『姐御』:1988、日本

紺野愛は、姉と慕う小料理屋の女将・吉本澄江に反対されながらも、古溝組の若頭である紺野淳一と結婚した。澄江はヤクザだった夫を抗争で亡くしており、可愛がっている愛を同じ目に遭わせたくないと思って反対したのだった。
古溝組は田ノ浦組との対立を深めており、淳一は田ノ浦組の送り込んだ殺し屋の杉本昇治に襲われる。愛が命懸けで守ったこともあり、淳一は重傷を負ったが死なずに済んだ。古溝組の幹部・片倉弘は田ノ浦の抹殺を狙うが失敗する。
田ノ浦は古溝に手打ちを申し入れるが、それは罠だった。手打ちの終わった夜、古溝と淳一は田ノ浦組の連中に襲われる。古溝は重傷を負い、淳一は死亡した。愛は独りで田ノ浦の命を狙うが失敗に終わり、和歌山刑務所に収監される。
淳一の子供を妊娠していた愛は、刑期中に出産した。4年後、出所した愛は、先に刑期を終えて古溝組の三代目組長となっていた片倉に出迎えられた。愛は澄江の小料理屋で世話になり始めた。しかし、地上げを進めていた田ノ浦組は、澄江に立ち退きを要求してくる…。

監督は鷹森立一、原作は藤田五郎、脚本は中島貞夫、構成は斯波道男、製作は俊藤浩滋&高岩淡、プロデューサーは佐藤雅夫&厨子稔雄&天野和人、撮影は木村大作、編集は市田勇、録音は芝氏章、照明は増田悦章、美術は内藤昭、衣裳は豊中健、音楽は津島利章。
主演は黒木瞳、共演は名高達郎、高部知子、石橋保、白都真理、香山美子、松方弘樹、ビートたけし、寺田農、石橋蓮司、綿引勝彦、荒井注、品川隆二、正司歌江、志賀勝、横山ノック、間寛平、竹村愛美、野口貴史、タンクローら。


大阪を舞台とした、女性が主役のヤクザ映画。『冒険者カミカゼ』以来、7年ぶりに鷹森立一監督がメガホンを取った作品。
迫力、緊張感、カタルシス、ダイナミズムを排除し、なるべく“のっぽらぼう”な作品に仕上げるような試みがなされている。

前半、名高達郎演じる片倉は、石橋蓮司演じる田ノ浦の命を狙う。しかしそこで成功してしまっては話が続かないので、わざとらしく失敗。田ノ浦組の手下がちょうど邪魔になったタイミングで銃撃する。
ストーリー展開を考えたプロの計算であろう。

工事中のビルで唐突に石橋蓮司と白都真理がセックスを始めるなど、不自然で不必要な場面のオンパレード。安っぽい映画だということを観客に知らせる意図だろう。
不意を突いて挿入される主題歌が、ますます安っぽさをエスカレートさせる。

脇役キャラクターの人間ドラマを中途半端な形で挿入することによって、観客に映画の焦点を絞らせない。主軸のあるべき場所を曖昧にすることによって、観客を惑わせる。人間関係は浅いものに抑え、退屈という観念を観客に知らしめる。

淡白でゆっくりと物語を垂れ流し、盛り上げることを拒否する。最初は組同士の抗争から始まりながら、後半は小料理屋の地上げというスケールの小さい話になっているが、これは「次第に盛り上げていく」という通常のドラマ展開へのアンチテーゼだろう。

黒木瞳、白都真理、高部知子が脱いでいる。黒木は背中に魚のタトゥーを彫り(もちろんニセモノだが)、同じく魚のタトゥーを背負った松方弘樹とセックス。しかし、他の映画の方が脱ぎっぷりはイイ。
黒木瞳の裸をセールスポイントにすることさえ、この映画は拒否している。

『極道の妻たち』の岩下志麻のように、迫力のあるタンカを切るわけではない。基本的に黒木瞳はほとんど何もしない。ビートたけし演じる杉本昇治と愛との微妙な関係も、雑に描いてしまうことで物語のキーポイントにすることを避けている。

田ノ浦組が土地を手に入れるために幼児を誘拐するというチンケな行動に出る場面などは、この作品がチープだということを象徴しているかのようだ。
そう、これは観賞する価値を見出すことが、素人には非常に難しい映画なのだ。

 

*ポンコツ映画愛護協会