『エイトレンジャー2』:2014、日本

5年前にエイトレンジャーがダーククルセイド総統の総統を倒したことで、八萬市には平和が訪れた。エイトレンジャー・ミュージアムには大勢の人々が押し寄せ、関連グッズの販売も好調だ。八萬市は大鶴市長の打ち出したゼロ・プロジェクトにより、犯罪発生率は0%になっている。しかし週刊『ARAE』記者の西郷純は、1年間で百名もの行方不明者が出ていること、全て事件として扱われていないことを突き止めた。エイトレンジャーが関与している可能性を感じた彼女は、編首長の魚住玄に許可を得て取材することにした。
ヒーロー協会は市営化され、エイトレンジャーは高額の報酬を貰って贅沢の限りを尽くしていた。平和をPRする広報活動には参加しているものの、週に1度しか出勤しておらず、ほとんど仕事らしい仕事はしていなかった。他の面々が楽な暮らしを満喫する中、渋沢薫だけは別行動を取るようになっていた。秘書が産休に入ることになり、純は後任として潜入した。彼女は渋沢以外の横峯誠、村岡雄貴、安原俊、錦野徹朗、大川良介にステッカーを渡すが、そこには発信機が仕込まれていた。
かつて警察庁長官だった東浦正幸は、現在は内閣総理大臣になっていた。大鶴は東浦から、「犯罪と環境汚染ゼロの街」を目指す八萬市の改革を成功させるよう求められていた。大鶴は東浦の指示に従う代わりに、国政進出への協力を頼んでいた。エイトレンジャーの行動を監視していた純は、村岡が女をラブホテルに連れ込む姿を目にした。後を追うように錦野も入り、なぜか男2人だけで飛び出して来た。エイトレンジャーが大衆居酒屋に集まるのを確認した純は、大川に尾行されているのに気付いて姿を隠した。
純が大衆居酒屋に潜入すると、渋沢以外の面々が集まって近況を話し合っていた。安原は死んだ妻に瓜二つのゆかりを口説いたが、青い物ばかりプレゼントして愛想を尽かされていた。丸之内は通販番組に出演したが、物真似ばかりするので社長の甘損に注意されていた。大川は仲間たちに、純に一目惚れして尾行していたことを明かした。錦野は念願の歌手デビューを果たしたが、アイドルソングなので幻滅した。ロックを歌いたいと考えている錦野だが、自作の曲は「リアルが足りない」と音楽ディレクターから酷評された。
村岡は童貞を捨てるため、恋人のマチコとラブホテルに入った。しかしマチコが男だと知り、ショックでホテルを飛び出していた。リアルな男を知るために村岡を観察していた錦野も、一緒にホテルを出ていた。純が見たのは、その現場だった。最後に横峯は、鬼頭桃子を捜し続けていることを話す。桃子は横峯の父であるキャプテン・シルバーを殺害し、八萬市の刑務所に収監されていた。しかし市の刑務所が撤廃された後、その行方は分からなくなっていた。
純は横峯を呼び出し、桃子は学生時代の親友だったと嘘をついた。復讐のために捜しているのかと彼女が訊くと、横峯は「彼女のことを助けたいねん」と述べた。彼は乳を殺されても恨んでおらず、面会に通っている内に好きになったのだと明かした。同じ頃、単独行動を続けていた渋沢は、清掃局員として活動する警官たちがゴミを捨てるなど軽犯罪を犯した面々を次々に拉致している証拠を掴んでいた。彼は総統の元へ行き、「貴方が行っていた通り、ゼロ・プロジェクトには裏がありました」と述べた。
渋沢は爆発事件を起こし、市の大型スクリーンを乗っ取った。彼はダーククルセイドの旗を掲げ、大鶴に対して「ゼロ・プロジェクトを中止せよ。さもないと、次に犠牲になるのはお前や」と宣告した。横峯たちは大鶴から、「レッドを拘束しなければ君たちの地位を剥奪し、全財産を凍結する」と告げられる。横峯と大川を除く4人は渋沢の隠れ家を突き止め、戦いを挑む。しかし誰かを本気で救いたいという気持ちを忘れてしまったためにスーツが起動せず、まるで歯が立たなかった。
隠れ家に駆け付けた横峯は、村岡たちを助けたい気持ちでスーツを起動させた。横峯と格闘になった渋沢は、「歪んだ八萬市は俺が再生させる」と口にした。一方、大鶴は東浦に、エイトレンジャーに全ての罪を被せて抹殺する目論みを語った。2人の会話を盗み聞きした純は、大川に電話を掛けて危機を知らせた。渋沢は横峯たちに、国を再生させようとする総統の理念に共鳴して付いて行くことにしたのだと語る。そこへ大川が駆け付け、逃げろと叫ぶ。しかし大鶴の部下たちは、隠れ家を爆破した。
エイトレンジャーは軽い傷を負っただけで無事だったが、渋沢は姿を消した。大鶴からエイトレンジャーの抹殺成功を報告された東浦は、八萬市の電力モデルを全国に広げる準備を進めると告げた。大鶴は大型スクリーンで会見を放送し、「エイトレンジャーは税金を私利私欲のために使っていた」と述べて証拠映像を流した。「エイトレンジャーは警察が排除した。もう八萬市にヒーローは要らない」と彼が口にすると、会見を見ていた市民たちは拍手を送った。
純は横峯たちに、潜入取材中の記者だと素性を明かした。彼女は真実を暴くよう訴えるが、横峯たちは全く前向きな態度を見せなかった。横峯は純に、信じてくれなかった市民を命懸けで救う気になれないと述べた。渋沢を除く6人は、エイトレンジャーの解散で意見が一致した。安原はゆかりに再アタックし、村岡はマチコとヨリを戻しに行った。同じ頃、渋沢は総統の指令を受けて、ゼロ・プロジェクト・ネクストの発表会見を開く大鶴を公開処刑しようと企てていた…。

