『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』:2009、日本

北海道旭川市の旭山動物園に、人付き合いが苦手で昆虫採集が趣味だという青年・吉田強が新人飼育係としてやって来た。旭山動物園では 園長・滝沢寛治、管理係の池内早苗、ゾウとチンパンジー担当の韮崎啓介、トラとアカハナグマ担当の三谷照男、サイとヒョウ担当の 砥部源太、ゴリラとホッキョクグマ担当の柳原清之輔、カバとダチョウ担当の臼井逸郎が勤務していた。
雌チンパンジーのパピーの相手として、動物園には雄のダイゴがやって来た。みんなで2匹の様子を観察していた時、吉田はイジメを 受けていた少年時代を思い出した。動物園は老朽化が激しかったが、修繕費用が無かった。滝沢は商工部長の磯貝三郎から、客を呼ぶため にジェットコースターを設置すると告げられた。ジェットコースターには客が集まったが、動物園は閑古鳥だった。
動物園には動物愛護団体が押し掛け、動物園の廃止を訴えた。同じ頃、少年は祖父に連れられてトラを見に来たが、トラは寝ていた。三谷 が「夜行性だから昼は寝ているたまに起きる」と言うと、祖父は「遊んでいるから、起きたら呼びに来い」と告げた。滝沢が動物愛護団体 と折衝していると、近所の主婦が「毒があるらしいから引き取って欲しい」とミドリガメを持ち込んで来た。ミドリガメはエキノコックス を持っているが、それは当たり前のことだと滝沢は説明した。
動物愛護団体のメンバーである小川真琴が「人間が自然界の動物を買うなんて大罪だ」と主張するので、滝沢は「アンタらの無知の方が 大罪だ。このミドリガメは外来種だ。その辺の池に放したら固有種が絶滅するかもしれない」と厳しく批判した。トラが起きたので、三谷 はジェットコースターに並んでいる祖父と少年を呼びに行った。彼らが眺めていると、トラは小便を引っ掛けた。
滝沢は修繕費用を出してもらおうと市議会に赴くが、市長の上杉甚兵衛は居眠りをしており、助役たちは「財政難だ」と一蹴した。滝沢は 磯貝に、冬の開園を持ち掛けた。「冬に客なんか来るはずが無い」と言われた滝沢は、無料観察会を開くことにした。すると、参加した メンバーの中には真琴の姿があった。彼女は吉田に、コースには無い診療所を見せてほしいと頼み、獣医学部の学生証を見せた。「また ケチを付けるつもりですか」と吉田が拒絶反応を示すと、真琴は笑い飛ばした。
真琴は伯父である上杉市長のコネを使い、動物園に就職した。市議会議員の三田村篤哉は、市議会で「毎年、3億円の赤字を出している 動物園は不要だ」と訴えた。韮崎はパピーの妊娠に成功し、ゴリラのマリを妊娠させられないでいる柳原に「お前が孕ませてやったら どうだ」と嫌味っぽく告げた。落ち込んだ柳原は滝沢に頼んで、ゴリラの担当を外してもらった。
真琴はマリの異変に気付き、慌てて滝沢に連絡した。それを知った柳原は、急いでゴリラの檻に駆け付けた。滝沢たちは必死で処置を 施すが、マリは亡くなった。獣医の診断により、マリの死因は特発性心筋症だと判明した。「旦那がいなくなったショックなどで、後を 追って死ぬことがある」という獣医の説明を聞いた柳原は、自分が担当を外れたせいでマリが死んだのだと確信した。
滝沢は三田村から、「冬の観察会は盛況だったと言うが、入園者は増えていない。貴方のやっていることは自己満足だ」と批判された。 彼は動物の魅力を伝えるため、飼育員が解決を行うワンポイント・ガイドを提案した。飼育員たちは客前で喋ることに拒否反応を示すが、 滝沢は反対を押し切って導入を決定した。絵が得意な臼井は、紙芝居を作ってダチョウのガイドを行った。
お喋りが苦手な三谷は、ロープにエサを吊るしてアカハナグマに綱渡りをさせた。それを見た吉田は感動し、他の飼育員たちに「動物たち の驚異的な身体能力をお客さんに見せたい」と興奮した様子で語る。それを聞いた滝沢は「この動物園の新しい一歩になるかもしれない。 海外では行動展示じゃなく生態展示が主流だ。だが、生態展示をするには、ウチは不充分だ」と言う。
滝沢から「強だったら、どうやって見せる?」と問われた吉田は、「ペンギンを大空に飛ばします」と口にした。ペンギンが海を泳ぐ様子 は、まるでジェット機のようなのだと彼は語った。吉田の説明を受けて、臼井が絵を描いた。それを見た滝沢は、「さしずめ行動展示だ」 と告げる。その後、滝沢と飼育員たちは行動展示をテーマにして、自分たちの夢を語り合った。
パピーが異常なほど水を飲むようになり、真琴は「妊娠中毒ではないか」と告げた。カロリーを4分の1まで下げるべきだと彼女が言うと 、韮崎は激しく反対した。しかしダイゴとパピーの仲睦まじい様子を見て、韮崎は真琴の案を受け入れた。やがてパピーが出産し、それを 見守っていた滝沢たちは大喜びした。浮かれた韮崎はゾウのロミオに出産を伝えに行き、踏み潰されて命を落とした。
韮崎の葬儀で、吉田は「近付きすぎた報いです。侵しちゃいけない野生の領域に踏み込んだんです。韮崎さんも柳原さんも、必要以上に 野生動物と親しくなろうとしすぎたんですよ」と口にした。滝沢は「お前がこざかしく振りかざしているのは、先輩たちの試行錯誤の末の 常識だ。お前如きが非難してんじゃねえ」と怒鳴った。それでも吉田が「僕は正しい」と言うと、滝沢はビンタを食らわせて追い出した。 後日、柳原が韮崎の墓参りをしていると、滝沢に連れられた吉田がやって来て頭を下げた。
年間入場者数は動物園が始まって以来の最低記録となり、滝沢は客を呼び込むための新たな策を考えた。彼は夜行性の動物をお客さんに 見せようと、「夜の動物園」を企画した。そんな中、ゴリラのゴンタがエキノコックス症で死亡した。動物園に侵入したキタキツネが原因 だった。職員も動物も陰性だと分かり、滝沢は検査結果を発表しようとする。だが、市の広報担当者は「大事にするのは避けるべきだ」と 反対し、磯貝は「動物園を切り捨てる絶好のチャンスになるぞ」と警告した。
滝沢は反対を押し切って記者会見を開くが、磯貝の懸念は的中した。マスコミは動物園の危険性を煽り、世間は大騒ぎとなった。来春の 開園もメドが付かなくなる中、上杉は三田村と結託して動物園を潰そうと考える。真琴は滝沢たちに、議案が議会に提出されれば確実に 廃園になることを報告した。滝沢たちは動物園を存続させるため、学校での講演やビラ配りなどの活動に奔走する…。

