『アルゼンチンババア』:2007、日本

まだ涌井みつこが小学生だった頃、暮らしている町の外れには、みんなが「アルゼンチンの遺跡」と呼んでいる古いビルがあった。そこの住人は、少し変わった女性だ。アルゼンチンから来て、かつてはタンゴやスペイン語を教えていたが、今は辞めてしまい、頭がおかしくなって変な宗教をやっているとか、集めた猫の皮を剥いで売っているとか、とにかく色んな噂が立っていた。町の人々は彼女のことを、アルゼンチンババアと呼んでいた。
それから10年後、高校生のみつこは、石材店を営む父の悟と2人で暮らしている。母の良子は病気を患い、入院生活を余儀なくされていた。ある日、学校から帰宅したみつこが見舞いに行こうとすると、父は「一人で行って来いや。父さん、今日は」と沈んだ様子で告げた。みつこが一人で病院へ行くと、母は目を閉じたまま鼻から血を流していた。駆け付けた看護婦は、慌てて医師を呼ぶ。みつこは自宅へ電話を掛けるが、悟は受話器を取ろうとしなかった。
みつこは悟の妹・早苗が営むスナックに電話を掛け、事情を説明した。早苗は息子の信一を連れて、病院に駆け付けた。医師が必死の処置を施すが、良子は助からなかった。良子は入院してから毎日欠かさず見舞いに訪れていた悟だが、その日だけは行かなかった。そして良子が死んだ後、悟は行方不明になった。父が不在の中で、みつこは葬儀会社の人間から葬儀の説明を聞かされた。疲労感に打ちひしがれたみつこは、通夜の寿司を運ぶ途中で目に留まった回生堂治療院に入った。既に営業時間は終わっていたが、見習いの向井守はみつこの様子を見て「僕で良かったら」と告げた。マッサージを受けながら、みつこは泣き出した。
うなぎ料理店「白井屋」を営む白井順三は、愛人であるスナック店員の美鈴を車に乗せて走っていた。畦道にタイヤがハマって車が停止し、外に出た美鈴は近くにあるアルゼンチンババアの屋敷を覗き込む。すると敷地内には、涌井石材店のトラックが停まっていた。回生堂で見習いとして働き始めているみつこの元に、白井は電話を入れた。白井屋には早苗、信一、テイラーの大木戸哲、酒店を営む伊勢賢二が集まった。警察官の犬塚幸吉が来て「ちょっと困った事態が。みつこさんには、慎重に伝えなければいけません」と言うので、白井は回生堂に電話を入れたことを話す。すると犬塚は、「そりゃマズいなあ」と口にした。
ユリの屋敷を訪れたみつこは、庭に置いてある箱から蜂の群れが飛び出したので慌てる。逃げ出した彼女は、玄関の扉に激突した。その音で出て来たユリは、相手がみつこであることを確認すると抱き締めて「お母さんのこと、辛かったねえ」と告げた。意識を失ったみつこが目を覚ますと、ユリの屋敷で寝かされていた。みつこが屋上へ行くと、悟が石を掘っていた。軽い口調で「よっ」と言う父に、みつこは「ずっとここに居たの?」と訊く。「おお」と答える悟に、みつこは「連絡ぐらいしてよ」と告げた。
みつこが「何か言うことあるんじゃない?」と言うと、悟は「曼荼羅って知ってるか」と問い掛けた。「宇宙は、平面じゃなくて時間もねえんだ。その代わり、何層にもなってる。からくり箱みたいなもんだ。時間も何もかもひっくるめて、全ての部分に通じているんだ。それを何とか表そうとしたのが曼荼羅じゃないかと思ってな」と悟は語り、石で自分の曼荼羅を作ろうとしていることを説明した。「これから本格的に作ろうとしている」と父が言うので、みつこは「これから?」と訊き返した。
ユリは「お茶の時間にしましょう」と言い、悟とみつこにマテ茶を入れた。彼女はみつこに、「いつでも遊びにいらっしゃい」と告げる。みつこはマテ茶を飲むと、早々に立ち去った。「冗談じゃないわ。半年も娘ほっぱらかして。いいの?ずっと待ってたんでしょ」と早苗に言われたみつこは、「帰って来るもん。お父さん、きっと帰って来る。今、お母さんのこと供養してる最中だと思うんだよね。だから、しばらく放っておこうと思う。大丈夫、きっと帰って来るよ」と自分に言い聞かせるように告げた。
