『あの頃、君を追いかけた』:2018、日本

水島浩介が自宅で身支度を整えていると、友人たちが来て「急げよ。花嫁が待ってるぞ」と声を掛けた。10年前、高校生の彼は温泉旅館の次男坊である秋山寿音、愛想が良くて社交の達人である杉山一樹と親友同士だった。浩介が通うのは校則が厳しい学校で、天然パーマの彼は証明書を出すよう英語教師の岡林百合子から命じられた。幼馴染の小松原詩子はスカートを短くして教師に反抗的な態度を取り、わざと太腿を見せて寿音と一樹をからかった。
数学の授業中に余所見をしていた浩介は、教師に呆れられた。数学教師は席を替わるよう指示し、早瀬真愛に「こいつの勉強の面倒も見てやれ」と告げた。浩介は真愛の前の席に移動し、軽く会釈した。真愛は有名な町医者の娘で、学校一の優等生だった。浩介は彼女が周囲1メートルを壁で囲っているように感じており、苦手にしていた。休み時間に浩介たちが下ネタを喋って騒いでいると、真愛は「幼稚」と冷淡に告げた。
浩介が持参したCDを寿音の家で聴く話をしていると、詩子が「私も聴きたい」と告げる。真愛は詩子から誘われるが「その人に興味が無いから」と断り、好きなアーティストを一樹に問われて「ベートーベン」と答えた。放課後、真愛は詩子に「私って硬いのかな」と問い掛け、「そこが可愛いんじゃない」と返された。浩介たちが中華料理店へ行くと、店の息子である大野陽平が勉強していた。台湾人の父を持つ彼は桁違いに成績が良く、いつも浩介たちとは距離を置いていた。しかし、その日は浩介たちがCDを聴くために集まると知っており、一緒に行くと言い出した。
真愛は詩子に、浩介がどういう人物なのかを訪ねた。すると詩子は、「中に芸術家と犯罪者がいて、自分でも困ってるんだと思う。だから変なことばっかりする」と説明した。真愛と別れた詩子は神社の前で子猫を拾い、通り掛かった浩介に「この子、元気無いから様子見る」と寿音の家へ行く予定のキャンセルを告げた。浩介の実家は、曾祖父の代から小さな豆腐店を営んでいた。後で出掛けることを浩介から聞かされた母は、「もう9月よ。受験、どうすんのよ」と苦言を呈した。
浩介が寿音の家に着くと、陽平が外に立っていた。彼と話した浩介は、真愛が目当てだと悟った。4人で温泉に入った時、浩介は「陽平、早瀬が好きなんだって」と寿音と一樹に暴露した。寿音は「俺はどっちかと言うと詩子派かな」と言い、真愛は言うことが古風なので高校2年生の時に「昭和の道徳」と呼ばれていたらしいと語った。浩介たちと別れた陽平は密かに真愛の部屋を観察し、寿音が彼女目当てでやって来るのを目撃した。
翌日、厳格な岡林の授業で、真愛は教科書を忘れたのに気付いて焦った。すると浩介は無言で自分の教科書を渡し、自分が忘れたことにして岡林に叱責された。休み時間、真愛は浩介に礼を述べ、なぜ受験科目なのに数学の勉強をしないのかと尋ねる。何の役に立つのかと彼が問い掛けると、真愛は「何の役に立つか分からないから、意味があるんだと思う」と告げる。浩介は「数学の教科書を開くと自分が自分でなくなって、生真面目な町医者令嬢にでもなった気がしてくる」と嫌味っぽい言葉を口にすると、彼女は黙って立ち去った。その様子を密かに見ていた詩子は、「バーカ」と口を尖らせた。
ある朝、浩介は学校の道場へ行き、1年前から続けている中国武術の練習を1人で始める。そこへテコンドーの道義を着た町田健人が現れ、攻撃するよう促した。健人は幼い頃から体を鍛え、あらゆるスポーツで県大会上位に入る運動の天才だ。彼は2日前からテコンドーを始めたばかりだが、浩介は全く歯が立たなかった。健人が登校してきた真愛を眺めるのを見て、浩介は軽く笑った。浩介が教室に行くと、真愛が1人で勉強していた。「早いな」と浩介が言うと、彼女は「兄たちがうるさいから学校で勉強することにしたの」と告げた。
真愛の兄は双子で医者をしており、浩介は彼らを茶化すような言葉を口にした。真愛は詩子が描いた自分と兄の絵を見せ、「そっくり」と微笑んだ。真愛が饒舌に喋るので浩介が意外に感じていると、彼女は「授業中の私語は嫌いなだけ」と説明した。浩介の中で彼女への印象は大きく変化し、「話してみると意外に可愛い」という感想を持った。世界史の授業中に浩介が居眠りしていると真愛が起こし、受験に無関係でも教師の話を聞くよう説いた。彼女は数学のテストを作成し、浩介に「明日までにやってきて」と渡した。さらに彼女は参考書も差し出し、マーカーで印を付けた部分を勉強するよう助言した。 「なんでそう親切な命令をするわけ?」と浩介が不快感を示すと、真愛は「軽蔑したくないから」と答えた。浩介が「数学の点数で軽蔑されるのか」と言うと、彼女は「私が軽蔑するのは、努力しないのに、他人の努力を軽んじる人」と告げた。帰宅した浩介は真愛の指示に従い、テストに挑んだ。翌朝、登校した彼は真愛にテスト用紙を渡し、「酷すぎる。この問題は参考書に載ってる」などと指摘される。真愛は修正を指示し、新たなテスト問題を渡した。真愛は詩子から「尽くすね。それは恋?それとも母性?」と言われ、「シンパシーってやつかな」と口にした。
