『あやしい彼女』:2016、日本

73歳の瀬山カツは商店街を歩き、衣料品店の主人に「この洋服、去年の売れ残りじゃないの」と軽口を叩く。男子高校生たちが激突して来たのに謝罪もせず「どこ見てんだよ」と怒鳴ったので、カツは激怒する。警官が通り掛かって男子高校生たちを注意し、カツに「大丈夫、お婆ちゃん?」と声を掛ける。カツは立ち上がり、「失礼だね、名前があんだよ」と声を荒らげる。近所の神社に立ち寄った彼女は、「長生き」と書いた絵馬を結んだ。
パートで働く銭湯へ赴いたカツは、経営者の中田次郎たちに東大出身の夫が早くに事故死したことを話す。彼女は一人娘の幸恵を自慢し、編集長を務めている雑誌を見せる。その幸恵が年齢を理由に配置転換されたことを、まだ彼女は知らなかった。「そんな娘がいるのに、なんでこんな所でパートしてるのかしら」と女性客の相原みどりに嫌味っぽく告げられると、カツは「悲しいねえ、嫁に嫌われていくトコ無い徘徊老人は」と言い返した。
喧嘩の仲裁に入った次郎は転倒し、娘の麻衣子が湿布を貼る。「毎回毎回、なんか弱みでも握られてるわけ?」と麻衣子が呆れると、次郎は「俺とカッちゃんはな、一緒に苦労して来た戦災孤児だ」と話した。同じ頃、音楽プロデューサーの小林拓人は、事務所が押している若い女性歌手のレコーディングに付き合っていた。しかし中学生日記のような歌詞に呆れ果て、まるで乗れなかった。マネージャーは小林に、「歌はソウルだ、心を振るわせろって言うけど、19や20歳で大した人生経験もしてないんだから無理っすよ」と告げた。
カツは幸恵と彼女の息子である高校生の翼の3人で暮らしている。翼はロクに学校へも行かず、ギタリストとして参加しているバンド活動に明け暮れている。幸恵が翼を注意していると、カツが口を挟んだ。幸恵が「ちっと黙ってて」と言うと、彼女は「翼は私が育てたようなもんだろ」と告げる。幸恵が腹を立てると、慌てて翼が仲裁した。翼のバンド「あやしい彼女」はライブハウスで演奏するが、ほとんど客はいなかった。それでも翼は前向きに頑張ろうとしていたが、ボーカルのアンナは「就職活動するの」と告げて立ち去った。
カツは「翼が痴漢で捕まった」という振り込め詐欺の電話に騙され、百万円を支払ってしまった。それを知った幸恵が慰めようと思って「百万円で済んだんならね」と言うと、カツは「全部お前のためだよ。翼が痴漢で捕まったら、出世に関わるだろ。好きなことも諦めて、老後のために貯めた金」と語る。幸恵が「何もかも私のせい?」と口にすると、彼女は「そうだよ。母親ってそういうもんだ」と答える。すると幸恵は、「私はお母さんみたいなお母さんになりたくないな。お前がいたから、お前がいたからって。私がいたから好きなこと何も出来なかったんだ。なら今から好きにやれば?」と反発する。
「私が好き勝手やったら、この家はしっちゃかめっちゃかに」とカツが言うと、「ならない。困るのは苦労自慢できなくなるお母さんだけ。自分の不幸を私のせいにしないで」と幸恵は告げる。カツは「そんなら好き勝手やってやろうじゃないの」と憤慨し、家を飛び出した。彼女が神社の前に佇んで泣いていると、オオトリ写真館が明るくなった。カツが歩み寄ると、店頭に飾ってあるオードリー・ヘップバーンの写真が目に入った。『ローマの休日』のヘップバーンに憧れた時期もあった彼女は、写真を撮ってもらうことにした。
写真館に入ったカツがメイクを施してポーズを決めると、店主は「私がこのカメラで、お姫様にしてあけますよ」と告げる。写真を撮り終えて写真館を後にしたカツは、自分が若返っていることに気付いた。翌朝、幸恵はカツが帰宅しなかったので、次郎に相談する。公園で一夜を過ごしたカツは、若返った肉体に興奮して動き回る。貯金を下ろした彼女は美容院へ行き、オードリー・ヘップバーンの髪型を指定した。カツは新しい服と靴を購入し、すっかりヘップバーンの気分でスキップする。