回生堂から向井が出て来るのを待っていたみつこは、彼が元恋人と話している様子を目撃した。元恋人は看護学校に受かったことを告げ、「アンタを傷付けた分、誰かを助ける。これでアンタの足が治るってわけじゃないけど」と告げた。泣き出した彼女を、向井は抱き締めた。みつこは2人に気付かれないよう、静かに立ち去った。早苗と信一がユリの屋敷を訪れると、彼女は2人を大歓迎した。悟は早苗と信一に自分の曼荼羅を見せ、「大日如来の代わりにユリが入る」と自慢げに語った。
夜、スナックに集まった白井や大木戸たちに、信一は「あれじゃ帰って来ないよ。おじさん、何だか幸せそうだったもん」と告げる。店に入ろうとしたみつこは、彼が「曼荼羅ってのも、真ん中にはユリさんが入るんだってさ」と話すのを聞いてショックを受けた。早苗と信一はユリから、土産として蜂蜜まで受け取っていた。みつこは父を引き取るため、ユリの屋敷へ向かった。ノックしても返事が無いので、彼女は勝手に上り込んだ。屋上で悟とユリが激しく抱き合う様子を目にした彼女は、逃げるように立ち去った。
信一のバイクを運転させてもらったみつこは暴走し、事故を起こして怪我を負った。何とかして悟を彼女の元へ帰らせたいと頭を悩ませる早苗の前で、大木戸は「やっぱり仕事ですかねえ」と漏らす。すると早苗は「兄さんお墓の石を掘るのが三度の飯より好きだった。だから、もう一回、お墓の石を掘らせれば、きっと正気に戻る。そうすれば帰って来る」と語る。彼女は白井たちに手伝ってもらい、御影石を運んでユリの屋敷へ行く。彼女は屋敷の外から「ここへ置いて行くわよ。これで義姉さんのお墓作りましょう。納骨するのよ」と叫ぶが、悟は耳を押さえた。
早苗は首を痛めて寝込んでいるみつこに事情を説明し、安心するよう告げた。しかし早苗が立ち去った後、みつこは「でも知らないよ、父さん、戒名」と呟いた。彼女がユリの屋敷へ向かうと、悟は御影石を運んで穴を掘っている最中だった。「暗くなるぞ、早く帰れ」と悟に言われ、みつこは「そっちが帰ったら、こっちも帰る」と告げた。悟は墓石を放り出し、ユリの屋敷に戻った。みつこが墓石を猫車に乗せて運ぼうとしていると、ユリが来て「お父さんね、逃げ出しちゃったの。お母さんが死んだこと、受け入れられなくて。今でも怖いの。でもね、待ってあげて」と告げた。
「あの人、いつか乗り越える。だから待ちましょう」とユリは言い、「私も家族が死んだこと、受け入れられなかった。ある朝、軍隊が突然、家にやって来て、銃声が響いたの。悪い夢を見てるみたいだった。いつまで経っても受け入れることが出来なかった。それで、怖くて逃げたの。貴方のお父さんみたいに。でも今は大丈夫。貴方のお父さんにも、必ずそういう時がやって来る。だから待ちましょう」と語る。だが、みつこは何も言わず、猫車を押して去った。
必死になって墓石を家まで運んだみつこは、ビールをラッパ飲みした。翌朝、二日酔いの彼女は、頭が痛くて目を覚ます。ユリの屋敷の壁に落書きする悪ガキたちに腹を立てた悟は、トマトを投げて追い払う。悪ガキたちは仕返しのため、ロケット花火を用意する。みつこを訪ねた早苗は、タクシーでユリの屋敷へ向かう。屋上へ赴いた彼女が悟とユリを見つけた直後、ロケット花火が次々に撃ち込まれた。悟たちが必死で火を消そうとしている時、みつこは信一のスクーターで屋敷へ向かっていた。
ユリは消火栓のハンドルを回そうとするが、古くなっていたので壊れてしまう。パイプから水が一気に噴き上がり、スコールのように降り注いで火を消した。楽しそうにしているユリを見て、早苗は「全部アンタのせいよ」と声を荒らげる。そこへ、みつこと信一がやって来た。「何が目当てなの?兄さんと結婚したいの?」と早苗がユリに詰め寄ると、悟は「やめろ」と怒鳴る。「ユリは何も悪くない。俺がここに居たいんだ。惚れてんだ」と言う。その直後、ユリが苦しそうに顔を歪めた。彼女は悟の子供を妊娠していたのだ…。

