『影裏』:2020、日本

東日本大震災が発生した直後の岩手県。今野秋一は営業マンとして勤務する医薬品メーカー「バイタルネット」の盛岡支社で、同僚と共に支援物資を用意した。その日の仕事を終えた今野が車で帰宅しようとすると、駐車場で張り込んでいた西山という女性が立ちはだかった。今野が車を停めると、彼女は車に近付いて呼び掛けた。今野が困惑しながら窓を開けると、西山は少しだけ時間が欲しいと頼む。顔見知りの今野は承諾し、2人はコーヒーショップに移動した。西山から「最近、課長と会ったりしてた?」と訊かれた彼は、「いえ」と答える。「あんなに仲良かったのに」と言われた今野は、「ここ半年は特に連絡も取ってません」と告げる。「課長、死んじゃったかもしれない」と西山が口にすると、彼は「どういうことですか?」と順を追って説明するよう求めた。
1年半前、2009年・夏。会社で台車を押していた今野は、通用口で煙草を吸っている日浅典博を見つけた。彼が禁煙だと指摘すると、日浅は全く悪びれる様子を見せなかった。今野が仕事に戻ろうとすると、日浅は「俺やるよ」と台車を置いて行くよう告げた。今野がアパートに戻ると、郵便受けに回覧板が入っていた。彼は書類に署名し、201号室の郵便受けに入れた。翌朝、部屋を出ようとした今野は、201号室の鈴村から「回覧板はドアポケットにお願いします。」というメモが入っているのを見つけた。今野は先輩社員たちに誘われて出掛ける時、さんさ祭りの練習をしている面々の姿を目にした。
会社に戻った今野は、日浅に声を掛けられた。今野は先月まで埼玉の本社で働いており、岩手に来たばかりだった。盛岡の感想を問われた彼は、「酒は上手いです」と答えた。日浅は煙草を取り出し、今野が禁煙だと注意しても何食わぬ顔で吸った。同僚に呼ばれた日浅は、台車を修理しておいたと告げて去った。次の日、今野は回覧板を見つけると、また鈴村の郵便受けに入れた。大雨の中で仕事を終えた今野が帰宅すると、インターホンが鳴った。何度も連打されて激しくノックされたため、今野はドアを開けた。すると鈴村が立っていて、雨が降ったら回覧板が濡れるのだと怒鳴り散らした。鋭い口調で説教された今野は、怯えて黙り込んだ。
休日の夜、今野が部屋にいると、日浅が日本酒を持って訪ねて来た。日浅は春にあった山火事の焼け跡を見て来たと話し、酒を注ぐ。日浅は今野と酒を飲みながら、山火事について詳しく話した。いつの間にか2人とも転寝し、深夜になって今野が目を覚ました。「そろそろ行くわ」と日浅は言い、今野が「あと3時間もしたら朝だよ」と泊まっていくよう促しても考えを変えなかった。今野が実家から送って来た桃を「1人じゃ食べ切れん」と持ち帰るよう促すと、日浅は「ウチも親父と2人だから」と断った。彼は今野に、大学で東京へ行き、卒業してから帰郷したことを話した。日浅は部屋を去る時、「今度、釣り行こう。教えてやるよ」と誘った。今野がメールアドレスを訊くと、彼は携帯電話を持っていないと言ってメモを渡した。
次の休み、日浅と今野は川へ釣りに出掛けた。今野は日浅から餌の付け方を教わり、ニジマスを釣り上げた。日浅は驚き、「この辺で自然繁殖なんて聞いたことがねえ」と言う。今野は針を外すのを失敗し、ニジマスを逃がしてしまった。今野は倉庫で仕事をしている時、日浅が女性社員たちに「段ボール課長」と呼ばれていることを知った。西山は彼に、段ボールの扱いが上手いからだと説明した。今野は日浅と共に、さんさ祭りの稽古に参加した。
今野は休みになる度、日浅と様々な場所へ遊びに出掛けた。ずっと禁煙していた今野だが、日浅の影響で再び煙草を吸うようになった。その後も2人は、さんさ祭りやドライブに出掛けた。雪が積もった日、今野は前日付けで日浅が会社を辞めていたと同僚から聞いて驚いた。彼は西山の元へ行くが、何も事情は知らない様子だった。夏が訪れ、今野は1人で釣りに出掛けた。休みの日、彼がアパートにいると急に日浅が訪ねて来た。彼は2月に就職したと言い、名刺を差し出した。日浅は訪問型の冠婚葬祭の営業だと説明し、パンフレットを渡す。彼は月間MVP賞の賞状を取り出して自慢し、老人に感謝された時のことを語った。
