『アナザー Another』:2012、日本

1998年、夜見山市。4月19日、榊原恒一は気胸の発作で倒れて病院へ担ぎ込まれた。全身麻酔を掛けられた彼は、不思議な目を見た。それは、制服姿の見知らぬ少女に連れて行かれた丘で、死んだ母と出会う夢だった。症状が回復して病室を出た恒一は、夢に出て来た眼帯の少女を目撃した。後を追うとエレベーターで地下に行ったため、恒一は「地下に病室は無いよ」と告げる。しかし少女は無視し、霊安室へ入って行った。
5月6日、恒一は夜見山北中学校3年3組に転入し、担任教師の久保寺紹二に促されて自己紹介する。恒一は父が仕事で1年間のインド生活になるため、祖母の家で暮らすために東京から引っ越して来た。本当は4月から転校する予定だったが、入院のせいで遅れたのだった。クラスを見回した彼は、窓際の最後列の席に座っている眼帯少女に気付いた。休み時間になって恒一が視線を向けると、彼女は姿を消していた。
クラスメイトの望月優矢は、恒一に改訂版のクラス名簿を渡した。恒一がクラスメイトの勅使河原直哉や望月優矢に一番後ろの席について尋ねると、「あそこは空席だよ」と告げられた。帰宅した恒一が自室にいると、亡き母の妹である三神怜子が戻って来た。彼女は3組の副担任で、夜見山北中学校の卒業生でもある。彼女は卒業生として教える4つの心構えとして、「屋上でカラスの鳴き声を聞いたら中に入る時は左足から入ること」「3年生は裏門の外の坂道で転んではいけない」「クラスの決め事は絶対に守ること」「家と学校との区別はちゃんと付けること」と語った。
翌日、校庭でクラスメイトの桜木ゆかりと話していた恒一は、屋上に立つ少女に気付いた。恒一はゆかりに「ウチのクラスの子だよね?」と問い掛けるが、いつの間にか少女は姿を消していた。屋上へ行くと少女がいたので、恒一は話し掛けた。彼女は見崎鳴という名前だった。鳴は「気を付けて。もう始まってるかもしれない」と言い残し、恒一が発作を起こしている間に屋上を後にした。病院を訪れた恒一は医者から「どんな時に苦しくなる?」と問われ、鳴と一緒にいる時だと気付いた。
次の日、恒一が窓の近くにいる鳴を見ていると彼女は立ち去り、その後に男が現れた。すると優矢が来て、「気味悪いだろう?図書室の司書。ずっと昔、ミサキの担任だったって」と言う。恒一が図書室へ行くと、人形を描いたスケッチブックが置いてあった。そこへ司書の千曳辰治が現れ、「休み時間は終わってるぞ」と注意した。立ち去ろうとした恒一は図書室の中にいる鳴に気付き、戻ろうとした。すると直哉とクラスメイトの山田優が現れ、恒一を裏庭へ連れ出した。
恒一は直哉と優から、「質問は無しで聞いてほしい」と言われる。彼らは26年前の1972年にミサキという人気者の生徒が死んだこと、3年3組の友人たちは彼女の死を受け入れられなかったこと、教室に人形を置いて彼女が生きているフリを続けたこと、担任の千曳も同調したことを語る。病院を訪れた恒一は看護師の水野沙苗に、自分が入院していた4月に亡くなった女の子はいないかと尋ねた。彼が工房Mという人形工房へ行くと、鳴が現れた。彼女は眼帯を外して人形たちに視線を向け、「この子たちと一緒」と告げた。
恒一が教室の座席表を確認すると、鳴の座席に生徒名は無く、バツで消されていた。すると、ゆかりや赤沢泉美と一緒に屋上にいた直哉が彼に電話を掛け、「言っただろ。あの席には誰もいないんだ。いない者の相手をすると誰かが死ぬんだ」と告げた。恒一は怜子に、クラスのみんなが変だと相談した。すると怜子は「まだ慣れてないから、そんな風に感じるだけでしょう」と言った後、「それに、物事には知るタイミングがあるの」と何か知っているような様子で告げた。
5月28日。恒一はテストを早く終えて教室を出た。気になったゆかりは後を追い、窓の外にいた鳴を見る彼に「お願い、詮索しないで」と告げる。しかし事情の説明が無かったため、恒一は鳴の元へ行く。「私と喋らない方がいい」という鳴に恒一が触れると、ゆかりが走ってきた。彼女は「もうやだ」と泣きそうな表情を浮かべ、後ずさりした。その直後、用務員がゴミを燃やしていたドラム缶で爆発が起き、窓ガラスが割れた。ゆかりは爆風に吹き飛ばされ、干してあった傘が首に突き刺さった。彼女は「アンタのせいよ」と恒一を睨んで死ぬ。恒一が鳴の瞳を覗き込むと、そこに写るゆかりの体からは不気味な何かが這い出していた。
