『新しい靴を買わなくちゃ』:2012、日本

カメラマンのセンは、妹のスズメに付き添ってパリへやって来た。スズメはセンにセーヌ川のほとりで写真撮影をお願いし、彼の荷物をタクシーから出した。センが撮影の準備をしていると、スズメは「ここからは別行動でお願いしまーす」と軽く告げ、タクシーに乗って走り去ってしまった。苛立って上着を地面に投げ付けた彼は、ポケットに入っていたパスポートを落としてしまった。電話で話しながら通り掛かったアオイは、気付かずにパスポートを踏んでしまい、バランスを崩して転倒した。
アオイはハイヒールの踵が折れてしまい、センはパスポートが破れてしまった。アオイは謝罪して大使館に連絡するよう勧め、住所をメモした。急ぎの用がある彼女は、名刺を彼に渡した。彼女は日本人向けフリーペーパーの編集者だった。彼女が歩きにくそうにしているので、センはバッグの中から瞬間接着剤を取り出して靴のヒールを修理してあげた。センは大使館を訪れ、アオイはイースターエッグの取材に赴いた。センは宿泊するホテルが分からないのでスズメに連絡するが、留守電になっていた。
アオイと電話で話したセンは、渡航証を発行してもらえることになったことを話す。センは妹から聞いていた情報を説明し、ホテルの場所を言い当ててもらおうと試みた。ヒントを貰ったアオイは、すぐにホテルの場所を突き止めてくれた。アオイに電話で指示してもらい、センはホテルへ向かう。ホテルに到着すると、アオイがロビーで待っていた。チェックインした後、センはアオイを夕食に誘い、「正直言って、店も分からないし、連れてってくれると助かります」と告げた。
同じ頃、スズメは恋人のカンゴを訪ねていた。カンゴはパリに暮らしながら、画家を目指していた。一方、アオイは昼食を終えた後、「もう一軒行こうかなあ」と口にする。センは「僕ももうちょっと飲みたい気分」と言うと、アオイは「良かったら御馳走するよ」と口にする。彼女は一軒目で既に酔っていた。バーに赴いたアオイは、センのことを聞きたがった。センはスズメが自分をお守りのように考えていることを語り、きっと彼女が勝負のためにパリへ来たのだろうと告げた。
すっかり酔い潰れてしまったアオイが一人で帰宅できそうにないので、センは送り届けた。しかしホテルの名前が思い出せず、アオイに教えてもらおうにも彼女は眠り込んでしまう。センは仕方なく、アオイの部屋で一泊させてもらうことにした。翌朝、目を覚ましたアオイは、浴槽で泥のように眠っているセンを見つけて驚いた。アオイは彼を起こさず、そのまま眠らせてあげた。目覚めたセンは、アオイの用意した朝食を一緒に食べた。
センはアオイに、彼女がピアノで演奏していた曲のことを尋ねた。アオイは飼っていた猫が好きな曲であること、その猫が3年前に失踪したことを話した。もしかしたら戻ってくるかもしれないと考えて、たまに弾いているのだという。外に出たセンはスズメと連絡を取ろうとするが、また留守電だった。通り掛かったジョアンヌという婦人が抱えていた生地を落としたので、センは拾ってあげた。ジョアンヌの行き先はアオイの家だった。
アオイはセンに、ジョアンヌが同じアパートの3階に住んでいる友人で、地下室を仕事場に使ってもらっているのだと語る。ジョアンヌはドレスのデザイナーだった。地下室でジョアンヌのドレスの美しさに感嘆したセンは、写真を撮らせてもらった。ジョアンヌはアオイを呼び、作ったばかりのドレスを着てもらう。ドレスの形を確かめるために、いつも試着してもらっているのだと彼女はセンに説明した。ドレスに着替えたアオイを見て、センはカメラを構えた。しかしアオイは、「ただのマネキンだから」と撮影を嫌がった。
センはジョアンヌから「これからアオイと2人でキッシュを作るの。イースターのお祝いに、私の家でパーティーをするの。私の娘や孫も来るの。貴方も来ない?」と誘われ、その場でOKした。ジョアンヌはセンに、「アオイが男の人を紹介してくれるなんて初めてよ」と言う。アオイが子供を亡くしていることを彼女に聞かされ、センは驚いた。センはアオイとジョアンヌのキッシュ作りを手伝った。
アオイが花を買って帰宅すると、ちょうどキッシュが完成していた。ジョアンヌは彼女に、電話を受けたセンが急いで出て行ったことを話した。何の伝言も無かったと聞かされ、アオイは寂しそうな表情を浮かべた。しかし日が暮れてから、センはアオイの家に戻って来た。大使館から連絡があったので、急いで出掛けたのだとセンは説明した。「もう帰ったかと思ったよ」とアオイは涙ぐんだ。ジョアンヌのパーティーに行かなかったと聞いたセンは、「じゃあ、こっちもパーティーしますか」と持ち掛けた。
一緒にキッシュを食べた後、アオイは名残惜しそうに「帰んなきゃね、ホテル」と口にする。センが「ホテルの名前、忘れちゃいました」と言うと、アオイは「長いから書くね」と告げる。しかし彼女は鉛筆と紙を取り出したものの、「長すぎて私も覚えてないや」と言い、「もっと飲んじゃうか」と持ち掛ける。センは学生時代にバンドをやっていたこと、カメラを始めたらコンクールに優勝したこと、プロになれると思ったが甘くなかったことを語る。
バイト生活が長く続いたセンだが、代役で女性ミュージシャンのグラビア撮影を担当してから次々に仕事が舞い込むようになった。しかし、気付いたら彼は、最も顔の修正が上手いカメラマンになってしまった。それはカメラマンとしての本筋から外れているとセンは感じており、酔っ払った勢いで愚痴をこぼす。個展を開く夢も持っていたセンだが、今は仕事をこなすだけの日々が続いていると話す。弱音を吐くセンに、アオイは「また自分の写真、撮れるよ。私、センの個展が見たい」と励ましの言葉を掛けた…。

