『アーヤと魔女』:2021、日本

赤毛の女性はカセットテープを持つ赤ん坊を抱いて、バイクを走らせていた。車が追って来ると、彼女は、魔法を使って妨害した。女性は孤児院の聖モーウォードに到着し、赤ん坊にアンタはここにいるのよ。よそに行ってはダメ」と話し掛けた。彼女は玄関前に赤ん坊を残し、その場を後にした。園長と副園長は、赤ん坊の泣き声を耳にして外へ出た。赤ん坊には手紙が添えられており、「仲間の12人の魔女に追われています。逃げ切ったら迎えにきます。何年掛かるかもしれませんが。この子の名前はアヤツルです」と書かれていた。手紙の内容を副園長は信じるが、園長は魔女などナンセンスだと一蹴する。彼女はアヤツルという名前が「人を操る」に思えると不快感を示し、孤児たちが出て来ると「この子はアーヤ・ツールよ」と紹介した。
ある夜、孤児たちは白いシーツを頭から被り、お化けのパーティーを開くために墓地へ向かった。成長したアーヤは、仲良しのカスタードと共に抜け出して塔へ行く。カスタードは「見つかったら怒られる」と不安を吐露するが、アーヤは構わずに塔の鍵を開けた。2人は塔の屋上へ行き、停泊している客船を発見した。カスタードが「誰かに貰われて、どこか別の所で暮らしたいと思ったことは無いの?」と訊くと、アーヤは「無い。普通の家に引き取られたんじゃ、私の言う通りにしてくれるのは数名でしょ。ここではみんな私の言う通り。どこもかしこもピカピカ、窓も大きくて日当たりもいい。それにおじさんのシェパーズパイも最高」と語った。
翌朝、孤児の見学に来た大人たちの様子にアーヤは不快感を覚え、「人形じゃなくて生きてるのよ。眺めて楽しむモンじゃないわ」と口にした。ベラ・ヤーガとマンドレークという男女が里親として現れた時も、アーヤは不機嫌な態度を隠そうとしなかった。マンドレークに目をやった彼女は、異様な気配を察知した。ベラはマンドレークに相談し、アーヤを引き取ると決めた。アーヤは「行かない」と嫌がるが、断ることは出来なかった。
アーヤは渋々ながら荷物をまとめる時、封筒を見つけた。中には「EARWIG」と書かれたカセットテープが入っていたが、アーヤは全く記憶に無かった。アーヤが屋敷に着くと、門や玄関のドアが勝手に閉まった。ベラが「私は魔女だ。手伝いが欲しかった。しっかり働ければ、痛い目には遭わせない」と言うと、アーヤは歓迎して「魔法を教えてくれれば助手になる」と告げた。ベラは彼女に、何があっても決してマンドレークを怒らせないよう命じた。マンドレークは苛立つと角が生え、恐ろしいことになると彼女は警告した。ベラもマンドレークを怒らせないように、気を遣っていた。
ベラの作業部屋は汚れており、アーヤはドブネズミの骨を粉にする仕事を命じられた。ベラは電話で注文を受けて、魔法の薬を作っていた。ベラは黒猫のトーマスにも、作業を手伝わせていた。夜、入浴を終えたアーヤは、ベラが書斎から出て来たのでバスルームに引っ込んだ。ベラはマンドレークに「よろしく頼んだよ」と告げ、自分の部屋に入った。それを確認してから廊下に出たアーヤは、ペラの部屋の扉が無くなっていたので驚いた。
アーヤが書斎に入るとマンドレークの姿は無く、机の上には小説らしき原稿が置いてあった。原稿を読んだアーヤか「つまんない」と酷評すると、積んである本が落ちて来た。再び廊下に出たアーヤは、突き当たりの扉を開けて中に入った。しかし悪臭に顔をしかめて、すぐに出て来た。別の扉を開けたアーヤは、古い車が停めてあるのを目にした。車の中にはダンボール箱が置いてあり、「EARWIG」と書かれたレコードが入っていた。レコードを持って廊下に戻ったアーヤは、玄関の扉が無くなっていることに気付いた。彼女が寝室に入ると、窓が壁にくっ付いていて開かなかった。
翌朝、アーヤは自分しかバスルームを使っていないと気付き、鏡に園長とカスタードの写真を貼り付けた。アーヤはどこで寝ているのかとベラに尋ねるが、答えてもらえなかった。彼女はベラから、庭でイラクサを摘む仕事を命じられた。出口らしき場所を見つけたアーヤが近付こうとすると、草が体に巻き付いて阻止した。ベラは彼女に、マンドレークがデーモンに見張らせているから逃げられないと告げた。アーヤは作業を終わらせてベラから魔法を教わろうとするが、次々に新たな用事を命じられた。
アーヤは少し開いているドアから中を覗き、マンドレークがデーモンに食事を用意されている様子を目撃した。寝室に戻った彼女は電池を見つけ、ラジカセに入れた。彼女がカセットテープを再生すると、ロックバンドの曲が流れた。翌朝、アーヤがベラの部屋に行く様子を、マンドレークが密かに見ていた。夜、アーヤは自宅でマンドレイクの顔を描いている時、壁の異変に気付いた。トーマスが「マンドレイクだよ。あいつの部屋が、この向こうにあるんだ」と喋ったので、アーヤは驚いた。
トーマスはアーヤに、マンドレークの気に障るみたいだから絵を描くのは止めた方がいいと忠告した。「呪文に詳しい?」とアーヤが訊くと、トーマスは「あいつの本を覗いてたトコ、見てたよ。たぶん君が一番知りたい呪文は終わりの方にあるよ」と述べた。壁の向こうについてアーヤが「あっちはバスルームだよ」と言うと、トーマスは「でもあるんだよ」と返す。アーヤはトーマスとベラの作業部屋に侵入し、呪文の本を開いた。トーマスは彼女に、「あらゆる魔法から身を守る呪文」のページで止めさせた。
アーヤはトーマスの指示を受け、呪文に必要な材料を集めて調合する。トーマスは自分が使い魔だと教え、アーヤに材料を混ぜさせながら自分の言葉を繰り返させた。魔法の薬が完成すると、アーヤは自分とトーマスの体に塗った。翌朝、ベラが起こしに来ると、彼女は悪態をついた。大雨の中で、庭の草を採取する仕事を命じられ、アーヤは苛立ちを覚えた。それでも彼女が仕事を終えて部屋に戻ると、ベラは大鍋に入れろと罵った。
アーヤは我慢できず、魔法を教える約束を果たすよう要求した。ベラが「そんな約束をした覚えはないね」と言うと、アーヤは「院長先生には私のお母さんになるって言ったくせに」と抗議する。ベラはアーヤを睨み付けて頭を叩き、仕事を命じた。昼食のために台所へ行くとシェパーズパイがあり、マンドレークは「私の大好物だ」と告げた。ベラが客の家へ出掛けている間に、アーヤはトーマスに手伝いを依頼した。彼女はベラの手を増やそうと目論み、トーマスの指示で人形を作り始めた。
トーマスはアーヤに、呪文のためにはベラの毛髪が必要だと教える。マンドレークがお菓子とお茶を持って来てくれたのでアーヤは礼を言い、小説を読ませてほしいと告げて機嫌を取った。ベラが帰宅したので、アーヤは慌てて仕事に戻った。掃除が終わっていないのでベラは腹を立て、アーヤの夕食を粗末にしようとする。しかしアーヤが寝室に戻ると、デーモンが食事を運んでくれていた。アーヤが壁に穴を開けて向こうを除くと、マンドレークがキーボードで演奏していた…。