現場に駆け付けたクラスメイトたちは、「ルールを破ったからだ」と口にした。恒一は沙苗の弟がクラスメイトの猛だと知り、見崎鳴のことを聞いてほしいと頼んだ。すると翌日、猛は「お姉ちゃんに変なこと言うな」と恒一に怒りを示した。直哉は恒一に「何も聞くな。みんなと同じように行動しろ」と要求する。「見崎鳴がいるのに、いないフリをするのがルールなの?僕には出来ない」と恒一は拒んだ。病院を訪れた沙苗を見つけるが、声を掛けずに去ろうとする。その直後、沙苗はエレベーターの事故によって死亡した。
6月8日。恒一が学校へ行くと、クラス名簿の自分の欄がバツで消されていた。クラスメイトは鳴と同じように、彼も「いない者」として扱うことにしたのだ。クラス名簿には、「あとは見崎に聞け」と書かれていた。恒一は工房Mへ行き、鳴に「いない者とか、ルールとか、何なんだよ」と言う。すると鳴は「クラスの中の1人を、いない者として1年間過ごす。このルールを守らないと、人が死ぬ」と話す。何のためのルールなのか恒一が尋ねると、「死にまつわる異常な現象を止めるためのルール」と彼女は告げた。
鳴は養母の霧果から、「貴方のことは私が一番よく知ってる。お友達なんかいらないでしょ。いつも言っていることだけど、あのことを誰かに言ったら駄目よ。みんな貴方を誤解するから」と言われる。恒一が「いない者の役目は拒否できないの?」と質問すると、鳴は4月27日の出来事を教えた。その日、クラスでくじ引きを行い、いない者が和久井桜子に決定した。しかし彼女が泣いて嫌がったため、鳴が代役を引き受けたのだった。
クラスメイトが恒一を「いない者」にした理由について、鳴は「そうすればルールを破ったことにならない」と説明する。いない者同士として、恒一は鳴と仲良くなった。鳴は左目の眼帯について、「見えなくていい物が見えたりするから」と述べた。ルールが定められた事情について恒一が知りたがると、鳴は司書室へ連れて行き、千曳に彼が2人目の「いない者」だと告げた。千曳は26年前に夜見山岬という生徒が死んだこと、翌年に3組の生徒や肉親の死が相次いだことを語る。彼は卒業式の後、いるはずのない誰かがクラスに混じっていたことに気付いた。
死者が混じる年には、現象としか呼びようのない死の連鎖が起きる。そして、現象で死んだ人間の誰かが、後に死者となって教室に紛れ込み、現象を呼び込んでしまう。だが、人間の脳は、その現象を捉えるように出来ていないのだと千曳は話す。記憶が改ざんされてしまうため、現象が過ぎ去った後は誰も死者の存在を覚えていないのだという。千曳は現象を引き起こした責任を感じており、最後まで見届けるために司書をしているのだった。
恒一が「誰が死者なんだろう」と口にすると、鳴は「分かったところで、どうしようもないでしょ」と言う。「本当にそうなのかなあ」と漏らした恒一は、「自分が死者かもって考えたことはない?」と鳴に問い掛けた。自分が死者かもしれないと疑念を抱く彼に、「榊原君は死者じゃないよ」と鳴は告げた。彼女は「私、死の色が見えるの」と眼帯を外し、「4歳の時、病気で人形の目になったから。見えるはずがないのに見えるようになった」と語った。
7月6日。自宅にいた久保寺は停電中に転倒し、スプーンが目に突き刺さった。柱に激突したためにスプーンが深くまで押し込まれ、彼は死亡した。優矢と優は書置きを残して家出し、町を出ることで現象を回避しようとする。しかし優は自転車のブレーキが効かずに道路へ飛び出し、走って来た車に衝突して死んだ。怖くなった優矢は、慌てて町へ舞い戻った。ルールを守っても現象が止まらないため、3組の生徒たちは苛立ちと不安を募らせた。
恒一は現象を終わらせたいと考え、鳴と共に司書室から千曳のノートを盗み出した。自分の誕生年のノートを開いた彼は、卒業アルバムにあった怜子の写真を見つめた。現象のことを恒一から指摘された怜子は、「ホントは私から説明してあげたかったんだけど」と釈明した。「僕のお母さんは現象のせいで死んだんでしょ?」と恒一が言うと、彼女は「私にも分からないわ」と述べた。怜子は急に決まった1983年の合宿で撮られた写真を見つけるが、何の合宿なのかは覚えていなかった。
閉鎖されている旧校舎に無断で立ち入った恒一と鳴は、見知らぬ男が何かを探して苛立っている様子を目撃した。男は何も発見できず、旧校舎の教室を後にした。その後で教室に入った恒一は、隠されていたカセットテープを発見する。テープを再生すると、1983年に3組の生徒だった松永が吹き込んだ音声が聞こえてきた。彼は中学3年生の夏合宿で口論になった同級生を殺してしまったこと、死体が消えたこと、その後に現象が止まったことを語っていた。その同級生は、紛れ込んでいた死者だったのだ。「死者を死に返すと秩序を回復する。クラスに紛れ込んでいた死者を元いた場所に戻すために殺すんだ。それで現象は止まる」と、彼は語り掛けていた…。