監督はマキノ雅彦、原案は小菅正夫「(旭山動物園)革命−夢を実現した復活プロジェクト」(角川書店刊)、脚本は 興水泰弘、製作は井上泰一、製作総指揮は角川歴彦、製作統括は小畑良治&阿佐美弘恭、エグゼクティブプロデューサーは土川勉、 プロデュースは鍋島壽夫、プロデューサーは坂本忠久、撮影監督は加藤雄大、動物撮影は今津秀邦、美術は小澤秀高、 照明は山川英明、録音は阿部茂、編集は田中愼二、音楽は宇崎竜童&中西長谷雄、音楽プロデューサーは長崎行男。
主題歌『夢になりたい』歌:谷村新司、作詞:谷村新司、作曲:谷村新司、編曲:瀬戸谷芳治。
出演は西田敏行、中村靖日、前田愛、柄本明、岸部一徳、塩見三省、六平直政、笹野高史、平泉成、天海祐希、長門裕之、萬田久子、 とよた真帆、梶原善、吹越満、堀内敬子、麿赤兒、春田純一、木下ほうか、でんでん、石田太郎、久保田磨希、山中聡、林ゆかり、 天現寺竜、高塚玄、吉田守近、真由子、田中章、平野麻美、神尾直子、佐野弥生、 ささの貢斗、中嶋和也、水田吏繊也、林凌雅、吉田翔、平田敬士、田中那樹、早川恭崇、竹原司、多田奈津美、若林佑弥ら。


旭山動物園が再生して日本一の動物園になった実話をモチーフにした作品。
この映画が公開された翌月の2009年3月に定年退職した元園長・小菅正夫の著書『<旭山動物園>革命―夢を実現した復活プロジェクト』 が原案。
滝沢を西田敏行、吉田を中村靖日、真琴を前田愛、 臼井を柄本明、柳原を岸部一徳、砥部を塩見三省、三谷を六平直政、磯貝を笹野高史、上杉を平泉成、韮崎を長門裕之、新市長・平賀鳩子 を萬田久子、三田村を梶原善、動物愛護団体のリーダーを吹越満、早苗を堀内敬子が演じている。
監督は、これが3作目となるマキノ雅彦(津川雅彦が監督を務める時の変名)。