浩介は真剣に勉強するようになり、数学のテストで76点を取った。真愛が「これからは、もう少し難しい応用問題を出していくから」と言うと、彼は「こんな勉強、何の役に立つんだよ」と反発する。真愛は「見返りを求めない努力が、人生には必要なんだと思う」と述べ、浩介は愚痴をこぼした。浩介は一樹に「誰か好きな人いんの?」と問い掛け、嘘をつけない彼の態度から健人を好きなのだと気付く。浩介は驚き、秘密にすると約束した。浩介は父から店を閉めるしかないと言われ、陽平の実家で買う肉まんの数を減らした。
浩介は夜遅くまで教室に残って勉強する真愛に付き合わされ、デザートとしてリンゴを差し出した。数学の勉強するよう指示された浩介は「やれば出来る。次は抜かすよ」と告げ、勝負を持ち掛けた。彼は「負けた方が勝った方の指示した髪型にする」という条件を提示し、真愛と浩介は互いに丸坊主とポニーテールを指定した。浩介は頑張って勉強に取り組むがテストで敗北し、丸坊主になった。すると真愛は勝ったにも関わらず、髪型をポニーテールに変えた。
ある日、学校の経理室にある簡易金庫が破られ、学費などの積立金87万円が何者かに持ち去られる事件が発生した。南アルプス警備保障の藤平が岡林と共に教室へ来て、事件を説明した。犯行時刻に外部からの侵入者はおらず、学校にいたのは物理教師の徳岡と浩介、真愛、健人だけだった。岡林が最初から自分たちを疑っていると感じた浩介は憤慨し、真愛と健人も同調する。浩介は警察に突き出すよう要求し、クラスの生徒全員が彼に共鳴した。
真愛は卒業式で総代を務め、卒業生を代表して答辞を述べた。詩子から「もう決めたの?これから付き合う相手」と訊かれた彼女は、本当の気持ちを明かした。浩介たちは受験に臨むが、真愛は体調の悪さで実力が出し切れなかった。受験を終えた浩介たちは海へ遊びに出掛け、将来の夢を語り合った。他の仲間が具体的な目標を次々に掲げる中、浩介は「凄い人間になりたい。俺がいると、少しだけ世界が変わるような人間」と語った。
後日、浩介は泣いている真愛から電話を受け、彼女がいる夜の公園へ向かった。第一志望に落ちたことを真愛が吐露すると、浩介は黙ってハンカチを差し出した。彼女がハンカチで涙を吹くと、浩介は自分のTシャツも脱いで渡した。水島豆腐店はライバル店が先に潰れたため、客が戻って商売を続けることになった。詩子は東京の美大、陽平は東大に合格し、それぞれ上京した。健人はアメリカの大学に落ちたが、日本で有数のバスケット名門大学に推薦入学した。一樹は実力以上に工業大学に落ちて浪人生活を送ることになり、寿音はホテル学科がある名古屋の大学に合格した。
真愛は最難関の有名私立大学の医学部に合格し、東京へ行くことになった。浩介は駅で彼女を見送る時、自分でデザインしたTシャツをプレゼントした。Tシャツにはリンゴが大きく描いてあり、浩介は辞書を調べて「You Are the Apple of My Eye」という文字を書いた。列車が駅に到着し、浩介と真愛は互いに本当の思いを言えないまま別れた。浩介は県内の公立大学に合格し、実家を離れて学生寮での生活を始めた。彼は文学部に入ったが、自分が何をしたいのかは全く分かっていなかった。
浩介は様々なサークル活動に参加してみるが、最終的には中国武術研究会に落ち着いた。たまに彼は真愛の声が無償に聞きたくなる時があり、彼女に電話を掛けた。真愛は彼に、詩子とのルームシェア生活を始めたことを教えた。詩子は真愛に浩介との関係を進展させるよう勧め、小学校から彼を好きだったと打ち明けた。驚く真愛に、彼女は高校に入った頃から家族のような気持ちに変化したと言い、「真愛が仲良くなればいいと思ってるよ」と告げた。
夏休み、真愛は浩介に貰ったTシャツを着て帰郷した。彼女はTシャツに書かれた言葉の意味を調べたと明かし、「本当に私が好き?」と問い掛ける。「言わなくても分かってるだろ」と浩介が言うと、彼女は「私のことを美化してる。ものすごく平凡だよ」と告げる。真愛が「どこが好きなの?」と訊くと、浩介は「ただ好きだ」と即答する。真愛は納得できず、「ちゃんと考えてから言って。相変わらず幼稚」と不機嫌になった。浩介は思い切って「俺のこと、どう思ってる?」と問い掛けるが、答えが怖くて「いや、言わなくていい。今はいい。これからも好きでいさせてくれ」と彼女の言葉を遮った…。

