『青の炎』:2003、日本

湘南の高校に通う17歳の櫛森秀一は、居候の曾根隆司を排除したいと考えている。曾根は秀一の母・友子の再婚相手だったが、暴力が原因で10年前に離婚している。しかし10日前にフラリと現れて、そのまま櫛森家に居座ってしまったのだ。
秀一は離婚調停を担当した弁護士の加納に相談するが、友子が訴えなければ曾根を追い出すことは出来ないと言われる。加納の話によれば、秀一も10年前には随分と曾根から暴力を振るわれたらしいのだが、彼には当時の記憶が定かでなかった。
曾根が妹・遥香に暴力を振るおうとしたのを阻止した秀一は、彼を追い出すよう友子に求める。しかし友子は、秀一の妹・遥香が秀一の連れ子なので今は出来ない、彼女が15歳になって自分の意志で養女になれる来春まで待ってほしいと告げる。
曾根と友子の性行為の声を耳にした秀一は、殺害計画を立てることにした。彼は松岡四郎という偽名で私書箱を契約し、インターネットで調べてシアナミド水溶液を購入した。さらに彼は法医学の書物を何冊も読み、専門的な知識を得た。
秀一は電気を利用した殺害方法に目を付け、血圧計を使った装置を作った。決行の日、彼は美術の授業を抜け出して自宅に戻り、泥酔して眠っている曾根に装置を仕掛けた。秀一は曾根を感電死させた後、急いで学校へと戻った。
秀一は授業を終えて帰宅してから第一発見者として通報し、何食わぬ顔で刑事・山本英司の事情聴取を受けた。病死という解剖結果が報告され、彼の完全犯罪は成立したはずだった。クライメイトの福原紀子から態度の変化を指摘されるが、その程度だった。しかし、同級生の石岡が犯行の証拠品を発見し、秀一に金を要求してきた…。

監督は蜷川幸雄、原作は貴志祐介、脚本は蜷川幸雄&宮脇卓也、企画は江川信也、製作は椎名保&藤島ジュリーK&島谷能成&安永義郎&加藤鉄也&山崎直樹、プロデューサーは椿宜和&道祖土健、プロデューサー補は増田悟司&高木治男、製作総指揮は角川歴彦、撮影は藤石修、編集は川島章正、録音は中村淳、照明は渡辺三雄、美術は中澤克巳、衣裳は能澤宏明&岡田敦之、音楽は東儀秀樹、音楽プロデューサーは小野寺重之。
出演は二宮和也、松浦亜弥、秋吉久美子、中村梅雀、山本寛斎、鈴木杏、渡辺哲、近藤芳正、六平直政、川村陽介、竹中直人、唐沢寿明、木村雅、宮田幸輝、新川將人、中山幸、塚本幸男、難波真奈美、岡田正、羽子田洋子、伊東千啓、加藤弓美子、真貝大樹、月田真美子、野辺富三、太田馨子、あべこ、中澤聖子、
伊阪達也、大川敦司、大川征義、大越浩紀、久保山知洋、越尾寿人、澤田啓介、末吉孝朗、田中雄次、塚本祐三、夏井英樹、山田浩太ら。


貴志祐介の小説を基にし作品。
舞台演出家の蜷川幸雄が、『魔性の夏 四谷怪談より』以来、約22年ぶりにメガホンを執っている。
秀一を二宮和也、紀子を松浦亜弥、友子を秋吉久美子、山本を中村梅雀、曾根を山本寛斎、遥香を鈴木杏が演じている。

秀一は「また寝坊かよ」という友人のセリフからして、どうやら寝坊が多い生徒のようだ。隠れて酒も飲んでいるようだ。いかにもオツムの悪そうな仲間2人と、スケベな話題で喜んでいる。最初から秀一は冴えないダメ生徒にしか見えないので、「知的で優秀な若者が犯罪者へと転落していく」という図式は成立しなくなっている。
化学の成績が良いなどの描写が無く、どこからどう見ても阿呆にしか見えない秀一が、突発的な行動ではなく計画的殺人を行うのは違和感がある。しかも、その計画を進めて行く経緯(調査や実験など)は簡略化され、あっさりと決行日に至っている。