脚本・監督は北川悦吏子、原作は北川悦吏子、プロデュースは岩井俊二、製作は遠藤茂行&重村博文&木下直哉&岩井俊二&平城隆司&日達長夫&服部洋&鈴木伸佳&高木"Rosa"裕&見城徹&小野田丈士、プロデューサーは橘田寿宏、アシスタントプロデューサーは水野昌、アソシエイトプロデューサーは柳迫成彦、撮影は神戸千木、照明は高田紹平、美術はアレクサンドラ・ロジェック、録音は宮武亜伊、編集は陸慧安、音楽監督は坂本龍一。
出演は中山美穂、向井理、桐谷美玲、綾野剛、アマンダ・プラマー他。


数々の人気ドラマを手掛けてきた脚本家の北川悦吏子が映画監督を務めた2本目の作品。
映画監督デビュー作である『ハルフウェイ』に続き、今回も岩井俊二がプロデュースを担当している。
『ハルフウェイ』もそうだったが、たぶん今回も岩井俊二のセンスが強く盛り込まれているものと思われる。
アオイを中山美穂、センを向井理、スズメを桐谷美玲、カンゴを綾野剛、ジョアンヌをアマンダ・プラマーが演じている。

アオイとセンのカップルだけでなく、スズメとカンゴという別のカップルも作られ、2人の様子も挿入される。
だが、スズメとカンゴのカップルの存在意義が全く見えて来ない。
この2人はアオイ&センと全く絡むことが無いし、ってことは当然のことながら互いに影響を及ぼしたり感化されたりすることも無い。スズメとカンゴの必要性は、最後まで分からないままだった。
単独の恋愛劇としても、まるで中身が無いし。アオイとセンの関係だけに絞っても良かったんじゃないかと思ったりもするんだが、それは怖かったのかなあ。
ただし、じゃあアオイとセンの恋愛劇はどうなのかと問われたら、こっちも中身は空っぽなんだけどさ。

アオイとセンは、出会ったばかりなのに、あっという間に親しくなる。
とりとめもない会話を交わしながら、パリの街を移動する。
その辺りから、何となく『恋人までの距離(ディスタンス)』を連想した。
もちろん映画の出来栄えに関する比較は、わざわざ言うまでも無いだろうけど、あの映画を意識しているのかなあと、何となく思ったんだよな。なんか狙っているトコロが似ているような気がして。

一言で表現するならば、これは「遅れて来たトレンディー・ドラマ」である。
「時代を間違えたトレンディー・ドラマ」と言い換えてもいいだろう。
都会に住む人々がバブル景気に踊らされていた時代を、強く感じさせる作品だ(勘違いしている人もいるが、バブル景気に浮かれていたのは都会に住んでいた人々だけで、田舎は全くと言っていいほど恩恵を受けていない)。
バブル時代を過ごした年代の人なら、懐かしい雰囲気を感じ取ることが出来るかもしれない。

