『映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!オラと宇宙のプリンセス』:2012、日本

惑星ヒマワリでは、サンデー・ゴロネスキー大王が大臣たちを集めて会議を開いていた。ゴロネスキーは「このままでは我が星がマズい。我が星だけではない。地球もかなりマズい。急げ。一刻も早く姫を我が星へ導かねばならんのだ。伝説のひまわり姫を」と告げた。一方、野原家の昼食後。しんのすけは母・みさえに許しを貰い、プリンを食べようとする。ひまわりが食べたそうにするので、しんのすけは「オラの分だぞ」と冷たく告げる。だが、みさえが「少し分けてあげなさい。お兄ちゃんでしょ」と言うので、仕方なく爪の先程の分量を分け与えた。しかし、ひまわりはしんのすけが目を離した隙に、残りのプリンを一気に食べてしまった。
腹を立てたしんのすけは、戸棚からひまわりのおやつであるタマゴボーロを出し、彼女の前で全部たいらげた。ひまわりが号泣したので、みさえは「お兄ちゃんがやっていいと思ってるの」としんのすけを叱る。父・ひろしも、「お兄ちゃんが妹を泣かせちゃダメだろ」と注意した。しんのすけは「お兄ちゃんなか今すぐやめてやるぞ」と叫び、家を飛び出した。ちょうど野原家の前には、惑星ヒマワリから来たうっかり大臣のウラナスビンと、地球担当のゲッツが来ていた。ひまわり姫が、かすかべにいるという情報を掴んだからだ。
家の外に出たしんのすけが「妹なんか要らないぞ。ひまわりなんか要らないぞ」と叫ぶと、ウラナスビンとゲッツが彼に声を掛けた。2人は「妹さんをお預かりに参りました」と言い、野原家に上がりこむ。ウラナスビンとゲッツはひまわりを発見し、持っていた装置を使う。間違いなく伝説のひまわり姫だと確認し、2人は浮かれた。彼らみさえとひろしに、誰がひまわりの名付け親なのか訊く。しんのすけが得意げに「おらですが」と言うと、2人は宇宙契約書にサインするように持ち掛ける。
しんのすけが契約書にサインすると、ウラナスビンは「契約完了です」と言い、ゲッツは嬉しさにむせび泣いた。それは、ひまわり姫をひまわり星に預けることを承諾すると記された契約書。ひろしとみさえは契約書を読むが、どういうことなのかワケが分からない。するとウラナスビンが、「ご家族みんなで、お祝いに行きましょう」と口にした。刹那、まばゆい閃光が野原家の面々を包む。野原家に向かっていたネネちゃん、マサオくん、風間くん、ボーちゃんは、一家と飼い犬のシロが宇宙船に吸い込まれる様子を目撃した。
ウラナスビンは野原一家に、「皆さんをヒマワリ星に連れて行きます」と告げる。彼はしんのすけに、何年も掛かってひまわり姫を発見したことを語り、「ひまわり姫が見つかったから、ヒマワリ星も地球もまた、ヒママターで一杯になる。救われたんだ。ひまわり姫は太陽系の希望だよ。しんのすけ君が契約書にサインしてくれて、本当に良かった」と感激を吐露した。かすかべ防衛隊は派出所へ駆け込み、野原一家がUFOにさらわれたと知らせるが、警官には全く信じてもらえなかった。
宇宙船は惑星ヒマワリに到着するが、みさえとひろしは、まだ別の惑星だと分かっていない。出迎えに来ていたおつまみ大臣のまーきゅん、イケメン大臣のマズマズ、おねむり大臣のボインダ、おしゃべり大臣のキンキン、お運び大臣のモックンが、野原一家を歓迎した。だが、ひろしとみさえは「家族ごとさらってきて、どうしようっていうんだ」「今すぐ私たちを家に帰して」と腹を立てる。事情が分かっていない様子を見たマズマズは、「私たちのキングが全てご説明します」と告げた。
野原一家はヒマワリ宮殿に案内され、ゴロネスキー大王と面会した。彼は「私が全てを話しましょうぞ」と言い、まんじゅうだらけの食事を用意した。野原一家の目の前で舞台の幕が開き、ゴロネスキーが大臣たちをミュージカルで紹介する。それから「全てをご説明しよう」とゴロネスキーは言い、地球と惑星ヒマワリが同じ軌道を周回する太陽系の兄弟星であること、少し異なる次元にあるため地球から望遠鏡では見えないことを語った。
マズマズは映像に地球の争いを写し出し、「争いごとが増えているのではありませんか。イライラが増えているのはヒママターが不足しているからなのです」と言う。ゴロネスキーは「ヒママターとは惑星が生み出す和みの力。暇とは充足、充実をもたらすもの。本来、太陽系はヒママターに満ちているのだ。宇宙、それはバランスの力。惑星ヒマワリと地球はヒママターをずっと分け合って来たのだ。しかし時と共にヒママターは減り続け、地球人は地球のヒママターを吸い尽くしてしまった」と述べた。
