『阿修羅城の瞳』:2005、日本

江戸。鬼御門の隊長・国成延行と副長の安倍邪空が待ち受けている場所に、鬼の童・笑死と鬼女・美惨が姿を現した。国成は「まさか 阿修羅か」と言って斬り掛かるが、まるで手応えは無い。美惨は「地獄を見るのはこれからよ」と高笑いを浮かべ、笑死と共に消えた。 邪空が「阿修羅とは何だ?」と尋ねると、国成は「鬼の王。いよいよ復活が近い」と含んだような笑みを漏らした。
人々は異界からの訪問者を鬼と呼び、畏怖していた。恐れは憎しみを生み、鬼殺しの闇奉行である鬼御門と鬼の戦いは、終わることが 無かった。その日、鬼御門の副長である病葉出門は、国成や邪空と共に鬼退治へ出向いていた。鬼を倒しながら足を進めた彼は、女の童と 遭遇した。「殺せるものなら殺してみよ」「殺して」といった幻聴を耳にした出門は、童に向かって刀を振り下ろした。
5年後、その時の悪夢で、出門は目を覚ました。場所は馴染みの花魁がいる座敷だった。出門は鬼御門から足を洗い、中村座の歌舞伎役者 となっている。その夜、「盗みはしても非道はせず」をモットーとする女盗賊・つばきが現れ、役人が追い掛けていた。女形の孫太郎と 小船で川を移動していた出門は、身を隠すつばきを目撃した。覆面が外れた彼女の素顔を見た彼は、「いい女だ」と呟いた。
つばきが落とした椿の簪を、出門は拾った。その場を離れた後、つばきは背中の痛みに襲われた。確かめてみると、そこには痣が出来て いた。その様子を、密かに邪空が観察していた。商人風の男に化けた鬼が現れ、つばきに襲い掛かった。だが、つばきの体から見えない力 が発せられ、鬼を倒してしまった。その光景を離れた場所から全て見ていた美惨は、「阿修羅の蘇りが始まる」と口にした。
翌日、中村座では芝居が上演され、出門が観客の喝采を浴びていた。だが、作家の四世鶴屋南北は「面白くねえなあ」と呟く。芝居の後、 彼は楽屋で弟子の俵蔵と滝次に「俺はこの目で見たものしか書かねえ。鬼御門にくっ付いて行って鬼に食われてくれ。鬼になったおめえら を見て戯作にしてやる」と言う。芝居小屋の近くでは、呼鉄、火縁、水誼、樹真という女軽業師たちが大道芸を披露していた。見物人から 客を集めているのは、仲間の谷地とつばきだった。つばきは、小屋に掛かっている出門の役者絵に目を留めた。
その夜、つばきは簪を取り戻すため、出門の部屋に侵入した。それを察知していた出門が、彼女を待ち受けた。彼が「どっかで会ったこと があるなあ」と言うと、つばきは「私は何も覚えちゃいない」と告げる。出門が彼女の肩に触れると、見えない力で弾き飛ばされた。 つばきが逃げようとすると、出門は赤い糸の妖術で捕まえ、彼女を抱き寄せた。妖術を解くと、つばきは部屋から走り去った。
邪空からの報告を受けた国成は、阿修羅復活の兆しを確信した。彼が術を唱えると、美惨が手下を引き連れて現れ、橋が架かった。それは 鬼が渡る時だけ出現する橋であり、鬼と人間を繋ぐ結界だ。それを待っていた国成はほくそ笑むが、美惨は「うめぼれるでない。阿修羅は 既に、この世に放たれておる。阿修羅を手に入れるは、人の世で最も強き男」と口にした。その直後、邪空は国成を抹殺した。美惨の 手下たちは、鬼御門を始末した。
邪空は美惨から「その身を外道に落として何を求める?」と問われ、「お前と同じ物をだよ。阿修羅の力は俺の物だ」と答えた。美惨は 死んだ鬼御門の奥田庄兵衛と伊藤喜四郎を鬼として蘇らせ、邪空の配下とした。そして邪空に、痣を持つ女を捕まえるよう指示した。一方 、つばきは出門の「どっかで会ったことがあるなあ」という言葉が気になっていた。実は、彼女には5年より前の記憶が無かった。そんな 彼女の前に、笑死が現れた。つばきが「何だよ、お前」と言うと、彼女は「鬼だよ、アンタと同じ」と述べた。
つばきが走って立ち去ると、邪空と奥田たちが現れた。彼らに追われたつばきは、町へと走り、中村座に逃げ込んだ。出門が喜んでいると 邪空が現れ、「女を手放せ」と要求する。出門が拒否すると、邪空は彼に襲い掛かった。だが、つばきが姿を消したので、「今日のところ は手を引こう」と告げて去った。全てを見ていた南北は興奮した。邪空はから「痣を持つ女と阿修羅との関係を言え」と追及された美惨は 、「焦るでない。強いだけでは阿修羅は生まれぬ。恋をしたことがありますか」と笑った。
出門が舟に乗っていると、つばきの方から会いに来た。彼女は「5年より前のことは何も覚えていない。持ち物は椿の簪だけだった」と 話す。つばきは背中の痣を見せ、「覚えが無いかい?」と尋ねた。出門は彼女を後ろから抱き締め、「俺が引き受けてやるよ。お前とこの 痣の一切合財を」と告げる。だが、つばきは得体の知れない何かに怯え、「やめて」と振りほどいた。つばきの体に異変が起きるのを、出門 は目にした。つばきは、その場から逃げ出した。
つばきの前に邪空が現れ、彼女を失神させて拉致した。彼は出門を誘い出すため、現場に簪を残した。美惨は連行されてきたつばきの痣を 見て、「それは阿修羅の印」と高揚した。そこへ出門が現れ、邪空と戦う。だが南北が捕まったのを見て動揺し、その隙に斬られて怪我を 追った。すると、つばきが戦いに割って入り、自分の首筋に簪を突き立てて「アンタたちの欲しい物が手に入れたいなら、これ以上、出門 に手を出すんじゃないよ」と言い放った。
美惨はつばきが命懸けで出門を救おうとする様子を見て、南北に「2人を連れて帰られよ。2人に一夜のしとねを用意してやるが良い」と 告げる。出門たちが去った後、邪空は困惑して「なぜだ?」と怒鳴る。美惨は「阿修羅が目覚めるには、今少し機を待たねばならぬ」と 答えた。つばきは出門の傷を手当てし、「私は何?鬼?。私の中に何か隠れてる」と不安を吐露する。出門は「安心しな、俺も昔、怖い 自分を見た。おめえが鬼なら、俺も鬼だ」と告げた。
出門とつばきは熱い口づけを交わし、そして体を重ねた。だが、その途中、つばきは何かに怯えた様子で出門の体を引き離した。彼女は謎 の呪文を唱え出し、部屋を出て行く。出門が追い掛けると、つばきは彼が女の童を斬った場所に入った。そこで我に返ったつばきに、出門 は「俺はここで人を斬った」と打ち明けた。詳しい話を聞いたつばきは、自分がその少女だった記憶を取り戻した。出門も、童の成長した 姿が彼女だと気付いた。
出門は「お前を一人になんかするもんか」と言い、つばきを抱き締められる。だが、つばきは出門の腕の中で姿を消した。出門が建物の外 に出ると、つばきが佇んでいた。彼女は「恨みまするぞ。我が身が鬼に変わるのなら、それが定め。全てはそなたに恋したゆえ」と言う。 彼女の顔には、異変が生じていた。つばきは、出現した橋を渡って姿を消した。それと入れ違いに、美惨が笑いながら現れた。
美惨は出門に、「お前の役目は終わった。5年前、お前が斬った童はつばき。阿修羅は童の姿をして現れる。自らを殺す者を、ひたすら 待ち続ける。阿修羅の転生をいざなうのは、魂の高ぶり。殺される怒りと恐怖の中で、若い娘へと転生する。そして娘が恋をすると鬼に なる。それこそが阿修羅。愛した男が強いほど、そして男を思う気持ちが強いほど、阿修羅の力は強くなる」と語った。
つばきは巨大な阿修羅王の姿に変貌し、邪空に「その男の息の根を止めてくれるのなら、阿修羅城へ案内しましょう」と言う。しかし本気 になった出門は邪空を相手にせず、一太刀で邪空を倒してみせた。彼はつばきに、「おめえと俺の赤い糸は切れねえんだよ」と言う。だが 、つばきは「人も鬼も地獄に落ちるが良い。貴方のことを恨みますぞ」と口にする。江戸の町は鬼の群れに襲われ、火の海と化した。出門 はつばきを取り戻すため、阿修羅城へと続く橋を渡った…。

