『暗黒女子』:2017、日本

聖母マリア女子学院の文学サークルでは、1学期最後の定例会を開催された。会長の澄川小百合が進行役を務め、メンバーの高岡志夜、ディアナ・デチェヴァ、小南あかね、二谷美礼が席に着いている。闇鍋を食べながら各自が仕上げた小説を朗読していくのが、休暇前の定例会では恒例となっている。それぞれが持ち寄った食材は今朝まで冷蔵庫に保管されており、どんな物を入れるか知っているのは鍋奉行の小百合だけだ。暗闇の中、メンバーは私語厳禁で闇鍋を食べた。
今回の小説で、小百合は「白石いつみの死」というテーマを掲げた。いつみは屋上テラスから花壇に転落し、スズランの花を握って死亡した。「文学サークルの誰かが彼女を殺した」という噂が学園内で広がり、小百合は小説にすることで彼女が死ななければならなかった理由や彼女を殺した本当の存在が見えてくる気がするのだと語る。最初に朗読したのは一年A組の美礼で、タイトルは『太陽のような人』だ。美礼は聖母マリア女子学院に憧れていたが、家が貧しかったので必死に勉強した。しかし特待生として入学した彼女は、自分の居場所が無いと感じた。いつみと小百合は学園の生徒たちにとって憧れの的であり、2人は太陽と月のような関係だと思われていた。それは美礼も感じており、彼女もいつみに憧れていた。
ある日、美礼はいつみから主催する文学サークルに勧誘された。サロンへ案内された美礼は、中学時代に『君影草』で作家デビューしている志夜と会う。いつみは『君影草』の英語翻訳に積極的で、留学生のディアナにはブルガリア語への翻訳を任せるつもりだった。あかねは和風料亭の娘だが、キッチンでは得意のお菓子ばかり作っていた。美礼は志夜の放つ良い匂いに気付き、ゲランのミュゲの新作香水だと教えてもらった。文学サークルの顧問は、若い男性教師の北条が務めていた。
美礼は学校で禁じられているアルバイトをしており、それを知ったいつみは妹の家庭教師を任せることにした。いつみの父は学院の経営者であり、妹の家庭教師なら問題視されないと考えたのだ。いつみの家には、『君影草』の翻訳作業のために志夜が来ていた。いつみから渡されたアルバイト代が高額だったので、美礼は困惑して「恩返しがしたい」と言う。するといつみは、恵まれない人に恩返しするよう促した。そこで美礼は、老人をケアするボランティアを始めた。
ある日、美礼は嫌がるいつみを父親が強引に車で連行する様子を目撃した。それからしばらくの間、いつみは肺炎で入院したという理由で学校を休んだ。しばらく経ってから、いつみを目撃した美礼が声を掛けると、「私は殺してやりたい奴がいる。父が誘惑されてるの」と告げられる。いつみは父の書斎を探り、学院指定の白いハンカチを発見していた。ハンカチにはゲランの新作香水の匂いが付いており、それを使っているのは志夜だけだった。いつみは美礼に、この事実を2人だけの秘密にするよう頼んだ。
その日以来、いつみから笑顔が消えた。春のイースターとペンテコステを一緒に祝う祭りの日、美礼がいつみに声を掛けると、彼女は一点を睨み付けていた。その方向に美礼が目をやると、いつみの父と志夜が体を寄せ合って楽しそうに話していた。美礼が「見てられません」と泣き出すと、いつみは彼女に友情の記念としてバレッタをプレゼントした。美礼はいつみが死んだ時に持っていたスズランについて、犯人が誰なのか伝えるためだと指摘した。
続いて小百合に指名されたのはあかねで、小説のタイトルは『マカロナージュ』だ。最初の頃、華やかすぎるのは品が無いと教わって来たあかねは、いつみのことが嫌いだった。実家の老舗料亭は男である兄が継ぐことになっており、あかねは反発心から洋食を作りたいと思うようになった。いつみから文学サークルに誘われたあかねは、サロンにキッチンがあると知って興味を抱いた。あかねはレストランを開く夢を語り、いつみへの印象は大きく変化した。
その夜、あかねが帰宅すると料亭が火事になっていた。幸いにも定休日で、死傷者は出なかった。火元は厨房ではなく、放火の疑いが濃厚だった。いつみから「力になれることがあったら何でも言って」と言われたあかねは、サークルに入会してキッチンで洋菓子を作るようになった。ある時、あかねはいつみから、美礼が妹の家庭教師をしているのは望んだわけではなく、何度も断ったのにボランティアでいいからと頼まれて仕方なく承知したのだと聞かされる。さらにいつみは、美礼が家へ来る度に物が無くなるのだと打ち明けた。学園祭の夜、いつみはあかねに、亡き祖母からプレゼントされたスズランのバレッタが盗まれたと明かす。彼女はあかねに、美礼を屋上のテラスへ呼び出す手紙を書いたことを語った。その翌日にいつみが死んだため、あかねは美礼が犯人だと指摘した。
3人目に指名されたのはディアナで、小説のタイトルは『女神の祈り』だ。ディアナはブルガリアの小さな村で、エマという双子の姉と共に生まれ育った。ある夏、いつみがホームステイにやって来た。ディアナの亡き母は日本人で、彼女は日本語を話せた。ディアナはいつみの奔放さに惹かれるが、すぐに別れの時はやって来た。帰国したいつみは父に頼み、特別留学生として姉妹を招待しようとする。定員枠は1名だったため、ディアナはエマに譲った。しかしエマが誤って石段から落ちたため、ディアナが留学することになった。
最初は戸惑ってばかりだったディアナは、いつみから文学サークルに誘われた。あかねはキッチンで右腕にある火傷の痕をディアナに目撃され、慌てて隠す。いつみは「スズランの花みたいな形で可愛いじゃない。チャームポイントよ」と言うが、あかねはキッチンから逃げ出した。いつみはディアナに、あかねの火傷は料亭が火事になった時に負ったのだろうと話す。学園祭の日、いつみは卒業したらサロンの閉鎖を考えていることを打ち明けた。そこへあかねが現れ、サロンの閉鎖に大反対した。学園祭の打ち上げであかねがお菓子を出した時、美礼は過去にいつみの分まで食べて吐いたことがあると話す。それを聞いたディアナは、あかねがいつみのお菓子だけに毒を混入させていると確信した。彼女はいつみの持っていたスズランが火傷を意味しているのだと指摘し、犯人への復讐心を口にした。
最後に指名された志夜は、『紅い花』という小説を朗読する。中学3年で作家デビューした彼女は、いつみから文学サークルに誘われて喜んだ。しかし次回作に気が向いている志夜は、いつみが『君影草』を翻訳したがることには賛同できなかった。ディアナが来た時、志夜は「いつみは私が学院に良い刺激を与えれば、今後も村から留学生を招待してくれると言った」と聞かされて違和感を覚えた。いつみは志夜に、「来年からは留学生を呼ばない」と言っていたからだ。ある日の早朝、志夜はディアナが人形をナイフで突き刺し、悪魔召喚の呪文を唱える様子を目撃した。いつみが胸の苦しさを訴えるのを聞き、志夜はディアナの呪いだと確信した。
志夜の朗読が終わると、小百合が「最後に、私からも朗読をさせていただきます」と口にした。彼女が「私が書いた物ではありません。白石いつみ本人が書いた物です」と言ったので、メンバーは驚いた。説明を求める志夜を「私語厳禁がルールよ。いつみの愛した朗読会を汚さないで」と厳しく制した小百合は、『死者のつぶやき』と題された小説の朗読を開始した。自分が小説の主人公でありたいと考えていたいつみは、ブルガリアへ行った時に北条と肉体関係を持った。帰国してからも2人の関係は続き、いつみは小百合に秘密を話していた。いつみは北条と密会する場が欲しいと考え、文学サークルを作ってサロンを利用した。脇役が足りないと感じた彼女は、秘密を握った生徒たちを屈服させ、サークルのメンバーとして引き入れることにした…。