ゴロネスキーは「我がヒマワリ星から沸き出すヒママターも、地球まで充分には届かぬ。そこで我々は地球各地にヒマ人を配置し、我が星から沸き出すヒママターを密かに送り続けて来たのだ。だが、もはや、それでも足りぬ」と告げて、地球の2年後の世界を見せる。ひろしは仕事をせず、みさえとケンカばかりしていた。人々の心は荒んでしまい、争い事が絶えなくなっていた。ゴロネスキーは「人々が過労とストレスにさいなまれ、小さな争い事は大きな戦争に発展する。そして兄弟星である我が星も、やがては同じ運命を辿り、いずれは地球もヒマワリ星も消滅する」と語る
みさえとひろしが信じられずにいると、ゴロネスキーは「我が星の古代天文学者の厳密な計算によれば、地球滅亡まであと200年と202秒」と言う。みさえとひろしが助かる方法について尋ねると、彼は「我が星に先祖代々伝わる伝説に答えがある」と言う。またミュージカルが始まり、大臣たちは「困った時は兄弟星の姫を捜せ」という歌を披露した。ゴロネスキーは「かすかべに住むひまわり姫が我が星にいるだけで、2つの星のバランスが釣り合い、ヒママターの流れが改善されるのだ。我らの太陽系は救われる」と話した。
ゴロネスキーは伝説に続きがあることに触れ、「真にひまわり姫の心を打つユルユルの賢者が戻りし時、姫と釣り合い、ユルユル解放の末、太陽系はおヒマに包まれるであろう」という内容だと明かす。だが、その言葉は何のことだか分からないという。みさえとひろしは、未だに状況が掴めていなかった。そんな中、野原一家は大臣たちに促されて記念撮影を行う。みさえとひろしは家族で帰宅しようとするが、ひまわり以外の3人は別の通路へ案内された。
しんのすけたちが通路を出ると、そこは宮殿のバルコニーだった。バルコニーからは、ひまわり姫を見ようと詰め掛けている大勢の群集が見えた。ゴロネスキーが「プリンセスひまわりが誕生した」と叫んでひまわりにティアラを被せると、群衆が喝采した。ゴロネスキーの「喜ぶがいい。ひまわり姫は永遠に割られと共にある」いう言葉に、ひろしは「何言ってんだ、俺たちはすぐ帰るんだ」と声を荒げた。ひまわり姫のパレードが始まると、地面からヒママターが次々に沸き出した。ゴロネスキーは興奮し、群衆は大喜びした。だが、みさえとひろしは、なぜ人々が喜ぶのか全く理解できなかった。
しんのすけたちは別室に移され、マズマズは明日からひまわりの面会イベントが盛りだくさんになっていること、チケットを使えば会えることを説明した。みさえとひろしは「こんなの詐欺だろ」と怒るが、マズマズは「契約書にサインを頂いております」と事務的に告げる。みさえとひろしは「契約は無効だ」と主張するが、ゴロネスキーは「子供は親のものではなく星のものではないか。誰もが星から生まれる。だが、名付け親は永遠。それは大いなる愛」と語った。
みさえはゴロネスキーの言葉を受け、しんのすけに契約を取り消させようと考える。だが、しんのすけは「ひまわりと一緒にオウチに帰りたいわよねえ」とみさえに訊かれても、「別に」と冷たく告げるだけだった。マズマズは「ご家族の事情よりも、宇宙のこれからについて考えてみてはいかがですか」と問い掛けた。同じ頃、地球ではボーちゃんがゲッツと遭遇していた。ゲッツはプチプチに詰められたヒママターを地球へ運ぶ仕事をしていたのだが、もちろんボーちゃんは分かっていない。
翌日、みさえとひろしは、ようやくようやく状況を理解できるようになっていた。そこへ、マズマズがひまわり姫の公務見学ツアーの呼び掛けに現れた。しんのすけが「今はいい」と起きようとしないので、みさえとひろしは2人でチケットを使ってツアーに参加する。目を覚ましたしんのすけの元にはウラナスビンがやって来て、名付け親担当の見守り大臣になったことを告げた。それは、しんのすけと一緒に遊ぶことを役目とする大臣なのだという。
公務見学ツアーの参加者は、ひまわり姫がイケメンのイクメン軍団に面倒を見てもらい、楽しそうにしている様子を映像で見る。その後、ひまわり姫の乗っている飛行機にも近付くが、一瞬しか本物を見ることは出来ない。我慢できなくなったみさえとひろしは、飛行機の屋根に飛び降りた。2人はひまわりを力ずくで連れ戻そうとするが、まーきゅんに「姫はもう貴方たちの姫じゃない。この星では力ずくなんて考え方は通用しない」と言われ、畑の近くに追い払われてしまった。
しんのすけはウラナスビンと一緒に街を歩いている途中、一軒の店でタマゴボールを見つける。女主人に「どうぞ食べて」と勧められ、彼は封を開けた。みさえとひろしは宮殿へ戻ろうとするが、途中で疲れて休息を取る。通り掛かった畑の夫婦は、2人に「イツゴ」という果物を差し出した。みさえたちが地球から来たことを知ると、夫婦は「ヒママターが減って大変だったんだろ。ひまわり姫が来て良かったねえ」と言う。みさえとひろしは、複雑な表情になった。
