『オーロラの下で』:1990、日本&ソ連
1912年、東部シベリア。政治犯の逃亡を手伝って犬ぞりを走らせていたアリョーシャは、雪の中で立ち往生してしまった。彼は犬ぞりのリーダーであるダーカムを放し、村にいる妹アンナの元へ行くよう頼む。しかし、ダーカムは狼の群れに気付かれてしまう。
1914年、アリョーシャの友人で自身も政治犯逃亡に手を貸しているアルセーニーは、狩猟で手に入れた毛皮を安く買い叩かれそうになっていた田宮源蔵を助ける。アルセーニーは源蔵をアンナの営む食堂に連れて行き、食事をご馳走する。
豪商の白馬を襲った“ブラン(吹雪)”と呼ばれる狼に、懸賞金が掛けられた。源蔵はブランを追うが、取り逃がしてしまう。アルセーニーはブランがダーカムの子供だということに気付く。ダーカムは狼との間に子供を生んでおり、それがブランだったのだ。
狼との戦いで傷付いたブランを見つけたアルセーニーは介抱して逃がしてやるが、ブランは彼の元へ戻ってくる。ブランはアルセーニーの犬ぞりに加わることになった。ブランを殺そうとする源蔵はアルセーニーと対立するが、アルセーニーの強い気持ちを知り、ブラン捕獲を諦める。
源蔵は日本での出来事を思い出す。彼は秋田で猟師をしていたのだが、芸者に売られた許嫁の鈴木うめを取り戻すために大金が必要となり、狩猟の腕を見込んだ商人の上坂常次郎に誘われてシベリアへ渡ったのだ。しかし、思うように金が稼げないまま、5年の歳月が過ぎてしまった。
源蔵はロシアでの生活に見切りを付けて日本に戻るが、うめは既に別の男と結婚していた。故郷に戻った源蔵はスパイ容疑で警察に拘留されてしまう。ちょうどその頃、ロシア革命が勃発。日本軍はシベリアへ出兵することになリ、源蔵は案内役として強制的に参加させられる…。監督は後藤俊夫、原作は戸川幸夫、脚本は大和屋竺&イジョフ・ヴァレンティン・イワノヴィッチ、製作は高岩淡&矢部恒&小田久栄門、プロデューサーは桑山和之&角田朝雄、総指揮は岡田茂&田代喜久雄、撮影は奥村祐治、編集は鍋島惇、録音は本田孜&Y・ラビノビッチ、照明は渡辺昭夫&V・ノービコフ、美術は春木章&アローニン・ウラジミール、衣裳はN・モーニヴァ&京都衣裳、音楽は小六禮次郎。
主演は役所広司、共演はマリーナ・ズージナ、桜田淳子、アンドレイ・ボルトネフ、ニキータ・ミハルコフ、丹波哲郎、アナトーリ・ロマシン、マキシム・ムンズィク、岩城宏之、小松方正、ガッツ石松、織本順吉、下絛アトム、藤岡重慶、佐竹明夫、辻萬長、宮城幸生、風見章子、長内美那子、浅利香津代ら。
戸川幸夫の『オオロラの下で』『極北に挑む』を基にして作られた映画。
「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉があるが、それを具体的に示した作品。
いや、二兎どころか、三兎も四兎も追い求めようとしたような印象さえ見受けられる。人間ドラマと動物映画を組み合わせようとしているのだろう。
だが、見事に拒否反応を示している。
その2つは完全に分離しており、別の作品を繋げたかのようだ。
ハッキリしているのは、どちらの部分も退屈だということだ。ストーリーの組み立て方に問題がある。
最初にシベリアにいる源蔵を描き、途中で回想として日本での出来事を描くのだが、それではせっかくシベリアの風景によって作り上げたムードが壊れてしまう。
まずは、日本での生活を描く。
それから時間経過の通りに順番にエピソードを並べた方が良かった。
源蔵の生活を時間経過の順序で描き、それと並行してアルセーニー達の状況を描く。
そして、最初は何の接点も無かった2人がシベリアで出会う。
そういう形にしておいた方が、もっとスッキリした流れになっていたと思うのだが。狼犬ブランを中心とした動物ドラマの部分。
そこでは、何が起こっているのかイマイチ分からない。
次に、人間ドラマの部分。
そこでは、人物や人間関係の描写が浅い。例えば源蔵とアルセーニーの関係は浅くしか描かれていないので、2人の友情や対立が強く伝わってこない。描きたいポイントが不鮮明。
エピソードの繋ぎ方はギクシャクしている。
色々な要素を詰め込み過ぎているせいか、ゴチャゴチャしていた分かりにくい。
そのくせ、重要な部分は省略したりする。
役所広司は、厳しい自然の中で頑張ったのだろう。
だが、いかんせんシナリオも演出もヘボなのだ。クライマックスは、源蔵がブランをリーダーとする犬ぞりを走らせる場面なのだろう。しかし、源蔵とブランの関係がほとんど描かれていないので、どうにも盛り上がらない。
人間同士の友情ドラマも半端、動物ドラマとしても半端。
結局、何が描きたかったのだろうか。