『映画 暗殺教室』:2015、日本
月を破壊した超生物が日本に襲来し、防衛省は戦闘機部隊を出撃させた。椚ヶ丘中学校の理事長は烏間惟臣に、「ほんの一握りの富裕層を支えているのは、多くの低所得者層だ。弱者がいるからこそ、強者は強者でいることが出来る。この学園のレベルを高く保つために、3年E組は必要なのです」と述べた。潮田渚が3年の新学期を迎えた時、全校集会で理事長は「他のクラスの人たちは、E組のようにならないように」と馬鹿にした口調で告げた。
進学校のレベルに付いて行けなかった渚たちは、脱落組として3年E組に集められた。山の上の旧校舎に隔離された彼らは、他の生徒たちから馬鹿にされる存在だ。そんな彼らの前に担任教師として現れたのが、黄色いタコのような超生物だった。彼は「月を破壊した犯人です。来年の3月には、地球も破壊する予定です」と言い、生徒たちを困惑させる。同席した防衛省臨時特務部所属の烏間は、国家機密だと前置きした上で「この怪物を君たちに殺してもらいたい」と口にした。
烏間は生徒たちに、超生物が3月に地球の破壊を目論んでいるのが事実であること、それは各国首脳しか知らないことを語る。日本政府は秘密裏に超生物の抹殺を狙ったが、最高速度マッハ20のスピードに全く手が出せなかった。超生物は「それでは面白くない」ということで、3年E組の担任ならやってもいいと提案した。生徒に危害は加えないという条件で、政府は提案を了承した。烏間は生徒たちに、武器として特殊生物用のBB弾とナイフを支給すること、成功報酬は百億円であることを説明した。
生徒たちを訓練するため、烏間は副担任として学校に残った。そのサポート役として、後にイリーナ・イェラビッチが加わった。当初、彼女は優秀な殺し屋として送り込まれた。しかし超生物によって、何だかよく分からないがとんでもないことをされて、なぜか英語教師としてE組に残った。寺坂竜馬、吉田大成、村松拓哉は渚を脅して利用し、超生物を始末しようとするが失敗に終わった。超生物に名前が無いことを知った茅野カエデは「殺せんせー」と呼ぶことを提案し、中村莉桜や神崎有希子、奥田愛美たちも賛同した。
2年の時に起こした暴力事件で停学中だった赤羽業が、3年E組の生徒として復学した。業が挑発的な言動を繰り返しても、殺せんせーは余裕の態度で対応した。業は2年の時、苛めを受けていた3年E組の先輩を救ってA組の生徒たちを殴った。しかし信頼していた担任から「お前が悪い。E組なんて庇ってA組の生徒に重傷を負わせるとは。何かあったら俺が責任を取らされるんだ」と叱責され、教師を信頼できなくなっていた。
業は渚に、「殺せんせーって、どんな先生?」と尋ねた。渚は「ちょっと変わってるけど、いい先生だよ」と告げ、教え方が上手いと他の生徒たちも評していることを教えた。そこへ殺せんせーが現れると、業は「先生って、命を懸けて生徒を守ってくれる?」と問い掛ける。「もちろん。先生ですから」と殺せんせーが言うと、業は「なら、オレ殺せるよ、確実に」と告げる。彼は崖から飛び降り、拳銃を構えて殺せんせーを待ち受ける。すると殺せんせーは触手をネットに変化させ、照準には入らずに業を救った。「見捨てるという選択肢は、先生には無い。だから、いつでも信じて飛び降りて下さい」と言われた業は、「こりゃダメだ」と軽く笑った。
月が破壊されてから2ヶ月が経過した頃、烏間は上官から「世界各国が日本もろとも超生物を葬り去ろうとしている。だが、どの攻撃も超生物によって食い止められているらしい。日本は超生物に守られているという、皮肉な結果になってしまった」と告げられる。烏間が結果を出せずにいることから、上官は「転入生を送ることにした」と言う。「まだ完全な状態ではなく、暴走する恐れがある」と彼が説明した転入生は、「自律思考固定砲台」と呼ばれる箱形のロボットだった。
転入生として3年E組に加わった自律思考固定砲台は、モニターに美少女が写し出されるようになっていた。砲台には自身を進化させる機能が備わっており、装備された武器で殺せんせーを何度も攻撃してデータを採集した。しかし授業中に乱射する上に弾丸の後片付けもしないので、生徒たちは迷惑だと感じ、武器を出せないように鎖やガムテープでグルグル巻きにした。殺せんせーは砲台に「みんなと協調する方法を学ばねばなりません」と説き、クラスメイトの資料を渡した。