監督は長谷川康夫、原著 原創編劇は九把刀「那些年,我們一起追的女孩」、日本語版原作は「あの頃、君を追いかけた」訳:阿井幸作&泉京鹿、脚本は飯田健三郎&谷間月 栞、製作代表は木下直哉、製作は秋元伸介&高木伸二&北川謙二&渡辺ミキ&武部由実子、企画は小滝祥平&小助川典子&磯野久美子&大澤剛、エグゼクティブプロデューサーは今野義雄&中根美里&坂本建士&藤本俊介、プロデューサーは加藤悦弘&菊地友&佐久間大介&渡部隆、アソシエイトプロデューサーは塩崎健太&山田俊介&柴田恭兵&福本康之、スーパーバイザーは秋元康、撮影は柴主高秀、照明は長田達也、録音は尾崎聡、美術は金田克美&中山慎、編集は阿部瓦英、音楽は未知瑠、音楽プロデューサーは渡邊博&慶田次徳、主題歌「言えなかったこと」はThinking Dogs。
出演は山田裕貴、齋藤飛鳥、松本穂香、佐久本宝、國島直希、中田圭祐、遊佐亮介、中村育二、生田智子、岸博之、工藤俊作、山田幸伸、松岡恵望子、伊達円祐、浅野千鶴、飯野智司、加賀成一、ナジャ・グランディーバ、奥村幸輔、杉口秀樹、大西昌史、垂水稔明、前野月菜、荻野谷正輝、安田篤史、星野晃、西川日菜多、森亜沙奈、戸舘大河、緑川七生、轟大輝、谷垣さらさ、山根理輝、西村妃香、寶珠山駿、藤本海咲、小林樹、増田希梨、金澤碩輝、渡辺聖良、池田航、栖関亜里沙、加藤慶洲、佐藤千夏、山田晋吾、岡田有華、橋口宙、大阪彩葉、安藤令海、ラジャ・ミヤ他。


人気作家のギデンズ・コーが監督を務めて大ヒットした2011年の台湾映画を日本でリメイクした作品。
劇作家の長谷川康夫が1997年の『恋は舞い降りた。』以来、21年ぶりに監督を務めている。
脚本は『小川の辺』『柘榴坂の仇討』の飯田健三郎と、これがデビューとなる谷間月栞の共同。谷間月栞は他に何の情報も無いので、ひょっとすると誰かの別名義なのかもしれない。
浩介を山田裕貴、真愛を齋藤飛鳥、詩子を松本穂香、陽平を佐久本宝、健人を國島直希、寿音を中田圭祐、一樹を遊佐亮介が演じている。

