『ある兵士の賭け』:1970、日本

1960年12月14日、午前6時40分。野戦装備を着けた日本駐留の米兵2人が神奈川県座間キャンプから九州の別府市まで、行程1321キロを2週間で踏破するために出発した。計画を発表したのは陸軍大尉のクラーク・J・アレンで、同行するのは特技兵のデニス・ディクソンである。一日平均100キロという強行軍で、アレンは事前に賭けを発表していた。全世界の将兵から650ドルが集まり、失敗すれば半額が返還され、成功すれば別府市の養護施設「白菊寮」に全額が寄付される。アレンは妻のケリーたちに見送られ、歩き始めた。
報道カメラマンの北林宏は新聞記事でアレンの計画を知り、基地に取材してコースを教えてもらった。アレンはディクソンから歩く理由を訊かれても、何も答えなかった。「白菊寮でなくても、養護施設なら近くにあります」とディクソンが言うと、彼は「着けば分かる」と口にした。アレンは食事や休憩を除くと、途中で観光を楽しむこともせず、ひたすら歩き続けた。ディクソンは楽しみを見つけたり、もう少し体に優しい行動を望んだりしたが、アレンは険しい顔で別府を目指した。
列車でアレンを追った北林は、過去を回想した。1952年、朝鮮。カメラマンとして戦場に入った彼は、砲撃を受けて米機軍の防空壕に飛び込んだ。外にカメラを落とした北林は取りに戻ることが出来ず、アレンが紐を使って回収してくれた。現在。北林はアレンたちを発見し、後を追った。アレンが火葬場で休息を取ろうとすると、彼は「君は罪も無い人間を殺し、幼い子を孤児にした。何とも思わんのかね。何の権利があって、孤児たちの英雄になる?」と詰問した。
北林はアレンを厳しく批判し、「君こそアメリカだ」と指摘する。アレンは全く表情を変えず、静かな口調で「何を言おうと君の自由だが、歩いているのは私の国ではなく、2人の男だ」と言う。北林は納得せず、「覚えておけ。あの日に朝鮮で起こったことは抹消できない」と述べた。アレンの部隊が朝鮮で人気の無い村に入った時、隠れていた敵から銃撃を受けた。部隊は応戦し、敵兵を倒した。藁の山から人の気配がしたため、アレンは出て来るよう呼び掛けた。しかし応答は無く、部下が銃撃した。藁の向こうにいたのは民間人の夫婦で、幼い息子だけが生き残った。部隊に同行していた北林は激高し、アレンを殴り付けた。
北林は「私が新聞に発表しようか。君は何も思わないのか」と責めるが、アレンは沈黙を貫いた。5日目、名古屋に入ったアレンは、なぜ旅に出たのかとディクソンに尋ねる。ディクソンは志願したと答え、詳細を明かした。彼は仲間と話した時、誰にも負けないと吹聴した。その流れで仲間が「彼が志願します」と言い出したため、断り切れなかったのだ。その日の内に、2人は京都に入った。6日目、喉の渇きが我慢できなかったディクソンはビール工場に立ち寄るが、アレンに見つかって連れ戻された。
7日目、アレンとディクソンは姫路に入った。一方、北林は大分合同新聞で編集局長を務める先輩の衣笠忠夫を訪ね、アレンの調査を依頼した。衣笠が「今回の旅は売名行為じゃ出来ない」とアレンを称賛すると、北林は「朝鮮で罪の無い農民を殺し、その子供を孤児にした」と語る。その時に撮った写真で北林は報道大賞を受賞しており、孤児の正面で自動小銃を持つ兵士がアレンだと述べた。さらに北林は、アレンに旅を止めさせたいのだと語った。
衣笠は出来る限りの資料を集めると北林に約束し、白菊寮を見に行くよう勧めた。北林は白菊寮を訪れ、寮母の山田しげと会った。しげは彼に、アレンの行動は新聞で初めて知ったと話す。今から5〜6年前、ケイ少尉が率いる善意の奉仕隊が白菊寮に現れ。ペンキで家の外壁を塗ってくれた。その中にアレンがいたのだと、しげは語る。それ以来、アレンは白菊寮に通い、子供たちの遊び相手になった。母親に捨てられて荒れていたタケシという少年も、アレンのおかげで心を開いた。
アレンは子供たちにプレゼントを贈りたいと言い、何が欲しいのか尋ねた。タケシが「雨漏りしない家が欲しい」と告げると、全員が賛同した。しげは北林に、アレンはインディアンの血が混じった孤児だったと教えた。アレンの何が知りたいのかと質問された北林は、本当の気持ちだと答えた。すると、しげは「それは神様だけが御存知ではないでしょうか」と告げた。雨の中を歩き続けたディクソンは高熱を出し、アレンは町まで運ぼうとする。そこへ滝口節子という女性が通り掛かり、車で病院に運んでくれた。医師は数日で回復すると言い、節子はディクソンの世話を買って出た。
アレンはディクソンを病院に残し、1人で旅を続けた。10日目には広島に入り、玖珂町へ向かう途中で米穀店の娘に道を尋ねた。村で火事を目撃した彼は、近所の住民に知らせた。消防団が駆け付けるのを確認し、アレンは現場を去った。11日目、徳山出光コンビナートを通過し、アレンは先へ進んだ。一方、退院したディクソンは節子の車に乗せてもらい、アレンの元へ向かった。クリスマス・イヴになったのでアレンは妻に電話を掛け、車のトランクに子供たちへのプレゼントが入っていることを伝えた。
12日目、ディクソンはアレンを発見し、節子に別れを告げた。夜道を歩いている途中、アレンは崖下へ転落してしまった。ディクソンは通り掛かったトラック運転手たちに呼び掛け、転落したアレンを発見した。13日目、アレンは怪我を負った右足を引きずりながら歩き続け、関門海峡に辿り着いた。ディクソンから「なぜこんな苦労をするんです?と訊かれたアレンは、「白菊寮はどこにもある養護施設とは違う。もっと意義がある」と答えた…。/font>