銭湯に入ったセツは、湯船でのぼせて意識を失ってしまう。意識を取り戻した彼女は次郎と麻衣子から名前を問われ、咄嗟に「大鳥節子」と答える。すぐに立ち去ろうとした彼女だが、次郎が「家まで送って行く」と告げる。節子が「早く両親を亡くして、祖母も亡くして、通夜の晩に火事になって行く場所が無くて」と泣く芝居をすると、同乗した次郎は自宅で住まわせることにした。節子は次郎たちと共に、佐竹商店街ののど自慢大会会場へ赴いた。みどりは舞台に上がり、自慢の歌を次郎に聴かせた。対抗心を燃やした節子は、続いて舞台に上がった。彼女が坂本九の『見上げてごらん夜の星を』を歌うと、会場にいた全員が引き付けられる。歌声を耳にして会場に入って来た小林も、彼女をじっと見つめた。
歌い終わった節子は翼たちの視線に気付き、慌てて会場から逃げ出す。しかし翼に見つかり、バンドのボーカルになってほしいと頼まれる。困惑する節子だが、翼の無く芝居に騙されて承諾した。しかし教室の稽古に行くと、その激しいサウンドに耳を押さえる。節子は「今のは歌じゃない。いい歌ってのは心の奥で響き続けるんだよ」と説教し、美空ひばりの『真っ赤な太陽』をアカペラで歌う。節子はバンドを従え、路上で『真っ赤な太陽』を披露する。通り掛かった大勢の人々が用意した帽子に金を入れ、翼たちは大いに盛り上がった。
節子は「このバンド、私がビッグにしてやるよ」と言い、夢は紅白だと宣言する。一方、幸恵はみどりに母のことを聞き、周囲の人々に片っ端から健康食品を売り付けていた時期があることを知らされる。その頃に母と親しかった女性を訪ねた幸恵は、「もう帰って下さい」と荒っぽく追い払われた。小林は節子を付け回すが、痴漢呼ばわりされて警察署に連行される。幸恵と次郎はATMの防犯カメラを刑事に見せられ、カツは何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと告げられる。次郎は節子が怪しいと睨み、彼女の部屋を調べてカツの荷物を発見して動揺した。
ネット動画をチェックした小林は、「あやしい彼女」の路上演奏を見つけた。彼は「あやしい彼女」のメンバーを呼び、人気音楽番組の新人紹介コーナーに推薦したいと告げた。次郎は銭湯に罠を仕掛け、帰宅した節子を捕まえようとする。しかし反撃を受けて逆に拘束され、「カッちゃんを返せ」と言う。節子は軽く笑いながら、「あの婆さんのどこがいいんだよ」と訊く。次郎は泣きながら「俺はカッちゃんがいたから、ここにいられるんだよ」と答え、節子は若かった頃を思い出す。
節子が「そんなに大事な人のことを、どうして忘れるかねえ」と言いながらルージュを引くと、その仕草で次郎は彼女がカツだと気付いた。次郎は節子が書いた「私らしく生きたい」という手紙を幸恵に渡し、「しばらく帰らないそうだけど、心配いらないよ」と告げた。幸恵は節子が母だと知らないまま、銭湯で彼女と出会う。彼女は編集の仕事から外されたことを話し、「これが意外に悪くなくて。早く帰って翼の御飯作ったりして。ずっと母親らしいことを何もして来なかったから」と言う。すると節子は、「金を稼ぐのだって、立派な子育てだよ。女が1人で子供を育てるのは大変なことだ」と述べた。
「あやしい彼女」は音楽番組に出演し、ザ・フォーク・クルセダーズの『悲しくてやりきれない』を披露した。「あやしい彼女」はロックフェスティバルへの出演が決定するが、オリジナル曲が条件だった。ネットのファン投票があり、結果次第ではデビューも可能だと小林は節子たちに話す。節子はバンドメンバーや小林、次郎と共に、バーベキューとアスレチックを楽しんだ。足に傷を負った彼女は、血が出ると年を取ることに気付いた…。