翌朝、砲台はクラスメイトの携帯にアプリとなって出現し、笑顔で元気に挨拶した。生徒たちは砲台を受け入れ、カエデが「律」という呼び名を考えた。律は生徒たちに、転校生が来ることを教えた。その転校生は堀部イトナという男子で、シロと名乗る覆面の保護者が同行した。イトナは殺せんせーに、「俺はお前を殺せる。なぜなら血を分けた兄弟だから。お前を殺して、俺の強さを証明する」と言い放つ。放課後、殺せんせーはシロの決めたルールで戦い、イトナの触手攻撃に追い詰められる。しかし殺せんせーは特殊生物用ナイフを利用して形勢を逆転させ、イトナを倒した。殺せんせーは「私を殺したいのなら、このクラスでみんなと一緒に学びなさい」と告げた。
殺せんせーは渚から「なぜE組に来たの?」と問われ、「ある人との約束を守るために、君たちの先生になりました」と答える。詳しい事情を知りたがる渚に、彼は「知りたいなら行動はただ一つ。私を暗殺してみせなさい」と言う。「いつか殺せんせーを殺すために、今やれることはありますか」と渚が尋ねると、彼は「土日は学校に泊まり込みで勉強しましょう。そうすれば私と過ごす時間も長くなります。いわば暗殺合宿なのです」と述べた。
合宿に入ると、殺せんせーは分身してマッハのスピードで移動しながら、生徒たちに苦手分野を復習させた。イリーナは女子たちから一番の殺し屋について質問され、死神と呼ばれる人物だと教えた。ただし誰も本名や素顔を知らず、その存在さえ確かではないという。合宿の間、烏間は生徒たちの戦闘能力について分析していた。何名かの生徒が、射撃やナイフの扱いにおける才能を発揮していた。そんな中でも、烏間が最も注目している生徒は渚だった。
合宿を終えた週明けに、新任の体育教師として鷹岡明が赴任した。彼は生徒たちにバウムクーヘンを差し入れ、親しみやすい態度で接する。鷹岡は烏間の同期生で、強烈なライバル心を抱いていた。自衛官として烏間に勝てないと感じた彼は、教官としての道を選んでいた。イリーナは烏間に、教官時代の鷹岡と教え子たちの関係を示す写真を見せた。家族のように接しつつ、暴力的な独裁体制で忠実なチームを育てるのが鷹岡のやり方だった。
厳しい訓練に耐え切れなくなった有希子が離脱しようとすると、鷹岡は態度を豹変させて暴力を振るった。鷹岡が容赦なく殴り付けようとすると、烏間が制止に入った。すると鷹岡は「教師として対決しよう」と言い、一人の生徒を選ぶよう烏間に要求する。鷹岡は「俺は素手で戦う。生徒が少しでもナイフを当てられたら出て行ってやる」と話し、本物のナイフを差し出す。烏間は渚を指名し、ナイフを渡した。渚は弱そうな様子を見せるが、油断している鷹岡を押し倒して首筋にナイフを突き付けた。鷹岡は「このままで済むと思うなよ」と捨て台詞を吐き、椚ヶ丘中学校を去った…。監督は羽住英一郎、原作は『暗殺教室』松井優征(集英社「週刊少年ジャンプ」連載)、脚本は金沢達也、製作は石原隆&渡辺直樹&藤島ジュリーK.&市川南&加太孝明、プロデューサーは上原寿一&森井輝、アソシエイトプロデューサーは小川英洋、ラインプロデューサーは古屋厚、撮影は江崎朋生、照明は三善章誉、録音は柳屋文彦、美術は[木へんに]木陽次、VFXスーパーバイザーはオダイッセイ、編集は松尾浩、音楽は佐藤直紀、主題歌は『殺せんせーションズ』せんせーションズ。
出演は山田涼介、菅田将暉、山本舞香、椎名桔平、知英、高嶋政伸、橋本環奈、加藤清史郎、桐谷美玲、竹富聖花、優希美青、上原実矩、吉田鋼太郎、中原丈雄、加藤雄飛、長村航希、高橋紗妃、宮原華音、荒井祥太、志村玲那、小澤顧亜、市川理矩、吉原拓弥、大岡拓海、菅原健、大熊杏実、田中日南乃、金子海音、武田玲奈、岡田隆之介、三河悠冴、高尾勇次、佐藤ありさ、長谷川ティティ、葵わかな、萩原利久、村田優一、堀越光貴、櫻井圭登、新美夏里史、今泉玲奈、中原和人、谷口寛介、浅野瑛海、秋葉月花、青山めぐ、河下理恵、永井里菜、辰巳ゆい、沖田杏梨ら。
声の出演は二宮和也。