監督は古澤健、原作は綾辻行人 『Another』(角川文庫)、脚本は田中幸子&古澤健、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎、企画は椎名保、製作は池田宏之&市川南&阿佐美弘恭、プロデューサーは小林剛&下田淳行、共同プロデューサーは原公男、ラインプロデューサーは及川義幸、撮影は喜久村徳章、照明は関輝久、美術は丸尾知行、録音は井家眞紀夫、編集は大永昌弘、人形制作は恋月姫、音楽は安川午朗。
主題歌は加藤ミリヤ『楽園』作詞・作曲:Miliyah、編曲:Tomokazu "T.O.M." Matsuzawa for PGLM。
出演は山崎賢人、橋本愛、加藤あい、袴田吉彦、正名僕蔵、佐藤寛子、三浦誠己、つみきみほ、銀粉蝶、宇治清高、井之脇海、岡山天音、脇卓史、清水元揮、佐々木隆一朗、岡野真也、秋月三佳、今野真菜、綾那、川瀬陽太、恩田括、荒木誠、今本洋子、佐藤誓、藤井武美、中山絵梨奈、辻美優、清水真緒、馬場有加、秋月成美、大森浩平、茂業将真、熊谷有彬、江田大空、佐藤大海、折元星也、竹田哲、野呂汰雅、宮嶋希、福留彩加、津田祥世、菊地彩香、櫻田梨菜、牛居光子、水野桜花、山崎茉那、村田愛佳、岩村佳奈、糟谷優、岸田華奈、今野鮎利、山田諒ら。


綾辻行人の小説『Another』を基にした作品。
監督は『トワイライトシンドローム デッドクルーズ』『アベックパンチ』の古澤健、脚本は『雷桜』『アントキノイノチ』の田中幸子。
恒一を山崎賢人、鳴を橋本愛、怜子を加藤あい、千曳を袴田吉彦、久保寺を正名僕蔵、沙苗を佐藤寛子、松永を三浦誠己、霧果をつみきみほ、民江を銀粉蝶、直哉を宇治清高、優矢を井之脇海、優を岡山天音、智彦を脇卓史、猛を清水元揮、学を佐々木隆一朗、ゆかりを岡野真也、泉美を秋月三佳、桜子を今野真菜が演じている。