みさえは「いい人たちねえ」と漏らし、ひろしは「ああ」と答えた。みさえが「ひまわり、私たちがいなくても全然平気だった」と言うと、ひろしは「ひまわりの将来を考えると、ひょっとして、色んな不安を抱えて地球で生きて行くより、ここで生きて行く方が」と口にする。そこへ、先程の夫婦が車でやって来た。宮殿までイツゴを運ぶという夫婦は、みさえとひろしに「一緒に乗ってく?」と告げた。
しんのすけはウラナスビンの案内で一軒の店に立ち寄り、巨大なプリンを食べ始めた。ウラナスビンは「地球も昔はもっとヒママターがあって2つの星が分け合っていたが、いつの間にか地球にはヒマが無くなっていってこの星から貰ってばかりになった。今では地球のヒママターが無くならないように、配送センターからヒママターを届けている。だけど地球が元気になれば、この星も元気になるんだよ。だって兄弟星だもの」と語った。
街の大型スクリーンには、イケメンのイクメン軍団がひまわりに高級スイーツを食べさせようとしている様子が写し出された。しかし、ひまわりは泣き出してしまい、スイーツを食べようとしない。ウラナスビンが「何なら食べてくれるのかなあ」と呟くと、しんのすけが「ひま、プリン好きだぞ。ちょっとなら分けてあげてもいいぞ」と言う。ウラナスビンは「勝手に会うことは出来ない」と制止するが、しんのすけはお構いなしで、ひまわりの元へ向かう。
しんのすけがウラナスビンと一緒に宮殿へ向かう様子を目撃したみさえとひろしは、さらわれたのだと勘違いする。2人は畑の夫婦に、しんのすけを追い掛けるよう頼んだ。一方、当初はイケメンに面倒を見てもらって笑顔だったひまわりだが、その頃には機嫌が悪くなっていた。しんのすけはひまわりの元に到着し、プリンをあげようとする。みさえとひろしはイツゴを届けると見せ掛けて宮殿に侵入し、モニターの映像でしんのすけの居場所を知った。
しんのすけは、イクメン軍団に追い掛けられていた。しんのすけはつまずき、ひまわりの顔面にプリンをぶつけてしまう。ひまわりは号泣し、その泣き声を耳にしたみさえとひろしは急行する。ボインダとキンキンがひまわりを引き離して避難し、イクメン軍団がしんのすけを捕まえた。そこへ、みさえとひろしが駆け付ける。まーきゅんが「困った人たちですな。無茶しなくても、ひまわり姫とは3年後の面会ツアーで会えるのに」と告げると、みさえとひろしは激怒した。
ひろしは「今すぐひまわりを返せ」と怒鳴り、まーきゅんに掴み掛かった。まーきゅんは「つまみ出せ」と命じ、野原一家を地球へ帰還させる。まーきゅんから報告を受けたゴロネスキーは、「彼らの気持ちも分からないではないが、星のことも考えてもらわねば困るのだ」と口にした。翌朝、しんのすけは幼稚園バスに乗り、防衛隊の面々に事情を話した。かすかべ幼稚園に到着したしんのすけは、職員室でつざか先生たちに契約を無しにする方法を尋ね、クーリングオフ制度について知った。
しんのすけが急いで帰宅すると、みさえとひろしは虚ろな目でテレビを見ていた。2人はしんのすけに、ひまわり姫チャンネルが写るようになったことを告げる。ひろしは「あと30年でひまわりと会えるらしいぞ。楽しみだなあ」と、力の無い笑みを浮かべる。みさえとひろしは「色んな人に相談したが、誰も相手にしてくれない」と嘆き、泣き出してしまった。一方、防衛隊の4人はゲッツを目撃し、尾行する。ゲッツが帽子を取ると、頭の上に小さなボールが浮かんでいたので、4人は驚愕した。
風間くんは野原家へ行き、「見つけたぞ、すぐ近くにいたんだよ、宇宙人」と叫ぶ。野原一家は風間くんの案内で、防衛隊が張り込んでいるゲッツのアパートへ急いだ。みさえたちは部屋に突撃し、ヒマワリ星へ連れて行くよう詰め寄る。しかしゲッツは「無理なんですよ」と言い、自分が地球に単身赴任してヒマワリ星へは10年ほど帰っていないこと、帰るための船も持っていないことを説明した。
しんのすけは奇妙な穴を発見し、ゲッツに「この穴、何?」と尋ねる。ゲッツは「ああ、近付いちゃダメ」と狼狽し、「これはヒマワリ星と荷物のやり取りをする装置だが、しょっちゅう荷物が消えるんで危ないんだよ。もし人間なんかが入ったら、心と体がバラバラになって、元通りにまとまるとは思えない」と警告する。しかし、しんのすけは装置に飛び込んでしまう。しんのすけは配送センターに辿り着き、ひまわりを救出するために宮殿へと向かった。報告を受けたゴロネスキーは、ボインダにひまわり姫を避難させるよう命じた。
しんのすけの前にはモックンが立ちはだかり、相撲対決で行く手を阻止しようとする。しんのすけはカンチョー攻撃で勝利するが、続いてマズマズが現れる。マズマズはしんのすけに幻覚を見せ、地球へ帰るよう促した。だが、しんのすけは「おら、ひまわりのとこ、行く」と強い決意を示して幻覚から飛び出し、宮殿に突入する。するとキンキンが大勢の記者たちと共に待ち受けており、しんのすけは記者会見を開くことになった。しんのすけは契約について追及されるが、適当な答弁で逃げ出した…。