監督は堤幸彦、脚本は高橋悠也、製作総指揮は藤島ジュリーK.、製作は市川南&石橋誠一&長坂信人、エグゼクティブプロデューサーは中村浩子&山内章弘&上田太地&田中良明&福冨薫、プロデューサーは原藤一輝&中沢晋、共同プロデューサーは長松谷太郎、撮影は斑目重友&高原晃太郎、VEは吉岡辰沖、照明は川里一幸、美術は相馬直樹、 録音は臼井久雄、編集は伊藤伸行、アクションコーディネーターは宮崎剛、VFXスーパーバイザーは野崎宏二、スタイリスト/コスチュームデザインは袴田能生、音楽は長谷部徹&Audio Highs&堤博明。
主題歌『ER2』エイトレンジャー 作詞/作曲:GAKU、編曲:久米康崇。
出演は渋谷すばる、横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義、東山紀之、竹中直人、舘ひろし、前田敦子、ベッキー、甲本雅裕、ダイアモンド☆ユカイ、肥後克広、赤井英和、半海一晃、瀬戸将哉、龍坐、信川清順、岡本あずさ、多田木亮佑、木野花、松岡璃奈子、伊藤麻実子、遠野あすか、吉永秀平、護あさな、足立理、仲原舞、橋本真帆、迫田孝也、爲澤浩子、小倉淳、金町エレクト、末摘しこめ、魅々頭、宇田卓也、松村凌太郎、湯浅雅恭、平畑孝太、古嶋祥孝、早河茉奈、曽我夏美、高嶋知生、仲田育史、松村真知子、阿久津秀寿ら。


2012年の映画『エイトレンジャー』の続編。
監督は堤幸彦、脚本は高橋悠也が前作に引き続いて担当している。
渋沢役の渋谷すばる、横峯役の横山裕、村岡役の村上信五、丸之内役の丸山隆平、安原役の安田章大、錦野役の錦戸亮、大川役の大倉忠義、総統役の東山紀之、東浦役の竹中直人、シルバー役の舘ひろし、桃子役のベッキーは、前作からの続投。
純を前田敦子、魚住を甲本雅裕、音楽ディレクターをダイアモンド☆ユカイ、甘損を肥後克広、大鶴を赤井英和が演じている。