監督は水田伸生、Based on the filmは「Miss Granny」、脚本は吉澤智子、製作は中山良夫&鄭泰成&大角正&由里敬三&薮下維也&沢桂一&久保雅一&久保田修&村松俊亮、ゼネラルプロデューサーは奥田誠治、エグゼクティブプロデューサーは門屋大輔、プロデューサーは畠山直人&八尾香澄、共同プロデューサーは伊藤卓哉&里吉優也、ラインプロデューサーは毛利達也、撮影は中山光一、照明は松本憲人、美術は磯見俊裕、録音は鶴巻仁、編集は平澤政吾、VFXスーパーバイザーはオダイッセイ、音楽は三宅一徳、劇中歌プロデュースは小林武史。
主題歌『帰り道』 anderlust 作詞・作曲:小林武史&越野アンナ。
出演は多部未華子、倍賞美津子、小林聡美、要潤、北村匠海、金井克子、温水洋一、志賀廣太郎、野村周平、三鴨絵里子、越野アンナ、久保佑太、Kilt、田村健太郎、wacci、SELLOUT、生ハムと焼うどん、π乙.、花菜、冨田恵子、中山祐一朗、岩本乃蒼(日本テレビアナウンサー)、大川ヒロキ、小松利昌、武田伸也、土屋裕一、揚原京子、枝元萌、森富士夫、益田愛子、星野晶子、橘家二三蔵、本多響、新井量大、仲野元子、福井友信、高橋修、嶋崎伸夫、春延朋也、柏木風太朗、清水一彰、山城秀之、藤本洋子、山口みよ子、上村依子、おぐちえりこ、奥野瑛太、ホンダタカヒロ、Kaito、中島広稀ら。


ファン・ドンヒョクが監督&脚本を務めた2014年の韓国映画『怪しい彼女』を日本でリメイクした作品。
オリジナル版はアジア各国で話題を集め、2015年には中国(『20歳よ、もう一度』)とベトナム(『ベトナムの怪しい彼女』)でリメイクされている。
監督は『綱引いちゃった!』『謝罪の王様』の水田伸生。
脚本はTVドラマ『黒の女教師』『Dr.DMAT』の吉澤智子で、映画を手掛けるのは初めて。
節子を多部未華子、カツを倍賞美津子、幸恵を小林聡美、小林を要潤、翼を北村匠海、みどりを金井克子、写真館の店主を温水洋一が演じている。若返った次郎役で、野村周平が1シーンだけ登場する。

最初に感じるのは、「多部未華子がミスキャスト」ってことだ。
「73歳の老女が若返った姿」「コメディエンヌ」という2つの条件だけで考えるならば、申し分のないキャスティングと言っていい。多部未華子はキュートな女優だし、コメディエンヌとしての資質も持っている。
しかし本作品の場合、ヒロインは「20歳に若返った姿」なのだ。
多部未華子は20歳じゃないし(当時27歳)、20歳にも見えない。
ここは単に「若手女優」ってことじゃなくて、20歳であることが必須条件だと思うのよ。オリジナル版でヒロインを演じたシム・ウンギョンが20歳だったことを考えても、そこは20歳の女優を起用すべきじゃなかったかと。

多部未華子にはもう1つの問題があって、お世辞にも歌唱力が高いとは言えないってことだ。
この映画のヒロインは「ちょっと歌える」という程度じゃなくて、最初に歌声を披露した段階で、大多数の観客を圧倒するぐらいの歌唱力が必要なのだ。そうじゃないと、「スカウトされて云々」というストーリー展開が成立しなくなってしまう。
でも彼女が初めて歌う時に、そういうインパクトは全く無い。決して下手じゃないけど、何しろ彼女の前に歌うのは本物の歌手である金井克子だし、「それより遥かに上手い」とは言えないのよ。
もちろん劇映画だから、全てがリアルである必要は無い。だけど歌唱力の部分は、絶対に「本物」であることが必要なのよ。
ぶっちゃけ、そんなに演技力が高いとは言えなくても、歌唱力が圧倒的なら、そっちを優先してもいいぐらい重要なポイントなのよ。