監監督はキース・エリック・バード(キース・ラーセン)、ストーリーはジェームス三木、脚本はヴィンセント・フォートレー&猪又憲吾、製作総指揮は石原裕次郎&中井景、プロダクション・スーパーバイザーは小林正彦、アソシエイト・プロデューサーはヨダ・ヨシオ&山野井正則、製作は奥田喜久丸、共同監督は千野皓司&白井伸明、撮影は金宇満司&奥村裕治&西山東男、編集は渡辺士郎、美術は松井敏行、照明は椎葉昇、録音は坂田徹、音楽は山本直純。
出演はデール・ロバートソン、石原裕次郎、フランク・シナトラJr.、ディナ・メリル、新珠三千代、キース・ラーセン、浅丘ルリ子、三船敏郎ら。


石原プロモーションが『富士山頂』『愛の化石』に続いて製作した映画で、実話を基にしている。
ちなみに1970年の石原プロは、『富士山頂』『愛の化石』『ある兵士の賭け』『エベレスト大滑降』と、4本の映画を送り出している。前2作は石原裕次郎の古巣である日活の配給だったが、本作品は前年の『栄光への5000キロ』と同じく松竹の配給。
アレンをデール・ロバートソン、北林を石原裕次郎、ディクソンをフランク・シナトラJr.、ケリーをディナ・メリル、山田を新珠三千代、ホワイト大尉をキース・ラーセン、節子を浅丘ルリ子、衣笠を三船敏郎が演じている。
フランク・シナトラJr.は、あのフランク・シナトラの長男だ。

監督のキース・エリック・バード(キース・ラーセン)は、ハリウッド映画の役者として『騎兵隊突撃』や『赤い谷』など西部劇を中心に活動していた人物。監督を務めるのは、1968年の『Mission Batangas』に続いて2作目。
共同監督として『喜劇 東京の田舎ッぺ』の千野皓司と、本作品がデビューとなる白井伸明の名前がクレジットされている。
当初は千野が共同監督だったが途中で降板し、助監督の白井伸明が後を引き継いだらしい。
脚本の猪又憲吾は、これがデビュー作。

完全に「アメリカ映画」の体裁を取っており、スタッフとキャストは全て英語表記。石原プロモーションは「ISHIHARA PROMOTION」ではなく「ISHIHARA INTERNATIONAL PRODUCTIONS」と表記される。
オープニングで主要キャストは表記されるが、全キャストは表記されない。
医者役役の信欣三、米穀店の娘役の渚まゆみなども表記が無い。アレンの娘や息子、朝鮮時代のアレンの部下を演じた出演者なんかの名前も表記されない。
ちなみにアレンの息子を演じているのは、キース・ラーセン監督の息子。