転入した恒一は鳴に気付くが、休み時間になると消えている。そして望月に「あそこは空席だよ」と言われ、「僕にしか見えてない?それ とも、これは夢の続きなんだろうか」というモノローグが入る。
BGMも含めて、その辺りはちっとも怖くない。むしろ、大林宣彦チックなファンダシーの香りさえ漂うほどだ。
まず「鳴が実在しない」ってのは無いだろうという印象が強いが、仮に恒一にしか見えていないとしても、ホラーの予兆は全く感じない。
別に不安を煽らなくても、後に待ち受ける恐怖への落差を付けるためという狙いがあるなら、それはそれで有りなのよ。だけど、そういう意識があるようにも思えないのよ。
あと、「僕にしか見えてない?それとも、これは夢の続きなんだろうか」というモノローグも、かなり疎ましいぞ。
そんなのは、わざわざ台詞にするようなことじゃないよ。映像を見ていれば、「もしかすると恒一にしか見えていないのか」ってことは伝わるし。余計なことを説明させて、雰囲気を壊している。

この映画は、不可解な箇所が幾つもある。
ホラー映画の場合、不可解さが恐怖や不安を煽るために作用するケースもある。だから、それが全面的にダメというわけではない。
ただし本作品の場合、そういう効果とは無関係の不可解さが目白押しだ。
しかも、不安を煽ろうとして不可解にしておいたのに効果が出なかったわけではなく、単純に説明不足だったり、表現を間違えていたりするだけになっている箇所が山ほどあるのだ。

まず、1998年の時代設定にしている意味が全く分からない。
公開された2012年の設定だと何かマズいことがあるのかというと、何も無い。
あえて言うなら「2012年だとカセットテープを再生する道具を高校生が持っていない」とは思うけど、だったら別のツールにすりゃいいわけで。
まさか、カセットテープを使うためだけに、1998年に設定しているわけでもあるまい。
ただ、それ以外に、1998年という時代の意味や必要性は全く感じられないんだよなあ。

時代設定と共に気になるのが、季節感だ。
恒一は4月に入院し、5月から学校に通い始めて8月には合宿が行われる。
つまり春から夏に掛けての物語なのだが、登場人物は秋や冬としか思えないような格好をしているのだ。
一応、学校のシーンだと6月8日から夏服に衣替えしているので、そこは季節の変化に対応できている。ところが8月の合宿シーンになると、みんな長袖を着ている。しかも、外がちっとも暑そうじゃない。
たぶんロケ日が冬場だったんだろうとは思うけど、それが画面で見えちゃったらダメでしょ。

入院した恒一は、人形を抱いて霊安室へ入る鳴を目撃する。
鳴の行動は不気味だが、何の目的で霊安室に入ったのか、なぜ人形を抱いていたのかは、最後まで分からないままだ。
どうやら原作だと、理由がキッチリと描写されているらしい。
で、原作の「人形を抱いた鳴が霊安室へ入るのを恒一が目撃する」という初対面のシーンだけを残して、鳴が霊安室へ入る理由の部分をバッサリと削ぎ落としたために、ワケの分からないことになっているわけだね。

序盤で感じるのは、「なぜクラスメイトは恒一に事情を説明しようとしないのか」ってことだ。
3年3組にとって、「いない者」を作って存在しないように振る舞うというルールは、絶対に守るべき事柄のはずだ。何しろ守らないと死人が出るんだから、重大なルールだ。
それならば、そういうルールがあることや、ルール制定に至る事情を、一刻も早く恒一に教えて仲間に入ってもらわないと困るはずだ。
ルールを教えずにルールを順守してもらおうとするなんて、そんな無茶な話は無いだろう。

そもそも、「恒一にルールを教えることを生徒たちが避けたがる理由」ってのは何なのか。
そりゃあ決して楽しい事情じゃないし、あまり大っぴらにしたくないルールではあるだろう。
ただ、それと「ルールを守ってもらわないと死人が出る」という問題を天秤に掛けた場合、どう考えたって後者を優先すべきだろうに。後ろ暗い事情があろうとも、何よりも大切なのは死人を出さないことなんだから。
久保寺は、いない者を決めるくじ引きのシーンで「ルールのことは彼がどういう生徒か見極めてから話そう」と言ってるけど、誰がどう考えてもアホな判断だ。ルールを知らなきゃ、鳴を「いない者」として扱うなんて絶対に出来ないんだからさ。

あと、恒一とクラスメイトの関係性が、そもそも変だ。
転入して自己紹介した後、優矢がクラス名簿を差し出したり、直哉が声を掛けたりするのは同姓だから分かる。だけど翌日のシーン、校庭のベンチで恒一がゆかりと2人きりになっており、「私は裏門の外で転んだ」という話を聞いているのは不可解だ。
いつの間に彼女と仲良くなったのか。しかも2人きりで話すってさ。
その後には「屋上にいた鳴が姿を消す」という展開があるけど、それより先に「いつの間にか恒一とゆかりが仲良くなっている」という不可解さがあるために、この映画から感じ取るべき本来の不可解さが弱まってしまう。