監督は宮崎吾朗、原作はダイアナ・ウィン・ジョーンズ『アーヤと魔女』(田中薫子訳)、脚本は丹羽圭子&郡司絵美、制作統括は吉國勲&土橋圭介&星野康二、企画は宮崎駿、プロデューサーは鈴木敏夫、アニメーションプロデューサーは森下健太郎、キャラクター・舞台設定原案は佐竹美保、キャラクターデザインは近藤勝也、CGスーパーバイザーは中村幸憲、アニメーションディレクターはタン・セリ、背景は武内裕季、音響演出は笠松広司、アフレコ演出は木村絵理子、録音は鈴木修二&安藤映見、音響効果は山口美香、音楽は武部聡志、主題歌『Don't disturb me』&エンディングテーマ『あたしの世界征服』はシェリナ・ムナフ。
声の出演は寺島しのぶ、豊川悦司、平澤宏々路、シェリナ・ムナフ、濱田岳、木村有里、柊瑠美、岩崎ひろし、ニケライ・ファラナーゼ、谷口恵美、齋藤優聖、鈴木花穏、石田さくら、佐伯美由紀、徳田章。


ダイアナ・ウィン・ジョーンズの同名小説を基にした作品。
スタジオジブリが2017年に制作部門の活動を再開させてから、最初に世に出た作品。ジブリでは初の3DCGアニメーション映画。劇場公開に先んじて、簡易版がNHKで放送された。
監督は『ゲド戦記』『コクリコ坂から』の宮崎吾朗。
脚本は『コクリコ坂から』『思い出のマーニー』の丹羽圭子と、これがデビューとなる郡司絵美の共同。
ベラの声を寺島しのぶ、マンドレークを豊川悦司、アーヤを平澤宏々路、アーヤの母親をシェリナ・ムナフ、トーマスを濱田岳、園長を木村有里、副園長を柊瑠美が担当している。