脚本や演出の部分でも、色々と問題は多い。
まず冒頭、大怪我をした男のために、節子が輸血している様子が描かれる。
でも、時系列を入れ替えて、このシーンを最初に配置する意味が全く見えない。むしろ、いきなり多部未華子を登場させることのデメリットしか感じない。
続いて商店街を歌いながら闊歩するカツが登場するが、この描写にも疑問を覚える。
ここは「カツが周囲から煙たがられる厄介な老女」ってのをアピールすべきじゃないのか。だけど、そういう印象が弱いのよ。
で、それが弱い内に、幼女が願い事を書いた絵馬を見る様子が描かれるので、最初から「心優しい老女なんたろうな」ってのが透けて見えちゃうのよね。

カツは歌いながら商店街を歩くんだけど、その時の動きが「いかにも芝居をしています」って感じになっているんだよね。
たぶん「喜劇としてのユーモラスな動き」を意識しているんだろうと思うけど、そういうことじゃなくていいのよ。
どういう動きなのかを具体的に文字で説明するのは難しいんだけど、とにかく「笑いを取りに行って完全に外している」という印象なのよね。あと、陳腐で古臭いし。
しかも、実は陳腐で古臭いのって、そこだけじゃないのよね。この映画は全体を通して、喜劇としての演出がそんな感じなのよ。

たぶん水田監督の持ち味なんだろうけど、笑いを狙えば狙うほど外すという困った状態になっている。若返って弾けまくる節子の行動も、あえて大げさにやっているんだろうとは思うけど、「ホントに2016年の日本映画ですか?」と言いたくなってしまう。
ただし、実は大げさだからダメってわけでもないんだよね。問題は、その大げさな振る舞いに合わせる見せ方や飾り付けにもある。
例えば映像演出に飾りを付けてしまえば、そういうのがスウィングした可能性は充分にあったと思うのよ。
でも、他の部分は凡庸で、節子の動きだけを「古臭いノリの大仰さ」で演出しているから、残念なことになっている部分が大きいんじゃないかと。

それと、そのテイストが中途半端ってのも感じるんだよね。もっと「大げさで陳腐」ってのをバカみたいに振り切ってしまえば、それはそれで面白くなった可能性もあるんじゃないかと。
ただし水田監督の場合、『舞妓 Haaaan!!!』や『謝罪の王様』で大失敗しているから、厳しいかもしれないけどさ。
ただ、そこは多部未華子のコメディエンヌとしての資質に助けてもらえば、何とかなったかもしれないよ。
まあ彼女に頼らなきゃ何ともならないという時点で、その方向性は間違っていると言えるかもしれんけど。

カツが幼女の絵馬を見た後、幸恵が職場を追われる様子が挿入される。次郎がカツと出掛けようとする様子の後、小林が若い女性歌手に辟易している様子が描かれる。
そういうシーンの挿入が、まるで効果的とは思えない。っていうか、邪魔にしか思えない。
そのタイミングで、そういうカツが介在しないシーンを入れる意味を全く感じないのよ。
幸恵が職場を追われるシーンなんて、タイミングの問題じゃなく、そもそも要らない。後から「実はクビになった」と幸恵に言わせるだけで事足りる。
小林に関しては、少なくともカツが節子に変貌した後で登場させる形にしておいた方がいい。いっそのこと、節子と出会うシーンが初登場でも構わないぐらいだ。

それと、小林が若い女性歌手に呆れるのって、その歌唱力じゃなくて「君と朝帰り。1人だから2人だから1人じゃない」という歌詞の方なのよね。「歌姫?この中学生日記が」と吐き捨てるけど、実は歌唱力に関しては何も批評していない。
だけどさ、歌詞に関しては、他の人間に担当させるなり、小林が書くなりすれば済むことでしょ。
「歌はソウルだ、心を振るわせろって言うけど、19や20歳で大した人生経験もしてないんだから無理っすよ」というマネージャーの言葉は、「中身は人生経験豊富な老女の節子」に繋げたいってのがバレバレだ。
でも、歌唱力じゃなくて歌詞の方で「人生経験の浅さ」を示しているので、ズレちゃってんのよね。

