『青木ヶ原』:2013、日本

バー「かっちゃん」で飲んでいた松村雄大は、友人のトミさんから翌日の遊びに誘われて「明日は青木ヶ原の一斉捜索だ」と言う。「村議になっても、まだやるのか」とトミさんが告げると、彼は「消防団に頼まれて仕方なく」と述べた。一斉捜索とは遺体の捜索で、毎年必ず実施されている。去年の捜索で、松村は11人の遺体を発見していた。バー経営者のカッちゃんが「なんでわざわざ青木ヶ原まで入り込んで自殺するんですかね」と言うと、トミさんは「ブランドだよ」と答えた。
松村が「なぜか遺書を残した奴に会ったことが無い」と疑問を口にすると、トミさんは「人目を忍んで死にてえからよ」と告げる。しかし松村は遺体が遊歩道から近い場所ばかりで発見されていることに触れ、最後は世間と繋がっていたいのではないかと述べた。すると客の男が、「そうだと思います。みんな自分なりの筋道があったと思うんです。だから隠れて死んでも、心のどこかで誰かに見つけてもらいたいと願っているんです」と語った。「この辺の人じゃないね」と松村が言うと、彼は東京から来たことを話す。「一度やってみたら大変さが分かる」と松村が告げると、男は参加を希望した。
翌朝、一斉捜索に参加する松村や消防団が集まっていると、男がやって来た。警察の田野倉本部長が挨拶し、松村は第二班を率いて樹海に入った。しばらく捜索していると呼び子の音が響き、松村たちは女性の首吊り死体を発見した。松村は男に「あそこまで行ったら帰ろう」と呼び掛け、前を歩いた。すると男は隙を見て、姿を消した。松村が周辺を捜索すると、男は死んでいた。松村は「そういうことか」と呟き、呼び子で捜索隊を呼んで遺体を運び出してもらった。
松村は娘の綾香と暮らす家に帰宅し、翌朝はトミさんたちとゴルフに出掛けた。OBのボールを探しに行った彼は、川の向こうにいる男を目撃する。松村の目の前で、男の姿は消失した。松村はペンションを経営しており、カッちゃんがケーナを吹くディナーショーを催すこともある。バーベキューの用意で倉庫へ赴いた松村は、また川向こうにいる男を目撃した。彼は寺の住職に事情を話し、「頼られてるんだよ。アンタに頼みたいことがあるんだ。必ず川を隔てた所に立っているということは、三途の川を渡れないでいるんだな。成仏できねえってことだ」と告げられた。遺体の身許が判明していないことを聞いた住職は、警察に聞いてみるよう勧めた。
松村は友人である富士吉田署の刑事に頼み、遺体の身許を教えてもらった。死んだのは42歳の滝本道夫という男で、東京にある老舗紙問屋の入り婿だった。滝本は2年前に家を出ており、婿に入った家は骨の引き取りを拒否して葬式も出していなかった。それだけでなく、滝本の捜索願いも出されていなかった。松村は紙問屋を訪れ、番頭に滝本の幽霊が出ることを説明した。番頭は滝本の妻の志津と、その母が暮らすマンションへ案内した。
松村は志津の母に、滝本が浮かばれないということなのだと話して骨の引き取りを頼んだ。しかし志津の母は「あの人は覚悟して家を出たはずです」と拒み、志津は「今のようにしか出来ないのです。きっとその内、彼も忘れることが出来るでしょう」と述べた。松村は番頭の元へ戻り、彼が話していた「滝本は好き勝手なことをした挙句、若い女と行方をくらました」という件について詳細を教えてほしいと頼む。番頭は彼に、滝本がライオンズクラブの仲間から若い女性を紹介されたこと、その仲間の名前は分からないことを語った。
松村は刑事に連絡を入れ、調査の協力を要請した。彼はライオンズクラブの会長と会い、滝本が急に退会する前に会員から借金を重ねていたという悪評を知らされた。滝本と親しかった会員について松村が訊くと、会長は弁護士の片山と薬屋チェーンの大前の名前を挙げた。片山を訪ねた松村は、滝本の相手女性に関する情報を教えてほしいと頼む。すると片山は、守秘義務を理由に断った。依頼主でもないのに守秘義務を主張するのはおかしいと松村が反発すると、片山は志津の依頼で女性について調べたことを明かした。
