『あさひなぐ』:2017、日本

二ツ坂高等学校に入学した東島旭は登校途中、露出狂の男に股間を見せられた。旭が困惑しながら股間を凝視していると2年生の宮路真春が現れた。彼女は男を蹴り飛ばして撃退し、旭を鋭く見据えて「ガン見してんな、変態」と言い放った。二ツ坂高校は男子が少なく、旭のクラスでは全員が女子だった。友人2人は「部活で探すか」と漏らし、旭に「また美術部?」と問い掛ける。旭が高校に入ったら運動部を選ぶつもりだと知った、友人たちは、男子の多いテニス部にしようと誘った。
部活動を紹介する集会に参加した旭は、薙刀部のパフォーマンスを見る。薙刀部2年の野上えりと大倉文乃、3年の水野沙織、大友明子、井上淳子、栗田紀子、猪又恵は「リズムなぎなた」と称し、童謡の『ぶんぶんぶん』に合わせてダンスを披露した。「なんか綺麗」と旭が呟くと、友人たちは困惑した。最後の決めポーズで旭が笑うと、マイクを握っていた薙刀部の真春が壇上に移動し、「今笑った1年、手を挙げなさい」と凄んだ。
真春は全員に目を閉じるよう要求し、改めて挙手を命じた。すると旭、八十村将子、紺野さくらの3人だけが、正直に手を挙げた。3人は放課後に武道場へ来るよう指示され、素直に応じた。すると薙刀部の先輩たちは笑顔で歓迎し、着替えるよう促した。将子は生意気な態度を見せ、太っている文乃を馬鹿にした。中学でバレーボール部だったさくらはお嬢様気質で、容姿に自信を持っていた。真春と淳子が練習試合を見せ、えりがルールを解説した。真春の姿に見惚れた旭が「私でも、あんな風になれますか」と口にすると、えりは「全然なれるよ。薙刀は高校部活界におけるアメリカン・ドリームなの」と告げる。
1年生の3人が入部し、薙刀部の練習が始まった。最初は基礎体力を付けるためのアヒル歩きからで、旭たちは早々と疲れてしまう。旭は宮路夏之という男子生徒の視線が気になり、転倒して鼻血を出してしまう。平地だけでなく坂道でもアヒル歩きをさせられ、ようやく3人は薙刀を持たせてもらった。翌日から薙刀を使った練習が始まるが、旭は扱いが分からず最初は苦労する。えりは1年生に、真春が小学生の頃から薙刀をやっていること、インターハイでは彼女が中心選手であることを語った。
薙刀部の顧問は男性教師の小林だが、練習には全く顔を出さなかった。顧問とは名ばかりで薙刀については何も知らず、部員からは金ヅル呼ばわりされていた。旭は夏之と遭遇し、「鼻血、止まった?薙刀部、慣れた?」と声を掛けられる。旭は緊張した面持ちで、「なかなか慣れないけど楽しいです」と答えた。インターハイ予選の日、小林と同行して会場の東京武道館へ向かうのは旭と真春だけだった。東京都予選会に参加したのは7校で、全日本なぎなた連盟理事の依田が挨拶した。
えりは旭たちに、「3つ勝てば東京1位でインターハイ。今年はチャンスだよ」と言う。二ツ坂高校の出場メンバーは、3年生が4人で下級生は真春だけだ。二ツ坂高校は決勝まで残り、國陵高校と対戦した。國陵には熊本県から来た1年生の一堂寧々が所属しており、依田は真春と彼女に注目していた。試合は中堅を終わって五分となり、副将戦で真春が寒河江純と対戦する。寒河江の粘りで真春は1本しか取ることが出来ず、大将戦で淳子が寧々に2本を取られて敗れた。
試合後、真春が「私がもう1本取れなかったから」と頭を下げると、3年生たちは気丈に振る舞って笑顔を見せた。彼女たちは「打ち上げするから」と後輩たちを去らせた後、我慢できずに泣き出した。旭は落ち込む部員たちに、「元気出しましょう。一堂寧々なんて来年、私がぶちのめしてやりますから」と言う。すると寧々が通り掛かり、「楽しみにしとるけん」と睨んで立ち去った。えりが部長に指名された薙刀部は、気合を入れ直して練習に励んだ。
