『永遠の人』:1961、日本

[一章]
昭和七年、阿蘇。戦争で右脚が不自由になった小清水平兵衛が、故郷に帰還した。平兵衛の父で大地主の平左衛門は、凱旋祝いの宴を開くことにした。平兵衛が落ち込んでいると、平左衛門は「名誉の負傷じゃ」と告げた。平左衛門の小作人である草二郎は、小清水親子の馬車を引いた。草二郎の娘であるさだ子は、宴の支度をした。さだ子は戦地に行っている川南隆と恋人関係にあり、無事を祈っていた。それを知った平兵衛は戦地で隆と会ったことを彼女に話し、「生きているかとうか分からない」と告げた。
翌日、平兵衛はさだ子を呼び寄せ、「隆は小学校でも中学校でも級長だった。村の模範青年で、両親から見習うよう言われていた」と話す。彼は「嫌な奴たい。俺は大嫌いだった」と吐き捨て、さだ子を手籠めにしようとする。さだ子が抵抗して逃げ出すと、それを目撃した平左衛門は平兵衛を馬鹿にして笑った。さだ子は平兵衛から嫁になるよう要求され、腹を立てて小清水家へ乗り込もうとする。草二郎は彼女を制止し、「俺が断った方が良か」となだめた。
隆の兄の力造は平左衛門に呼び出され、畑を半分返せと要求された。表向きの事情は説明されたが、平兵衛が隆を嫌っていることが本当の理由であることは明白だった。草二郎がさだ子の結婚話を断れば、半分どころか畑を全て取り上げられる可能性が濃厚だった。それでも娘のことを考えると素直に結婚を承諾することは出来ず、草二郎は苦悩した。平兵衛はさだ子の元へ行き、捕まえて強姦した。さだ子は川に身投げして自殺を図るが、力造が見つけて止めた。
隆が戦地から戻り、さだ子が平兵衛と結婚することを知る。隆がさだ子に話を聞くため、軍服姿のまま彼女の家へ向かおうとする。力造は弟を引き留め、さだ子が平兵衛に犯されたことを知らせた。さだ子の元へ赴いた隆は、一緒に逃げようと持ち掛けた。彼は明日の一番列車で村を出ようと告げ、さだ子は涙で快諾した。しかし翌朝、さだ子が約束の場所で待っていると草二郎が駆け付け、隆は来ないと教える。隆は力造に置手紙を残し、姿を消していた。草二郎はさだ子に、力造から受け取った手紙を渡した。手紙には「思い悩んで考え直しました。僕と逃げて苦労するより、千両塚の花嫁になって幸せに暮らして下さい」と書いてあり、さだ子は泣き崩れた。