大雨の夜、日浅は日本酒を持ってアパートに現れた。今野と日浅は酒を飲みながら釣りの話で盛り上がり、しばらくして眠り込んだ。目を覚ました日浅は、今野の胸に小さな蛇を見つけた。日浅は蛇を掴んで窓の外に捨て、今野に「毒ある奴じゃねえ」と告げた。今野は日浅を見つめ、押し倒してキスをした。日浅は「やめろ」と突き放すが、今野が謝ると再び眠った。翌朝、今野が起床すると、日浅はベランダで煙草を吸っていた。彼は今野に気付き、「なあ、お前の川、連れてけよ」と持ち掛けた。
今野と日浅は釣り道具を手に取り、米内川の上流へ出掛けた。雑魚のウグイしか釣れないので今野は場所を変えようかと提案するが、日浅は「俺は楽しんでるよ」と告げた。数日後の夜、今度はスーツ姿の日浅が今野の部屋を訪れた。彼は「すまねえ。互助会入ってくんねえか。今月のノルマ、どうしてもあと一口足りねえんだ。今日中に取って帰らねえと契約解除されちまう」と言い、手詰まりで他に頼れる相手もいないのだと説明した。今野は承諾して申込書に押印し、日浅は礼を述べて去った。
9月、今野の携帯電話に、副嶋和哉という男からメールが届いた。今野がメールを開こうとし時、日浅から着信が入った。鮎のガラ掛けに誘われた今野は、夜になってから車で指定された場所へ出向いた。日浅は井上という顧客の老人と懇意にしており、彼の小屋の脇に車を停めるよう指示した。日浅は今野が持参した道具を「いかにも素人が買い揃えましたという風情だな」と扱き下ろし、「頼むから帽子、やめてくんねえかな。ゴムみたいで気持ちわるいんだ」と乱暴に言う。彼が車の停め方についても文句を付けるので、今野は不愉快な気分になった。2人は魚を釣り上げ、焚き火で焼いた。
日浅は「流木の火だよ。海岸で拾ったんだ」と語り、今野は火を眺める。日浅は「焚き火ってのはよ、幾らでっかい火でも乱暴にやるんじゃ駄目なんだ。闇雲に押し倒すんじゃなくてよ、最初は焦らすように育ててやんねえと。前戯が上手くねえといけねえな」と語り、酒を勧める。今野が「やめとく。帰らなきゃ。明日、出勤だから」と遠慮すると、日浅は冷たい視線を向けた。彼は鮎を食べながら、「知った気になんなよ。お前が見てんのは、ほんの一瞬、光が当たった所だけだってこと。人を見る時は、その裏側、影の一番濃い所を見んだよ」と語った。そこへ井上が来て、日浅と楽しそうに喋った。
アパートへ戻った今野は、副嶋から届いた「久しぶり」という件名のメールを確認した。彼が出張で盛岡まで来ていること、翌朝の新幹線で帰ることを知り、今野はホテルへ赴いた。綺麗に女装している副嶋をロビーで見つけた彼は、再会を喜んだ。今野が「いつ受けたの?」と質問すると、副嶋は「秋一がこっちに来て、すぐくらいかな」と答えた。今野は副嶋を部屋の前まで送るが、中には入らず「気を付けて帰れよ」と告げた。彼は副嶋の求めに応じ、別れのハグをする。「今、いい人は?」と訊かれた彼は、「いないよ」と答えた。
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。今野は支援物資の出荷に追われる日々の中、西山に会ったのだった。西山から「課長が互助会の仕事をしてたのは知ってる?」と訊かれた彼は、「それは知ってます」と契約したことを話す。西山は6月に自分の分、それから「もう1口」と頼まれて夫の分、これで最後だからと年末に高校生の長女の分を契約したことを語る。年が明けて正月、お礼がしたいと日浅に言われた西山が会いに行くと、「あと1口だけ」と契約を懇願された。次女の分は迷いながらも断ったが、日浅が車の前に立ちはだかって引き留め、「翌週に実家を出なきゃならなくなって大至急、お金が必要だ」と言うので30万円を貸したと西山は告げた。西山は被災した親戚が身を寄せることになり、金が必要なので日浅に連絡したが携帯が繋がらなかった。彼女が会社に電話すると、日浅は釜石へ営業に行ったまま行方不明だと告げられた…。