監督は滝田洋二郎、原作は中島かずき(劇団☆新感線)、脚本は戸田山雅司&川口晴、製作総指揮は迫本淳一、製作統括は久松猛朗& 平井文宏&石川富康&西垣慎一郎&伊達寛&長瀬文男、企画・プロデュースは宮島秀司、プロデューサーは榎望&森太郎&中村隆彦、 協力プロデューサーは水野純一郎、プロデューサー補は田村健一、撮影は柳島克己、照明は長田達也、美術は林田裕至、録音は小野寺修、 視覚効果は松本肇、アクション監督は諸鍛冶裕太、衣裳(衣装は間違い)デザインは竹田団吾、造型・メイクスーパーバイザーは原口智生 、編集は冨田伸子、音楽は菅野よう子、音楽プロデューサーは高石真美、 エンディングテーマは"MY FUNNY VALENTINE" performed by Sting featuring Herbie Hancock。
出演は市川染五郎[七代目]、宮沢りえ、樋口可南子、渡部篤郎、内藤剛志、小日向文世、沢尻エリカ、山田辰夫、螢雪次朗、松本幸太郎 、大倉孝二、皆川猿時、二反田雅澄、桑原和生、土屋久美子、韓英恵、鵜沢優子(G-Rockets)、山中陽子(G-Rockets)、関根あすか (G-Rockets)、半澤友美(G-Rockets)、夏山剛一、清水一哉、城戸裕次、橋本くるみ、藤田むつみ、大矢敬典、本山力ら。 ナレーションは佐藤丈樹。