旭は居残り練習を始めるが、体重ばかり増えるので落胆する。真春が「ちゃんと薙刀をやる体になってきたってこと」と言うと、旭は将子とさくらに比べて自分は劣っていると吐露する。真春は「それぞれの薙刀があると思うんだよね。アンタに向いてる薙刀を教えてあげる」と告げ、薙刀を素早く持ち替えて相手の足を打つ抜き技を教えた。恐怖を感じる旭に、彼女は「そんなの相手も同じ。強い振りたいなら無茶をするの」と説いた。真春の家へ招かれた旭は、夏之が彼女の弟だと知って驚いた。旭のコテが痛んでいたので、真春は夏之に修繕を指示した。夏之も以前は薙刀部員だったが、真昼を見て辞めたと旭に話す。彼は旭と手の大きさが同じだと気付き、自分の使っていたコテをプレゼントした。
夏の暑さに部員たちが苦しむのを見た小林は、合宿を提案した。彼はバーベキューも出来る楽しい合宿だと説明し、部員たちは賛成した。しかし実際に行ってみると、合宿の場所は山の上にある白滝院という尼寺だった。住職の寿慶は、長い石段を3分で登り切らなければ帰れと鋭く告げた。部員たちは何とか3分以内に寺へ辿り着き、寿慶と副住職の郁林の自己紹介を受けた。小林は部員たちを寺に預け、早々に立ち去った。寿慶は稽古の相手を引き受け、厳しい態度で部員たちを追い込んだ。
怯えた様子で立ち会った旭は、寿慶の気合いだけで腰を抜かしてしまった。寿慶は旭に井戸の水汲みを命じ、他の面々には「死ぬ気でやるなら残れ」と告げる。将子が一歩前に出ると、彼女は境内5周のランニングを命じた。他の部員たちがスパルタ特訓を受ける中、1人だけ水汲み作業をさせられた旭は「私もやりたかったな、薙刀」と涙をこぼした。翌朝、さくらは密かに逃げ出そうとするが、旭の水汲み作を見て思い留まった。
旭は寿慶に午後から武道場へ来るよう言われ、喜んで稽古に参加した。しかし他の部員は肉が食べたくなり、我慢できずに寺を抜け出そうと目論む。寿慶は部員たちの動きを読んで寺の門を閉じており、明日は夜明けから稽古を始めると通告した。合宿5日目に寿慶は円陣稽古を指示し、部員たちは彼女が終わらせるまで続くことを知った。真春は寿慶から後輩を気に掛ける余裕も無いことを指摘されて、「自分のことしか考えてませんから。私の役目は目の前の壁を壊してみせること。それだけです」と話した。「傲慢な女だ」と言われた彼女は、「長所です」と反発した。
疲労困憊となった旭は寿慶に「お前はこの5日間、何をしてきた」と言われ、水汲み作業を思い出した。旭の重心は低くなり、寿慶から抜き技で1本を取る。合宿を終えた部員たちが寺を去ろうとすると、寿慶は真春に「お前の傲慢さは長所だが、長所は弱点にも成り得る」と忠告した。秋の新人戦は3人制で、1校につき2チームまでが出場できる。二ツ坂高校は6人全員が参加できることになり、小林は勝手に1年生チームと2年生チームでエントリーした。
1年生チームは将子が引き分けで、さくらは勝利を収めた。最後の旭は緊張で冷静さを失い、先に1本を失った。しかし真春の声で落ち着きを取り戻した彼女は勝利し、1年生チームはベスト4まで進む。一方、2年生チームも勝ち進み、國陵と対戦する。先鋒の文乃は引き分けに終わるが、えりは「作戦通り」と言う。彼女は真春が寧々に勝つと計算し、自分は絶対に負けない試合を心掛けた。彼女は自分から攻撃を仕掛けず、狙い通りに引き分けで試合を終わらせた。しかし後を任された真春は動きが硬く、寧々に敗北を喫した…。

