『あらしのよるに』:2005、日本

ヤギのメイは、仲間のタプやミイたちと山で遊んでいた。嵐が迫ってきたため、タプやミイたちは山を下りる。モタモタしていたメイは遅れて 下り始め、雷鳴に怯えて必死で走る。古い山小屋を見つけたメイは、そこで雨を凌ぐことにした。小屋は暗く、何も見えない。そこへ、 もう一匹の生き物が雷を怖がって入ってきた。周囲が見えないため、2匹は相手の正体を知らぬまま挨拶を交わす。
実は、もう一匹の生き物はオオカミのガブだった。オオカミとヤギは、互いに「食べる者と食べられる者」という関係だと知らぬまま、 会話を交わす。雷鳴に怯えて抱き合った2人は、互いに似ていると言い合い、仲良くなった。やがて嵐は止み、2匹は翌日に再会する約束 を交わして小屋を後にした。互いの姿が分からないため、「あらしのよるに」を合言葉にしようと決めた。
翌日、ガブとメイは待ち合わせの場所へ赴いた。そこで初めて互いの正体を知った2匹は、驚いた。しかしガブは「友情を大切にする」と 言い、メイに襲いかかったりはしなかった。一方のメイも、ガブを恐れて逃げたりしなかった。2人は弁当を持ち、山の頂上を目指す。 途中、ガブは弁当を落としてしまう。メイに食欲を覚えるガブだが、必死に我慢した。
サワサワ山の集落に戻ったメイは、長老から「秋が近付いたため、オオカミには気を付けて単独行動を知らないように」と警告される。 しかしソヨソヨ峠でガブと待ち合わせていたメイは、密かに抜け出そうとする。それにプクとミイが気付いたため、2人はメイに付いて 来ることになった。3匹を目にしたガブは、慌てて繁みに身を隠す。何も知らないプクが誤って額を蹴ったため、ガブは繁みを飛び出した。 驚いたプクとミイは、慌てて逃げていった。
バクバク谷の集落に戻ったガブは、ボスのギロから「冬が来る前にポロポロが丘でヤギ狩りをする」と言われて焦る。その日、ガブはメイ とポロポロが丘で会う約束をしていたのだ。ポロポロが丘にいたメイは、ギロに気付いて慌てて身を隠す。ガブは別の場所にヤギがいると ウソをつき、ギロをそちらへ行かせる。だが、今度は他のオオカミ、バリーがメイを食べようとした。ガブは岩を落としてバリーを妨害し 、メイを連れて逃亡する。
ポロポロが丘から逃げ戻ったヤギのおばさんは、仲間に「メイがオオカミと一緒に逃げるのを見た」と報告する。仲間から問い詰められた メイは、ガブと一緒にいたことを認め、「彼はいい奴だ」と擁護する。一方、ガブもメイを逃がしたことを問い詰められ、「あいつはいい 奴」と擁護する。しかし仲間に避難され、谷底の洞窟に監禁される。
メイは祖母から、母親が自分を守ってオオカミに食べられたことを聞かされる。長老はメイに、ガブからオオカミの群れに関する情報を 聞き出すよう指示される。一方のガブも、メイに会ってヤギの情報を聞きだすようギロから命じられた。互いの仲間が見張る中、ガブと メイは会った。メイが足を滑らせて川に落ちそうになったため、ガブは必死で助けた。
ガブとメイは、スパイ活動を指示されたことを共に打ち明けた。2匹は群れを離れることを決意し、川に飛び込んだ。下流で陸に上がった 2匹は、誰も行ったことが無い山の向こうを目指すことにした。ガブとメイはオオカミの執拗な追跡を逃れ、その向こうに緑の森があると 信じて山に入った。しかし山は猛吹雪となり、ガブとメイは洞窟に避難する・・・。