片山は女性を滝本に紹介したのが大前であること、彼は滝本と高校時代からの友人で志津の幼馴染であことを教えた。さらに彼は、女性が難病らしいので、もう生きていないのではないかと告げた。松村が大前と会おうとしていると、志津が現れた。彼女は「そっとしておいてください。やっと忘れかけていたんです」と頼み、「どうしても知りたいのなら」と女性の調査報告書を渡した。報告書に目を通した松村は、名前が加納純子であること、山梨県で交通事故に遭って両親を亡くしていることを知った。
大前と会った松村は、滝本が純子と一緒に死んだと思っていたと聞かされる。その理由について、大前は失踪した滝本から最後に掛かってきた電話で「彼女を見つけた。一緒にいる」と話していたことを明かした。彼は「2人は一緒に死ぬ気だったと思った」と言い、「そんなに深い仲だった?」と松村が訊くと「あれは呪われた縁だ。悪い方に回っていった。全ては善意で始まったことだったのに」と述べた。彼は滝本に純子を紹介したわけではなく、一緒に会ったことを松村に話した。
ライオンズクラブは中古ピアノを保育園に寄付する活動を行っており、純子は滝本と大前が出向いた先で勤めていた保母だった。純子は幼少期の事故の後遺症で、右足を引きずっていた。滝本は調律の度に訪問し、彼女と親しくなった。ある時、純子は彼に「私のことは好きにならないで下さい。私は誰も好きにならない。私が好きになった人は、みんないなくなってしまうから」と語った。すると滝本は笑顔を浮かべ、「いいよ。今のまんまで」と告げた。
大前は純子が慢性骨髄性白血病になったことを松村に教え、「あれさえ無ければ、2人とも地獄に行くことは無かった。志津さんを含めてね」と述べた。滝本は病気になった純子を励まし、「いい薬もあるし、アメリカで骨髄移植する手もある。まずは病気に負けない強い意志を持つことだ。独りで抱え込まないで。僕も付いてる」と話した。滝本は家を出て純子と同棲を始め、大前の元へ金を借りに来た。大前が志津と息子の翼をどうするのかと責められた彼は、何も言おうとしなかった。
滝本は純子にアメリカで治療を受けさせる金を手に入れるため、紙問屋の事務所に忍び込んだ。彼は志津への謝罪の手紙と結婚指輪を残し、金庫の金を盗んで立ち去ろうとする。そこへ志津が現れて「今日は翼の誕生日なのよ」と訴えるが、滝本は振り切って去った。そんな話を大前から聞かされた松村はバーへ行き、滝本を成仏させるために東京へ通っていることをカッちゃんに話した。するとカッちゃんは一番上の兄が北海道で自殺していることを告白し、「死に顔を見て綺麗だと思った。自殺する人間も筋道を考えているんだと思った」と話した。彼が「人生は思い通りにならないことだらけじゃないですか。最後だけは思い通りに決着付けて行ったんですよ」と告げると、松村は「あいつもそうなのかな。残された者は地獄だけどな」と口にした。
松村と大前は滝本にアメリカの病院を紹介した医師の高原を訪ね、詳しい話を聞いた。純子はアメリカで投与された新薬が効いたが、完治ではなく部分完解だった。骨髄移植は出来ずに帰国し、高原の勤務する病院に定期健診で通っていた。しかし2年前の春から来なくなり、連絡も取れなくなった。松村と大前は幼稚園へ赴いて園長の春子と会い、彼女の家で純子と滝本が暮らしていたことを知った。純子は妊娠が判明し、病院に行かなくなった。
純子は出産を反対されると考えて、妊娠の事実を滝本に明かさなかった。彼女は「もう私は大丈夫だから」と言い、家族の元へ帰るよう滝本に促す。純子は保育園の仕事をしている最中に倒れ、春子は普通じゃないと考えて救急車を呼ぼうとする。彼女は国立病院へ搬送してもらうつもりだったが、純子は柳澤クリニックを希望した。そこは産婦人科で、春子は純子が妊娠5ヶ月だと知った。純子は赤ん坊には毒だと考えて抗癌剤の投与を止めたため、白血病が再発していた。しばらく入院した後、彼女は姿を消した…。