松井優征の人気漫画『暗殺教室』を基にした作品。
監督は『ワイルド7』『BRAVE HEARTS 海猿』の羽住英一郎。
TVドラマ『ハンマーセッション!』や『ラッキーセブン』などの脚本を手掛けた金沢達也が、初めて映画のシナリオを担当している。
渚を山田涼介、業を菅田将暉、カエデを山本舞香、烏間を椎名桔平、イリーナを知英、鷹岡を高嶋政伸、律を橋本環奈、イトナを加藤清史郎、莉桜を竹富聖花、有希子を優希美青、愛美を上原実矩が演じており、殺せんせーの声を二宮和也が担当している。最初に引っ掛かるのは、渚のナレーション。
3年E組に関して、彼は「他のクラスの奴らから、いつも馬鹿にされてた」と語る。
しかし、そのナレーションが入るのは、新学期に旧校舎へ向かうシーンだ。
彼らは学校のレベルに付いて行けず、3年になってからE組になったはず。1年と2年の間は、まだ脱落組じゃなかったはずだ。
だったら、新学期に初めて3年E組となったばかりなのに、「いつも馬鹿にされてた」と語るのは筋が通らないでしょ。この映画、原作漫画を読んでいなければ、付いて行けずに早い段階で脱落する恐れがある。
のっけから、タコの化け物みたいな超生物が担任教師として赴任するわ、地球の破壊を予告するわ、生徒たちが暗殺を指示されるわと、「荒唐無稽にも程があるだろ」と言いたくなる初期設定である。
かなり突飛な設定や世界観であり、いちいち「なぜ」「どうして」とマトモに考えていたらキリが無いし、腑に落ちるような答えなんて用意されていない。
だからと言って、全てを無条件に受け入れるのは、そう簡単なことではない。これが漫画なら、最初に奇抜なキャラクターや設定で読者を引き付けておいて、連載を進める中で世界観に馴染ませていくという手法が可能だ。
映画の場合、それと全く同じ手口は使えない。
2時間程度の上映時間を使い、次第に特異な世界観や設定を受け入れさせていくという方法が、使えないわけではない。ただし、そんなことをやっていたら、馴染ませるだけで多くの時間を費やしてしまう。
3部作ぐらいの余裕があればともかく、この1本だけで何とかしようと思ったら、その方法は採用できないだろう。そこで本作品は、「観客を突飛な設定や世界観に馴染ませる」という作業を完全に放棄した。「分からん人は、ほっときますよ」という、漫談家のテントさんの如きスタンスで、導入部から強引に話を進めて行く。
もはや原作を読んでいない人は、置いてけぼりを食らわせても構わないってことなんだろう。
しかも恐ろしいことに、アヴァン・タイトルの段階で「イリーナが殺し屋として登場したが、殺せんせーに負けて英語教師になった」というトコロまでバタバタと片付けている。
そんな導入部になっているので、「これってTVシリーズを編集したダイジェスト版なのか」と思ってしまうぐらいだ。
それぐらい、あまりにも慌ただしいのである。寺坂グループが殺害に失敗するエピソードを経て、カエデが超生物に「殺せんせー」と名付ける手順が訪れる。
その段階で多くの生徒たちが殺せんせーのことを楽しそうに話しており、すっかり打ち解けている。
また、殺せんせーに「笑顔で胸を張れる暗殺をしましょう」と頭を撫でられた渚は、嬉しそうな表情を浮かべている。
つまり「生徒たちが暗殺をエンジョイし、殺せんせーを狙いつつも担任として受け入れる」という状況への変化が起きているのだが、完全に観客は置いてけぼりを食わされてしまう。
そういう段取りに対して、経緯を描写するためのドラマが全く足りていないからだ。最初に登場したE組の生徒たちの内、顔と名前が分かるのは、ほんの一握りに過ぎない。ハッキリ言っちゃうと、渚とカエデぐらいだ。
渚とカエデにしても、「顔と名前が判別できて一致する」というだけであって、中身はペラッペラだ。他の連中に至っては、その大半が顔も名前も全く分からない。
そんな状態なのに、早くも業という新キャラを登場させる。
原作漫画の内容を全て詰め込んで処理することに精一杯で、だから慌ただしくて薄っぺらい仕上がりになっているのだ。本来ならば、まずは生徒たちの主要キャラを紹介しつつ、殺せんせーとの奇妙な交流が深まる過程を描写すべきだろう。しかし、ドラマとしての充実よりも、「とにかく原作の内容を詰め込む」ってことばかりを優先しているのだ。