[二章]
昭和十九年。力造は赤紙が届いたため、さだ子に出征を知らせて後のことを頼んだ。彼はさだ子に、一週間前から隆の妻の友子と息子の豊が疎開していることを話した。平兵衛はさだ子から力造への餞別を用意するよう求められ、「いちいち行くことは無かろう」と面倒そうに返す。さだ子が「他の人とは違いますから」と言うと、彼は「勝手にしろ」と苛立った。平兵衛は力造に、隆のことを尋ねた。隆が大阪から出征したことを聞くと、平兵衛は嬉しそうな表情を浮かべた。
平兵衛は力造に、友子を手伝いに来させるよう勧めた。彼はさだ子に、「隆の奴、どぎゃんツラばするか。昔の恋人と今の女房と、二人とも俺に養われとだけんな」と勝ち誇った様子で語る。さだ子は「見下げ果てた人ですね」と冷たく言い放ち、隆に餞別を渡した。寝た切りになっている平左衛門が鈴を激しく鳴らして人を呼ぶと、平兵衛は怒鳴り付けた。さだ子は平左衛門から高圧的な態度で命令を受け、疎ましそうにしながら世話をした。
さだ子と平兵衛の間には、栄一、守人、直子という三人の子供が生まれていた。栄一はさだ子に対して、反抗的な態度を取った。平兵衛はさだ子が栄一を好いていないと言い、「あの晩のこと俺を憎んでる」と告げる。昔のことにこだわっていると指摘されたさだ子は、「人間には忘ることが出来ることと、でけんことがあります」と冷淡に話す。平兵衛は腹を立て、「忘れられなかったら、いつまででも覚えとれ。ばってん、子供に罪はなか」と怒鳴った。
小清水家の手伝いを始めた友子は、さだ子に対して強い敵意を示した。友子は平兵衛から、過去の件を全て聞いたのだ。友子はさだ子を嫌悪する一方で、平兵衛には献身的に尽くした。平兵衛は友子から「自分の恥ば、平気で喋って」と咎められ、「俺は恥じゃなか。ぬしの恥ばい」と返した。友子はさだ子に、隆を忘れられないのだろうと告げる。豊を連れて来いと言わないのは、顔を見たくないからだろうと彼女は話す。さだ子が「帰って下さい。明日から来てもらわんでも良かです」と言うと、彼女は「旦那さんは私がいてくれて助かるいうてました」と強気に言い放った。
平兵衛は友子に、隆から好かれたことは無い、さだ子を忘れられないのだと話す。友子には広島の病院に入院している隆から手紙が届いており、平兵衛は会いに行くよう促した。友子は平兵衛に、「旦那さんの気持ち、よお分かります。私と同じように悩んではる気持ち」と泣きながら語る。平兵衛は「隆が俺の女房を奪ったように、俺もあいつの女房を奪ってやる」と言い、友子を手籠めにしようとする。友子は抵抗して逃げ出し、さだ子は平兵衛の行動を悟って「けだもの」罵った。さだ子は豊を連れて広島へ向かう友子を追い掛け、餞別を渡す。彼女は今までの件を水に流してほしいと詫びを入れ、忘れられないのは隆じゃなくて自分が生きて来た昔なのだと説明した。しかし友子は彼女への敵意を変えず、隆を連れて自分の故郷に帰ると告げた。

[三章]
昭和二十四年。栄一は学校で喧嘩をして同級生に怪我を負わせ、さだ子に叱られた。平兵衛から喧嘩ばかりする理由を問われた栄一は、「なしてか知らん」と泣いた。平兵衛はさだ子に栄一を可愛がれと要求し、「あいつをひねくれさせたのはお前だ」と非難した。さだ子は隆が村に戻ったことを話し、昔の知り合いとして付き合っても良いかと問い掛けた。平兵衛が「俺の気持ちが済むと思っとっとか」と声を荒らげると、さだ子は「なら私が栄一のことで気が済まんでも同じじゃなかですか」と返した。
さだ子は高一になった栄一のことで学校に呼び出され、バスに乗った。力造と遭遇した彼女は、隆の体調について尋ねた。隆は肺を患っているが、詳しいことは分からないと力造は告げた。栄一は学校をサボり、橋の下にいた。隆は彼に声を掛け、自転車に書いてある名前を見てさだ子の息子だと気付いた。栄一は下校する守人を見つけ、自分の鞄を持ち帰ってほしいと頼む。守人が渋ると、栄一は平兵衛から貰った腕時計を与えて承諾させた。
帰宅したさだ子は、栄一が怪我をさせた相手が大勢いることを平兵衛に話す。彼女は平兵衛に、喧嘩の原因は家のことを言われるからだと告げる。村の人間は皆、さだ子と平兵衛の過去について知っていた。帰宅した守人から話を聞いたさだ子は、草二郎に捜索を頼む。彼女と平兵衛は栄一の鞄の中身を調べ、遺書を見つけた。栄一を捜しに出たさだ子は隆と遭遇し、一緒に川へ向かおうとする。彼女は隆に、あの時に出来た子供が栄一だと告白した。栄一は阿蘇山に辿り着き、火口に身を投げて自殺した。

