『蒼き狼 地果て海尽きるまで』:2007、日本

1161年。この時代、モンゴル高原の遊牧民は部族ごとに共同体を作って生活していた。タイチュウト、タタール、メルキト、モンゴル、 ケレイトなど部族の数は多く、争いも頻発していた。モンゴル部族の領域を移動していたメルキト族の長イェケ・チレドの一行は、 ボルジギン氏族の長イェスゲイ・バートルたちの襲撃を受ける。チレドの妻ホエルンは「あの者たちは私を狙っているのです。生きて私を 奪い返して」とチレドに告げた。チレドは「必ず奪いに戻る」と約束し、逃走した。
イェスゲイはホエルンを集落に連れ帰り、彼女を犯した。略奪から10ヶ月後、ホエルンは男児を出産した。イェスゲイはタタール族の集落 を襲撃し、その長テムジン・ウゲの勇ましい戦いぶりに感心した。彼は「その名、忘れないぞ」と言、テムジンを斬り捨てる。ホエルンの 出産を知らされたイェスゲイは、男児にテムジンと名付けた。テムジンの掌に目をやったホエルンは、赤い痣を発見した。
14歳になったテムジンはイェスゲイに連れられ、嫁探しの旅に出た。それまでの歳月で、ホエルンは4人の子供を出産し、それとは別に母 の違う2人の子を育てるようになっていた。一行はイェスゲイの母方の親族オルクルト氏の元へ向かう途中、コンギラト部族の集落に 立ち寄った。そこで部族の長デイ・セチェンの娘ボルテと会ったテムジンは、婚約することになった。テムジンはボルテの幼馴染ジャムカ と知り合い、生涯に渡って友情を重んじるアンダの誓いを立てた。
ジャムカはテムジンに、「部族を統一して国をまとめたい。戦の無い豊かな国にしたい」と夢を語る。そこにイェスゲイの親衛隊長である ムンリクが現れ、イェスゲイがタタール族に毒殺されたことをテムジンに伝えた。イェスゲイの死後、タイチュウト族の長タルグタイは 自ら後継者を名乗り、部族衆を引き連れて新たな遊牧地へ向かう。彼はメルキト族の血が流れているという理由で、「お前を後継ぎだとは だれも認めていない」とテムジンに言い放ち、一家を置き去りにした。
テムジンの一家は生きていくため、自ら食べ物を集めなければいけなくなった。異母弟のベクテルとベルグタイは、捕まえた魚を自分たち だけで食べた。それを見つけたテムジンが批判すると、ベクテルは「メルキトの指図は受けない」と言い放つ。テムジンは弟のハサルと共 に、ベテクルを抹殺した。テムジンはホエルンから弟殺しを責められ、「母上を侮辱したから殺したのです」と主張した。
年月が過ぎ、テムジンは少数の手勢を率いる指導者に成長していた。ムンリクがタルグタイに反発し、一党を引き連れて戻って来たのだ。 彼らはタイチュウト族との戦いに備え、準備を進めていた。馬泥棒に8頭が盗まれたため、テムジンは捜索に向かう。ある集落で盗まれた 馬を発見した彼は、そこにいた男ボオルチュを弓で撃とうとする。するとボオルチュは、「自分も馬を盗まれたことがあり、馬泥棒を 脅したら馬を放り出して逃げ去った」と説明した。ボオルチュは馬を返し、「礼は預けておく」と告げた。
翌年、テムジンは嫁を迎えるため、7年ぶりにデイ・セチェンの元を訪れた。だが、テムジンが殺されたという噂があったため、彼は ボルテを他の男に嫁入りさせる話を決めていた。その相手とはジャムカで、彼が所望したのだという。テムジンはジャムカに「ボルテを 幸せにしてやってくれ」と言い、集落を去ろうとした。するとジャムカは「どちらがいいか、ボルテに選ばせよう」と持ち掛ける。ボルテ は、すぐにテムジンを選んだ。
テムジンが自分の集落にボルテを連れて戻ると、ボオルチュが来ていた。「この前の礼として、ここの仲間に入れてくれ」という彼を、 テムジンは歓迎した。結婚から2年後の6月、テムジンはケレイトの王トオリルと提携を深めるため、貢物を持って出向いた。イェスゲイ の遺言には、「トオリルを頼りにせよ」と記されていた。トオリルは貢物に喜び、「自分に仕えれば安全だ」と告げた。
その年の秋、集落がメルキト族の襲撃を受け、ボルテが拉致された。テムジンは激昂して奪還に向かおうとするが、「族長を失えば我らは 滅びる」とボオルチュたちに制された。テムジンは、メルキトがホエルンを奪われた時の仕返しとしてボルテを奪ったのだと確信した。彼 はホエルンに、「私は父上の子ではないのか」と尋ねる。ホエルンは「お前がイェスゲイ・バートルの息子だと証明するのは私ではない。 お前自身だよ」と静かに告げた。
打つ手の無いまま半年が過ぎ、テムジンはボオルチュたちの進言を得てトオリルとジャムカの力を借りることにした。テムジンはトオリル に、手勢500を貸してほしいと申し入れた。トオリルは承諾するが、戦利品の分配は自分が7割でジャムカが2割、テムジンは1割と決定 した。ジャムカは取り分の少なさに腹を立て去ろうとするが、テムジンが「俺の分は要らん」と告げて留まらせた。
テムジンはボルテを奪還するが、彼女は妊娠していた。彼女を拉致したのはチレドで、やはり目的は復讐だった。テムジンはチレドを拷問 し、そして抹殺した。やがてボルテが男児を出産すると、テムジンは殺害しようとする。「メルキトの子は生かしてはおけん」と言う彼に 、ホエルンは「生まれた子に罪は無いのです。どうして我が子として育てる広い心を持てないのです?」と説いた。テムジンは男児に ジュチ(よそ者)と名付け、その場を去った。
年を追うごとに、多くの部族がテムジンの元に集まるようになっていった。そんなある日、トオリルが彼の元を訪れ、金国の皇帝から タタール族征伐の援軍を要請されたことを語る。テムジンはトオリルから共に戦おうと誘われ、快く引き受けた。およそ10日に渡る戦いで 、タタールの多くの部族は滅びた。集落へ凱旋しようとするテムジンに、トオリルは「今の内にジャムカを潰しておけ。さもないと、 いずれ襲い掛かってくる」と告げた。
ジャムカは弟のタイチャルから、「テムジンは兄上を差し置いて王になろうとしている」と警告される。ジャムカは「なれるものか。 あいつには無理だ」と告げ、アンダの誓いについて「あんなものは子供の遊びだ」と言い放った。テムジンの部隊は森の中でメルキトの 残党らしき1名を発見し、取り囲んだ。兜を取ると、クランという女だった。クランは「殺せ」と言うが、テムジンは「女は殺さん」と 告げた。「お前の女にはならんぞ。父も兄も戦死した。モンゴルの女の苦しみは、まっぴらだ」とクランが話すので、テムジンは「では、 お前に何が出来る?」と尋ねる。「戦に出て戦う」という答えを聞き、テムジンはクランを戦士として部隊に加えた。
ジュチは17歳に成長していた。ボルテは彼を戦に参加させるよう、テムジンに求めた。テムジンはジュチに、北方の民に匿われたメルキト の残党を討伐する任務を命じた。初陣にしては、あまりにも危険に任務である。だが、心配するホエルンに、ボルテは「大丈夫ですよ。 この子は必ず戻って参ります」と言う。クランはテムジンに「なぜ抱かない?女を人として扱う族長に、私の女をやる」と言う。テムジン は「お前と出会って人間の誇りを貰った」と告げた。
ジャムカの元から、多くの人々が逃げて来るようになった。武勇も武略もテムジンには劣っていないと自負しているジャムカは、苛立ちを 抱いた。彼はタイチェルに、テムジンの元へ行くよう告げる。タイチャルはテムジンの元を訪れ、隙を見て背後から殺そうとする。だが、 クランに気付かれて始末された。テムジンは部族を率いて、ジャムカとの戦いに赴いた。一敗地にまみれたジャムカは、トオリルに助力を 要請した。天下分け目の決戦に参加できると思っていたジュチに、テムジンは北方の部族を制圧して資源を調達しろと指示した。ジュチは 反発するが、テムジンは強硬な態度で任務の遂行を命じた…。