監督は耶雲哉治、原作は秋吉理香子『暗黒女子』(双葉文庫)、脚本は岡田麿里、製作は村松秀信&村田嘉邦&中西一雄&加太孝明&坂東浩二&戸塚源久&牧和男&芳賀正光&倉光雄一&小林和之村田積治&安部順一、企画・プロデュースは松本整&明石直弓、エグゼクティブプロデューサーは柳迫成彦、プロデューサーは大畑利久、アソシエイトプロデューサーは小松重之&宮城希、ラインプロデューサーは佐藤幹也、撮影は中山光一、照明は松本憲人、録音は竹内久史、美術は松塚隆史、編集は日下部元孝、音楽は山下宏明、音楽プロデューサーは緑川徹&濱野睦美。
主題歌「#hashdark」Charisma.com 作詞:いつか、作曲:ABLO a.k.a WTF!?/いつか。
出演は清水富美加(現・千眼美子)、飯豊まりえ、清野菜名、玉城ティナ、小島梨里杏、平祐奈、千葉雄大、升毅、小林勝也、唐田えりか、森田想、坪井渚紗、弓木菜生、市島琳香、小林実由、草野速仁、逢沢一夏、大岩愛実、川井優沙、草開まゆ、鈴木詩菜、鈴木有希、槌井加奈留、中田星良、西野結、野田美桜、藤原璃花、増田千聖、宮西涼綺、山田美織、吉田園子ら。