監督は長尾直樹、脚本は長尾直樹、原作は よしもとばなな(文庫:幻冬舎文庫 単行本:ロッキング・オン刊)、絵は奈良美智、脚本協力は金子ありさ、製作総指揮は平井文宏、製作は篠崎安雄&内山伸一&日下孝明&喜多埜裕明&古賀督徳&柳田和久&武内英人、エグゼクティブプロデューサーは大島満&松江正俊&松尾宗俊&宮坂学&松元理人&雲出幸治&古川一博&飯泉宏之、プロデューサーは岡本東郎&滝田和人&和田倉和利、ラインプロデューサーは鶴賀谷公彦、撮影は松島孝助、美術は池谷仙克、照明は石田健司、録音は橋本泰夫、編集は高橋幸一、VFXスーパーバイザーは石井教雄、音楽は周防義和(作編曲)、音楽プロデューサーは武田秀二。
主題歌『ワスレナグサ』作詞:タテタカコ/曲:アンデス民謡/編曲:タテタカコ/うた、演奏:タテタカコ。
出演は役所広司、鈴木京香、堀北真希、森下愛子、手塚理美、岸部一徳、きたろう、田中直樹、小林裕吉、菅原大吉、渡辺憲吉、桜井裕美、有坂来瞳、唯野未歩子、石垣光代、真下有紀、石井光三、佐伯新、川屋せっちん、愛実、古田大虎、河口瑛将、橋本くるみ、福土大貴、玉山蒼、猪俣莉帆、井上肇、澤山薫、天野れい子、丸山歩乃佳、高橋昌ら。


よしもとばななの同名小説を基にした作品。
監督&脚本は『鉄塔武蔵野線』『さゞなみ』の長尾直樹。
悟を役所広司、ユリを鈴木京香、みつこを堀北真希、早苗を森下愛子、良子を手塚理美、白井を岸部一徳、犬塚をきたろう、向井を田中直樹、信一を小林裕吉、大木戸を菅原大吉、伊勢を渡辺憲吉、美鈴を桜井裕美、向井の元恋人を有坂来瞳、みつこが怪我をした時に担当する看護婦を唯野未歩子、大木戸の妻を石垣光代、伊勢の妻を真下有紀が演じている。

まずユリを演じているのが鈴木京香という時点で、この映画は傑作になれる可能性を完全に捨てている。
なぜなら、鈴木京香は誰がどう見てもババアではないからだ(ちなみに1968年生まれ)。
しかも、ユリってのは10年前の時点で既にババア呼ばわりされている女性なのだ。
これが例えば、実年齢より老けて見える女優ということなら理解できる。
しかし鈴木京香は、むしろ実年齢より少し若い役を演じても大丈夫なぐらいの女優なのだ。

しかも、鈴木京香を薄汚いババアのようなメイクで老けているように見せるのかと思いきや、カツラは被せて濃いメイクを施しているものの、容姿の淡麗さは全く隠そうとしていない。
あれをババアと呼ぶのなら、それは鈴木京香をババアと呼んでいるのと同じようなことだ。
例えば中高生が30代の女性を「ババア」と呼んだりすることもあるけど、そういう限定的な意味での「ババア」ではないはずだ。
だから、「みんながアルゼンチンババアと呼んでいる」という劇中の設定は、違和感しか感じさせない。

