『荒神』:2003、日本

人里離れた山奥の古寺に、1人の落ち武者が矢で撃たれた仲間を連れて逃げて来た。そこに住んでいた女が扉を開けたところで、2人は 倒れて意識を失った。矢で撃たれていた方の侍が目を覚ますと、女の他に一人の男がいた。男は女に、食事の支度をするよう告げた。侍は 男と向かい合って食事を取る。全て食べ終わったところで、侍は自分を連れて来た友のことを尋ねた。すると男は、深手を負っていて 助からなかったこと、遺体は別室に安置してあることを語った。。
そこは住職のいない空き寺だった。人と接するのが苦手な男は、その寺で暮らしているという。女のことを尋ねると、男は口ごもりながら 「ワケありで、昔から住んでおるんじゃ」と言う。これからどうするのか尋ねられた侍は、遺体を田舎まで届けるつもりだと告げる。侍が 礼を述べて立ち去ろうとすると、男は「残党狩りに遭う危険がある。迂回をしようにも雨で土砂崩れが起きるかもしれん。今夜はゆっくり していきなさい」と勧める。「通夜にしよう」と促され、侍は男とワインを酌み交わした。
侍が異国の物ばかりが揃っていることについて尋ねると、男は寺に辿り着くまでに色んな場所を旅してきたことを告げる。日本らしくない 仏像は、彼が自分を模して彫った物だという。男は、その山に天狗がいるという言い伝えを教える。天狗というのは人が勝手に付けた 呼び名で、正式には荒神と呼ぶのだと彼は説明した。そして彼は、自分が荒神だと口にする。侍は「面白いことを言う人だ」と笑い、「仮 に天狗が現れても、アンタはかなり腕が立つとお見受けする。難なく退治できるだろう」と述べた。
男は侍に、「あれだけの深手を負う戦をくぐり抜けて来たんだ。今まで何人を斬った?」と問い掛けた。侍は「数を数えたことは無い」と 、少し動揺したように言う。すると男は「自分が奪った相手の数、しかと受け止めるべきではないのか」と真剣な表情で告げ、「俺は今 まで794人。その一人一人の姿形、最後の表情まで全て覚えとるぞ」と言う。侍は出発しようとするが、男は「なら、今ここで礼をして もらいたい。俺を殺してくれ。俺は荒神だが、長く生きすぎた」と述べた。
侍が相手にせず立ち去ろうとすると、男は「お前はもう、ここに来た時のお前ではない」と言う。彼は「お前が来たのは2日前。13ヶ所の 傷があり4本の矢が刺さっていた。それが今ではどうだ」と告げる。男の言葉で、侍は自分の治癒に友の肝が使われたと知った。侍は激怒 して刀を振り回すが、あっさりとかわされ、受け止められる。男は「やはりお前は楽しませてくれそうだ」と余裕の態度を示した。
侍は「やかましい」と怒鳴って襲い掛かるが、男に腹を突き刺された。だが、男は「その程度では死なん」と軽く告げる。深く刺された はずの侍は、自分が無傷なのに気付く。男は「だが、不死身になったわけではないぞ。首を斬られるか、心臓を突かれれば死ぬ」と言い、 「だが、そんなことより、とりあえず酒だな」と口にした。彼は女を呼んで酌をさせる。今度はロシアのウォッカだ。彼は「この女は腕の 立つ料理人なんだ」と、彼女が調理したことで肝が神秘的な薬になったことを告げる。
侍が「なぜ俺なんだ」と問い掛けると、男は「理由など無い。俺がお前を選んだ。それだけのことだ。お前は自分が死んで、あいつに 食われた方が良かったというのか。友の死と共に幸運を掴んだことを喜べ」と語る。まだ侍は、相手が荒神であることを信じようとしない 。すると男は「俺もかつては自分が人間だと思っていた。自分の強さを不思議に思っていたが、その名は天下に轟くようになった」と言う 。侍が名前を尋ねると、男は「宮本武蔵」と軽く答える。侍は全く信じず、声を上げて大笑いした。
侍は「どうせ一度は死んだ命、やってやろうじゃねえか」と述べ、荒神と戦うことを承諾した。荒神は数々の刀を用意しており、好きな物 を選ぶよう告げる。だが、鎖鎌を手に取ると「こんな狭い場所では不利だ」と言い、熊手や手裏剣を取っても文句を言う。結局、侍は刀を 手にした。酒を飲み干した彼は、奇襲を掛けて荒神の左腕を斬り落とす。だが、荒神は高笑いを浮かべ、左腕を繋ぎ合わせた…。

監督は北村龍平、原案は増本庄一郎&桐山勲、脚本は北村龍平&高津隆一、プロデュースは河井信哉、エクゼクティブプロデューサーは 三宅澄二、プロデューサーは石田雄治&梅川治男、撮影は古谷巧、編集は掛須秀一、録音は岩倉雅之、照明は野村泰寛、美術は林田裕至& 安宅紀史、VFXスーパーバイザーは田中敦彦、音楽は森野宣彦、主題歌はPaul Gilbert「Maybe,I'll die tomorrow」。
出演は大沢たかお、加藤雅也、、魚谷佳苗、坂口拓、榊英雄。


堤幸彦監督が発案し、北村龍平と競作したコラボレーション企画“DUEL”の1本。
“DUEL”とは、「対決」をテーマにした中編を二本立てで上映し、勝負しようという企画だ。
堤幸彦は『2LDK』、北村龍平は本作品を撮った。
侍を大沢たかお、荒神を加藤雅也、女を魚谷佳苗、侍と寺で戦おうとするラストシーンの男を坂口拓、侍を寺に運んだ友を榊英雄が演じて いる。