第1作では、「超少子高齢化によって国は歪み、ほとんどの国家機能は民営化された」「“小さすぎる政府”計画かが断行され、主要都市のみが深く広い運河で囲われ、日本は分断国家に変貌した」「日本は混乱し、円の価値は激しく落ち込んだ」「子供は貴重な存在となり、その運命は6歳で決められた」「一部の人間だけがシティー暮らしを認められ、それ以外の者たちは国に見捨てられた」などの世界観が冒頭のナレーションで説明されていた。
だが、そういう特殊な世界観にしたことのメリットは全く見えなかったし、世界観が物語の中で有効活用しているとも感じなかった。
そこが続編ではどう扱われるのかと思いきや、ほぼ「無かったこと」にされている。
一応、全く意味の無い新通貨「カン」だけは引き継がれているが、前作で用意した世界観設定の大半は無視されている。

第1作では、ダーククルセイドの総統はチラッと出て来るだけで、エイトレンジャーとは一度も絡まないままだった。ダーククルセイドは壊滅しておらず、総統の「力による再生を」という野望が示されただけで終わっていた。
だから当然のことながら、そこの決着を第2作で描くのだろうと思っていた。前作で無意味に近かった世界観設定を総統の野望と関連付けて、エイトレンジャーとの戦いを描くんだろうと思っていたのだ。
ところが、その対決は5年前に終わったことにされている。
「こんな出来事がありまして」というミュージアムでの上映フィルムによって、あっさりと片付けられてしまうのだ。
そこを描くのが、面倒になったのかよ。

ちゃんと使わないのなら、前作で食べ残すなよ。食べ残したのなら、ちゃんとした形で片付けろよ。なんで放り投げちゃってるんだよ。
スタッフや制作体制が一新されたのなら、前作の設定を捨てたくなるのも分からんではないよ。
だけど監督も脚本家も続投しているのに、テメエらが前作で「次回に続く」として残したことを「とっくに終わった話」として放り出しちゃうのは、どういうつもりなのかと。
総統は後になって登場するけど、エイトレンジャーには「大鶴や東浦の一味」という別の対立軸があるもんだから、そこを上手く捌くことが出来ていないし。

前作で積み残したことの後片付けを適当に済ませてしまった本作品では、新たに「ゼロ・プロジェクト」なる要素を持ち込んでいる。
で、そのゼロ・プロジェクトが何なのかという説明は、純の台詞で軽く触れるだけ。しかも「それによって犯罪発生率がゼロになった」と言うだけだから、説明でも何でもありゃしない。
後から「こういう計画」という詳細が明かされるのかと思いきや、それも無いのよ。
細かいディティールを説明せずに進めるのは、ただの手抜きでしょ。

純はミュージアムを見学した後で唾を吐き捨てたり、「どれも事件として扱われちゃいねえ」と荒っぽい口調で喋ったりと、「生意気な男みたいなキャラクター」という造形になっている。
そんなキャラ設定に前田敦子が馴染んでいるのかというと、答えはノーだ。むしろ、違和感しか無いぞ。
なんで普通の「女性記者」という設定じゃなくて、そんなヘンテコなキャラにしちゃったんだろうか。
意外性を笑いに繋げようという狙いがあったのかもしれないが、ちょっと痛々しささえ感じるぐらい残念なことになっているぞ。

純が「行方不明事件にエイトレンジャーが絡んでいるのではないか」と疑いを抱くのは、かなり無理を感じる展開だ。しかも、こっちからすると、エイトレンジャーが関与していないことは最初から分かり切っている。
だから、純がエイトレンジャーを探る手順は、それだけに終始した場合、単なる時間の浪費になってしまう。
彼女がエイトレンジャーを探る中で、別の人物が鍵を握っていると気付いて捜査するようになるとか、そういう展開でもあればいいが、そんなのは無い。
そして、「エイトレンジャーの近況報告を純が盗み聞きする」という手順なんかを描くもんだから、まるで話が先に進まない。