監督は澤井信一郎、原作は森村誠一『地果て海尽きるまで 小説チンギス汗』(ハルキ文庫刊)、脚本は中島丈博&丸山昇一、脚本協力は 佐藤圭作&渡辺真喜子、製作総指揮は角川春樹、製作は千葉龍平、プロデューサーは岡田裕&大杉明彦&海老原実、アソシエイトプロデューサー は剱持嘉一、特撮監督は佛田洋、撮影監督は前田米造、撮影は小川洋一、編集は川島章正、録音は紅谷愃一、照明は矢部一男、美術監督は中澤克巳、美術は 近藤成之、特殊造型は原口智生、殺陣は清家三彦&中村健人、スタント・コーディネーターは重見成人&夏山剛一、タイトル題字は 金田石城、音楽は岩代太郎&吉川清之、音楽プロデューサーは石川光&池畑伸人。
主題歌はmink『Innicent Blue〜地果て海尽きるまで〜』作詞:青山紳一郎、作曲:多東康孝、編曲:TATOO。
『蒼き狼』作詞:角川春樹/Kenn Kato、作曲:菊池一仁、編曲:TATOO。
出演は反町隆史、菊川怜、若村麻由美、保阪尚希、榎木孝明、津川雅彦、松方弘樹、松山ケンイチ、Ara(新人)、袴田吉彦、野村祐人、 平山祐介、池松壮亮、志村東吾、永澤俊矢、苅谷俊介、今井和子、唐渡亮、神保悟志、大林丈史、若林久弥、成田浬、荒木貴裕、野呂拓哉、 遠藤カチヲ、熊井幸平、武石愛未、下宮里穂子、山崎将平、羽柴誠、本山力、山口幸晴、木村康志、関戸将志、松原誠、工藤孝広、 今西洋貴、金子太郎、熊面鯉、鎌池広行、青木忠宏、角田明彦、井上亮、細野太郎、セーンジャー、河野太郎ら。