監督&演出脚本は杉井ギサブロー、アニメーション監督は前田庸生、原作・脚本はきむらゆういち、製作は近藤邦勝、企画は濱名一哉、 企画協力はあべ弘士、プロデューサーは中沢敏明&大岡大介&梅村安&田代敦巳、エグゼクティブプロデューサーは木村明子、 アニメーション制作プロデューサーは藤田健&桜井宏、 キャラクターデザイン・作画監督は江口摩吏介、構成プランナーはくずおかひろし&石山タカ明、演出協力は宇井孝司、 美術監督は阿部行夫、撮影は佐藤陽一郎、編集は古川雅士、映像ディレクターは篠崎亨、 音響監督は藤山房伸、サウンドデザイナーは小川高松、音楽は篠原敬介、音楽プロデューサーは木村明子&大川正義、
主題歌『スター』作詞・作曲はAIKO、編曲は森田昌典、歌はaiko。
声の出演は中村獅童、成宮寛貴、竹内力、林家正蔵、山寺宏一、KABA.ちゃん、板東英二、市原悦子(特別出演)、早見優(友情出演)、 柳原哲也(アメリカザリガニ)、平井善之(アメリカザリガニ)、小林麻耶(TBSアナウンサー)、森田正光、星野充昭、 高瀬石光、加瀬康之、吉野貴宏、氷上恭子、佐々木理子、増田ゆき、森夏姫、木川絵里子(木川絵理子)、世戸さおり、 木村裕一、西島未智、上泉雄一(MBSアナウンサー)、石崎輝明(HBCアナウンサー)、加藤康裕(MBSアナウンサー)、 長田哲也(MROアナウンサー)、大石邦彦(CBCアナウンサー)、岩谷源一(RKBアナウンサー)。


きむらゆういち(木村裕一。キムキム兄やんとは別人)の絵本シリーズを基にした作品。
原作は『あらしのよるに』『あるはれたひに』『くものきれまに』『きりのなかで』『どしゃぶりのひに』『ふぶきのあした』の6作で 完結していたが、この映画に合わせて7作目の『まんげつのよるに』が発表された。その全7作をベースして作られている。
きむらゆういちは映画の脚本も担当しており、また原作の絵を描いているあべ弘士は企画協力という形でクレジットされる。
ガブの声を中村獅童、メイを成宮寛貴、ギロを竹内力、バリーを山寺宏一、タプを林家正蔵、ヤギのおばさんをKABA.ちゃん、ヤギの長老 を板東英二、オオカミのビッチ&ザクをお笑いコンビ“アメリカザリガニ”の2人、ミイをTBSアナウンサーの小林麻耶が担当している。 また、ガブの母役で早見優が友情出演、メイの祖母役で市原悦子が特別出演している。

メイン2人がプロの声優でないのなら、脇は芸達者なメンツで固めればいいものを、脇にもアマチュア声優を起用するもんだから、シャレに ならないことになっている。板東英二とKABA.ちゃんはヒドいし、市原悦子は市原悦子以外の何者でもないし、林家正蔵も同じく。
ただし竹内力は個人的に好きだということを差し引いても素晴らしい。
っていうか、後で竹内力と知ったぐらいで、見ている時は普通にプロの声優だと思っていた。
脇にヒドい比較対象が何人かいるためか、メイン2人の声優ぶりはそれほど悪くないという印象だ。
ただし、感動ドラマにするには、中村獅童の芝居が軽い(成宮寛貴はその役目を担っていないので軽くても構わない。っていうか、どうでもいい)。
終盤、ガブがメイのために命懸けでオオカミと戦う展開があるが、そこまでは軽くてもいいから、そこだけは重厚な芝居が必要だった。

アヴァン・タイトルで、メイの母がメイを逃がしてオオカミの群れと戦い、ギロの左耳を食いちぎって抵抗するが殺されるというシーンが 描かれる。
ここ、なぜセリフ無しで描写しているのかが分からない。
そこは母親がメイを逃がそうとする必死な気持ち、メイの「ママ!」という悲痛な叫びなど、セリフを入れて親子愛をアピールしないと 観客の悲しみを喚起できないだろうに。
しかもタイトル後への繋ぎ方が悪いから、アヴァンで母親を殺されたヤギがメイだってことさえ分かりにくいぞ。

タイトル直後のシーンで、メイが仲間に遅れて下山することになった理由が良く分からないんだよな。
何かしていたらしいことは分かるけどさ。
そこは、「仲間と楽しく遊んでいる」というシーンを描いて、そこから雲行きが怪しくなって下山する展開へ持って行く方がいい。
アヴァンにしても、母ヤギとの穏やかな触れ合いを描いてから悲劇に繋げた方がいい。
そういう細かいところでシーンの肉付けが足りないから、30分ぐらいで終わるような薄っぺらい中身を無理矢理に107分まで引き伸ばす ハメになっている。ホント、中身が薄いのよ。
誰も原作者に遠慮して、「このシナリオだと30分ぐらいの内容しか無いでやんす」とは言えなかったのか。
でも「演出脚本」として杉井ギサブローの名前があるから、脚色はしてるんだよな。
ってことは、中身が薄いのは杉井ギサブローにも責任があるのか。