監督は増井壮一、原作は臼井儀人(らくだ社)、脚本は こぐれ京、プロデューサーは吉田有希&本井健吾&鈴木健介、チーフプロデューサーは和田泰&杉山登&鶴崎りか&箕浦克史、作画監督は原勝徳&大森孝敏&針金屋英郎、絵コンテは増井壮一&高橋渉&誌村宏明&横山広行、美術監督は高橋佐知&渡辺美穂、キャラクターデザインは原勝徳&末吉裕一郎、作画監督補は間々田益男、演出は増井壮一&高橋渉、脚本協力は中弘子、色彩設計は野中幸子、撮影監督は梅田俊之、ねんどアニメは石田卓也、音響監督は大熊昭、編集は村井秀明、音楽は荒川敏行&多田彰文&松尾早人&井内啓二。
オープニングテーマ『希望山脈』作詞:秋元康、作曲:ray.m、編曲:増田武史、歌:渡り廊下走り隊7。
主題歌『少年よ 嘘をつけ!』作詞:秋元康、作曲:山下和彰、編曲:生田真心、歌:渡り廊下走り隊7。
声の出演は矢島晶子、ならはしみき、藤原啓治、こおろぎさとみ、真柴摩利、林玉緒、一龍斎貞友、真柴摩利、佐藤智恵、飯塚昭三、羽鳥慎一、藤井隆、田中直樹(ココリコ)、遠藤章造(ココリコ)、土田晃之、柴田秀勝、三ツ矢雄二、日高のり子、川村万梨阿、辻親八、岩田光央、隅本吉成、納谷六朗、寺田はるひ、富沢美智恵、三石琴乃、萩森旬子、阪口大助、大本眞基子、チョー、鈴木れい子、木村雅史、星野充昭、大西健晴、後藤史彦、梯篤司、飯田利信、吉田小百合、瀧本富士子、樹元オリエら。