あと、鳴もクラスで決められたルールは知っているはずなんだから、話し掛けられた時に「こういう事情だから自分の存在は無視すべき」と説明すべきじゃないのか。
なんで「気を付けて。もう始まってるかもしれない」と意味ありげなことだけで済ませるんだよ。
とにかく3年3組の連中がボンクラすぎて、だんだんイライラしてくる。
恐怖や不安が皆無な上に苛立ちを喚起するって、そりゃホラーとして完全に失格だろうに。

恒一は気胸の発作で入院したせいで、4月ではなく5月から転入している。
そういう設定にしたのは、「みんなより遅れて3組に来たため、クラスのルールを知らない」という状況を作り出すためだろう。
他の面々は、たぶん中学に入って間もない内に3年3組の事情を知るはずだ。そして恒一だけが3年生から転入するってことは、その時点で既に「彼だけがルールを知らない」という状況は成立している。
ただ、新学期から転入すると「いない者」を決める時に同席することになるから、それを避けたかったってことなんだろう。

で、それは別にいいんだけど、問題は「恒一が気胸の持病持ち」という設定が、途中から全く無意味になるってことだ。
いや無意味っていうか、むしろ邪魔な要素になっている。直哉と優が説明している最中に恒一が苦しくて倒れ込んだりすると、「疎ましいわあ」としか感じない。
なんでストーリー展開に全く無関係な発作のせいで、説明の手順を中断しなきゃならんのかと。
しかも、直哉と優が「26年前の話には続きがある」と言っているのに、その発作でシーンが切り替わっちゃうんだぜ。
いやいや、続きの部分が大切なんだろうに。なんで簡単に終わらせちゃってるんだよ。

直哉と優が「26年前に岬という生徒が死んで、生徒も教師も彼女がいるフリを卒業まで続けました」と話したトコで終わってしまったら、わざわざ今まで隠していたことを打ち明けた意味が無いでしょ。
それを恒一を説明したところで、それと鳴の関係は全く分からないままなんだからさ。そんなことを急に説明しても、「だから何?」ってことになるでしょ。
そんで、発作が落ち着いてから改めて説明するのかと思ったら、もう説明しないし。
だったら直哉と優は何がしたかったのかと。

恒一は沙苗に「4月に病院で亡くなった女の子はいないか」と尋ねているが、それは「鳴が幽霊ではないか」という疑問を抱いているからでしょ。
だけど、それは「直哉と優が26年前の出来事を語った」という前のシーンと、まるで繋がりが無い。構成としてツギハギ状態になっているのだ。
その後、恒一は工房Mへ行くが、なぜなのかサッパリ分からない。そもそも、どうやって工房を突き止めたのかも不明。
実は工房Mって鳴の住まいで、だからクラス名簿に書かれている住所を見れば分かるのだ。ただし、そこが鳴の住まいってことは、映画を見ていても全く分からないのよ。それを説明しなきゃ、そりゃ恒一の行動が不可解に思えるのは当然だ。
で、そんな恒一を桜木ゆかりと赤沢泉美が尾行しているが、行動を監視するぐらいなら、さっさと事情を説明しろっての。

恒一は工房Mで鳴に「君、誰なの?3組にいるんだよね?」と尋ねるが、そこでシーンが切り替わってしまう。
ってことは、鳴は質問に答えなかったんだろうけど、答えない意味が無い。
そんで教室で恒一が座席表をチェックするシーンになるけど、今さらなのかと言いたくなる。転入した直後に「あの子は自分にしか見えていないのか」という疑問を抱いたんだから、すぐにチェックすりゃいいでしょ。
で、座席表を確認している恒一に直哉が校舎の屋上から電話を掛け、「言っただろ。あの席には誰もいないんだ。いない者の相手をすると誰かが死ぬんだ」と告げるんだけど、なぜ教室へ行って言わないのか分からん。
しかも恒一が屋上へ走ると、もう彼は立ち去っているのだ。
いやいや、なんで「26年前の出来事の続き」について説明しないんだよ。そんな「いない者の相手をすると誰かが死ぬ」というボンヤリしたことだけ言われて、それを鳴に喋り掛けるのを中止させようなんて、そりゃ無理に決まってるじゃねえか。