監督は新城卓、企画・原作は石原慎太郎(文藝春秋『生死刻々』所収)、脚本は水口マイク&新城卓、プロデューサーは中田信一郎&室岡信明、題字は華雪、撮影は岩渕弘、照明は木村太朗、録音は武進、美術は金勝浩一、編集は井上秀明、音楽は寺嶋民哉。
出演は勝野洋、前田亜季、矢柴俊博、津川雅彦、左とん平、渋谷天外、田中伸一、ゴリ(ガレッジセール)、津嘉山正種、石原良純、二木てるみ、川地民夫、長谷川真弓、佐々木すみ江、早織、春田純一、小宮健吾、前田淳、中村育二、山田百貴、加藤大祐、鈴木博之、土屋士、高橋眞三樹、小野孝裕、池田貴宏、豊島侑也、中村世渚、武田幸三、五十嵐愛桜、安藤麻吹、なかはら五月、大宙舞、相原奈保子、前田きよか、天乃舞衣子、山本郁子、菅崎あみ、斎藤萌子、最初美咲、今井さくら他。


石原慎太郎による同名の短編小説を基にした作品。
監督は『秘祭』『俺は、君のためにこそ死ににいく』でも石原慎太郎作品を映画化している新城卓。
新城卓と共同で脚本を手掛けた「水口マイク」なる人物は他に担当作品が見当たらないのだが、どうやら同じ今村昌平門下である中田信一郎の変名らしい。
松村を勝野洋、純子を前田亜季、滝本を矢柴俊博、住職を津川雅彦、トミさんを左とん平、番頭を渋谷天外、大前を田中伸一、カッちゃんをゴリ(ガレッジセール)、高原を石原良純、春子を二木てるみ、ライオンズクラブ会長を川地民夫、志津を長谷川真弓、志津の母を佐々木すみ江、綾香を早織が演じている。

松村がバーでトミさんやカッちゃんと話している時、店内に滝本の姿は見当たらない。
しかし松村が遺書の無い理由について持論を話していると、画面前方の右側から滝本の顔がヌッと出て来て「そうだと思います」と言う。
最初は松村もカッちゃんも全く反応しないので、滝本は幽霊で誰にも見えていない設定なのかと思ったぐらい、登場シーンから普通ではない雰囲気がプンプンと漂っている。
っていうか、批評に必要だから早々とネタバレを書いてしまうが、実際に彼は幽霊なのだ。

松村が声を掛けた後の滝本も、一斉捜索に参加している時も、体温が全く感じられない。人外のような匂いが、ものすごく強い。
そして彼が松村の隙を見て走り去るシーンでは、残像を残す映像演出を施している。そんな飾りを付けてしまったら、彼が普通の人間じゃないことは丸分かりになる。
で、そうなると、「ってことは、もう死んでいるんだろうな」ってのも容易に推測できてしまう。
だけど、そこは謎のままにしておいた方が絶対に得策でしょ。つまり、あまり疑いを持たせないような見せ方にすべきじゃないかと。

それとさ、捜索に入った時の松村はグループで動いているのに、なぜか滝本が姿を消す時だけは2人で行動していて、周囲に他の人間もいなくなっているんだよね。
それは不自然極まりないでしょ。
そこは普通に、「グループで捜索している間に滝村がいなくなる」という形でいいんじゃないのか。
滝村が隙を見て姿を消す行動を際立たせず、「松村が気付いたら滝村がいなくなっていて、捜索隊に聞いても誰も滝村を見ておらず、捜索したら遺体を発見する」という流れで良かったんじゃないかと。

松村がゴルフ場やペンションで滝村を目撃する時、その姿は半透明化している。これも余計な演出だわ。
もちろん遺体が発見されているし、その後で登場する滝村が幽霊なのは明白だけど、殊更に映像で強調する必要は無い。ただ安っぽくなるだけだよ。
あと、バーにいた時や一斉捜索に参加した時は普通の人間と同じ姿だったのに、遺体が発見されて以降は半透明化すると、なんか整合性が取れていないんじゃないかとも感じるし。
それと、ペンションで目撃した時には「滝村が姿を消す」という手順が無いので、だったら松村は呼び掛けるような行動を取ってもいいんじゃないかと。その上で「何も答えずに姿を消す」という流れがあるなら、分かるんだけどさ。

紙問屋の番頭は松村から話を聞いて、志津の母に連絡を取る。志津の母は番頭から話を聞いたうえで、松村との面会を承諾する。つまり、志津の母も番頭も、松村の「滝本の幽霊が出て困っている」という話を全面的に受け入れているのだ。
松村は志津の母に「信じる信じないは別として、彼が浮かばれないというのは確かなようです」と話すが、信じているってことなんだろう。
でも、いきなり「滝本の幽霊が出て云々」と言われたら、ただのヨタ話にしか聞こえないんじゃないかと。志津の母や番頭も幽霊を見ているとか、超常現象を体験しているとか、そういうことでもないんだし。
志津の母も番頭が松村の説明を受け入れた上で対応するのを「当たり前の展開」としてサラッと流しているけど、段取りを処理するための説得力が皆無に等しいぞ。