北林はアレンを激しく責めるのだが、その理由が良く分からない。まず最初にカメラを回収してもらっているのだが、そんな良い印象もあったはずなのに、そこは完全に無視するのか。だったら、そんな出来事は設定から排除した方がいい。
で、もちろん北林が言うように、アレンは朝鮮人夫婦を射殺して幼い子供が孤児になる結果を生んでいる。でも、あの状況だと止むを得ないんじゃないかと。
これが死んだ両親の友人や身内なら、アレンを憎んで非難するのも分かるよ。だけど同行していた戦場カメラマンの立場で、その反応は違和感が強いぞ。
それならアレンが撃つ前に、反対や抗議の態度を示しておけよ。そこでは傍観していて、いざ「物陰に隠れていたのは民間人でした」と分かった途端に激怒して殴り掛かるってのは、どんな日和見主義者なのかと言いたくなるわ。

アレン自身が朝鮮での出来事を悔いて、どうにかして贖罪したいと思うのは分かる。っていうか、そう思っているからこそ今回の賭けに出たことなんて、かなりのボンクラでも分かることだろ。
それなのに、なぜ現地で見ていた北林が、そんな簡単なことも分からないのか。アレンが英雄になるために賭けを発表したと思い込むとか、オツムが悪すぎるだろ。
取材目的でアレンの旅に同行するキャラを配置するのなら、ここは「過去を知らず、純粋に歩く目的を知りたがる」みたいな設定の方がいいよ。
もし非難させるのなら、当時の状況を知らず、間違った情報だけで誤解している設定にした方がいいし。

とても分かりやすい形、悪い言い方をすると露骨な形で、何度もプロダクト・プレイスメントが実施されている。
戦地で北林が使っているカメラに刻まれたペンタックスの文字がアップで映し出され、アレンは「ペンタックス君」と呼ぶ。
ディクソンが旅の途中で立ち寄るのは、サントリーのビール工場。ちなみに、このシーンはフランク・シナトラJr.に歌わせるという目的もある。
徳山出光コンビナートを通過するのも宣伝だけが目的であり、それ以外の意味は無い。
クリスマス・イヴにアレンが妻に電話を掛けるのは出光のガソリンスタンドであり、出光がスポンサーってことがハッキリと分かる。

都合のいいことに、アレンとディクソンは色んな場所で英語の話せる日本人と出会う。
通学途中の女子高生2人は、ディクソンに応援の声を掛ける。しげは英語が堪能なので、通訳を通さずにアレンと話せている。
ディクソンが高熱を出すと、たまたま英語の話せる節子が通り掛かって病院まで送ってくれる。アレンが玖珂町へ向かう途中では、英語を話せる米穀店の娘が「あと15キロある」と教えてくれる。
そんな感じで何度も英語の喋れるキャラを登場させる意味があるのかというと、ほとんど無い。
しげと節子はともかく、そこで何かしらのドラマが起きるわけでもないしね。

ただ、たまには英語の喋れるキャラを登場させて会話シーンを用意しないと、ただ延々とアレンが歩き続けるだけの話になってしまうのだ。
英語が喋れるか否かってのを抜きにしても、火事のシーンなんかは膨らませる余地もありそうなのに、さっさとアレンと去ってしまう。
単調で退屈な内容になることを回避する狙いで北林を登場させたのかと思ったが、こいつを全く活用できていないし。
ずっとアレンの旅に同行するわけじゃないし、途中からすっかり消えちゃってるし。

アレンが白菊寮に到着したら、もうエンディングに突入して良さそうなモノだ。しかし実際には、まだまだ話が続く。
「1961年春に白菊寮の改築の第一期工工事が着手されたが、建築資金が不足していた」ってことをナレーションで説明し、その年のクリスマスにアレンは寄付を募るために2度目の旅を行う。しかし寄付は3万円しか集まらず、翌年に3度目の募金旅行を行う。
この辺りを全てナレーションベースで説明するが、蛇足にしか思えないのよね。
その間には、北林が戦地へ赴いて写真を撮っていることを示す映像が挿入されるが、これも不細工な演出でしかないし。

その後、アレンはベトナム戦争に行き、カメラマンとして現地へ赴いた北林が捜し出して訪問する。
でも、2人がベトナムで再会して会話を交わす展開とか、全く要らないでしょ。どうせ北林の誤解は、その前に解けているんだし。
ちなみに完全ネタバレだが、アレンは北林と別れた後に敵の攻撃を受けて死亡する。だけど、これもわざわざ描かなくてもいいと思うんだよなあ。
空港でアレンの帰りを待っていたしげに北林が戦死を伝えるシーンなんかも、まるで要らんよ。最初の寄付旅行が終わった後の出来事に関しては、全てテロップで後日談的に処理すればいいんじゃないかと。

(観賞日:2025年2月19日)

 

*ポンコツ映画愛護協会