森村誠一の小説『地果て海尽きるまで 小説チンギス汗』を基にした日本とモンゴルの合作映画。
監督は『仔犬ダンの物語』の澤井信一郎。
テムジンを反町隆史、ボルテを菊川怜、ホエルンを若村麻由美、イェスゲイを保阪尚希、デイ・セチェンを榎木孝明、即位の儀式を 仕切るシャーマンのケクチュを津川雅彦、トオリルを松方弘樹、ジュチを松山ケンイチ、クランをAra、ハサルを袴田吉彦、ボオルチュを 野村祐人、ジャムカを平山祐介、少年時代のテムジンを池松壮亮、ムンリクを志村東吾、ダヤンを永澤俊矢が演じている。

この映画はモンゴル建国800年記念作品なのだが、それを日本の主導で製作する意味が分からない。
構想27年ということで、角川春樹の念願の企画だったようだ。
何しろ本人が「チンギス・ハーンの生まれ変わり」とか言っちゃってるしね。
ただ、モンゴルの物語なのに主要キャストを全て日本人が演じているってのは、やはり「違和感を抱かないように」という方が無理 だろうなあ。

そりゃあ、1950年代や1960年代には、京マチ子が楊貴妃を演じた『楊貴妃』とか、市川雷蔵がシャム王国(タイ)の青年士官を演じた 『山田長政 王者の剣』とか、本郷功次郎が釈迦を演じた『釈迦』とか、勝新太郎が始皇帝を演じた『秦・始皇帝』とか、日本人が外国人 を演じた大作映画も作られていた。
だけど、時代が違うんだよ。
その頃は、「出演しているスターを見に行く」というのが映画鑑賞の基本的な考え方だった。だから、それでもOKだったんだろう。
ちなみに前述の4本は、全て大映の作品なんだよな。
つまり、永田雅一が送り出した大作映画ってことだ。
角川春樹って、永田雅一の精神を受け継いでいる人なんだろうなあ。

総製作費30億円が投じられ、全てのシーンをモンゴルでロケし、何万人ものエキストラが動員され、5千頭の馬が用意された。 即位式のシーンだけで2万7千人のエキストラが動員されたそうだ。
昔の角川映画を思い出すねえ。
「多額の製作費を注ぎ込み、多くのエキストラを動員し、スケールのデカい作品にすれば客が入る」という「質より量」的な考えが、 角川春樹の中にはあるんだろう。

エキストラの大量動員には「CGに頼らず、本物の迫力を出したい」という狙いがあったらしいけど、VFXのスタッフは参加している わけで、だったら戦闘シーンでVFXに頼っても良かったんじゃないかと思ったりするんだけどね。
「その方が本物の迫力が出る」ということじゃなくて、角川春樹は「使いたくない」という頑固なさでCGを拒否しただけなんじゃない のかと邪推したくなる。
その戦闘シーンは、ただ「大勢がワラワラと動いている」というだけで、それほど迫力があるわけではないし、高揚感はゼロ。どの戦いも 似たような感じで、変化に乏しいし。
しかも、戦闘が始まってから、すぐにホエルンのナレーションで処理されたりする。ちゃんと戦闘シーンを描き切って、盛り上げようと する気も無い。
あと、エキストラの隅々まで細かく指示を出していないのか、チンタラしている奴もいるし。
ジャムカとの戦いも、「テムジンが冷静に戦ったからジャムカが劣勢になっていく」という経緯を映像では表現できておらず、 ナレーションで説明してしまう。