秀一は完全犯罪を成し遂げたつもりだが、その日に限って電車で行ったことにしたり、記録が残ることを知らずに血圧計を使ったりする。それは「知的なはずなのにミスを犯した」のではなく、「アホだから当然のこと」という印象になる。
秀一には、「石岡を焚き付けて家族を殴らせた男」という設定が用意されている。さらには、「時には暴力の行使も当然のこと」という意見を述べている。苦悩や葛藤がゼロなので、「最初から暴力的衝動が強く、一直線に殺人に走った単細胞」にしか見えない。

秀一は最初から曾根を徹底的に嫌悪し、排除したいと強く願っている。しかし、その段階で観客に提示される曾根という男は、ただグータラで酒飲みの居候でしかない。つまり、酷い暴力を振るう恐怖の対象としては、全く成立していないわけである。
現在にしろ回想シーンにしろ、観客は曾根が暴力を振るう場面を全く目にすることが無い。映画開始から30分ほど経ち、ようやく遥香に暴力を振るうのかと思ったら、その前に秀一に阻止される。殺害されるまで、彼を恐い存在に見せる描写は非常に薄い。
暴力や脅迫など、曾根が家族に対して恐怖を与える男だという印象を充分に与えない中で、秀一の強い憎しみだけを見せられるので、戸惑ってしまう。というか、そもそも山本寛斎をキャスティングしている時点で、明らかに外していると言わざるを得ない。

友子は秀一に「来春まで我慢して」と言った直後に曾根の部屋に行って「出て行ってください」と告げるという、矛盾した行動を見せる。それはともかく、その直後に明らかに自分の意志で曾根とセックスしている。結局のところ、前述したことも含めて、曾根のワルとしての振る舞いよりも、友子のバカ母っぷりに腹が立ってくるという始末だ。
たぶん秀一は、記憶していない過去に暴力を振るわれたことがあるため、その時の憎しみの蓄積によって、我々が感じるよりも「殺してやりたい」という限界点への到達が早かったんだろう。ただ、そんなことは映画を見ていても全く分からないのだ。

前半、紀子は1度だけ秀一とデートする場面があるが、ほとんど話には絡まない。後半に入っても、石岡が秀一を脅迫して第2幕が始まるので、まだ出番は少ない。石岡殺害後、ようやく秀一と紀子の関係に視線が向けられるが、それほど長い時間ではない。
主人公が常軌を逸した行動を取るとか、クラスで浮き上がった存在になるという描写は、「次第に」ではなくて1シーンだけ。紀子の「秀一が孤独になる中における唯一の理解者」としての存在感は薄いし、秀一に何の影響も与えていない。

シリアスな話のはずなのに、アフロの美術教師やコンビニの先輩店員など出番が短い複数の脇役は、なぜかコメディー・リリーフとして振る舞おうとする。しかし、もちろんコメディー映画ではないので、そのシーンだけが不恰好に浮き上がる結果となる。
クライム・ムーヴィーとしては主人公がバカすぎるし、サスペンスとしては緊張感が薄い。人間ドラマとしては主人公の中身や周囲との関係性が薄いし、コメディーとして考えるには無理がある。色の使い方や映像の美しさで引っ張る映画とも思えない。

コンビニで事件が起きて秀一が事情聴取されるシーンに店長が来ていないのは不自然だとか、警察署での取り調べが変だとか、母親が秀一を1人で警察署に行かせているってのは冷たいんじゃないかとか、色々と細かい点が気になったりもする。
しかし、そもそも監督が「正統なるアイドル映画を撮りたい」と言っているのだから、他の部分で色々と問題があろうとも、とにかくアイドルの魅力が充分に発揮されていればいいのだ。
だから最大の問題は、アイドルの魅力が発揮されていないということだろう。

松浦亜弥は天真爛漫キャラではなく、むしろ取っ付き難いキャラを演じていることもあって、笑顔は少ない。話のテイストも手伝って、どこか冷たさがある。いかにもアイドル的な台詞回しをしているにも関わらず、いかにもアイドルらしい明るさや元気さは無い。
二宮和也は、アイドル的な魅力は全く発していないが、しかし単なるアイドルではなく役者としてのセンスを感じさせるのは皮肉だ。
この映画で最もアイドル的な輝きを放ったのは、二宮和也でもなく、松浦亜弥でもなく、鈴木杏かもしれない。あの若さで「特別出演」とクレジットされてしまうことには、大いに違和感を感じてしまったが。

 

*ポンコツ映画愛護協会