この作品から遡ること6年前、2014年に宮崎吾朗はポリゴン・ピクチュアズと組んで『山賊の娘ローニャ』というTVアニメを監督している。
この作品はキャラクターのベースが3DCGで、そこに手描き風の要素を組み合わせていた。しかし正直に言って、お世辞にも質が高いとは言えなかった。
そんな『山賊の娘ローニャ』に比べると、アニメーションの質は遥かに高くなっている。
ただし、印象に残るようなシーンは見当たらない。

宮崎駿は1本の映画の中で、必ず1つは印象的なシーンを生み出していた。絵作りに関しては天才的な才能があって、独特の浮遊感を表現する人だった。そういう優れた絵を生み出す力は、宮崎吾朗監督には無い。
とは言え、血が繋がっていても、父親と同じことをする必要は無い。だから、全く違うアプローチでアニメーションを作っても構わない。
しかし宮崎吾朗は宮崎駿のファンなので、彼のようなアニメーションを作ろうとしている。その結果として、ただの劣化版を作るフォロワーになっている。
そこから脱却しない限り、彼は米林宏昌と似たような道を歩み続けることになるんじゃないだろうか。

例えばオープニング、アーヤの母親が魔法で車を妨害するシーン。
彼女は頭髪を1本抜いて口に近付け、呪文を唱える。すると頭髪が一気に増えてミミズになり、それを彼女が背後に投げ付けると車のフロントガラスにぶつかる。
まず、バイクも車も普通に走っているだけで、アニメならではの現実離れした動きは無い。
また、魔法で頭髪がミミズに変身したことも分かりにくい。

そして最も問題なのは、アーヤの母が車を妨害する時のカメラワーク。
大量のミミズがぶつかる様子を、車の視点から見せる。そしてミミズがぶつかると暗転し、アーヤの母親が孤児院に着いたシーンが切り替わるのだ。
これだと、アクションとしての高揚感が全く無い。このシーンから始める意味が無くなる。
あと呪文で頭髪をミミズに変える魔法は二度と出て来ないので、もっとシンプルで分かりやすい種類に変えた方がいいし。

アーヤの本名が「アヤツル」ってのは、かなり違和感がある設定だ。
これは映画オリジナルの設定なのだが、そこで日本語の「操る」に重なるような要素を入れる意味が全く分からない。
園長は「人を操る」に思えるってことで不快感を抱くのだが、そのためだけにアヤツルにして得られる効果なんて全く見えないぞ。
あと、園長が「アーヤ・ツール」と嘘の名前で紹介するのも変だろ。
幾ら「操る」に通じると思ったにしても、それが本名だと分かっているんだから、そのまま紹介しろよ。

オープニングタイトルではロックバンド的なBGMが流れ、キーボードとドラムを演奏するシルエットが入る。これはベラとマンドレークとアーヤの母親がバンドを組んでいた設定に合わせてのことだ。だから劇中の伴奏音楽も、そういうテイストになっている。
でも、これが作品の雰囲気に全く合っていない。
そもそも、ベラたちがロックバンドを組んでいたという映画オリジナルの設定からして邪魔なのよ。
「3人が魔女」という設定と、上手く融合していないのよ。

アーヤはカスタードから「どこか別の所で暮らしたいと思ったことは無いの?」と質問された時、「普通の家に引き取られたんじゃ、私の言う通りにしてくれるのは数名でしょ。ここではみんな私の言う通り。どこもかしこもピカピカ、窓も大きくて日当たりもいい。それにおじさんのシェパーズパイも最高」と語る。
そこで語る内容は、台詞で説明する前に「アーヤの孤児院での生活」として描いておいた方がいい。
特に「みんなアーヤの言う通りにする」という部分は、先に見せておかないと「どういうこと?」と引っ掛かる説明になるでしょ。
もちろん後から描けば伝わるけど、構成としては先に見せておいた方が絶対にいいよ。

この映画の欠点の1つとして、「ベラの家の位置関係」が分かりにくいという問題がある。
それが顕著に出ているのが、アーヤが入浴した後のシーン。
ベラが書斎を出て自分の部屋に入るシーンは、廊下の突き当たりに玄関のドアがある方向から描いている。そこからカットが切り替わり、アーヤが廊下に出て扉が無くなっていることを知るシーンになると、反対方向からの映像になる。
これだと、アーヤがどちらを向いているのか、どの扉が無くなったのか、それが分かりにくいのだ。