最初に書いておくと、これが映画デビューとなった乃木坂46の齋藤飛鳥は、ちゃんと「多くの同級生が好きになる女子」のポジションをこなしている。
演技の未熟さは否めないものの、「可愛いは正義」を体現する魅力を放っている。
「髪型をポニーテールに変えた姿を見た浩介の目が釘付けになる」というシーンでBGMまで流して盛り上げる演出なんかは、下手すりゃ陳腐だったり違和感たっぷりだったりという状況に陥る恐れもある。しかし齋藤飛鳥が「正しく可愛い」ので、それは回避できている。
この作品を「齋藤飛鳥のアイドル映画」として捉えた場合、そこは充分に合格点を叩き出していると言ってもいい。

冒頭、浩介のナレーションで「母親が遅れ馳せながら韓流ブームに熱を上げる前。北京オリンピックで北島康介が“なんも言えねえ”と叫んだ少し後のことだ。確か東京でスカイツリーの工事が始まったのが、その年の春だった」と説明される。
スカイツリーの工事着工は2008年7月14日なので、いつを「始まった」と定義しているのか良く分からないが、たぶん高校時代のシーンは2009年という設定だろうと思われる。
ただ、その説明以降、「2009年」を感じさせる台詞も描写も全く出て来ないんだよね。

当時の世相や風俗を持ち込むことで時代性を表現するってのは常套手段なのだが、それを排除する理由が不明。
少なくとも、メリットは何も思い付かない。当時のヒット曲をBGMに使うような演出も無いし。
もちろん、過去を舞台にしていても、その年代をハッキリと示すような要素を持ち込む必要の無いケースもある。それが邪魔になるケースもあるだろう。
でも本作品の場合、当時の世相や風俗を積極的に取り込んだ方が、間違いなくプラスなのよ。そういう類の映画なのよ。

詩子について、浩介がナレーションで「小学5年の時、他の女子より先にオッパイがツンと育って、脚もスラリと伸び」と表現している。
でも松本穂香って、そんな風に表現されるほど「色っぽくてスタイル抜群」というタイプでもないよね。
なので、わざとスカートから脚を見せて男子を誘惑するような素振りを見せるシーンがあるんだけど、「まるで似合わないキャラを演じさせられてるなあ」と感じてしまう。
そんなキャラに、なぜ彼女を起用したのか理解に苦しむ。

浩介が寿音に「お前んちのデカいスピーカーで、これ聴きたいんだけど」と言って見せるCDは、カール・ダグラスのアルバム『カンフー・ファイティング』。
もちろん「古すぎでしょ。もっと最先端にしてくれ」と言われるのだが、なぜそのCDをチョイスしたのかが謎だ。それが後に繋がるとか、彼のキャラを象徴しているってわけでもないし。
後で浩介の「カンフー好き」というキャラ設定が明らかになるが、それとカール・ダグラスの『カンフー・ファイティング』が好きってのは全く別問題だぞ。しかも、ここで「当時の最先端の曲は何か」ってのも教えてくれないし。
後で旅館に集まった浩介たちが『カンフー・ファイティング』に合わせて踊るシーンがあるんだけど、これも不自然でしかないのよね。その曲が当時の日本でヒットしたなら分かるけど、そうじゃないからね。

序盤、詩子と別れた真愛が帰宅するシーンがある。なので、そこから家に入って何か行動を取るとか、両親と話すとか、何かしらの描写があるんだろうと思った。
ところが、すぐにカットが切り替わり、子猫を抱いている詩子を浩介が目撃するシーンになる。
だったら、真愛が家に着いて中に入って行くシーンは全く要らないよね。
真愛と詩子が別れた後、「浩介が家に戻ろうとしていたら、詩子が子猫を抱いている」というシーンに移ればいいよね。

浩介の部屋には「丘陽寿」なるカンフーの達人らしき老人のポスターが貼ってあり、「老師、ただいま帰りました」と挨拶している。
でも、まず「丘陽寿って誰だよ」と言いたくなる。中国武術が好きという設定を持ち込むなら、そこは実在のカンフースターの大ファンにしておいた方がいいだろ。ジェット・リーとか、ドニー・イェンとかさ。
あとさ、浩介が中国武術を練習していて試合にも出るシーンがあるから「その設定がストーリーに無関係」というわけではないけど、「なぜ中国武術なのか」という部分の疑問は拭えないのよ。
当時の日本だと、2007年まではPRIDEが開催されていたし、2008年からはDREAMも始まったんだから、そっち方面のファンという設定でも良かったんじゃないか。その方が時代性も色濃く出るし、何かと都合がいいはずでしょ。中国武術に固執する意味なんて何も無いし。