ホエルンのモノローグで色々なことを説明するんだけど、そうなるとテムジンは「母から見た息子」という描き方になる。
っていうか最初のモノローグの段階ではテムジンが誕生していないから、まだ「テムジンの物語を語るホエルン」という形も成立して いないけどね。
ともかく、彼女のモノローグで進行する形式にしたのは失敗だったんじゃないかな。
そもそも語りが多すぎて邪魔だと思うけど、ホエルンにナレーションを担当させるぐらいなら、ナレーター専門の担当者を配置した方が マシだったんじゃないの。

とにかく詰め込みすぎ。
誕生前から即位の辺りまでを網羅しようとしてるけど、無理があるよ。
テムジンの誕生前から始めずに、青年時代から始めた方がいいんじゃないか。
そうなると「父の子ではない可能性のあるテムジンが、自分の子ではない可能性のある息子を持つ」というシェークスピア悲劇チックな 物語の構築は難しくなるけど、そもそも、そんな要素が必要不可欠だったとも思わないし。
そういう部分をバッサリと削除すれば、詰め込みすぎという問題も少しはマシになったはずだしね。

イェスゲイがタタール族の長テムジン・ウゲの勇ましい戦いぶりに感心し、その名前を息子に付けるというエピソードがあるが、その戦い は全く描かれないからテムジン・ウゲの勇敢さも全く伝わらないんだし、無理に名前の由来を放り込む必要は無い。
あと、ホエルンがテムジンの掌に痣を見つけているが、これも全く意味が無い。
ホエルンが母の違う子を育てているっていうのもどうでもいいし、嫁探しの旅も特に面白味があるわけではない。
いっそのこと、テムジンが指導者になった辺りから始めても良かったんじゃないか。

少年時代にテムジンはジャムカと知り合うが、会って弓の競技をやっただけで盟友の誓いを立てるんだから、すげえ性急だ。
そこに限らず、何から何まで薄っぺらい。伝記映画の陥り安いパターンにハマっている。
ようするに、その人物の生涯を追い掛ける作業だけで精一杯になり、経歴の上っ面を撫でることに終始してしまうってこと。
それは「主人公をどのような人物として描きたいのか」「どこにポイントを置いて物語を構築するのか」ということが定まらないまま製作 すると、まあ陥るパターンだよね。

内容を盛り込みすぎているので、全ての出来事は軽く処理され、サクサクと進んでいく。
ホエルンがイェスゲイに略奪されると、すぐに「私がイェスゲイに略奪されてから、およそ10ヶ月が経ちました」というホエルンの語りで 10ヶ月後に飛ぶ。
イェスゲイの毒殺は伝聞として示されるだけで、その出来事自体は描かれない。
年月が過ぎてテムジンが成長すると、いつの間にかムンリクたちが戻っている。彼とボオルチュのやり取りも、ものすごく薄い。
テムジンはボルテの元へ行くが、もはや彼女のことなんて忘れていたよ。

テムジンはタイチュウト族との戦にい向けた準備をしているが、何も無いまま2年が経過する。テムジンから何かを仕掛けるわけでもない 。
で、いきなりトオリルが出て来るけど、どういう立場の人間なのか良く分からない。彼と提携することにどういう意味があるのかも良く 分からない。
トオリルと提携するのはイェスゲイの遺言だったらしいが、なぜ何年も経過してから訪れるのかも不明。
タイチュウト族と戦うための準備なのかと思ったら、そうでもないみたいだし。

チレドはホエルンを奪われてから20年以上も経過してから、その仕返しにボルテを拉致したらしいんだが、アホとしか思えん。
で、それを受けて、テムジンは「私は父上の子ではないのか」とホエルンを問い詰めるが、そこで悩むのは良く分からん。
だって、父の子であろうとなかろうと、母がメルキトってことは、メルキトの血が入っているわけで。
それを知った段階では、何も悩まなかったのか。

そんでテムジンは、自分の父が母を拉致したことを知っても、それに対しては何も思わないのか。「妻を奪われて激怒したけど、テメエの 父も同じことをやっていた」ということに関しては、何も感じないのか。
「父上の血が流れてないのか」と悩むより、「自分の嫁を拉致した敵と、同じような卑劣な真似をしていた男の息子なのか」というところ で悩んでくれよ。悩むポイントに共感できないぞ。
あと、序盤で「いつか必ず、この仇を売ってやる。私は心に固く誓っていました」と復讐を考えていたはずのホエルンが、イェスゲイを 誇りに思っているような発言をしているが、いつの間に恨んだり憎んだりという気持ちが消えたのか。
彼女の中で、どういう気持ちの変遷があったのか。それが見えてこない。
そこを描かないのなら、彼女の拉致とか出産とかは、バッサリとカットすればいいのに。