横峯は父親を桃子に殺されたのに、「恨んでいない。面会に行っている内に好きになった」と話している。
だが、「面会に行っている内に好きになった」という心の変遷は、台詞で軽く説明するだけ。それは「この映画が始まるまでの出来事」として片付けられている。
だから、横峯の「どうかしてるよな」という言葉に対しては、「その通りだよ」という感想しか沸かない。
せめて「父を殺した相手だが、好きだという気持ちもある」という葛藤でも見せてくれればともかく、「何の恨みも無いよ。ただ好きなだけ」ってことで描写されると、そこをスンナリと受け入れるのは難しい。

エイトレンジャーは全く市民の平和を守るための活動をしていないんだから、「それなのに犯罪発生率ゼロなのは変だ」と疑問を抱くのが普通だろう。
ところが渋沢を除く面々は、まるで気付いていない。
そもそも「些細な悪事は見て見ぬフリ」ってのを続けている時点で、犯罪発生率ゼロが嘘ってのは気付くべきだろ。
「気付いていながらスルーしてきた」ってことならまだしも、「全く気付かなかった」と言うのは、設定として無理があり過ぎるわ。そこまでボンクラな連中は、応援したくならないぞ。

横峯は「桃子を見つけ出し、助けてあげたい」という部分に関しては、真面目な気持ちを持っている。
ただ、そんな彼もヒーローとして全く活動せず、税金を使って自堕落な暮らしを続けている様子が描かれてるいるので、桃子に対してのみ「真摯な気持ちを持っている」という様子を見せられても、そこに乗り切れないのよ。
そんなことより先に、真面目に市民を守るための活動をしろと言いたくなる。
彼だけの問題ではないけど、この映画って最後まで「エイトレンジャーが税金を私利私欲のために使い、市民を守らず自堕落に暮らしていた」という部分に関しては、何の反省も贖罪も無いまま終わっているんだよな。

エイトレンジャーがパトロールしていないことも、周囲で行方不明者が出ているの警察が全く動いてくれないことも、気付いている市民は大勢いたはずだ。怯えた様子を見せている主婦が1人だけ申し訳程度に登場するが、その手の市民は他にもいるはずだ。
それなのに、なぜ問題が表面化しないのかってのは大いに疑問だ。
大鶴が部下を使って握り潰そうとしても、それは絶対に不可能だと断言できる。何しろ、雑誌記者である純が「大勢の行方不明者が出ているのに事件化されていない」ってのを嗅ぎ付けているぐらいだし。
ってことは、市民がマスコミに告発することだって出来たはずで。
設定に無理があるし、それを成立させるための環境整備も全く出来ていない。

渋沢がゼロ・プロジェクトの中止を大鶴に要求した時点で、その理由を観客は既に知っている。
だから、「レッドがダーククルセイドの旗を掲げて自分たちを裏切った」ってことに横峯たちが驚く手順の意味は著しく弱い。
そういう展開を用意するなら、渋沢が電波ジャックする時点では、まだ観客にも彼の真意やゼロ・プロジェクトの裏について教えない方がいい。
そして、渋沢が横峯たちに事情を説明するシーンになって、初めて観客にも分かる形を取るべきだ。

っていうか、渋沢がゼロ・プロジェクトの裏に気付いたのなら、なぜ横峯たちに話さないのか。
まずは仲間に話して協力を求め、それを断られた時点で、初めてテロリストまがいの行動に出るという手順を踏むべきじゃないのかと。
「お前らに話しても分からん」と彼は言っているけど、そんなのは話してみなきゃ分からなかったはずで。
最初に「仲間に話して一緒に戦うことを求める」という手順を取らず、いきなり単独行動を取るのなら、じゃあエイトレンジャーの絆って何なのかと。仲間意識はゼロなのかと。