脚本・監督は英勉、原作は こざき亜衣「あさひなぐ」(小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」連載中)、製作は大田圭二&水野道訓&高木伸二&北川謙二&秋元伸介&久保雅一、エグゼクティブプロデューサーは古澤佳寛、企画・プロデュースは上野裕平、プロデューサーは金森孝宏&梶原富治&林辰郎、協力プロデューサーは岡本順哉&知久敦、撮影は江崎朋生、照明は蒔苗友一郎、録音は益子宏明、美術は根古屋史彦、編集は相良直一郎、音楽は未知瑠。
主題歌「いつかできるから今日できる」乃木坂46 作詞:秋元康、作曲:Akira Sunset&京田誠一、編曲:京田誠一&Akira Sunset。
出演は西野七瀬、桜井玲香、松村沙友理、白石麻衣、伊藤万理華、富田望生、生田絵梨花、江口のりこ、角替和枝、中村倫也、森永悠希、松本妃代、岡野真也、江田友莉亜、紀咲凪、北原帆夏、樋口柚子、緒方もも、宮田祐奈、松田佳央理、中田花奈、斉藤優里、藤谷理子、吉川靖子、池田夏希、加賀成一(コントユニット 大人のカフェ)、飯野智司(コントユニット 大人のカフェ)、北川尚弥、木下桜ら。


こざき亜衣の同名漫画を基にした作品。
東宝が実写版映画だけでなく舞台も同時展開するプロジェクトとして企画し、いずれも乃木坂46のメンバーが出演した。
脚本&監督は『貞子3D』『ヒロイン失格』の英勉。
旭を西野七瀬、将子を桜井玲香、さくらを松村沙友理、真春を白石麻衣、えりを伊藤万理華、文乃を富田望生、寧々を生田絵梨花、寿慶を江口のりこ、依田を角替和枝、小林を中村倫也、夏之を森永悠希、沙織を松本妃代、明子を岡野真也、淳子を江田友莉亜、紀子を紀咲凪、恵を北原帆夏が演じている。

そういう競技だから仕方が無いんだけど、薙刀の試合をする際には必ず面を付けるので、顔が見えなくて誰が誰なのか分からない。対戦していても、どっちがどっちか判別が難しくなる。防具に名前は書いてあるけど、それを頼りにしなきゃいけなくなるのは大変だ。
また、表情が見えないので、どういう状態なのか伝わって来ないという大きな問題もある。例えば苦戦しているように見えたとして、本人がどう捉えているのか分からない。
秋の新人戦で面を透過して旭の表情が見えるというシーンがあるが、1度だけなので浮いている。
「ここぞという時だけ」というサム・ペキンパーのスローモーション的な狙いがあったのかもしれないが、完全に外している。

原作の熱烈なファンには、全くオススメできない作品だ。
なぜなら、これは「原作の実写映画化」よりも「乃木坂46のアイドル映画」としての色が圧倒的に濃いからだ。
もしかすると、企画としては「まず原作ありき」で後から乃木坂46の起用が決まったのかもしれないが、結果的には「乃木坂46のアイドル映画のために人気漫画を利用した」という形になっている。
旭は旭じゃなくて「旭と呼ばれる西野七瀬」でしかないし、将子は将子じゃなくて「将子と呼ばれる桜井玲香」にしか見えない。
西野七瀬だけならともかく薙刀部の大半が乃木坂46のメンバーなので、「乃木坂46」としての印象が強くなってしまう。

原作付き映画の主演にアイドルを起用することには、功罪の両面がある。どちらが強く出るかは、作品の規模や企画の内容による。
製作費が安い場合や、あまり有名ではない原作を使う場合は、アイドルの訴求力が強みになるだろう。しかし原作が充分すぎる人気を持っている場合、そこで期待できる訴求力を「アイドル映画」としての色が邪魔してしまうリスクもある。
この映画の場合、デメリットの方が遥かに大きくなってしまった。
乃木坂46のアイドル映画にせずに、例えば広瀬すずが主演を務めていたら、 『ちはやふる』のようにシリーズ化されたかもしれない、と感じてしまった。