恒一が怜子に「クラスのみんなが、ちょっと変なんだ。勅使河原も、カズミも」と相談した時、「カズミって誰?」と思ってしまう。
そこまでにクラスメイトで名前が判明しているのは、勅使河原直哉のフルネームと望月の名字だけなのだ。
で、カズミってのは赤沢泉美のことなんだけど、いつの間に恒一は彼女と仲良くなったのか。
しかも仲良くなったにしても、もう下の名前で呼んじゃうのかよ。高校生の年代で異性を下の名前で呼ぶって、かなり仲良くないと無理だろ。

ゆかりの死に方は『ファイナル・デスティネーション』を連想させるが、じゃあ面白いのかっていうと、それは全く無い。もちろん恐怖も全く無い。
そこにあるのは、バカバカしさだけだ。「殺しのピタゴラスイッチ」としてはギミックの見せ方が甘いし、残酷描写もヌルい。その後には沙苗が命を落とすけど、死ぬ瞬間の様子は描かないし。
その後も色んな死に方があるけど全て冴えないし、ワイヤーに向かって走っていただけで首チョンパになるという無茶な死に方もあるし。
っていうか、そもそも『ファイナル・デスティネーション』モドキをやっている時点で、「たぶん原作の面白さって、そういうことじゃないはずだよね」と言いたくなる。
なんでもかんでも原作通りにすりゃ映画が面白くなるってわけじゃないけど、だからって『ファイナル・デスティネーション』の劣化版をやるのは、どう考えてもアプローチとして間違ってるだろ。
終盤には『バトル・ロワイヤル』モドキも加わるけど、それも陳腐でしかないし。

夜見山岬が生きているフリをしていた生徒たちの卒業後から、現象が勃発するのだが、岬はクラスメイトから愛されていた様子だから、彼女の呪いによって死者が出るようになったとは思えない。
岬の身代わりとして教室に置かれており、卒業と同時に生徒たちから無視されるようになった人形の呪いということなのかもしれない。
ただ、その辺りは最後まで全く分からないままだ。
まあ恐怖の根源なんて不条理でも構わないっちゃあ構わないんだけど、この映画の場合、そこの説明が無いのはマイナスになっている。

「いないはずの誰か(死者)がクラスに紛れているのに、誰も気付かない」という設定が途中で明らかにされるが、そこを受け入れるのは難しい。
「人間の脳は、この現象をきちんと捉えるようには出来ていないらしい」というのは、何の説明にもなっちゃいない。でも、その設定を受け入れなきゃ、この話は根本的に成立しないわけで。
あと、3年3組を無くせば現象は止まるはずだが、そういう方法を取らない理由は何も説明されない。
あるいは、3年3組を形だけの存在にしてそこに1人の生徒も所属させないようにすれば現象は止まるはずだが、そういう方法を取らない理由も説明されない。

鳴の「4歳の時に病気で人形の目になった」という説明は、何のことだか良く分からない。「人形の目に死の色を見る能力がある」なんて、誰も知らないことだし。
で、その「眼帯を外すと死の色が見える」ってのは、ものすごく都合がいい設定だ。
ただ、その御都合主義を受け入れるとして、そんな設定を持ち込んだのなら、「なぜ鳴は、さっさと人形の目を使って死者を見つけ出さないのか」と言いたくなる。
紛れ込んでいた死者が現象を引き起こしていることを、彼女は最初から知っているんだからさ。
せめて「死者を殺せば現象は止まる」と分かった時点で、その能力を使うべきでしょうに。

しかも、鳴は合宿で生徒たちの殺し合いが始まる前に、もう死者が誰なのかを突き止めているんだよね。
それなら、誰が死者なのかを早く教えて、その無益な争いを止めるべきじゃないのか。逃げてる場合じゃねえだろ。生きている人間を殺さなきゃいけないとすれば、躊躇することがあるかもしれんけど、もう死んでいるんだし。「死者を死の世界に戻す」ってことに対して、ためらうことなんて無いでしょ。
実際、終盤には自ら武器を手にして殺そうとしているんだしさ。
だったら、なぜ早く言わなかったのかと。

(観賞日:2015年7月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会