「エイトレンジャーに全ての罪を被せて抹殺する」という大鶴の計画は、どう考えてもヘンテコだ。罪を被せるのなら、他の連中を選んだ方がいいはず。
何しろ、エイトレンジャーは八萬市の広告塔として充分すぎるほどの利用価値があるわけだし、彼らに関連した商売の収入だって多いはずなんだからさ。
ゼロ・プロジェクトの裏側に気付かれて、自分のコントロール下から離れようとしたのなら、邪魔者を始末しようと目論むのは分かるのよ。だけど、そんなことお構い無しで抹殺しようってのは、ボンクラすぎるでしょ。
大体さ、それまでは「ヒーローとして街を守っている」と宣伝して来た連中が実は悪人だったと明かしたら、市民の市に対する信用だってガタ落ちになることは容易に予想できるはずだし。

渋沢はエイトレンジャーの中で1人だけ、ゼロ・プロジェクトの嘘に気付いている。だから彼はヒーローとして行動しようという強い意志で突っ走っている。だけど困ったことに、彼も横峯たちとは別の意味で、ヒーローとして間違っている。総統に騙されて、テロリストになっている。
彼は横峯たちに「ダーククルセイドが子供たちを人身売買していたのは、東京シティーが真っ当な教育を受けさせるため」と語っているが、人身売買が称賛できる行為じゃないってことに気付かないのは、かなりのボンクラだわな。
で、そんな風に、「横峯たちはヒーロー活動をサボり、渋沢は間違ったヒーロー活動に突き進む」ってことで、誰もマトモにヒーローとして行動していないという困った状態が終盤まで続いている。
ひょっとすると、この映画の製作陣もクリストファー・ノーラン症候群を患ってしまったんだろうか。そんな風に邪推したくなるぐらい、ヒーロー映画としての面白味は全く見えて来ない。
シンプルな勧善懲悪にしておけばいいものを、変に重厚で難しいテーマを持ち込んで、おまけに上手く処理できないまま終わっているのでタチが悪い。

大鶴は会見で「エイトレンジャーはゼロ計画を企てていた」と話すが、そのゼロ計画が何なのかは全く説明していない。だから、私利私欲 のために税金を浪費していたことだけは証拠映像でハッキリしているものの、「悪事を重ねていた」ってことの説明は成立していないはずなのよ。にも関わらず、なぜか「エイトレンジャーが悪事を重ねていた」ってことが証明されたものとして話を進めている。
大鶴も市民も、みんな揃って底抜けの阿呆なのか。
会見がある前から「エイトレンジャーは裏切り者」という落書きがあるが、ってことは市民が事前に「エイトレンジャーは悪人だった」と知っていたことになる。
だけど、会見が始まって間もなく、市民がエイトレンジャーへの激怒を示しているので、既に「彼らは悪人」という情報が広まっていることになる。そうじゃなかったら、いきなり「エイトレンジャーは悪人」と言われても「そんなの信じられない」という驚きのリアクションがあるはずだからね。
でも、そんな情報がどういうルートで流れたのかは、まるで分からない。

大鶴が会見でエイトレンジャーの抹殺を発表し、「この街に、もうヒーローは必要ありません」と言うと、市民は称賛の拍手を送る。
でも、それは不自然だ。
エイトレンジャーが私利私欲のために税金を使い、まるで治安活動をしていなかったのなら、その監督責任者である市長は糾弾の対象になるのが普通でしょうに。なんで「エイトレンジャーは悪人だけど、市長は素晴らしい」ってことになるんだよ。
そんな考え方が出来る市民なんて、その時点でイカれてるぞ。

真実を暴くよう純から訴えられた横峯たちは、「信じてくれなかった市民を命懸けで守る気になれない」と断る。
だけど、そもそも最初に裏切ったのは、横峯たちなのだ。市民は「エイトレンジャーが街を守ってくれている」と信じていたのに、高い報酬だけ貰って全く仕事をせずに遊び呆けていたんだから。
そのことを棚に上げて、市民を非難する資格なんて無い。横峯は「自分を犠牲にして誰かを救っても、誰も俺らのことを救ってくれへん」と話すけど、どの口が言うのかと。
お前らは市民を救おうとしていなかっただろうに。大勢の人々が拉致される中で、それを放置してきただろうに。
だから、そこを誰かが指摘したり、横峯たちを批判したりするのかと思ったら、そのままスルーされちゃうんだよな。