映画にとって伴奏音楽は、とても大切な存在だ。どんな楽曲を流すかによって、あるいは音楽を流すか流さないかによって、印象は大きく変化する。
あまり過剰に音楽が盛り上がると、観客の気持ちが冷めてしまう恐れもある。逆に、音楽が流れないことで、感動が物足りなく感じる可能性もある。
監督によっては自分が好きなジャンルの曲を選ぶ人もいるし、出来るだけ音楽を排除しようとする人もいる。
そこは監督の志向やセンスが分かりやすく表れる部分と言えよう。

そんな伴奏音楽の力が、この映画はある意味でとても強い。何しろ、ほとんどのシーンで音楽が流れるのだ。
通常の映画だと、「ここでドラマを盛り上げたい」とか「ここで観客の気持ちを刺激したい」とか、そういうタイミングを見計らって音楽を流すものだ。つまり、「伴奏音楽が無い状態」が基本となっているのが大抵の映画だ。
しかし本作品は、それが逆になっている。
もちろん曲調に変化はあるので、「ここは盛り上がるトコ」とか「ここは感傷的になるトコ」という意図はあるんだろう。ただ、それ以上に「ずっと鳴ってるな」という印象が強すぎて、気持ちは冷めてしまう。
しかも乃木坂46の楽曲を並べて長尺のMV風にしているわけではないので、「アイドル映画としての仕掛け」ということでもないのだ。

薙刀部の面々は、どれだけ練習を積んでも全く髪が乱れないし、夏場に気温が上がっても全く汗をかかない。そのせいで、「必死で努力を重ねて成長した」ということが全く伝わらない。
展開としては「強くなりました」という形なのだが、そこが完全なる絵空事と化している。
「汗をかいたらメイクが落ちるし、髪が乱れたら可愛く見えない」という理由で、そういう映像を徹底して排除したのかもしれない。しかし基本的にスポ根物なので、そういう表現の不足は致命的な欠点と言ってもいい。
ひょっとすると乃木坂46のメンバーは撮影に向けて、薙刀の練習を必死で重ねていたのかもしれない。
しかし前述した「表現の不足」が原因で、映画を見る限りは、ただの「ごっこ遊び」にしか見えないのだ。

っていうか実際、「苦しい稽古を積んで部員たちが少しずつ成長していく」という印象は、これっぽっちも受けない。
まず旭が新入りの頃は、5分ほど練習風景が描かれるだけ。「最初は不慣れだった薙刀の扱いが少しずつ上達していく」とか、「技術が向上していく」という様子は、全く描かれていない。
また、彼女は試合に1度も参加していないし、練習試合のシーンで彼女のレベルを見せることも無い。そのため、薙刀部員としての成長度合いは、まるで分からない。
夏になると合宿があるけど、それぐらいしか練習を積むシーンは無い。しかし、大して練習もしていないのに、あっという間に旭は強くなってしまう。
旭が真春から教わった抜き技を稽古する様子も無いので、寿慶から一本取るのも違和感が強いし。

アヒル歩きで坂道を登り終えた1年生部員に先輩たちは夕景を見せ、「いい景色でしょ。最後まで登り切った人だけが見れるんだよね」と言う。
そこはBGMを流して、「景色を見た旭たちは感動的な気持ちになっている」ってことを表現しようとしている。
ただ、辛い練習の末に、そんな景色を見ただけで何も感動できることなんて無いだろう。実際、旭たちに感動の様子は無い。
そもそも、そんなに心を持って行かれるほど素晴らしい景色でもないしね。

真春は旭に抜き技を教える際、「背の低いアンタにも向いてるし」と言う。足を狙う技なので、背が低い選手に向いている技ってことだ。
ただ、「でも旭って、そんなに背が低いわけじゃないよね」とツッコミを入れたくなる。そのシーンまでに、「旭は背が低い」と紹介しているシーンなんて無かったはずだし。
それに演じている西野七瀬も、他の面々と比べて身長が低いわけじゃないんだよね。
本人の身長が低くないにしても、そういう設定があるのなら、観客に低いと思わせるための作業は必要なはず。だけど、そういうトコは完全に無視しているのよね。
たぶん「丁寧な作業」なんて言葉は、英勉監督の辞書に掲載されていないのだろう。