[四章]
昭和三十五年。豊と直子は駆け落ちするため、汽車に乗った。平兵衛は何も知らなかったが、さだ子は二人の関係を知って送り出していた。彼女は峠の方を眺めながら、草二郎に「あれから二十八年。私が取り残された峠の道ば、今度は直子が隆さんの息子さんと越えて行くんですもんね」と感慨深そうな様子で告げる。さだ子は「二十八年ぶりに、ようよう胸の中が晴れ晴れとした」と言い、笑顔を浮かべた。家に入った彼女は、豊と直子を送り出したことを平兵衛に明かした…。

脚本・監督は木下恵介、製作は月森仙之助&木下恵介、撮影は楠田浩之、製作補は小梶正治、美術は梅田千代夫、録音は大野久男、照明は豊島良三、編集は杉原よ志、監督助手は吉田喜重、フラメンコギターはホセ勝田、唄は宇井あきら、音楽は木下忠司。
出演は高峰秀子、佐田啓二、仲代達矢、乙羽信子、石濱朗、藤由紀子、野々村潔、加藤嘉、永田靖、浜田寅彦、田村正和、戸塚雅哉、東野英治郎ら。


『楢山節考』『笛吹川』の木下恵介が脚本&監督を務めた作品。前年に『ろくでなし』で監督デビューした吉田喜重が、監督助手を務めている。
粗筋では第四章までしか触れていないが、その後に昭和三十六年を描く五章がある。三十年間に渡るさだ子、隆、平兵衛の愛憎の関係を描く大河ロマンとなっている。
さだ子を高峰秀子、隆を佐田啓二、平兵衛を仲代達矢、友子を乙羽信子、豊を石濱朗、直子を藤由紀子、力造を野々村潔、草二郎を加藤嘉、平左衛門を永田靖が演じている。
1961年に松竹大船と専属契約を交わした田村正和が、栄一役で正式デビューしている。わざわざ「正式デビュー」と書いたのは、その前に兄である田村高廣の主演映画『旗本愚連隊』に端役で出演しているから。

タイトルロールでは、日本初のフラメンコ・ギタリストであるホセ勝田(勝田保世)のギター演奏に合わせて、後に菅原洋一の『今日でお別れ』を作曲するシャンソン歌手の宇井あきらが主題歌を歌っている。
「これは本当に映画と合っているのか」と感じる楽曲なのだが、本編に入れば納得できるのかもしれないと思っていた。
しかし本編を最後まで見終わっても、やっぱり全く合っていない。
哀愁は感じるが、それを遥かに超えるミスマッチ感に包まれている。

粗筋で書いたように、平兵衛は隆への妬みや恨みもあり、彼と付き合っていたさだ子を強姦する。何の説明も必要としないような卑劣な行為であり、平兵衛は厳しく断罪されるべきクズ野郎だ。
それなのに、いつの間にか「平兵衛は可哀想な被害者で、むしろ隆が悪い奴」といった関係性に変化する。なし崩し的に、序盤で描かれた平兵衛の罪深い行為は無かったことになる。
その根底にあるのは、紛れもなく醜悪なマチズモだ。
だが、この当時の日本文学や映画では、そういった話が珍しくもなかった。

さだ子が隆の手紙を読んで泣き崩れると、フラメンコギターに合わせて歌が入る。この楽曲が、見事なぐらい映画に馴染んでいない。
途中で語るような節回しも入れつつ、「それはですな、それはですな、小さか村の小さな野の花のような恋ですたい。それがですな、それがですな、可哀想な女の恋は散ってしまったい」などと方言で独特の歌い回しをする。内容としては状況や感情の説明なのだが、何となく滑稽さを感じさせるモノになっている。
この場違いな感覚は、たぶん実際に見てもらわないと伝わらないだろう。
そして、この「方言による歌を挿入して場面を盛り上げようとする」という演出は、その後もチャプターが終わるタイミングで使われる。一章のラストから二章の冒頭に掛けて歌が流れ、二章のラストから三章の冒頭に掛けて歌が流れる。 雰囲気を盛り上げようとする演出なのだが、これが完全に逆効果で、むしろ気持ちが萎える。