監督は大友啓史、原作は沼田真佑『影裏』(文春文庫刊)、脚本は澤井香織、製作は榧野信治&藤田浩幸&中部嘉人&岩上敦宏&松田美由紀&安部順一、プロデューサーは五十嵐真志&吉田憲一、撮影は芦澤明子、照明は永田英則、録音は照井康政、美術は杉本亮、編集は早野亮、音楽は大友良英。
出演は綾野剛、松田龍平、筒井真理子、中村倫也、國村隼、安田顕、永島暎子、大槻修治、平埜生成、古賀清、菊池豪、兼松若人、橋本美和、浅野千鶴、神道寺こしお、佐藤睦、伊藤武雄、金子岳憲ら。


第123回文學界新人賞、第157回芥川賞を受賞した沼田真佑の同名小説を基にした作品。テレビ岩手開局50周年記念作品。
監督は『3月のライオン 前編』『3月のライオン 後編』の大友啓史。
脚本は『シェル・コレクター』『愛がなんだ』の澤井香織。
今野を綾野剛、日浅を松田龍平、西山を筒井真理子、副島を中村倫也、日浅の父の征吾を國村隼、日浅の兄の馨を安田顕、鈴村を永島暎子、井上を大槻修治、今野の新しい恋人の清人を平埜生成が演じている。

芥川賞(芥川龍之介賞)は直木賞(直木三十五賞)と並ぶ、日本の二大文学賞だ。菊池寛が1935年に創設し、多くの受賞者が誕生して来た。尾崎一雄、井上靖、安部公房、吉行淳之介、遠藤周作、大江健三郎、北杜夫、村上龍、宮本輝、米谷ふみ子、小川洋子など、後に大物になった人を数えればキリが無い。
文学賞は他にも多く存在するし、最近では本屋大賞なんかが注目を集めるようになっている。だが、それでも相変わらず芥川賞と直木賞は別格の扱いであり、毎年必ず受賞者の発表はマスコミに大きく取り扱われる。
芥川賞は受賞時に大きな注目を集めるし、当然のことながら発行部数も多くなる。ブランド的な価値があるので、当然のことながら映画化されるケースも出て来る。
2000年以降だと、第130回の『蛇にピアス』(金原ひとみ)、第144回の『苦役列車』(西村賢太)、第146回の『共喰い』(田中慎弥)、第153回の『火花』(又吉直樹)が映画化されている。

直木賞に比べれば映画化作品の本数は少ないが、少なくとも「芥川賞」というブランドが映画化に結び付いていることは間違いないだろう。
しかし芥川賞受賞作の映画化ってのは、実はリスクが高いんじゃないかと思う。その理由は簡単で、芥川賞が純文学を対象とする文学賞だからだ。
大衆小説じゃなくて純文学なので、当然っちゃあ当然だが娯楽性は全く考慮されていないわけで。最初から「低予算で単館上映の芸術映画」として作るならともかく、全国公開される商業映画としては、決して向いている素材とは言えないんじゃないかと。
物語の面白さじゃなくて、文章表現の部分で高く評価されている作品もあるだろうし。

原作は未読だけど、たぶん本作品の場合、文章表現の代わりになるような部分で工夫を凝らさないと厳しいんじゃないかと思うんだよね。
小説の文章をそのまんまナレーションとして使う方法もあるけど、それだと「映画にする意味って何なのか」ってことになる恐れが高いだろう。
そうなると、やっぱり映画なんだから映像としての表現で何か考えなきゃいけないだろう。
そりゃあ監督だって無策で臨んだわけじゃないだろうけど、あまり強い力を感じるモノは伝わって来ない。