しかし、そんな特殊なノスタルジーだけで大勢の観客が食い付くとは思えないし、また製作サイドもそういう観客層を狙って作っているわけではないだろう。
つまり、無意識の内にバブリーな作品が出来上がっているだけだ。
ってことは、悪く言えば時代に合わない作風という表現も出来る。
これが「時代に左右されず、不変の価値を持つ映画」であれば何の問題も無いのだが、単純に「時代を間違えている」と感じるだけだ。

全編に渡ってパリでロケーションを行い、幾つもの観光スポットが写し出される。観光映画としての要素も非常に多く含まれている作品だ。
しかし、これまた「いつの時代の映画だよ」とツッコミを入れたくなる。
観光地を撮影するだけで、それが観客のヨーロッパに対する憧れの気持ちを喚起して多くの動員に繋がるような時代は、とっくの昔に終わっている。
これと同年に作られた『映画 ホタルノヒカリ』もイタリアを舞台にした観光映画だったが、映画会社の中だけで時代錯誤的な状況が発生していたのか。

「オシャレで小粋でエレガントでロマンティックな映画」を狙っていることは、とても良く分かる。
オシャレな観光地、オシャレな店、オシャレなアイテム、オシャレな食べ物。とにかく「オシャレ」で映画を埋め尽くしてしまおうという意識がビンビンに伝わってくる。
細かいことを言うと、クロージング・クレジットが全て英語オンリーという辺りも、オシャレを気取っていることの表れだろう。
そして、オシャレを気取っていることがビンビンに伝わるのと同時に、「オシャレというキーワードで色んな物を寄せ集め、それで表面を綺麗に飾り付けてみたものの、薄皮をめくれば空虚な中身が簡単に露呈してしまう」ってのもビンビンに伝わってくる。
いや伝わってくるっていうか、モロに見えている。
まとっている皮があまりにも薄すぎるせいで、その奥にある空っぽな中身が透けて見えているのだ。

「フランスに住むフリーペーパーの編集者」「カメラマン」というアオイとセンの職業設定からして、「一昔前のF1層が憧れを抱いていた対象」を感じさせる。
一応、アオイは子供を亡くしており、センは仕事に明るい未来が見えず、どちらも心に傷や悩みを抱えているという設定は用意されているのだが、「どうでもいい」という印象がハンパない。「それよりもオシャレ、オシャレ」って感じだ。
2人の職業設定以外にも、「セーヌ川から見えるノートムダム寺院」「ハッセルブラッドのカメラ」「イースターエッグ」「ポペリーニ」「凱旋門」「シャンゼリゼ通り」「コンコルド広場」「ジャンヌ・ダルクの像」「モーツァルトの『メヌエットとトリオ』」など、恥ずかしいぐらいに「オシャレなキーワード」がこれでもかと詰め込まれている。
何より、「フランス」ってのがオシャレのキーワードだもんな。

もちろん、この物語が「現実感のある恋愛劇」ではなく、ファンタジーとして描かれていることは分かる。
ただ、幾らファンタジーとして解釈するにしても、許容できる限度ってモノがある。これはキツいわ。
うすら寒いファンタジーになっちゃってるので、ロマンティックを感じないのよ。
それは「古めかしい」「中身が薄い」「会話が魅力的じゃない」など色々な要素が重なってのことだろうけど。

もはやギャグやパロディーじゃないと成立しないんじゃないかと思うようなことを、この映画は真正面からマジに描き出す。
古めかしさ定食の特盛りって感じで、お腹が一杯になって胸焼けしそうだ。
それでも「もう呆れるぐらいのトコロまで思い切って突き抜けちゃえば、それはそれで成立するのかもしれないなあ」と思ったりもするんだけど、そこまで振り切っているわけでもないんだよなあ。

なんかねえ、オシャレを着こなしているんじゃなくて、オシャレに着られているって感じがするのよ。小粋を気取っているけど、小粋じゃないんだよな。
その辺りは演出や脚本の問題よりも、この映画を自然なモノとして成立させることの出来ていない役者の問題が大きいと感じる。
ただし、この映画を上手く着こなせる役者って、今の日本には見当たらないんじゃないかなあ。
そう考えると、企画に無理があったってことになるんじゃないかな。
ぶっちゃけ、全面的に役者の力に頼らないと、どうにもならない映画なのでね。

(観賞日:2014年3月20日)

 

*ポンコツ映画愛護協会