中盤でボルテがジュチを出産し、テムジンは父親になるが、その親子関係のドラマには全く関心を持てない。
正直、父親としてのテムジンとか、どうでもいい感じ。
っていうか、そもそも、ジュチが誕生しても、しばらくは彼の存在なんか脇に追いやられているし。
その一方、クランという女性キャラを登場させたりするが、完全に要らないキャラでしょ。
で、タタールから戻ったテムジンは、誕生時点では嫌悪していたジュチと普通に喋っているんだけど、息子に対する捻じ曲がった感情が 全く見えてこない。

タイチャルの暗殺未遂があった後、次のシーンではすぐにテムジンがジャムカ軍との戦いに向けたアジテーションを部下に行っている。
そこには「信頼していたジャムカが裏切るなんて信じられない、どうしてなんだ」という激しい同様や嘆き、怒り、そういった心情描写が 全く無い。あっさりと戦闘モードに突入してしまうのだ。ジャムカと面会し、腹を割って話し合うような手順も無い。
しかも、その直前にはジュチにメルキト討伐を命じていたのに、ジャムカとの戦いになる。
で、「だったらジュチに任務を命じるのは後回しにすればいいでしょ」と思っていたら、「私をまた北方へ?」とジュチが口にする。
ってことは、メルキト討伐は終わっているのか。
いつの間に終わったんだよ。
っていうか、この親子の愛憎劇も全く膨らまないし、要らないなあ。
最後をその親子関係で収束に持ち込まれても、ピンと来ないよ。そこまでの物語が、その着地点に向けての進路を通っていないからね。

色んな情念が渦巻いているはずなのだが、テムジンの苦悩や葛藤、悲哀や嘆きといった深い感情が全く見えてこない。
浅いんだよな。
反町隆史は芝居が上手い俳優じゃないけど、テムジンの感情が全く見えてこないのは、彼の演技力の問題じゃない。
そもそも彼の心情を描写しようという意識が見えない。
あと、反町の演技がマシに思えるぐらい、菊川怜や平山祐介の芝居が下手だ。

この映画を見ていると、ホントはヒドい考え方なんだろうけど、「テムジンはジュチが産まれた時に、容赦なく殺すべきだったんだよ」と 言いたくなってしまう。
あと、戦いの主人公としても、テムジンに全く魅力を感じない。彼が戦いに挑んでも、燃える物が無いんだよな。
いっそのこと、徹底して勧善懲悪にしちゃっても良かったんじゃないかな。
それだと物語の厚みや深みは期待できないけど、どうせ本作品のだって、そんなモンは無いんだから。

この映画を見ても、テムジンをどういう人物として描きたかったのか、何を描き出そうとしているのか、サッパリ分からないん だよね。
色々な面を全て描こうとして、全て中途半端になっているのだ。もっと割り切って、「モンゴルを統一した英雄」として描けば良かったん じゃないのかねえ。
どこに焦点を絞るかという考え方は色々とあるだろうけど、それが最も無難だったんじゃないかあと。

終盤、テムジンがモンゴル王に即位してチンギス・ハーンになっても、まるでテンションが高まらない。「テムジンがモンゴル統一のため に突き進む」という筋書きじゃなかったのでね。
その後、金国を倒そうと決めるのも、唐突にしか感じない。
もはや、どこを修正すれば救うことが出来るとか、そういうレベルではない。良い所、誉める所を見つける方が難しい。
「三拍子揃った」という表現があるが、果たして何拍子なのかと思うぐらい、大量の欠点が揃っている。いちいち列挙するのも面倒に 思えるほどだ。
構成もメチャクチャで、計算能力が無さすぎる。
香港映画みたいに、撮影しながら話を作っていったわけじゃないでしょうに。

(観賞日:2011年4月19日)


第1回(2007年度)HIHOはくさい映画賞

・生涯功労賞:角川春樹
<*『蒼き狼 地果て海尽きるまで』『椿三十郎』の2作で受賞>

第4回(2007年度)蛇いちご賞

・作品賞
・女優賞:菊川怜
・新人賞:Ara

2007年度 文春きいちご賞:第1位

 

*ポンコツ映画愛護協会