平兵衛はさだ子が自分に犯された過去に固執していると指摘し、それを批判する。さだ子が「人間には忘れられることと出来ないことがある」と返すと、平兵衛は「子供に罪は無い」と怒鳴る。
そりゃあ確かに、さだ子が強姦された結果として子供を産んでも、その子供に罪は無いかもしれないよ。
だけど、「子供に罪は無い」ってのは、加害者の平兵衛が被害者のさだ子に言うべき言葉じゃないでしょ。そんな資格は無いでしょ。
しかも、自分は目の前に直子がいるのに「俺は栄一が一番可愛い」とか平気で言っちゃうし。

友子は平兵衛に、「私と同じように悩んでいる気持ちが良く分かる」と話す。それに対し、平兵衛は「負けたはずのあの二人が、俺たちを苦しめてる」と漏らす。
まず、友子が平兵衛に「私と同じ」と共感を示すのが違う。まるで立場が違うからね。
もちろん「配偶者から愛されていない」ってのが共通項なのは分かるけど、平兵衛が愛されないのは当然だから。
それだけのことをやらかしているから。何の罪も無い友子とは、全く違うのよ。それなのに平兵衛は平気で被害者面をするので、ヘドが出そうになるわ。

平兵衛は栄一の遺書を見つけた時、さだ子を殴り付けて激しく責めている。だけど、どう考えても栄一を自殺に追い込む原因を作ったのは平兵衛でしょうに。
なんで自分を責めず、後悔の念も示さず、さだ子に対して一方的に怒りをぶつけるのかと。まるで「さだ子が栄一を追い込んだ」みたいなスタンスを取っているけど、そうじゃないだろ。
村の皆は、例の一件について知っている。それを知ったことで、栄一は「自分はいなくなった方がいい」と感じたのだ。そんな過去を、さだ子がバラしたわけじゃないからね。
しかも、じゃあ平兵衛は栄一の自殺を止めるために足が不自由でも必死で捜索しようとするのかというと、家から一歩も出ないし。

そりゃあ一緒に逃げようと約束したのに、ドタキャンしてさだ子を平兵衛の元に残した隆は、とても罪深い奴だ。
そこの罪に留まらず、さだ子への未練があるのに友子と結婚し、「夫から愛されない」という苦しみを与えているわけで、こいつを擁護する気持ちは湧かない。
ただし、だからって平兵衛の苦悩に対して同情心が湧くのかというと、それ以上に無い。どれだけ苦悩しようが、それを招いたのは自分だ。
絶対に償い切れない罪を犯しておきながら、被害者面で「あの二人が俺を苦しめる」とか言い出すので、「どの口が言うのか」と呆れ果てるばかりだ。

映画が終わりに近づく中、臨終が迫った隆はさだ子の前で友子に対する謝罪の気持ちを口にする。
これは分かるが、「平兵衛に悪いことをした気がする」と言い出すのは「なんでだよ」と言いたくなる。さだ子に詫びるならともかく、なんで平兵衛への罪悪感を抱くのかと。
しかも、これを受けて、さだ子が平兵衛に「私が悪かったんです。ずっと昔の過ちを理由にして、憎んだり責めたり」と詫びるんだよね。
いやいや、強姦されたんだから、それを理由にして憎んだり責めたりするのは当然だろ。
それを詫びる必要が、どこにあるのかと。

ところが平兵衛は、「30年も俺を苦しめてきて、少し誤っただけで許すか」と言い放つ。相変わらず被害者面なのだ。
ホント、どこまで性根が腐っているのかと。
一応は「お前の一生を台無しにしたのは俺」と認めているけど、「俺の一生を台無しにしたのもお前」と責めているし。
最終的には「お前が俺を許すなら、俺も直子たちを許す」と妥協しているけど、それで何もかも許されるわけじゃないぞ。
なんか「最後は救いを持たせて」みたいな綺麗に終わらせようとしているけど、いや終わらせねえからな。

(観賞日:2024年5月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会