だから漫画を読んでいる人は、いちいち脳内補完する必要がある。
しかも、脳内補完したとしても、「慌ただしくて薄っぺらい」という印象は変わらないのだ。
羽住英一郎監督は『逆境ナイン』でも同じ過ちを犯していたが(脚本家は異なるけど)、何も学習しちゃいないのか。
っていうか、たぶん『逆境ナイン』が失敗だったとは思っちゃいないんだろうなあ。業をフィーチャーするエピソードにしても、本来なら最低でも20分ぐらいは欲しいところだ。しかし、そんな余裕は全く無いので、さっさと片付けてしまう。
そして業をアンサンブルに埋没させると、今度は律という新しいキャラを登場させる。
この映画、前半戦は「新たなエピソード」と「新キャラの登場」がイコールになっているのだが、それも「TVシリーズのダイジェストっぽさ」に繋がっている。
新キャラが登場すると、前のエピソードで登場したキャラは「その他大勢」に成り下がり、しばらくは存在感を消されてしまう。律のエピソードも当然のことながら、業の時と同様、すぐに片付ける。そして、今度はイトナという新キャラを登場させ、これまた簡単に片付ける。
最初から終わりまで、そういう駆け足モードが持続する。
キャラクターを掘り下げようとか、ドラマを膨らまそうとか、そんな気は全く無い。ただ無造作にキャラクターを放り込み、適当に放り投げて、それで終わりだ。
後半に入ると、しばらく存在感を消していた数名の「個人」に仕事は与えているが、それも「原作の内容を処理するための段取りに利用している」というだけに過ぎない。烏間と鷹岡の因縁なんて、心底から「どうでもいいわ」と感じる要素だ。それは「殺せんせーと生徒たちの奇妙な交流」にも、暗殺計画にも、まるで関係が無いんだから。
それを考えれば、そもそも鷹岡というキャラクター自体が邪魔だと言ってもいいだろう。
どうせ「原作に登場するキャラクターだから、出さなきゃダメだろ」という安易な考えで無造作に放り込んでいるんだろうけど、そういうトコでの思い切った取捨選択も時には必要でしょうに。
漫画の内容を何でもかんでも詰め込めば、それが原作へのリスペクトやファンへのサービスに必ずしも繋がるわけではないよ。ぶっちゃけ、「渚たちが殺せんせーの暗殺を目論みつつ、生徒と教師としての関係も深めていく。仲良くなって楽しく過ごすことも多くなるけど、一方で暗殺の任務は放棄しない」という奇妙な関係性が構築されるまでの経緯をスムーズな流れの中で描写し、観客を上手く順応させようとしたら、それだけで2時間ぐらいは必要じゃないかと思うのよ。
つまり、「奇妙な関係が出来上がりました」というトコがゴールになる構成にしてもいいぐらいなのよ。
でも、要らない使命感があったのか、そういう要求があったのかは知らないけど、「原作の内容を全て盛り込む」ということに縛られた結果として、シオシオのパーになっちゃってるわけよ。この映画で何よりも酷いのは、その終わり方だ。
劇中では多くの謎が提示されたり、伏線を張ったりして、「これから新たな展開が」ということを匂わせている。
ところが、そこを何も解決せずに、「to be continued」という文字と共に映画を終わらせてしまうのだ。
ようするに、「後は続編を見てね」ってことなのだ。
最初から続編をアナウンスした上で公開されているのなら、それでも一応の区切りは付けた方がいいと思うけど、まあ理解できなくはない。
しかし何の発表も無い状態で、その投げっ放し状態なのだ。きっと配給したした東宝は、最初から続編を予定していたんだろう。
しかし、それなら最初から「この1本で終わりじゃなくて、続編を予定していますよ」ってことを公表しておけばいいのだ。
それを隠し、まるで単独で成立するような映画のように見せ掛けて公開し、それなのに何も解決しないまま「to be continued」で続編に繋げるのは、観客に対してものすごく不誠実な手口だ。
商売人としては狡猾かもしれないが、映画人としては卑劣だ。
あえて言おう、クズであると。(観賞日:2016年4月4日)