待っていてください」と告げた。依頼主は雷電仏蔵という名で、電気を修理して怪電波をキャッチする謎の男だった。
竜眼寺は自身が飼っているトカゲが迷子になっており、情報を求めるチラシを貼り出していた。雷電はビルの屋上から悪人を監視し、電話を盗聴した。竜眼寺は路地裏を巡り、迷子トカゲを捜索した。彼は帰宅してベッドに寝転び、手足を拘束した。雷電は電気銃を自宅で試射し、スタンガンを顔に近付けた。電気のせいで腕が引っ張られた彼は、警棒を使ってスタンガンを叩き落とした。今度は警棒のせいで体が引っ張られるが、何とか離して階段から転げ落ちた。
深夜、雷電は外出し、車から出て来る悪人に歩み寄った。悪人は殺気を感じて拳銃を向けようとするが、雷電が電極棒で殺害した。翌日、竜眼寺は迷子トカゲを捜索するが、一向に見つからなかった。苛立った彼は、エレキギターを街で激しく鳴らした。さらに捜索を続けた彼は、迷子トカゲの死骸を発見した。竜眼寺が急いで帰宅すると、他のペットが皆殺しにされていた。それだけでなく、大切なエレキギターがバラバラに切断されていた。竜眼寺は激しい怒りを燃やして脳を覚醒させ、犯人を捜索する…。

監督・脚本は石井聰亙、プロデューサーは仙頭武則、撮影は笠松則通、照明は水野研一、美術は磯見俊裕、録音は小原善哉、編集は掛須秀一、ビジュアルエフェクトスーパーバイザーは古賀信明、アクションコーディネーターは齋藤英雄、TATTOOデザインは ひろき真冬、特殊造型は宗理起也&栄福哲史、特殊メイクは原口智生、音楽は小野川浩幸&MACH1.67。
出演は浅野忠信、永瀬正敏、有薗芳記、アリ・アーメッド、アベディン・モハメッド、ホセイン・アブドウル、清末裕之、井上潔、小川真、松川尚瑠輝、橋本銀次、石井榛、石山圭一、長谷川恵司、菊池しげお、宮崎則仁、重見成人、森正明、河田光史、中村哲也、多智花良彰、村本曜一、小山亮、天元文子、佐藤成美、宮村敏正、成瀬朋一、安達俊宏、仲前智治、千葉英昭、尾木真琴、伊藤こーへー、森羅万象、林毅、キム・アヨン、マックス・フォン・シュラー、小林真紀、佐和田弘美、山田志保子、久保勉ら。
ナレーションは船木誠勝。


『ユメノ銀河』『五条霊戦記//GOJOE』の石井聰亙(現・石井岳龍)が監督・脚本を務めた作品。上映時間が55分のモノクロ映画。
竜眼寺を浅野忠信、雷電を永瀬正敏が演じている。ナレーションを船木誠勝が担当し、極悪人の1人として有薗芳記が出演している。
仙頭武則が『五条霊戦記』に続いて、プロデューサーを務めている。
石井聰亙&浅野忠信が小野川浩幸と組んだバンド「MACH1.67」が、主題歌と挿入歌を担当している。

冒頭、「竜。それは伝説の怪物か。いや、それは生きている。生きて眠っている。人間の心の中に」というナレーションが入り、古い書物に描かれた様々な竜の絵が映し出される。
「奴の竜は、その事故で目覚めた」とナレーションで語り、蛇や狼や熊の姿、様々な男たちの目元のアップがコラージュ的に写し出される。
さらに、ナレーションで竜眼寺のキャラ紹介が続く中、石斧を振り下ろす腕、ナイフや拳銃やボウガンなどの武器を誰かが使う様子などが、細かいカットでコラージュされる。

塚本晋也監督の『鉄男』にでも影響を受けたのかと思わせるような作品だ。ただ、『鉄男』は1989年の作品で、これは2001年の公開。影響を受けて製作するにしても、かなりタイミングとしては遅すぎる。
ただ、時期の問題は置いておくとして、単に『鉄男』の影響を受けただけとして終わらせることは出来ない。何しろ監督は石井聰亙なのだ。
石井聰亙と言えば、若い頃に『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市 BURST CITY』を撮った人だ。
つまり、これは「あの頃のような映画を再び作ろうとした」ってことなんだろう。

始まってから15分ぐらいは、竜眼寺のキャラクター紹介だけで終わってしまう。
その後、雷電を紹介する時には「挑戦者登場」という文字が出るので、どうやらボクシングの試合になぞらえているようだ。竜眼寺はボクサーという設定なので、そこに関連付けているんだろう。
しかし、そういう趣向は、ほぼ無意味と言っていい。
2人の戦いにボクシングを感じるような部分など皆無だし、竜眼寺がボクサーという設定も全く活用されていない。

竜眼寺というキャラクターは、設定だけを見ればアクが強くて超が付くぐらい個性的だ。
しかし表面的な設定だけで満足してしまったのか、その先が何も無い。とても薄っぺらい主人公であり、初期設定がキャラとしての魅力に繋がっていない。
それは雷電も同様。雷電は顔の右半分だけ仏像の仮面を装着しているが、そのギミックで思考停止していると言ってもいいぐらいペラペラなキャラクターだ。
もちろん時間が短いってこともあるが、それ以前の問題だろう。

『狂い咲きサンダーロード』や『爆裂都市 BURST CITY』に比べると石井監督の勢いやパワーは格段に落ちているし、音楽の力も弱い。
気の抜けたサイダーみたいな時代が長すぎて、クレイジーなパワーだけでデタラメに突っ走っていた頃の映画作りを忘れてしまったのかもしれない。
っていうかキャリアと年齢を重ねちゃうと、良くも悪くもプロの映画監督としての素養が身に付いちゃって、インディーズ時代の感覚は取り戻せないんじゃないかと。
どれだけ常識に囚われないメチャクチャな映画を作ろうとしても、どうしてもアイデアの幅が狭くなったり、無意識の内にブレーキが掛かったりするんじゃないかと。

ザックリ言うと、「電気を武器にする竜眼寺と雷電が戦う」というだけの話である。それ以上でも、それ以下でもない。
雷電が竜眼寺をわざと怒らせて戦いを仕向ける理由はサッパリ分からないが、そこは近親憎悪的な感情ってことらしい。
デタラメでもいいから、もう少し理由の設定は何とかならなかったのかと言いたくなるが、まあ良しとしよう。
そこが適当でも、暴力と戦いの弾けっぷりやイカれっぷりで強引に納得させられるケースもある。

でも残念ながら、この映画には、そういうパンチ力が全く感じられない。
何よりダメなのは、終盤の5分ぐらいしか竜眼寺と雷電のバトルが無いってことだ。
竜眼寺と雷電の生活風景を追うだけで大半の時間を費やしているが、まるで勢いが出ないし、引き込むパワーが無い。
極端なことを言ってしまうと、ほぼ全編に渡ってバトルで構成してもいいぐらいなのに。
そして短すぎるアクションシーンも、単に時間的な問題だけでなく、内容面でも物足りないし。

(観賞日:2022年1月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会