新しくやって来た若い飼育係が中村靖日という時点で、「観客動員とか何も考えてねえだろ」と言いたくなるよな。
中村靖日は味のある役者だとは思うけど、そこは安いドラマなら主役を張ってもおかしくないようなタイプの若手俳優がやるべき ポジションでしょ。永遠の脇役俳優である中村靖日に任せるポジションじゃないよ。
訴求力も考えて、イケメンを起用しないと。
っていうか、彼が入る前の飼育員の顔触れが長門裕之、六平直政、塩見三省、岸部一徳、柄本明って、なんちゅう平均年齢の高い動物園 だよ。
若い奴がいないというレベルじゃなくて、30代や40代の飼育員もいないんだぜ。
動物園だけじゃなく、飼育員も老朽化しとるぞ。

チンパンジーのダイゴがやって来て、みんなで眺める中、三谷が「ちゃんと繁殖させるよ」と言ったタイミングで、吉田がセミの真似を して木の上で小便をさせられるというイジメを受けていた少年時代を思い出すのだが、繋がりがサッパリ分からん。
どういう連想なんだ、それは。
チンパンジーが木に捕まっているから、そこからの連想ってことか。
だとしても、無理があるなあ。

ジェットコースターが設置され、動物愛護団体が乗り込み、トラを見に来た祖父と少年がいるという辺りは、それらのエピソードがまるで コラージュのように切り貼りされており、ドラマとしての流れを全く生み出そうとしない。
そもそも、吉田が就職するところから物語が始まったのに、彼がストーリーテラーになることも無く、彼の成長を通して動物園の再生を 描く形にもならないってのは、どうしたことか。
それなら、吉田のようなポジションのキャラクターは要らないでしょ。

まず動物園が老朽化していること、そして閑古鳥が鳴いていることのアピールが充分とは言い難い。
冬の観察会をやった後も客が増えていないことなんて、三田村が指摘するまで伝わってこない。
ビフォーが印象付けられていないと、動物園が盛況になっても、その差が伝わりにくい。
そこはギャップを際立たせるための作業をもう少し丁寧にやってくれないと困る。

滝沢がミドリガメのことで動物愛護団体の無知を批判するシーンがあるが、彼の演説が終わるとスパッと切って、すぐに次のシーンへ移行 してしまう。
話を聞いていた吉田や真琴の表情を捉えることが無い。
だけど、そこでの反応は必須じゃないのか。
あと、そこでBGMがやたらと感動的に盛り上げようとするが、大げさすぎて、逆に気持ちが冷める。
そんなに感動的なシーンでもないし。

滝沢が冬の開園を提案して磯貝に「客なんか来ない」と言われると、すぐに冬の観察会のシーンへ移る。
それを始める経緯はバッサリと省略されている。
その観察会に真琴が現れた後、いつの間にか彼女は動物園で働いている。
とにかくシーンが次から次へと進んで行き、とても慌ただしい。
シーンとシーンの繋がりも悪いし、色んなことに目を配りすぎて、焦点が全く定まっていない。

動物園に反対していた真琴が、そこで働くようになるというのは、ベタかもしれないが、しかし使える素材だ。
なのに、まるで活かそうとしていない。
それはまるで、釣ったばかりの魚を黒焦げになるまで焼いて、そこにチョコレートとジャムをベッタリと塗りたくってしまう ぐらいデタラメで適当な調理法だ。
まず何より、滝沢の批判に対する彼女の反応を見せない時点でアウトでしょ。
それを見せていないから、彼女の心変わりがギクシャクしたものに感じられてしまう。
っていうか吉田と真琴って、どっちも視点にすべきキャラなので、どっちか片方は要らないよな。
まあ、どっちも視点として使っていないから、結果的には両方とも要らない存在になってるけど。

「最初は仕事に不慣れで動物にビビっていた吉田が、失敗を繰り返しながらも少しずつ飼育員として成長していく」というドラマは、全く 描かれない。
いつの間にか、彼は特に問題も無く飼育員として働くようになっている。
真琴にしても同様で、彼女が動物園に馴染んでいく経緯は全く描かれず、あっという間に「動物園の飼育員たち」というアンサンブルの中 に混ぜられている。