秋吉理香子の同名ミステリー小説を基にした作品。
監督は『百瀬、こっちを向いて。』『MARS〜ただ、君を愛してる〜』の耶雲哉治。
脚本は『劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』『心が叫びたがってるんだ。』の岡田麿里で、これが初の実写作品。
小百合を清水富美加(現・千眼美子)、いつみを飯豊まりえ、志夜を清野菜名、ディアナを玉城ティナ、あかねを小島梨里杏、美礼を平祐奈、北条を千葉雄大、いつみの父親を升毅、美礼がケアする老人を小林勝也が演じている。

残念ながら飯豊まりえは、完全にミスキャスト。
いつみは「理事長の娘で、上品な家柄で、誰からも慕われる気品溢れるお嬢様」という設定のはずだ。しかし飯豊まりえは、そういうタイプの女性ではない。むしろ、もっと庶民的なキャラクターの方が似合う。
また、いつみはディアナに「ヴィーナスのようだ」「神々しい」とまで言われる存在だが、そういう雰囲気も全く感じさせない。
ここにキャラとしての説得力が皆無ってのは、まず最初の大きな痛手となっている。
しかし不幸中の幸いで、そんなダメージなど屁でも無いと感じるぐらい、映画の出来栄えが悪いのである。

この映画の公開を直前に控えた2017年2月、清水富美加が幸福の科学に出家することを決め、全ての仕事をキャンセルした。この映画の宣伝活動にも、清水富美加は参加しなかった。
お蔵入りさえ想定される状況だったが、無事に公開された。
しかし話題性は充分だったものの、興行的には大コケした。
「千眼美子になった清水富美加のせいで悪いイメージが付いたから」みたいな言い訳は、全く通用しない。
単純に、映画の出来栄えがポンコツなだけである。

映画が始まると、いきなり文学サークルの定例会が開催されている部室の中が写し出される。聖母マリア女子学院の日常風景や生徒たちの様子は全く描かれず、いきなり本題へと突入する。
序奏を飛ばして本編に突入しても、ストーリー進行の上では何の問題も無い。
ただし、えらく慌ただしいと感じるし、学園の外景が描かれないことで安っぽさも感じる。
予算的な都合で、外景から入ることは難しいという判断だったのだろうか。

進行役の小百合が「今回の定例会は文学サークル恒例、休暇前のお楽しみ、闇鍋です」と言い出し、テーブルに置かれている大きな鍋が写った時、強烈な違和感を覚えた。
たぶん聖母マリア女子学院って、「金持ちの娘が通う上品なミッション系の女学校」という設定じゃないかと思うのだ。
小百合の喋り方は、「いかにも金持ちのお嬢様」という感じだしね。
なので、「そんな学校の、しかも文学サークルのメンバーが、定例会で闇鍋ですか」という違和感を覚えるのは、そう不思議なことではないはずだ。

そんな違和感を無理に生じさせてまで「闇鍋が恒例」という設定を持ち込んだのは、もちろん後の展開に繋げるためだ。
しかし、あまりにも違和感が強すぎて、そこに込められた意味が予想できてしまう。
ミステリーの大きな仕掛けとして闇鍋という道具が用いられているのだが、もはや登場した段階で、ほぼネタバレ状態なのだ。
たぶん同じような予想をした人も少なくないだろうけど、「そもそも鍋を囲んでいる時点で不自然なのに、わざわざ闇鍋と言っているからには、そこに重要な意味を持つ食材が入っている設定なんだろう。まあ、たぶん人肉だよね」ってことが、余裕で予想できてしまう。