志津の母と番頭だけでなく、片山も「滝本の幽霊が出る」という松村の説明を全く気にしていない。
そんな片山は守秘義務を理由に純子の情報を教えようとしないのに、一方で「志津の依頼で彼女について調べた」ってことは平気で喋る。彼に依頼した志津は松村に「そっとしておいてほしい」と調査終了を要請するが、純子の調査報告書を渡す。
もう自分のトコに来ているわけじゃないので、放っておいた方が良かったんじゃないのか。
調査報告書を渡すのは、エサを与えているだけでしょ。それで松村が調査を終わらせることなんて無いのは、誰の目にも明白なんだし。

大前が松村に「滝本に純子を紹介したわけではなく、一緒に会った」ってことを語ると、そこから滝本と純子の関係を描く回想シーンに入る。
ここは大前の語りで進行しているわけで、つまり「彼の説明を補足するための回想シーン」のはずだ。それなのに、大前が同席していないシーンが大半だ。
まだ「調律の度に訪問して親しくなった」という部分に関しては、その場に居合わせなくても大前が情報を知ることは出来るだろう。しかし、滝本と純子がデートで交わした会話の内容や、純子が自宅でいる時の様子は、絶対に知り得ない情報のはず。
なので、そういうシーンばかりが続くのは、構成として大いに引っ掛かる。

純子は滝本と親しくなると、「私は誰も好きにならない。私が好きになった人は、みんないなくなってしまうから」と話す。
そんなことをわざわざ言うのは、両親を交通事故で亡くしたことがトラウマになっているからだ。
でも、それだけで「私が好きになった人は、みんないなくなってしまう」と感じて、「だから誰も好きにならない」と心に決めて生きているのは、設定として無理があるでしょ。
その後も、付き合った相手が事故や病気で亡くなっているならともかく、ホントに両親の事故死だけなんだよね。

松村が刑事から携帯の履歴や遺留品を受け取った後、純子が電車で河口湖へ向かう途中で滝本からの電話を受ける様子、彼女が電話を切る様子、車掌のアナウンスで滝本が河口湖へ向かっていると気付く様子、純子が樹海に入る様子が描かれる。
でも、これは松村が知らない出来事ばかりだ。
松村が山梨の医師から話を聞いた後には、滝本が樹海の洞窟で純子と喋り、死を看取るシーンが挿入されるが、これも同様。松村は絶対に知り得ない情報だし、松村が入手した情報から想像しているシーンという形で描かれているわけでもない。
なので、純子や滝本に関する過去のシーンの挿入は、ただ不細工でしかない。

どうしても純子と滝本に関する出来事を丁寧に描きたいのなら、それを挿入するポイントは1つしか無い。松村が洞窟で純子の遺体を発見するシーンがあるが、その直後のタイミングだ。
それならミステリーの解答編のような形で、真相を描いてもいいだろう。いわば神の視点のような形で、「実はこんなことがあった」と描いても許容できる。
ただし、あまり詳しく描かず、大半は観客の想像に任せた方がいいと思う。
と言うのも、詳しく描いたことで、「なぜ純子は樹海で死ぬことにしたのか」「どうやって滝本は純子を見つけ出したのか」という疑問が残ることになるからだ。

純子は山梨の病院を訪れた時、妊娠6ヶ月の胎児を取り出してほしいと医師に訴えている。それで自分が死んでもいいから、赤ん坊だけは助けようと必死になっている。
だったら樹海で死ぬことを選ばず、どこかの病院に入院した方が良かったんじゃないかと。樹海で死んだら赤ん坊が助かる可能性はゼロで、病院にいれば少しは可能性も残るんじゃないかと。
また、滝本は純子が河口湖へ向かったことは知っているけど、だからって樹海に入ったとは限らないし、樹海は広いから見つけ出すのも難しいだろうし。
あと、脇役の大半は何のために登場したのか分からない存在で放り出されているよね。その辺りも、とにかく雑な映画だなあという印象だわ。

(観賞日:2023年5月8日)

 

*ポンコツ映画愛護協会