3年生はインターハイ予選の優勝を逃しても気丈に振る舞い、下級生を去らせた後で我慢できずに泣き出す。
そんな先輩たちの悔しさを知り、下級生たちは「頑張ろう」という気持ちになる。
そうやって書くと感動的なシーンに思えるかもしれないが、実際は心を揺るがす力が全く足りていない。
何しろ、3年生部員は誰が誰なのか全く分からない程度の紹介してされていないし、旭が個人的に親しくなるようなキャラもいないのだ。

そんな3年生が薙刀部を抜けて、あっという間に夏が訪れる。
もちろん月日の省略はあっていいのだが、それが慌ただしく思えてしまう。
「時間に追われている」という印象は、最初から最後まで続く。それは長編漫画を映画化する際、多くの作品が解消できない問題だ。
簡単な解決方法など無いが、例えば2部作やシリーズ作品にするケースもあるし、原作の一部だけを切り取って映画化するケースもある。
この作品の場合、そこの処理は完全に失敗している。

寺での修行に突入すると、旭は水汲みを命じられて涙をこぼす。
だが、そこまで彼女の薙刀に対する熱い思いが盛り上がっているようには思えないので、そこで泣くのは「まるでドラマが伴っていない段取り芝居」でしかない。
逃げ出そうとしたさくらが旭の水汲み作業を見て思い留まるのも、やはり人物描写、ドラマ描写が全く足りていないため、「やりたいことに中身が追い付いていない」という状態だ。
時間が足りないから、それぞれのキャラの描写もおのずと薄っぺらくなってしまう。

合宿を終えた部員たちが帰りのバスで泣き出すのは、「辛い稽古がようやく終わった」「緊張から解放された」という感情が湧き出してのことなのだ。
しかし「厳しい稽古で気持ちがずっと張り詰めていた」ってことが全く表現できていないから、まるでピンと来ない。
用意された段取りに、内容が著しく不足しているのだ。
そもそも乃木坂46のメンバーは演技力が高いわけじゃないのだから、シナリオや演出が頑張って補わなきゃ厳しいのに、そっち側が下がって彼女たちのレベルに寄せているかのような状態だ。

コメディーの要素もあるのだが、笑いを狙いに行っている箇所の大半は外している。
ひょっとすると、それは「原作にあったシーンをそのまま実写化している」ということなのかもしれない。ただ、「漫画だと笑えても映像化すると笑えない」ということは珍しくもないわけで。
だから、それが実写映画化した時に笑えないと感じたら排除した方がいいし、あるいは全く別のネタを持ち込んだ方がいい。
だけど、そういうトコも丁寧に考えず、とりあえず適当にやっているんだろう。
もしも「コメディー描写は全て映画オリジナル」ってことだったとしたら、もっと問題は深刻だし。

ここまでは批判的なことばかり書いてきたが、じゃあ何の見所も無い駄作なのかというと、それは絶対に違うと断言できる。
前述したように「乃木坂46のアイドル映画」としての色が濃いのだが、そういう捉え方をした場合、充分に観賞価値のある作品なのだ。
ハッキリ言って、シナリオも演出も出来栄えが優れているとはお世辞にも言い難い。
ただ、「乃木坂46のメンバーが可愛い」という部分が圧倒的な魅力を放っていて、そこが本作品の大きな見所となっているのだ。

この映画では、乃木坂46というアイドルの瑞々しさや若さといった要素がキラキラと輝いている。「可愛いは正義」という言葉が簡単に思い付くほど、彼女たちの魅力が弾けまくっている。
だから乃木坂46のファンであれば、文句なしに楽しめることは保証できる。
それと、やっぱり江口のりこは素晴らしい女優ってことを、改めて感じさせられる作品ではあった。
ずっと私は「伊藤歩と江口のりこは過小評価されている」と思っているのだが、その考えが間違いないと改めて感じさせられる作品ではあった。

(観賞日:2019年3月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会