劇団☆新感線の舞台劇『阿修羅城の瞳 BLOOD GETS IN YOUR EYES』を基にした作品。
舞台劇の方は「いのうえ歌舞伎」の演目の一つで、初演は1987年。2000年に再演、2003年には再々演された。
出門を市川染五郎、つばきを宮沢りえ、美惨を樋口可南子、邪空を渡部篤郎、国成を 内藤剛志、南北を小日向文世、俵蔵を大倉孝二、滝次を皆川猿時、奥田を二反田雅澄、伊藤を桑原和生、商人風の男を山田辰夫、孫太郎を 螢雪次朗、花魁を土屋久美子、笑死を韓英恵、谷地を沢尻エリカ、他の軽業集団をアクロバットダンスカンパニー「G-Rockets」の面々が 演じている。
監督は『陰陽師』『壬生義士伝』の滝田洋二郎。

再演と再々演で病葉出門を演じた市川染五郎が、映画版でも同じ役を担当している。
それ以外の面々は全て、舞台版とは異なっている。
まあ知名度の問題はあったんだろうけど、ただ、新感線の役者を何名か混ぜておいた方が良かったんじゃないかと思ってしまうなあ。
染五郎の演技が少し浮いているようにも感じるけど、彼が悪いんじゃなくて、むしろ他の役者が彼に寄せるべきだと思うし。

もう滝田洋二郎にメガホンを任せた時点で、この映画が失敗することは決まっていたと言ってもいい。
たぶん企画・プロデュースの宮島秀司は『陰陽師』『陰陽師II』の監督ということでオファーしたんだろうけど、あの2作品を見ていれば 、滝田洋二郎は「スケールの大きな時代劇」「派手なSFアクション」が得意じゃないことぐらい分かりそうなものなんだけどね。
むしろ滝田監督って、もっと地味で淡々としたタッチの映画が向いているように思う。

滝田監督の演出って「ケレン味」とか「派手さ」とか「スケールのデカさ」とは無縁だから、劇団☆新感線の演劇を映画化しようと考えた 時に、まるで不向きな人だと思なんだよね。
ただし、「だったら、どの監督にオファーすれば良かったんだよ」と問われたら返答に窮してしまうんだけどね。
平成に入ってからの日本映画界って、スケールのデカい映画を撮れる人材が不足しているんだよなあ。

滝田洋二郎が監督という時点で予想していた通り、やはり本作品はスケールの大きさを充分に表現できているとは言い難い。
良く言えば生真面目な人なのかもしれないが、荒唐無稽な物語や世界観を演出するのが不得手なのだろう。
あと、『陰陽師』『陰陽師II』とはスタッフが異なるはずなのに、なぜか「特撮部分がチープ」というのは共通している。
これに関しては、全ての責任を滝田監督に負わせるわけにはいかないだろう。