嵐の夜にガブとメイは小屋で出会うのだが、あの程度の会話では、ちっとも友達になったようには思えないのよな。
これがコメディーなら、あの程度でもいいとは思うのよ。でも、「友達になったのにオオカミとヤギだった」という部分を感動ドラマと して使うんでしょ。だったら、2匹が友情で結ばれるシーンとしては描写が甘いと思うぞ。
あの程度では、表面的な付き合いでしかない。
っていうか、これって物語が進む中でも、ずっと表面上の友情のままだよな。
ソウル・メイトの深い結び付きじゃない。

嵐の翌日にガブとメイは初めて相手の姿を見て驚くのだが、すぐにシーンが切り替わって、もう仲良く話している。
2匹とも「どうしよう」困ったり戸惑ったりする心の動きが絵に表現されていない。
というか、全く葛藤してないのね。
「だって友達だから」という理由によって、あっさりと種族を超えちゃうのよね。
なんて簡単な連中なんだろうか。

メイは天然なんだろうが、「まさかヤギを食べたりしませんよね」とか「弁当の中身はヤギの肉だったりしませんよね」とガブに質問 するのは、かなり無神経に聞こえる。
そんなもん、ヤギを食べるに決まってるじゃねえか。
後半、こっそりとガブが食事に出掛ける行動を咎めるのも、かなり身勝手だよな。
これ、どちらかというとガブよりメイの方が扱いが上っぽいんだが、完全にガブを主役に据えた方が良かったんじゃないか。そっちの方が 感情移入しやすいよ。メイは何も考えてないボンクラじゃん。

メイが祖母から聞かされるまで母の死因について知らなかったことに驚いた。
てっきり、アヴァンのシーンは「メイが記憶している」という解釈になるのだと思っていたので。
そこは説明不足だろう。
道理でメイがガブに会ってもノホホンとしているはずだよ。オオカミに母親を殺されていたら、もっと心のわだかまりを抱くはずだもんな。
ただ、母の死因を知らされても、メイが大して動揺せず、淡白なのはどうなのよ。
もっと激しい心の揺れ動き、逡巡があって然るべきじゃないのか。

途中、ガブが「自分はヤギの肉ではなくヤギが好き」と言うのだが、メイのフェミ男っぽい喋り口調も手伝って、友情を越えたモノ、 ハッキリ言えばホモセクシャルなモノを感じずにいられない。
「あなたと一緒なら(楽しい)」と言われてガブが顔を赤らめるのも、それって友情じゃないだろ。
っていうか、製作サイドが意図的にホモセクシャルの匂いがする作りにしているんじゃないかと邪推したくなる。メイの声優が成宮寛貴だし。
っていうかさ、これってメイの性別を女にしておけば、もっとスムーズに行くような気がするんだよな。
友情として見るには不充分でも、ガブがメイに異性として惚れているから守ってやりたいということなら、分かりやすくなる。
原作では性別が限定されていないんだが、映画化に当たってメイを男性にしたのは結果的に大失敗だったな。

全体を通して物語に流れが無くてブツブツと切れている。
暗転やワイプによる場面転換が、そのブツ切れ感を助長する。
過剰なBGMで盛り上げようとしても、完全に空回り。
伴奏音楽が増幅装置になることはあっても、それによって何も無いトコロに感動を生み出すことは至難の業だ。
やたらセリフが多くて、絵よりもセリフで説明しようとするのも困りもの。
絵本が原作なのに言葉に頼る部分が大きいってのは、どういうことよ。

終盤の命懸けの戦いのシーン自体の描写も充実度が薄いと感じるが、それ以上にダメなのが(ハッキリ言えば最悪なのが)、「行方知れず になったガブが実は生きていました」という展開。
この映画に合わせて、その「実は生きていました」に当たる『まんげつのよるに』が発表されているんだが、ここは悲劇で終わらせておくべきだった。
たぶん子供向け映画、ファミリー映画ということを考えてハッピーエンドを選択したんだろうが、ただ安っぽいだけの週刊少年ジャンプ 方式など要らない。それに、その部分は間延びしているし、蛇足にしか思えない。
「肉食動物と草食動物なので悲劇を迎えたが、2匹の絆は本物だった」ってことでいいじゃん。
大体、緑の森に到着しようが、ようするに暮らす場所が変わっただけであって、ガブとメイにとっての楽園ではないだろうに。
ガブは他の動物を食べなきゃ生きて行けないんだし、実はハッピーエンドに見せ掛けているけどハッピーエンドじゃないよな。

 

*ポンコツ映画愛護協会