ひょっとすると製作サイドとしては、「悟がユリと肉体関係を持つ」という展開があるので、そこに正統派の美人女優である鈴木京香を起用したのかもしれない。
ホントに汚いババアにしか見えないような女優を起用したら、悟が性的な関係を持つことも、さらにはユリが妊娠してしまうことも、違和感たっぷりになってしまう恐れがあるからだ。
しかし、そういう理由があったとしても、そこの違和感を解消するために「ババアじゃねえし」という違和感を生じさせたのでは意味が無い。
というか、本末転倒と言える。

「ユリは10年前の時点で既にババア呼ばわりされている」と書いたが、そもそも10年前のシーンから物語を始めている意味が分からない。みつこの幼少時代を描いておくことが、後の物語に繋がって来るわけではない。
例えば、まだ良子が元気だった頃の姿や、家族3人が幸せに暮らしていた様子を描写しているわけでもない。
あえて言うなら、ユリを見つけたみつこや信一たちが怖がって逃げ出すという描写はある。だが、今の子供たちがユリを怖がるシーンを描けば、同様の目的は果たせる。
だから10年前ではなく、みつこが高校生になっている段階から物語を始めても何の支障もないし、そういう構成にした方が無駄が無いと思う。

その後の構成にも難がある。
まず、みつこが病院を訪れてから良子が死亡するまでの手順が無駄に感じる。
みつこが見舞いに訪れて異変に気付いたら、そんなに手間を掛けずに「母の死」へ移行した方がいい。いっそのこと、病室へ行ったら既に死んでいたという形でもいいぐらいだ。そして、さっさと父の失踪を描けばいい。
そうすると「みつこが早苗に連絡する」という手順を入れることが出来ず、彼女を登場させるタイミングが失われるが、そんなのは見舞いに行く前に登場させればいいだけのことだ。
高校生のみつこを最初に登場させて、帰宅する前にスナックへ立ち寄る手順でも入れれば、早苗と信一と美鈴を紹介できる。

母が死んで父が失踪した後の展開も、無駄に時間を使っていると感じる。
もう「母が死んで、父は失踪した」ってのをナレーションか何かで説明して、さっさと「それから月日が経過して」というところへ ジャンプしちゃってもいいと思うんだよな。「母が死んだ直後、みつこが回生堂に入る」という手順を入れなくても、時間が経過してから彼女が回生堂で働き始めている展開になっていることに、それほど大きな影響があるとも思えない。
一応、「最初にマッサージをしてくれた向井にみつこが好意を寄せている」という設定はあるのだが、そこの恋愛劇は申し訳程度に描写されるだけ。
母が死んで父が失踪した直後、そして時間をジャンプさせる直前に、みつこが回生堂で向井と出会うシーンを入れるのなら、その後の展開において、その出会いは大きな意味を持つ出来事として扱われるべきだろう。しかし実際には、みつこの中で回生堂や向井の存在は、そこまで大きいわけではない。

ユリに「お母さんのこと、辛かったねえ」と抱き締められたみつこは、家族3人で海に出てイルカを見た時のことを回想する。でも、その状況で、そんなことを思い出すのは不可解だ。
みつこにとってユリは、幼少時代には怖がって逃げ出した相手だし、今は事情が分からないけれども父親と一緒にいる相手だ。そんな女に「辛かったねえ」と言われたからって、母親のことを思い出すだろうか。
それよりも、拒絶反応や不快感を抱く方が自然に思える。引き離して「やめて下さい」とでも言う方が自然に思える。
一応、それは「意識を失ったみつこの見た夢」という設定ではあるのだが、でも「抱き締められる」→「イルカを見た時の様子」→「意識を失っていたみつこが目を覚ます」という構成だと、やはりユリの言葉で心が解放されたという解釈になってしまう。
そこは違和感がある。