人気TVアニメの劇場版シリーズ第20作。
監督は前作『嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦』に続いて増井壮一が担当している。
しんのすけ役の矢島晶子、みさえ役のならはしみき、ひろし役の藤原啓治、ひまわり役のこおろぎさとみなどレギュラー声優陣の他に、ゴロネスキーの声を飯塚昭三、まーきゅんを柴田秀勝、マズマズを三ツ矢雄二、ボインダを日高のり子、キンキンを川村万梨阿、ゲッツを辻親八、ウラナスビンを岩田光央、モックンを隅本吉成が担当している。また、ヒマワリ星のアナウンサー・ハトリシンの声を羽鳥慎一、イクメン軍団の声を藤井隆&田中直樹(ココリコ)&遠藤章造(ココリコ)&土田晃之が担当している。

まず、110分という上映時間に引っ掛かる。
これまでの「クレしん」劇場版で、100分を超えたのは本作品も含めて4作しか無い。上映時間が最も長かったのは第7作『爆発!温泉わくわく大決戦』の110分で、本作品はそれと並ぶ。
このシリーズは混じり気無しの純然たる子供向けアニメのはずだから、そういう観点からすると、100分以内、出来ることなら90分以内に収めてほしいと思うんだよなあ。
名作と言われる第9作『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』は、実は89分で収めているのだ。

ゴロネスキーが大臣を紹介するシーンはミュージカル形式になっているが、ダラダラしているとしか感じられない。
その理由は、まずアニメーションとしての面白さが無いということがある(動きが単調で、ミュージカルとしての面白さは皆無)。
それと、『一週間』のメロディーを使っているのもマイナス。そこはオリジナル楽曲にしようよ。
あと、根本的な問題として、もっと華やかに盛り上げようよ。まるで盛り上がらんので、ミュージカルにしている意味が無い。普通に自己紹介してもいいだろと思っちゃう。
その後、ひまわり姫の伝説について説明するシーンもミュージカル形式だが、ただの二度手間にしかなってない。ゴロネスキーがセリフでも説明するし。
っていうか、そこの説明シーン、すげえ長くて退屈になっちゃう。もう少しコンパクトに出来なかったのか。テンポも悪いし。

ゴロネスキーはヒママターや地球と惑星ヒマワリの危機、ひまわり姫の伝説などについて、丁寧に説明している。
にも関わらず、みさえとひろしが全く理解していないのは、さすがにアホすぎるだろ。
そりゃあ正直、「この映画を見る子供たちにも分かりにくいんじゃないか」とは感じたけど、お前らは理解できるはずだろうと。
「話は理解できるけど、信じられない」というのなら分かるけど、「どうやら本当らしい」と分かったはずなのに、それでも事情が理解できていないってのは、そりゃ無いんじゃないかと。

この映画では、「家族で一緒に暮らす幸せと、地球の未来、どちらを選ぶべきなのか」という、とても大きくて難しい問題が提起されている。
そもそも子供向け映画に持ち込むテーマとしては、重くて難しすぎるんじゃないかと思う。
しかし持ち込んだのであれば、それに対して野原一家が苦悩し、葛藤する様子を見せるべきだろう。
だが、野原一家が答えを出すために苦悩する様子は、まるで見られない。

そもそも、みさえ&ひろしは、地球と惑星ヒマワリ、そして野原一家の置かれている状況について、なかなか理解しない。
前述したように、ゴロネスキーは丁寧に説明しているのに、ひろしは「すぐ帰れるかと思ったら」などと言っているし、ひまわり姫のパレードに群衆が大喜びする理由も分からない。
「お前ら、何も話を聞いてなかったのかよ」とツッコミを入れたくなるぐらい、理解力に乏しい。

みさえ&ひろしはゴロネスキーの説明を理解していないので、「ひまわりが惑星ヒマワリにいることで、地球と惑星ヒマワリが救われる」という事情も把握できていない。
で、良く分かっていないまま、ひまわりの奪還に向かう。それに失敗すると「ここは平和で過ごしやすい場所だから、ひまわりを住まわせてもいいのかも」という考えになる。
だが、そこには「地球と惑星ヒマワリを存亡の危機から救うためには、ひまわりと離れるのも仕方が無いかも」という思考が欠け落ちている。
ひまわりの幸せのことしか考えないのなら、「家族で一緒に暮らす幸せと、地球の未来、どちらを選ぶべきなのか」という問題提起は要らなくなってしまう。