アクションから入ればいいのに、冒頭シーンは美惨や国成がダラダラと喋って、鬼と鬼御門を出したのにマトモなアクションは無いまま 終わりって、どういうセンスなのか。
まあ、そのメンツだと、アクションと言ってもスタント・ダブル頼りになってしまうだろうけどさ。
で、そこは何となく意味ありげだが、イマイチ良く分からないシーンになっている。その後にナレーションが入るが、説明として中途半端 で、説明としての意味を成していない。
説明するなら、もっと世界観や初期設定をキッチリと伝えようよ。

しかもナレーションで「恐れは憎しみを生み、鬼殺しの闇奉行「鬼御門」と鬼の戦いは終わることが無かった」とか言っているのに、 タイトルロールが終わると、人々が鬼御門を恐れているシーンが描かれる。
いやいや、人々が恐れているのは鬼じゃなかったのか。
その中に鬼も紛れているので「鬼だから鬼御門を恐れた」ということなのか。
でも人間に化けているんだから、そこで怯えたら鬼だとバレるし、どうにも良く分からない。

そこではアクションシーンがあるが、なんかゴチャゴチャしていて良く分からない。出門は動き回って斬っているが、スピード感も躍動感 も全く伝わらない。
それと、人に化けている中から、どうやって鬼を見つけ出しているのかも全く分からないし。
国成が印を結んで何か唱えているが、それによって鬼が正体を現すわけでもない。一人目は人の姿のまま恐れているのに、出門は鬼と確信 して捕まえている。
それ以降は、向こうから勝手に鬼の正体を現して襲い掛かってくる。

そもそも、そこが江戸の町という雰囲気が皆無ってのは、いかがなものかと。
っていうか、どこなの、その場所って。大道芸人が集まる興行場所っていう設定なのかな。
で、そこに大勢の鬼がいる理由も良く分からないし。
舞台劇なら説明しなくてOKでも、映画だと必要になるってこともある。
舞台劇なら江戸の感じゼロでOKでも、映画だと導入部分では江戸の感じが必要ってこともある。
なるべく舞台劇をそのまんま映画に持ち込もうとしたのかもしれないが、それが大きな間違いだったんじゃないか。

最初から舞台劇のように「いかにも作り物の世界」というセットで始めるよりも、普通の時代劇のような江戸の町を登場させて、そこに 荒唐無稽なキャラや設定を持ち込んでいく形にした方が良かったんじゃないか。
もちろん、いきなり「作り物でござい」というのを見せることによって、荒唐無稽の世界に観客を引き込むという方法もあるのだが、この 映画の場合、なんかチープな印象が最初に来るんだよな。
5年後のシーンになってから、ロングショットで江戸の町を見せたりしているけど、手順として逆じゃないかと。

出門が中村座にいることは、花魁と一緒にいるシーンで、セリフとして語られる。翌日のシーンになって、ようやく出門が歌舞伎役者と して活動している様子が描かれる。
だけど、まず5年後になった段階で、彼が芝居に出て人気役者になっていることを真っ先に示すべきでしょ。
花魁と仲良くしているのは、その後でいい。
そこの説明をしない内に、つばきと会わせるのは、手順を飛ばしている。

あと、舞台劇ならそのままの名前でも良かっただろうけど、映画にするなら、中村座では芸名を使っている設定にしようよ。
病葉出門の名前のまま人気役者になっているってのは、ちょっと受け付けないなあ。
それと、序盤でつばきと一緒に行動していた軽業師グループは、盗賊の仲間でもあるんだけど、そいつらが本筋に全く関与せず、前半に 少し登場しただけで消えているってのは、キャラの出し入れとしてどうなのか。
そもそも、なぜ彼女たちが義賊として活動していたのかも語られないままだし。

出門の芝居を見た南北は「面白くねえ」と不愉快そうに言うけど、それは出門に対する不快感を抱いているのかと思ったよ。
その勘違いはすぐに解けるけど、そういう無駄な誤解は無い方がいいんだし、そもそも「南北が鬼に強い興味を持っている」というのも、 上手く表現できているとは言い難い。
「今の芝居は面白くない」ということより、南北が鬼に強い興味を持っていることの方が重要なのに。

出門はつばきを捕まえる時に妖術を使うけど、そんなの使えるのかよ。ただ刀で斬る能力だけじゃないのかよ。
だったら5年前の鬼御門として戦うシーンでも、そういうのを見せておくべきだ。
ただ、終盤にも「つばきと赤い糸で結ばれる」という妖術を使うだけで、それ以外の術は全く使っていないんだよな。
だったら妖術を使える設定なんて要らないわ。その赤い糸の妖術、大して効果的でもないし。

