『EAST MEETS WEST』:1995、日本

1860年、井伊直弼の命を受け、護衛艦の咸臨丸は浦賀を出航してアメリカへ向かった。軍艦奉行の木村摂津守や艦長の勝麟太郎、通弁方のジョン万次郎らが船に乗り込んでいる。その中に、通弁見習いの上條健吉や御庭番の為次郎の姿もあった。
彼らはサンフランシスコへ到着し、手持ちの資金3000両を銀行に預けようとする。しかしガス・テイラー率いる強盗団に襲撃され、金を奪われてしまう。上條は強盗団に父親を殺された少年サムを連れて、埋葬のために現場を離れた。
木村摂津守や勝麟太郎は、上條が水戸を脱藩した浪士であることを調べ上げていた。彼は開国を阻止するため、監察の小栗豊後守を暗殺しようと企んでいたのだ。侍になることを夢見る為次郎は、上條と3000両を追い掛け始める。
為次郎は保安官事務所でクロウ族の娘ナンタイと出会い、彼女の案内で上條を探し当てる。豊後守がサンフランシスコを離れたことを知った上條は、父の仇を討とうとするサムの助太刀を優先することにした。
上條と為次郎は3000両を奪ったガスの一味を探すため、協力することになった。途中で出会った教師ハーディや彼の教え子達が、2人に手を貸してくれることになった。彼らはガス一味を追って、ニューメキシコのユニコーンへと向かった…。

監督&脚本は岡本喜八、製作は岡本みね子&中川好久、プロデューサーはサイモン・ツェー、共同プロデューサーは西岡善信、撮影監督は加藤雄大、編集は川島章正、照明は佐藤幸次郎、美術はトビー・コルベット、衣装デザインはキャシー・A・スミス、殺陣は伊奈貫太、音楽は佐藤勝。
出演は真田広之、岸部一徳、竹中直人、スコット・パッチッチャ、アンジェリック・ローム、ジェイ・カー、リチャード・ネイソン、ジャネット・サンダーランド、チップ・メイヤー、リチャード・ダニエルソン、クリフ・ストークス、仲代達矢、天本英世、遠藤明、岡本博幸、風間トオル、木之内弘幸、高橋悦史、友居達彦、橋爪淳、本城丸裕、本田博太郎、森一ら。


岡本喜八が奥山和由率いるチーム・オクヤマと手を組んだ作品。
上條健吉を真田広之、ジョン万次郎を岸部一徳、為次郎を竹中直人、木村摂津守を高橋悦史、勝麟太郎を仲代達矢、福沢諭吉を橋爪淳が演じている。

冒頭、様々な出来事があったことを、ナレーションであっという間に終わらせてしまう。その慌ただしさに付いていける観客は少ないだろう。
最初の時点で、多くの観客のハートを惹き付けることを放棄している。
それは、チャレンジの始まりだ。
そう、この作品は数多くのチャレンジによって作り上げられた作品である。
どうしようもないシナリオ、場面と場面の繋がりがズタズタになっているシナリオを、いかに面白い作品に仕上げるかというチャレンジだ。

西部劇と時代劇を組み合わせておきながら、どちらの良い部分も捨ててしまう。疾走感や躍動感も排除して、いかに活劇の醍醐味を醸し出すかということにチャレンジしている。弾けた設定でありながら、あえて弾けた作品作りを否定する。
そもそも上條や為次郎と強盗団の関わりが弱いので、それを軸にしてテンションを高めていくのは非常に困難だ。しかも、その薄いラインを、途中で余計な脱線を繰り返すことでさらに薄くする。
そこまでして作品を追い込んでいるわけである。

せっかくアメリカを舞台にしているのに、あえて前半は上條と為次郎という日本人同士の追いかけっこを延々と描く。しかも、メインはこの2人だけで充分なのに、あえて大勢のアメリカ人を主人公グループに加えている。
サムライが登場するのだから、刀を使ったアクションが存分に見られると思うのは当然だ。普通に考えれば、真田広之のアクションを売りにするだろう。実際、彼のチャンバラはカッコイイ。だが、それをあえて最小限に抑えている。

西部劇の世界にサムライ登場するのだから、ガンと刀によるバトルを楽しみにするのが普通だろう。だが、刀を使ったアクションはかなり少ない。それどころか、上條にすぐに着物を脱がせてしまい、ヴィジュアルの面白ささえも排除する。
その数少ないアクションにしても、弾丸を刀で弾くといった荒唐無稽さには頼らない。真田広之が主人公かと思いきや、それほどの活躍はあえて与えない。竹中直人には、オーバーアクトで困った笑いを取りに行く役目しか与えない。

上記した大量のネガティヴな要素は全て、「映画を退屈にする要素ばかりを集めて、いかに面白い映画に仕上げるか」というチャレンジのためだ。
そのチャレンジの果敢さを考えれば、試みが成功しているかどうかを、ここに表記すべきではないだろう。

 

*ポンコツ映画愛護協会