みさえ&ひろしが「ひまわりは惑星ヒマワリにいた方が幸せかも」と考えるのも一瞬だけだし、それ以降も「家族が一緒にいることと、地球の未来と、どっちを選ぶのか」という難問について悩んだり考えたりということは、全く無い。
「状況が理解できない」→「ひまわりを奪還しようとする」→「ここに住まわせた方が幸せかもしれないと考える」→「ひまわりを奪還しようとする」→「奪還できなくて抜け殻のようになる」→「気力が復活し、ひまわりの奪還に向かう」という風に、感情の変化はある。
でも、そこに迷いや揺らぎは無い。
常に、どちらかにハッキリと針が振れている。

みさえ&ひろしより、もっと深刻なのは、しんのすけである。
今回のしんのすけは、前半の間、ほとんど行動していない。基本的には、惑星ヒマワリでダラダラしているだけだ。デタラメな行動目的でもいいから、もっと積極的に彼を動かさないと、話のリズムが出ない。
それと、今回はしんのすけの愚かな行動のせいで、ひまわりが連れ去られて30年後まで会えないという事態に陥っている。つまり、彼に全ての責任があるわけだ。
しかし、それに対する態度は、ものすごく無責任で、罪の意識もあまり感じているようには見受けられない。

一応、しんのすけが宇宙契約書の控えを見て「おらがお名前書いたから」と溜め息はつくシーンはある。
しかし、続くセリフが「こんな紙切れ一枚で。恐ろしい世の中ですなあ」では、不真面目にしか見えない。
宮殿での記者会見でも、キンキンからの「契約書にサインしたじゃありませんか」という追及に対して「それは、全部みさえがやったことで」と責任転嫁したり、ヘラヘラしながら「人間、間違うこともありますからなあ」と言ったりしている。

そりゃあギャグアニメだから、笑いを入れるのは構わない。むしろ、この映画は笑いが不足していると感じるぐらいだ。
だけど、笑いを入れるポイントを間違えているんじゃないのかと。
「今回の事態は自分が招いてしまった。何とかしなければ」という罪悪感や責任感は、真面目に表現させるべきだよ。
そうじゃないと、しんのすけのひまわりに対する愛情も、軽薄なモノに思えてしまう。本気でひまわりを助けたい、連れ戻したいと思っているのかと、疑問に感じてしまう。

野原一家が色々と悩んで、その末に「やっぱり、ひまわりを連れ戻す」と決めたのであれば、それは受け入れられる。
ところが、終盤に入ってゴロネスキーから「姫がここにいなければ、地球も我が星も危機に見舞われると言ったはず。それでも構わないと?」と問われて、ひろしは「正直、星がどうとか、宇宙がどうとか理屈をこねられても、何だかちっともピンと来ない」と言い、みさえは「1年後のことだって良く分からないのに、何百年も先のことなんて考えたって分からないわよ」と告げる。
つまり、2人とも「考えて結果を出す」ということを放棄しているのだ。
ひろしは「理屈じゃねえんだよ。今は俺たち、離れ離れになっちゃダメだ」と言うが、理屈を完全に放棄するなら、最初から「家族の幸せか、地球の未来か」という難問を持ち込んじゃダメだよ。

しんのすけに対しては、最初から考えさせようとさえしていない。「行けばどうにかなる」と言わせ、ひまわりの元へ向かわせている。
だからさ、そんなに簡単に済ませられるような問題じゃねえだろうに。
で、ゴロネスキーが「妹を選ぶのか、地球の未来を選ぶのか」という問い掛けると、しんのすけは「どっちも大事だぞ」と言う。ゴロネスキーは、「どっちもは無い。一つしか選べない」と詰め寄る。そこまではいい。
だけど、なぜかゴロネスキーは「お前はどこの誰だ」という質問に切り替えてしまい、「どっちを選ぶのか」という問い掛けに対する答えは無いままで済まされてしまう。

その後、なぜか惑星直列が起きて、なぜか大量のヒママターが沸き出して、ひまわりが惑星ヒマワリにいなくてもOKという状況になる。
一応、「言い伝えにあった勇者の正体がしんのすけで、言い伝えにあったユルユル解放がもたらされた」ということになっている。
だけど、その御都合主義は、幾ら子供向け映画だからって受け入れ難い。
そもそも、終盤に用意されている、野原一家が太陽系模型に入ってからの展開は、ゴロネスキーが何をしたかったのか、監督が何を描きたかったのか良く分からないし。

(観賞日:2012年12月15日)

 

*ポンコツ映画愛護協会