その後、アーヤは突き当たりの扉を開けるのだが、これが玄関の扉なのか、その反対側の扉なのかも分かりにくい。
また、扉を開けた彼女が廊下に戻って来るだけで済ませるので、扉の向こうに何があるのかは全く分からない。
その次にアーヤが開ける扉は、どこにあるのか全く分からない。そこから廊下に戻って来たアーヤは「玄関の扉が消えた」と言うが、その台詞が無いと消えたのが玄関の扉だってことが伝わらない。
動線の処理が下手だから、位置関係が混乱してしまうのだ。

映画開始から40分ぐらい経過すると、トーマスが初めて人間の言葉で喋る。だけどトータルの上映時間が82分であることを考えると、そのタイミングは遅すぎる。序盤からずっとアーヤがトーマスと一緒にいて、話し掛けてコンビのように動いているわけでもないんだし。
あと、そのタイミングでトーマスが急に喋り出す理由も良く分からないし。
アーヤは何度もトーマスのことを「カスタード」と呼び間違えるのだが、これも全く意味の無い設定になっている。カスタードは序盤しか出て来ないし、トーマスが彼と似ているわけでもないし。
アーヤにとってカスタードが特別な存在だとアピールしていることが、後の展開に全く影響を与えていない。そんなキャラなんていなくてもいいぐらいだ。

アーヤは魔法の薬を体に塗った翌朝、ベラに起こされて悪態をつく。仕事を命じられ、愚痴をこぼす。ベラに罵られ、腹を立てる。
そんな風にアーヤがベラへの怒りを蓄積させる様子が描かれているのに、「魔法で守られている」という状況を利用して仕返しに出ることは無い。ベラに頭を叩かれ、約束を守る気が無いことを通告されても、まだ報復に出ない。
そのタイミングで、アーヤが寂しそうな様子を見せる。シェーキーズパイを見た時も、これまた寂しそうな様子を見せる。
だけど、すぐに報復の行動に出ないと、何のために魔法の薬を体中に塗ったのか分からなくなるでしょ。

ベラが外出すると、ようやくアーヤは仕返しのために行動を開始する。
だけど、人形を作っても完成ではなくて、毛髪が必要という設定がある。そのため、まだ仕返しに出ることが出来ない。
そこが最も顕著なのだが、この映画は無駄な手順が多くてモタモタするシーンが幾つもあるのだ。
テンポ良く進めていれば、たぶん30分ぐらいで終わる話だぞ。
原作に無い要素で肉付けして充分に膨らませているわけではなくて、ただ引き伸ばしてスカスカになっているだけだ。

終盤に入るとバンドのライブシーンが描かれるが、アーヤの母親はボーカル&ギター、ベラはドラム、マンドレイクはキーボードで、他にベーシストがいる。
家に飾られているバンド時代の写真では3人しか映っていないので、ベーシストは正式メンバーじゃなくてサポートってことなのかもしれない。
ただ、どっちにしても「そいつは誰なんだよ」と引っ掛かってしまうぞ。
最初からトリオ編成で活動している設定にしておけば良かっただろうに。

そもそも、アーヤの母親がベラ&マンドレークとバンドを組んでいようがいまいが、ストーリー展開には何の影響も無い。それどころか、ベラたちと仲間だった設定さえ全く機能させられていない。
アーヤはベラとマンドレイクが「EARWIG」というバンドで活動していたことを知っても、ボーカル&ギターが自分の母親とは気付かない。そしてベラやマンドレイクが、彼女に「それは母親」と教えることも無い。
だったら、余計にアーヤの母親がベラたちとバンド仲間だった設定は無意味でしょうに。
回想シーンではアーヤの母親がバンドから抜けた時の様子も描かれているけど、これも必要性はゼロだ。アーヤに難の影響も及ぼさないし、以降の展開にも繋がらない。マンドレイクの個人的な気持ちの変化だけで閉じている。

最終的に、アーヤはベラとマンドレイクを上手く攻略し、孤児院の時と同じように自分の言いなりにさせることに成功する。
だが、そこの展開が、ものすごく拙速だ。その直前まで全くコントロールできていなかったのに、わずか5分程度でベラとマンドレイクを陥落させてしまうのだ。
その作戦が巧妙だとは到底思えないし、あまりにも簡単にベラとマンドレイクが変化したとしか思えない。
そこまでの時間が、ネタ振りとして使われているわけでもない。単にドラマ作りが下手なだけだ。

完全ネタバレだが、ラストシーンではアーヤの母親がベラの家を訪ねて来る。アーヤがドアを開け、母親が挨拶したところで映画は終わりを迎える。
でも、アーヤは母親を待ち望んでいたわけではないし、そもそも訪ねてきた相手が母親ってことさえ分かっていない。
なので、それは綺麗な締め括りとは到底い難い。
これが「第2作に続く」ってことならともかく、そうではないので、尻切れトンボになっているとしか感じないぞ。

(観賞日:2022年7月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会