大鶴はゼロ・プロジェクト・ネクストの発表会見で、「囚人に自転車を漕がせてエネルギーを電力に変換する」という内容だと説明する。
そんなことを堂々と発表する大鶴も、拍手で称賛するマスコミも、完全にイカれている。
そういうのって、バレたらマズい計画だから、密かに進めようとするものじゃないのか。なんで堂々と公表しちゃうのかと。
そんな計画に多くの人々が賛同する世界観なのだとすれば、それを伝える努力が致命的に欠けているぞ。

大鶴は渋沢を捕まえると、エイトレンジャーに対して「出て来なければ仲間の命は無いぞ」と脅しを掛ける。
そんなことをテレビカメラの前で堂々と言い切れちゃうのも、やはりメチャクチャだ。
そんなのは、「私は悪人です」と宣言してるようなものだぞ。
これが「大鶴が悪党の本性を現した」ってことなら分からんでもないが、そんなことをやっても相変わらず「素晴らしい市長」のポジションをキープしているんだよな。どういう世界観なのかと。

市民は大鶴の発表を受け、「エイトレンジャーは裏切り者の悪党である」と信じていたはずだ。
ところが捕まった渋沢が仲間に呼び掛けるシーンの後、なぜか人々は優しい態度で村岡や丸之内たちに接している。
どうなってんのよ。そんなに簡単に心変わりするぐらいなら、最初から「市民は大鶴の発表を疑っていた」ってことにしておけよ。
あと「市民が信じてくれないから横峯たちは戦わない」という手順があったけど、まさか、それで「解決した」ってことにしているんじゃないだろうな。そのつもりなら、すんげえ雑だぞ。

横峯たちが「市民が信じてくれないから戦わない」と言っていたのだから、そこからの流れとしては、「先に裏切っていたのは自分たちだと認識し、反省する」とか、「誰かが信じてくれるかどうかは関係無しに、自分たちのやるべきことをやるだけだと決意する」とか、その手の展開を入れるべきだろう。
ところが、彼らは「渋沢を助けるために」ってことで、戦う気持ちを取り戻すのだ。
だから、そこまでに用意されていた「市民に幻滅して戦いを拒否する」という手順は、完全に死んでいると言っていい。

発表会に集まったマスコミや関係者は、エイトレンジャーを「裏切り者」として認識し、大鶴の計画を称賛していたはずだ。
ところが、エイトレンジャーが結集して「大鶴は囚人が足りず、大して罪も無い人を拉致していた。心当たりはありませんか」と問い掛けると、簡単に「そう言えば」と近しい人の失踪を口にする。
悪人として認識していたエイトレンジャーの言葉を何の疑いも無く信じている時点で違和感たっぷりなのだが、近くに失踪者がいたのなら、その事件を警察もエイトレンジャーも全く解決してくれていなかった状況を、なぜ呑気に受け入れていたのか。
それと、エイトレンジャーは「大鶴は囚人が足りず、大して罪も無い人を拉致していた」ってことだけを批判しているけど、そうじゃないだろうに。
もっと根本的な問題として、「囚人に自転車を漕がせて電力を生み出し、電力に使われる費用を大幅に削減する」という計画の時点で、大きな問題があるだろうにるエイトレンジャーの言い方だと、「囚人を使って電力を生み出すのは構わないけれど」ってことに聞こえるぞ。

発表会での大鶴に対する糾弾が終わった後、総統が東浦と対峙するシーンが描かれる。その場には渋沢と横峯も同席しているが、彼らは単なる傍観者に終始し、総統と東浦は互いに撃ち合って倒れる。
そこにエイトレンジャーが全く関与しないって、どういうつもりなのかと。
その後、純が桃子に恋人を殺されていたことを打ち明けて復讐を遂げようとするが、横峯が桃子を庇うシーンが描かれるが、まるでスッキリしない。なんでシンプルに「エイトレンジャーが悪い奴らを倒して大団円」っていう内容にしなかったのかねえ。
こんなアンチ・クライマックスみたいな話、誰が得をするのかと。

(観賞日:2016年2月3日)

 

*ポンコツ映画愛護協会