冒頭からの国成の演技を見ていると、鬼御門そのものが悪玉グループのように見える。国成が阿修羅復活の兆しを確信して不敵な笑みを 浮かべるのも、何か悪巧みがあるのかと思ってしまう。
ところが、どうやら彼は阿修羅を倒すつもりだったらしい。で、そのために、橋の出現を待っていたようだ。
それなら芝居の付け方を間違っているんじゃないか。
あと、その橋にどんな意味があるのか、阿修羅を退治するためにどういう利用価値があるのかは、その時点では全く分からない。
それは説明不足だと感じる。

あと、邪空の裏切りがすげえ唐突。
ついさっきまで美惨の手下を殺していたのに、美惨が「うめぼれるでない。阿修羅は既に、この世に放たれておる。阿修羅を手に入れるは 、人の世で最も強き男」と言った途端、国成を殺している。
どういう心境の変化なのか、ワケが分からない。
そりゃあ、「阿修羅を手に入れるは、人の世で最も強き男」という言葉に惹かれたんじゃないかという推理は出来る。
だけど、あくまでも推理に過ぎないし、そこに惹かれたことを示すような描写は無い。

それに、美惨の言葉に惹かれたとしても、他の仲間たちもいるんだし、その場でボスである国成を殺すってのは、あまりにも思慮深さに 欠ける。そこで美惨の手下が残りの鬼御門をやっつけてくれるとは限らないんだし。
思い付いたら即行動って、ただのアホじゃん。
そこで心境が変化したとしても、少し考える時間があって、別の場所で国成を殺せばいいじゃん。
それに、彼が阿修羅の力を使って何をしようとしているのか分からないし。

つばきは出門が5年前に斬った少女という設定なのだが、それが分かった時点で「現在は何歳の設定なんだよ。宮沢りえだと年を取りすぎ でしょ」とツッコミを入れたくなる。
直後に出門が「たった5年で、あの子供がこんなに変わるわけがねえや」と言うのは尤もだ。
阿修羅だから成長速度が速いということなのかもしれんが、そこは例えば過去の出来事を10年前にするとか、童の年齢設定を高くするとか 、宮沢のポジションをもっと若い女優にするとか、どうにでも出来たでしょ。
年齢の辻褄が合わないのを「たった5年で、あの子供がこんなに変わるわけがねえや」というセリフだけで処理しちゃうより、そっちの方 が遥かにいいはずだが。

つばきが自分の素性を知ったとしても、なぜ愛する男と離れて橋を渡るのか、そこも良く分からない。
まだ本人の意思が残っているのであれば、橋を渡らないという選択肢もあるんじゃないかと思うのよね。
だったら、そこは「何か見えない力で連れ去られる」とか、そういう形の方がいいのではないかと。
「それが定め」という言葉だけで、観客を説得するのは難しいように思うんだけどね。

阿修羅王として復活したつばきが、「出門に対する愛が残っていたので」というわけではなく、阿修羅王として美惨と邪空を始末する 筋書きは、ものすごく分かりにくくて、物語に気持ちが乗らない。
つまり「美惨は阿修羅王を復活させたが、その目的は阿修羅王と合致していなかった」ということなんだよな。
だけど、そこは「主人公が悪玉を倒し、つばきの心を取り戻す」という筋書きにしてくれないと、テンションが高まらんわ。
テンションが高まらないと言えば、江戸の町が鬼の群れに襲われ、人々が惨殺されるという阿鼻叫喚図が全く描かれていないってのも、 テンションに影響するなあ。
夜のシーンが多いのもマイナスだと感じるし。

最後、「出門はつばきを殺さなきゃいけないのか、他に選択肢は無いのか」というところで引っ掛かる。その辺りも説明が足りていない から、良く分からないんだよな。
その2人の悲恋の物語も、心を揺り動かすようなドラマが無いし、2人の苦悩とか葛藤とか、そういう感情も上手く表現されていない。
あと、エンディングに流れるスティングの『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』は、恐ろしいほどにミスマッチ。
誰だよ、この曲をチョイスしたのは。
まず英語曲が合わないし、しかも『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』って。
どこから出て来たんだ、そのアイデアは。
正直、歌は要らないと思うぞ。

(観賞日:2011年9月29日)

 

*ポンコツ映画愛護協会