滝沢たちが行動展示について語り合うシーンが来るので、そこから行動展示のための行動が開始されるのかと思いきや、流れをバッサリと 断ち切って、チンパンジーのパピーが妊娠中毒になるというエピソードに移ってしまう。
もう構成がメチャクチャだ。
おまけに、そのエピソード、パピーが出産して浮かれた韮崎がゾウに踏み殺されるというボンクラな展開が待っている。
なんだ、その展開は。
それは悲劇として描いているつもりかもしれんが、単に韮崎がバカだとしか思えない。

その後、吉田は「近付きすぎた報いです」と死人に鞭打つようなことを言い出し、それに対して滝沢が「お前如きが」と怒鳴るという展開 に移っていくが、「そんなことより動物園の再生を描けよ」とイライラしてくる。
この映画で描かれる苦労話は、動物園再生への取り組みにおける苦労話じゃないんだよね。
動物を飼育する中での出来事ばかりを描こうとしていて、再生への経緯は、たまに触れるという程度。
そこに焦点は当たっていない。
まあ、どこにも焦点は当たってないんだけど。

韮崎の墓参りシーンの後、年間入場者数が最低になったことが示される。しかも前年からの下がり幅を見ると、それまでで最も落ち込んで いる。
ってことは、冬の観察会も、ワンポイント・ガイドも、まるで効果が無かったどころか、むしろマイナスに作用してるという風に 解釈できてしまうぞ。
実際に思ったような効果が出なかったとしても、そういうのを劇中で描くのはどうなのよ。こっちとしては、それらの新しい試みがプラス になることを期待しているのに、その裏切りは要らないわ。
そういう展開を、どうしても描きたいのなら、そこで滝沢が落ち込む様子を見せるんじゃなくて、「今は効果が出ないが、続けていれば 必ずお客さんには伝わる、そして入園者数も増えて行くはずだ」という信念や情熱といった前向きな姿勢を描いた方がいいんじゃないのか 。
っていうか、そもそも、冬の観察会やワンポイント・ガイドのように新しい試みを実施しても、それがいかに素晴らしいものなのかと いう魅力が全く伝わってこないし。

滝沢たちが動物園を存続させるための活動に諦念を感じ始めた頃、廃園に反対する大勢の市民がデモ隊となって市庁舎に押し掛けるという 展開が待っている。
だが、すげえ陳腐な展開に思えるし、この映画で描くべきは、そんなことなのかと首をかしげたくもなる。
しかも、そうやって大勢の市民が廃園に反対して、その後で入園者数が増えるのかというと、相変わらず閑古鳥なのだ。

新市長が誕生してからの展開は、「活気的なアイデアよりも、信念や情熱よりも、結局は予算がモノを言う」という話に感じられる。
で、行動展示が実施されるまでの経緯や取り組みは、ほとんど描かれていない。
それがいかに画期的で素晴らしいことなのかも伝わらない。
そして、行動展示の実施は歌に乗せたダイジェストでサラッと処理され、何だか良く分からない内に月間入場者数が日本一になっている。
「努力が実り、少しずつ客が増えていき」という高揚感や充足感は、まるで味わうことが出来ない。

マキノ監督が間違っているのは(と断言してしまうが)、苦労話にしか興味が無くて、それが報われることには関心を示さないってことだ 。
さんざん苦労した時期があったのなら、それに見合うだけの成功が描かれないと、カタルシスは味わえないのよ。
っていうか、苦労話の描写も、すげえ淡白だし、そして粗いし。
だから、そこでの飼育員の苦労や辛さ、悲しみも、あまり伝わってこない。
それに、苦労話の多くは動物の飼育に関するモノで、動物園再生に取り組む中での苦労は薄いんだよな。

ちなみに、タイトルには「ペンギンが空をとぶ」とあるが、「それは実際に空を飛ぶわけじゃなくて、水の中を泳ぐペンギンはまるで空を 飛ぶジェット機であり、行動展示でペンギンが泳ぐ様子を見せるのを、そういう風に表現しただけ」と思ったかもしれない。
しかし、なんと実際にペンギンは劇中で空を飛んでいるのだ。
アカハナグマの綱渡りを見た吉田が感動した後、ペンギンが空へ舞い上がる様子がCGで描かれるのだ。
正直、何のつもりなのかサッパリだ。

(観賞日:2010年5月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会