“DUEL”には「純決の10か条」なるものが設定されている。
「60分(プラスマイナス10分)の2本勝負、R-18は避ける」
「ワンセット、そこから外へ出てはいけない」
「主演2人の対決を基本とする」
「片方が男優、片方が女優対決とする」
「共通の小道具を画面に登場させるなどの謎を持つ」
「予算は同額とする」
「ビジネス面で負けた方は罰がある」
「テレビ放送の視聴率が高いほうに褒美がある」
「作品それぞれにおいて黒字になるとボーナスを支給することがある」
「2本立てが1本立てになっても苦情を言わない」という10か条だ。
ちなみに、ビジネスとして勝利したのは堤監督だったが、北村監督は罰を受けていない。

侍は矢で撃たれて重傷だったのに、まるで何も無かったかのように元気に回復している。
包帯を巻くようなことも無いし、身だしなみも整っており、髪の毛も髭もボサボサではない。いつの間に、そこまで整えたのか。
そして、もう1人がいないのに、侍は全く気にせず食事を始める。
「身寄りのない俺にとって唯一の兄弟のような奴だった」と言っているけど、それにしては飯を食い終わるまで忘れている。
「お前が来たのは2日前。13ヶ所の傷があり4本の矢が刺さっていた。それが今ではどうだ」と言われて、ようやく自分が無傷でピンピン していることに気付くが、遅いだろ。そんなの、すぐに奇妙に感じろよ。

男が「俺を殺してくれ。俺は荒神だが、長く生きすぎた」と述べた後、「ムチャクチャなことを言うな。しかもアンタは、どこからどう 見ても人間だ」「見た目だけで判断するな。悪党面をしているがまっとうに生きている奴もいる」「アンタが荒神だとして、なんで 斬らなきゃならん」「お前は侍だろう。俺と戦わなきゃいかん大義がある」「どんな大義があるっていうんだ」「お前はもう、ここに来 た時のお前ではない」などという彼と侍の問答が続くが、無駄に長くて退屈。
さっさと「お前はもう、ここに来た時のお前ではない」というセリフに移行すべきだ。
女にウォッカを運ばせた後も、また「俺は自然には死ねん」「自分で腹を斬って死ね」「切腹は人間がくだらん自尊心を満たすためにする ことだ。それに俺は戦いの神だ。戦いで死んでこそ本望だ。しかし、そこいらの田舎侍に斬られるわけにはいかん。俺が死ぬ時は、俺を 倒せる者が現れた時だ」「アンタの言ってることは理不尽だ。俺にはサッパリ分からん」「ならば訊こう。お前ら人間はどうなんだ。 一握りの政略家のために殺し合いをしている。それこそが理不尽ではないのか。この世の存在そのものが理不尽なんだ」と、また問答が ダラダラと続く。

侍が「やってやろうじゃねえか」と言い、ようやく戦うのかと思ったら(そこへの流れも上手く作れていないが)、またダラダラと会話を 続けている。
その会話劇には、何の面白味も無い。
繰り出される問答には、緊迫感も無ければ、丁々発止の面白さも無い。テンポの良さや巧みな話術も無い。
ただ単に、退屈さを煽るだけ。
それが戦いへの序奏ではなく、ただ「道草を食っている」「時間稼ぎをしている」としか感じないんだな。

『2LDK』は69分だが、その『2LDK』より遥かに中身の薄い本作品が、さらに10分も長い 79分の上映時間になっている。
どんだけ引き伸ばせば気が済むのか。
大体、79分ってことは「純決の10か条」に違反してるじゃねえか。
なんで無駄に時間稼ぎをして、19分も超過してるんだよ。
その意味不明な尺の引き伸ばしは、どういうつもりだったのか。

北村龍平に映画監督としてのセンスが無いことは、今さら言うまでもない。
彼の中にあるのは「イカしたアクションシーンを撮りたい」という意識だけで、それ以外のことには全く興味を示さない。
もし興味を示した上で、それが全く出来ていないのだとすれば、もっと重症だ。
どっちにしろ、「アクションだけの人」なので、ドラマ演出はグダグダだし、話の中身はスカスカだ。
それは、この作品に限ったことではない。彼が作る映画は全て、そういう仕上がりになっている。

アクション映画というのは、アクションシーンで人物をカッコ良く動かせば面白くなるわけではない。
主人公に魂を吹き込んで観客を燃えさせるとか、ドラマで流れを作った上でクライマックスの戦いに雪崩れ込むとか、そういう作業が 必要なのだ。
ただ単に、殺陣を飾り付けるだけでは、「面白いアクション・シーン」は作れるかもしれないが、「面白いアクション映画」は作れない。

北村監督はアクションに興味があって、アクションが大好きなのだが、とても残念なことに、面白いアクション映画を撮るセンスは持って いないのだ。
あと、この人はアクションシーンに「痺れるような緊迫感」とか「息詰まるような緊張感」とか、そういった類のモノを 作り出すことは出来ない人なんだよな。
良くも悪くも、「絵空事」の世界なのだ。
たぶん北村監督は、ミュージシャンのPVを撮らせれば、それなりに高い評価は得られるんじゃないだろうか。そっち方面で活動すべき人 だと思う。

(観賞日:2011年4月24日)

 

*ポンコツ映画愛護協会