そして、そんな予想が浮かんだ時点で、犯人が誰なのかってことまで予想できてしまう。
その日の主催者は小百合であり、どんな具材を入れるか知っているのは彼女だけなんだから。
そりゃあ「小百合がいつみを殺し、その肉を闇鍋に入れてメンバーに食べさせた」という要素も、簡単に浮かぶ。
闇鍋の問題を抜きにしても、小百合は登場した時から「いかにも私は怪しい人間ですよ」ってのを分かりやすくアピールしているしね。

もちろん、ミステリーの場合、そういう「いかにも怪しそうな奴」はミスリードというケースも多い。
ただ、この作品の場合は他のミスリードらしき仕掛けが全く機能していないこともあって、「最初から怪しそうな奴が、そのまま犯人」という可能性が濃厚だろうと思えてしまうのだ。
そして残念なことに、ここまでの「誰でも簡単に思い付くような推理」は、全て的中してしまうのである。
ってことなので、ミステリーとしては何の面白味も無い。

小百合が「いつみの死をテーマに小説を書くべし」と言った時、メンバーの誰も反対しなかったようだが、なぜなのかは分からない。それを小説にすることで、いつみが死ななければならなかった理由や彼女を殺した本当の存在が見えてくる気がすると小百合は言っているが、どういうことなのか良く分からない。
分からないのは当然で、納得できる理由など幾ら掘っても見つからないからだ。
そこは「各自が小説を読む体裁を取りつつ、メンバーの誰かが犯人だと思わせるための説明をする」というための手順である。
そこから逆算した時、「なぜメンバーがいつみの死をテーマに小説を書いて朗読するのか」というトコに説得力のある理由を用意できなかったってことだ。

1人の朗読が終わった時点で、犯人だと指摘されたメンバーが全く反論せず、静かにしているのも違和感が強い。
幾ら私語厳禁がルールではあっても、自分が犯人だと指摘されても黙っているのは変でしょ。小百合が「これから読むのはいつみの作品」と言った時は、ルールを破って喋っているんだし。
やりたいことは良く分かるけど、それを成立させるために、登場人物の言動が不自然さに満ちたモノと化している。
ってことは、つまり「やりたいこと」に無理がありすぎるんじゃないのか。

「順番に小説を朗読し、その中でメンバーの異なる姿が暴かれ、誰が真実を語っているのか分からない」ってのは、たぶん芥川龍之介の『藪の中』みたいなモノを狙っていたんじゃないかと思われる。
しかし、これがビックリするぐらいミステリーの面白さに貢献していない。
「順番に朗読する」という構成が分かった時点で、「じゃあ最初に容疑者とされた志夜は犯人じゃないね」ってのが予想できる。
小百合が進行役を務めており、彼女が最初から怪しさ満開ということもあって、「小説で指摘される人物は誰も犯人じゃないんだろう。
そして全ての朗読が終わった後、真相が明らかにされるんだろう」ってことまで読めてしまう。

小説の中で犯人だと指摘しても、そこには「そうかもしれない」と観客に思わせるための根拠が皆無に等しい。
例えば美礼は志夜が犯人だと指摘するが、物的証拠は何も無いし、状況証拠さえ見当たらない。せいぜい「いつみが死んだ時にスズランの花を持っていた」というだけで、そんなのは証拠でも何でもない。せいぜい「もしかしたら犯人かも」という取っ掛かりに過ぎない。
そこから志夜を調べていく手順が始まるならともかく、そこで終了なので、バカバカしさしか無い。
そもそも、志夜にはいつみを殺す動機が無いでしょ。
むしろ美礼の小説の内容は、「いつみが志夜を殺す動機」の説明になっているぞ。

志夜の小説に関しては、もはや動機が云々とかいう問題じゃない。
「ディアナが人形を木に打ち付けてナイフで突き刺し、悪魔召喚の呪文を唱えていた」「いつみは呪いのせいで十字架が怖くなる」といった描写は、そこまでのリアリティー・ラインを大きく逸脱している。
それだけで、「志夜は嘘をついているな。ディアナは犯人じゃないな」と確信できてしまうが、それどころじゃないわ。
急にオカルト風味が入って来て、ある意味ではコメディーのようにも感じられる状態と化している。