真愛は言うことが古風なので、高校2年生の時に「昭和の道徳」と呼ばれていたらしいと寿音が語るシーンがある。
でも、なぜ高校1年生じゃなくて、2年生になってから「昭和の道徳」と呼ばれるようになるのか。2年生になってから転校してきたわけじゃないんでしょ。
あと、2年生で「昭和の道徳」と呼ばれていたのなら、それは浩介たちも知っているはずじゃないのか。
まあ学校によって違いはあるかもしれないけど、大抵の高校だと卒業するまでクラス替えは無いと思うんだけど。

浩介たちが受験に挑む様子の後、試験を終えて遊びに出掛けるシーンがある。
まず「卒業式の後に受験」という時点で、かなりの違和感がある。日本の高校のスケジュールを考えると、普通は受験があってから卒業式のはず。
さらに違和感が強いのは、浩介たちが夏服で海に出掛けて遊んでいること。しかも浩介は上半身裸になり、海に入って全く寒がらずに騒いでいるのだ。
わざわざ言うまでもないだろうが、受験シーズンは冬だ。なので、そんなことは絶対に有り得ないのだ。

終盤、浩介が学生寮にいる時、大きな地震が発生するという展開がある。
「大学に入った浩介が真愛と喧嘩別れしてから2年半後」という設定なので、ちょっと時期がズレているものの、それは2011年3月11日に起きた東日本大震災を描いたシーンのはず。
しかし発生したのは夜であり、地震速報では「19時49分」と時間が報じられているのだ。
いやいや、なんでだよ。
そもそも、それを夜に変更しなきゃいけない理由も特に見当たらないし。昼じゃマズい理由なんて、何も無いでしょ。

長谷川康夫はオリジナル版に感動し、それをリメイク版の観客にも伝えたいと思ったらしい。
そのために彼が取った方針が、出来る限りオリジナル版の描写をなぞることだった。
オリジナル版にリスペクトを払うのは、決して悪いことじゃない。
ただ、オリジナル版の良さやテイストを大事にするのはいいけど、同じことを繰り返すだけならリメイクの意味が無いわけで。
出演者と言語を変えただけのコピー&ペーストなら、もはや「じゃあ監督の存在意義って何?」ってことになっちゃうわけで。

「オリジナル版の描写をなぞる」と書いたが、何から何まで模倣しているわけではない。しかし、「そこをなぞっちゃダメだろ」という最も注意すべきポイントで、そういう意識が強く出てしまっているのだ。
前述した「卒業式の後に受験があり、夏服で海へ遊びに行く」という描写は、それが顕著に出ているシーンだ。
台湾だとアメリカと同じで5月に卒業するので、オリジナル版では「受験を終えて海へ遊びに行く」というシーンが成立するのだ。
で、舞台を日本に置き換えているのに、「そのシーンが素晴らしかったから」という理由で、季節を無視して同じ内容にしてあるのだ。

また、長谷川監督は本作品をファンタジーとして描き、「どこか特定の場所」にすることを避けようと考えたらしい。たぶん地震のシーンが変なことになっているのは、そういう考えが影響しているんだろう。
でも、それなら東日本大震災を連想させるようなシーンなんて用意しなきゃいい。「オリジナル版でも災害のシーンがあったからリメイク版でも」ってことかもしれないが、半端な模倣とか要らないから。
あと、幾らファンタジーを狙ったからって、浩介が帰郷した真愛とデートに出掛けたら急に台湾になるのは無茶だろ。「オリジナル版と同じ場所で撮影したい」という希望があったらしいけど、それが映画の質を落とす原因になっているのだ。
まず台湾ロケを持ち込んでいる時点で愚かしいけど、どうしても同じ場所で撮影したかったのなら、ちゃんと「そこへ行く必然性を感じさせるシナリオ」を用意するのが映画人としての務めじゃないのか。
それを放棄して「ファンタジー」で済ませるのは、ただの怠慢だよ。

(観賞日:2020年9月28日)

 

*ポンコツ映画愛護協会