カツは突如として明るくなったオオトリ写真館で写真を撮影してもらった後、20歳の姿に若返る。その時は驚いているけど、翌朝になると簡単に受け入れている。
だけど、とりあえず写真館へ行ってみようとしないのは変だよ。
っていうか、どこかのタイミングで写真館や店主が再登場するんだろうと思っていたのに、もう二度と出て来ないのよね。それは投げっ放しジャーマンでしょ。
別にさ、「こういう理由で若返って」という詳細な説明が欲しいわけじゃないのよ。そこはファンタジーだから、フワフワしたままでいい。
だけど、若返るきっかけとなった写真館や店主が二度と出て来ないまま映画を終わらせるのは、どう考えても違うでしょ。

のど自慢大会でみどりが歌う様子を見せた後、公園をジョギングしている小林のカットが挿入される。それから節子が歌うシーン、歌声を耳にした小林が会場に入って来るシーンと繋げている。そこに向けて、「小林は近くをジョギングしていた、たまたま通りかかった」ってことを示すために、公園のシーンを挿入しているのだ。
でも、それって全く必要性が無いのよね。むしろ、そんなカットを挟むことで流れがギクシャクするし、違和感が生じるし、デメリットしか無いよ。
ジョギングという設定を排除して、単純に「たまたま通りかかった」ってことでも大して変わらん。
もっとスムーズな流れにしたいのなら、「大会に知り合いが関わっていて」とか「商店街に用事があって」という設定にでもした方がいい。

終盤、ロックフェス出演の直前にギターを取りに行った翼は、車にひかれて大怪我を負う。
その展開自体は別に構わないんだけど、事故に遭う経緯が酷い。歩道橋を渡っていたアンナが声を掛け、気付いた翼が振り返って手を振ったら、そこに車が走って来るのだ。
そりゃあ翼も不注意だけど、明らかにアンナのせいで事故に遭ってるでしょ。そのアンナが何の贖罪もしないまま、最終的にバンド復帰するという展開になるので、それは乗れないわ。なんでアンナを関与させたのかねえ。
あと、大怪我を負った翼が会場まで来てから救急車で運ばれるという手順も要らんよ。
そこは「救急車で運ばれた」という知らせが節子たちに届く形にしておけばいいでしょ。会場まで来ている時点で、「じゃあ演奏も何とかなるんじゃねえか」と思ってしまうし。

節子が「あやしい彼女」のボーカルとして歌うのは、過去のヒット曲だ。しかしロックフェスだけはオリジナル曲が条件ってことなので、anderlustの『帰り道』が歌われる。
これが当たり前っちゃあ当たり前だけど、そこまでとは全く異質な歌になっている。
「翼が作ったオリジナルだから」ってことで納得すべきなんだろうけど、なんか引っ掛かるのよね。
劇中歌プロデュースを担当した小林武史が、「この映画の主題歌として、そしてクライマックスで流れる曲としてピッタリの歌」ということよりも、「自分の娘がボーカルを務めるバンドのデビュー曲にふさわしい歌」ってことを優先しているように感じるのよ(越野アンナは小林武史の娘)。

父親としてもanderlustのプロデューサーとしても、小林武史が「映画よりバンド」という気持ちになるのは理解できるのよ。
だから、それを責めるつもりは無い。
それに『帰り道』自体は、いい歌だと思うしね。
ただ、そういうことになるのは分かり切っているんだから、大人の事情で主題歌に使うのは仕方ないにしても、節子がクライマックスで披露するのは他の歌にしておいた方が良かったんじゃないかと。そこもオリジナルじゃなくて、古い歌謡曲にしておいた方が良かったんじゃないかと。

(観賞日:2017年7月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会