あかねの小説では美礼、ディアナの小説ではあかねが犯人だと指摘される。
この2つのケースでは、一応は犯行の動機が示されている。
ただ、「いつみに盗みを知られたから」「いつみがサロンの閉鎖を決めたから」ってのは、殺人の動機としては無理がありすぎる。
もちろん、現実には「その程度のことで」という理由で殺人に至ることもある。ただ、この映画では、そこに観客を納得させるための力が無いので、その程度では困る。

そこに説得力を持たせられなかった大きな原因は、「秘密の花園」チックな独特の世界観を全く表現できていないことにある。
一応は、「いつみに対する他のメンバーのビアン的な恋慕」ってのを匂わせる描写は盛り込まれている。
しかし、雰囲気作りは全く足りていない。
そういうトコを「これでもか」と盛り込んで充実させておかないと、「他人から見ればバカバカしい理由でも、特殊な意識で結び付いていたのなら、いつみが殺されるかもね」というトコでの説得力は生じない。

小説の内容には幾つか「それは不可解だな」「そこは不自然だな」と感じることがある。
例えば、学園祭で志夜がいつみの父とベタベタして、いつみに気付いても平然としているってのは違和感が強い。また、美礼が「ボランティアでもいいから」と強引に頼み、いつみの妹の家庭教師を始めたってのは不自然だ。
そんな風に小説の中で1つでも違和感があると、それによって「こいつの小説の内容は嘘だらけだな」という印象になる。それによって、「ってことは、こいつが犯人と指摘している奴も犯人じゃないな。個人的な恨みでもあるだけだな」という風に読み解ける。
ミステリーとしては、ものすごく底が浅いモノになっているってことだ。

ディアナの朗読シーンは、それまでの2つとは別の意味で恐ろしく陳腐なことになっている。
舞台がブルガリアから始まるのだが、予算の都合で現地ロケは出来ない。
そこで製作サイドがどんな手を使ったかというと、「現地の写真を切り替えながら、いつみやディアナの写真と合成する紙芝居」という方式だ。
これをディアナの朗読に合わせて画面に写し出すのだが、その演出には唖然とさせられた。そこだけがコメディーじゃないと成立しない雰囲気になっているからだ。
しかし、もちろんコメディーではないので、大間違いをやらかしていると言わざるを得ない。

小百合が読むいつみの小説によって、「メンバーが神々しいと感じていたいつみが全く異なる本性だったことが暴かれる」ということになっている。
ただ、その仕掛けが成功しているとは言い難い。
なぜなら、そこまでの朗読の内容は全て「嘘だらけ」と観客に感じさせるモノなので、そもそも「いつみは神々しい存在」という前提条件が崩れているからだ。
女子生徒たちが神々しいと思っていたとしても、観客には感じさせることが出来ていない。

もう1つ、そこでは「実はメンバーがいつみに秘密を握られ、サロンのメンバーになった」ということも明らかにされる。
ここに来て、急に「全員にいつみを殺す動機」が生じるようになる。
だけど、それって手順としては明らかに間違っているでしょ。
そこで初めて「納得できる犯行動機」が生じるのなら、そこまでの朗読は何だったのかってことになる。ザックリと言っちゃえば、ただの時間稼ぎってことになるわけで。

小百合が読んだ小説で、「いつみは脇役のくせに自分を裏切った4人に復讐するため、屋上テラスに呼び出して花壇へ飛び降りた」ということが明らかにされる。
しかも、その飛び降りで彼女は死んでおらず、花壇で平然と目を覚ますのだ。
いやいや、それは無理があるだろ。
「書き置きを残して病院から抜け出した」と説明しているけど、そもそも屋上テラスから飛び降りたのに生きているのが変だろ。なんで余裕の笑みで目を開けられるんだよ。

最後は「いつみが凡庸な女に成り下がったと感じた小百合が、スズランの花をお茶に混ぜて殺害した」と明かす。
しかし前述したように、小百合が犯人ってのは最初から見えまくっているので、何の驚きも無い。
小百合はメンバーに死体を食べさせたことも明かすが、これまた闇鍋が出て来た時点でバレバレなので、「そうだろうね」としか感じない。
そして作品のテイストには全く合っていないCharisma.comの主題歌が流れ、全てが低調のまま映画は幕を閉じる。

(観賞日:2018年7月7日)

 

*ポンコツ映画愛護協会