みつこがユリの屋敷へ赴いた時、悟に「戻って来て」と頼むことも無く、怒りをぶつけることもなく立ち去るのは理解できる。
ただ、その話を聞いた早苗が屋敷へ赴いた時、曼荼羅を自慢して作業に入る悟を眺めるだけで「報告できないよ、みつこに」と嘆くのは理解できない。
なぜ彼女は、悟に対して強い態度で叱責したり、みつこのために家に戻るよう諭したり出来ないのか。
そこで何の行動も取らずに諦めてしまうってのは、まるで理解できない。

スナックで信一が「ああいう暮らしって、男の夢の果てかも」と言うのも、まるで説得力が無い。
ユリに笑顔で抱き締められ、ラーメンを御馳走になっただけなのに、そこまで悟の暮らしを「羨ましいモノ」として表現するのは無理がある。
その辺りに限らず、この映画は登場人物の行動に説得力が乏しいというのが大きな欠点になっている。
用意された段取りに対して、それを自然な流れとして感じさせるための説得力ある描写が欠けているのだ。

悟がクズ野郎にしか見えないってのは、かなり厳しいモノがある。
本来なら、「父親失格ではあるが、非難されるような行動を取った心情は理解できるし、その弱さには同情できる」という形になっているべきだと思うのだ。
しかし実際には、同情の余地が微塵も無い。単なる父親失格のクソみたいな男だ。
「心の弱さゆえ、現実を受け止めきれずに逃げ出してしまった」というだけで留まっていれば、その後に言い訳としての描写を用意して、彼に対する不快感や嫌悪感を払拭することも出来ただろう。
だが、半年後に発見された後も、彼は娘に対して謝罪の言葉一つ口にせず、家に戻ろうともしないのだ。

ユリは「お父さんね、逃げ出しちゃったの。お母さんが死んだこと、受け入れられなくて。今でも怖いの。怖くて怖くて、たまらないの。でもね、待ってあげて」とみつこに言うが、なんで娘がそこまで一方的に重荷を抱えなきゃならんのか。
みつこだって、母が死んで強いショックを受けている。それだけでも辛いのに、父が失踪してしまったのだから、もっと辛い。
本来なら辛い時に支えてくれるべき父親が、父親としての責任感も娘への罪悪感も感じなくて済む世界に逃げ込み、女の庇護の下で平穏に暮らしている。
それを「待ちましょう」と言われても、そんな身勝手なことがあるかと。

悟は家族を見捨てて、裏切って、自分だけが安らぎの中に逃避している。そして娘が訪ねて来ても、相変わらず放置し、現実逃避を続ける。
もはや、それは許される「心の弱さから来る逃避行動」を完全に逸脱している。
しかも、悟はユリと肉体関係まで持ってしまう。これがトドメになって、もう完全にアウトである。
なぜなら、そうなると妻に対する愛情まで疑わしくなってくるからだ。
そして、悟を誘惑して肉体関係をOKするユリの方も、これまた不可思議な魅力を持つ女性ではなく、ただのアバズレでしかなくなる。

ユリが妊娠すると、悟は「一緒に育てる」と言い出す。するとユリは「今のアンタでは無理。まず、みつこさんのお父さんになるの」と諭して、それでようやく悟は家に帰ることを決意する。
で、みつこは納得せずに家出し、悟は墓石を掘ってから彼女が世話になっている民宿を訪れて軽い口調で「悪かった、いやあ、俺が悪かった」と言うが、もはや全てが遅すぎる。今さら、何をやってもリカバリーには到底足りない。
それなのに、みつこは悟を許し、親子関係は修復される。
もちろん、筋書きとしては、この2人の関係が修復されて話を終えるのは当然だ。
だが、家族再生のドラマに説得力が全く無いので、下手すぎる段取り芝居になっている。

(観賞日:2014年7月21日)

 

*ポンコツ映画愛護協会