冒頭、今野がブリーフ一丁とシャツで寝ている様子が映し出される。目を覚ますとシャツを脱ぎ、上半身裸になる。仕事を終えた彼が帰宅すると、入浴するため全裸になる様子も描かれる。
しかしソフトポルノじゃあるまいし、特に必要性があるとも思えないサービスカットだ。
そういう絵を序盤から連発していることが「んっ?」と気になるが、その理由は少し経てば分かる。
これがゲイの関係を描く映画なので、それを匂わせるために餌を撒いているわけだ。

ただ、意図は分かるけど、「だからって序盤から露骨に欲情を誘うような映像が必要かな」と。むしろ、そういう直接的な表現を出来るだけ避けた上で進めた方が良かったんじゃないかとさえ思うのよ。
もちろん、そういう味付けに頼った方が、何かと都合がいいし楽なのは分かるよ。でも、最後まで見終わった時に、「やっぱり要らなかったな」と強く感じるのよ。
っていうか前半の途中の段階で既に「あれは無くて良かったんじゃないか」と感じるようになり、見終わって「やっぱりね」と思うんだけどね。
と言うのも、冒頭で前述した描写はあるけど、それ以降に今野のエロい姿を見せるシーンなんて全く用意されていないのよ。そっちに寄せる映画として作っていないんだから、「じゃあ要らなかったでしょ」と。

前述した冒頭シーンの感想の後、1時間ぐらいは何の感想も沸いて来なかった。
例えばゴールデン・ラズベリー賞を受賞した作品なんかだと、「それは変だろ」とツッコミを入れたくなったり、「バッカでえ」と笑えたり、良くも悪くも引っ掛かるポイントが幾つも出て来る。
それは普通に考えれば悪いことだけど、印象に残るシーンが多いとは言える。例え駄作という扱いであっても、後で「どんな映画だったか」「どんなシーンがあったか」と問われた時、思い出せる可能性は高い。
でも本作品の場合、ものすごく存在感が薄いのだ。

日浅はあまり感情が表に出ないキャラクターで、いかにも松田龍平のステレオタイプに合致しているとは言える。彼って基本的に、どんな作品に出ていても体温の低そうなポーカーフェイスのキャラを演じているからね。
そんな日浅に意味ありげな言葉を何度も言わせて、話に深みを持たせようとしているんだろう。そこから彼の気持ちを読み取らせ、ドラマとしての面白味に繋げようとしているんだろう。
やり方として大きく間違っているとは思わないが、でも正直に言って面白くないんだよね。
心情を読んでも、それが物語としての面白さには全く繋がらないのだ。

日浅は山火事について、「原因、墓参りの線香だってよ。あんな小さい火がな、風に煽られて山3つ焼いちまうんだからなあ」と告げる。
今野が育てているジャスミンについて、「小さな鉢の中で窮屈そうだな」と言う。上流にニジマスの養殖場があるかどうか今野が調べようとすると、「知らんまんまでいるのも悪くねえ」と話す。
ざくろを今野に渡し、「人間の味がするからな。ざくろの実は人間の肉と同じ味がするんだって、昔、近所の婆ちゃんが言ってたよ」と語る。
日浅は米内川の上流でコケの付着した倒木を見ると、「屍の上に立ってるんだ、俺たち」と口にする。ガラ掛けで釣った鮎を食べながら、「知った気になんなよ。お前が見てんのは、ほんの一瞬、光が当たった所だけだってこと。人を見る時は、その裏側、影の一番濃い所を見んだよ」と語る。

死生観を感じさせる台詞が多く用意されていて、そういう時は「ここはテストに出ますよ」とでも言わんばかりに、分かりやすいポイントを作って粒立てている。
それが正解かどうか、浅いか深いかは別にして、台詞から日浅の心情を推理することは可能だ。
でも、それを読み取ったところで、「だから何なのか」と思っちゃうんだよね。
そこから震災に繋げる構成なんだけど、「同性愛」と「震災」の2つの要素も上手く絡み合っているとは到底思えないし。

(観賞日:2021年11月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会