『アンドロメディア』:1998、日本

鎌倉。高校に入学したばかりの人見舞は、幼馴染のユウが漕ぐ自転車の後ろに乗せてもらう。別々の高校になった同級生のリカと洋子に遭遇した舞は、自転車を降りて声を掛ける。洋子は笑顔で話すが、リカは顔も合わせようとしない。ユウが花見に行く約束を確認すると、洋子は「そうなんだけど、トオルの奴がまだ」と告げる。リカは「トオル君が来るなんて聞いてない」と言い、その場を去ってしまった。舞はユウと浜辺へ行き、「私たちもきっと変わって行くんだろうね」と言う。ユウは「変わんないことも、きっとある」と告げ、桜の木を眺めて「俺たちが子供の頃からある桜の木。色んなことが変わっても、変わんない物もある」と口にした。
舞はユウをからかった後、彼の手に触れた。しばしの沈黙の後、2人は唇を重ねた。その夜、舞と別れた直後にユウは携帯で話そうとする。舞は携帯を鞄から取り出そうとするが、後ろから走って来たトラックにひかれて死亡した。俊彦はコンピュータを使い、画面上に舞のコピーであるAIを誕生させた。同じ頃、高中サトシは医師から悪性の脳腫瘍だと宣告されていた。俊彦から舞の死を知らせるメールを受け取ったナオは、人見邸を訪れた。洋子とリカ、ユウも来ていた。
俊彦がユウと話していると、舞の異母兄であるサトシが現れた。サトシから「貴方は自我覚醒のプログラムを作り上げた」と言われた俊彦は、「きっかけになったのは、お前の母親の死だった」と話す。彼が「脳をコピーすることで、魂のアルバムを作れないかと考えた」と言うとサトシは「貴方がそれを持っている限り、悲劇は繰り返される」と告げて立ち去った。リカはユウに、「ユウはいつだって舞のことばかり。なんで私のことを気にしてくれないの。私だって寂しいのに」と不満を漏らした。
俊彦はAIに、舞の記憶を転写した。デジタルウェア社を経営するザッカーは、俊彦の監視を命じた部下の黒澤から「始まりました」と連絡を受けた。サトシは俊彦のパソコンへの侵入を試みるが、アクセスに失敗した。ユウがインターネット研究会の部室でパソコンを操作していると、いきなり画面に「あかずの間」という文字が表示された。ユウがパスワード画面に「MAI」と打ち込むと、あかずの間のプログラムが開かれた。そこへ顧問の合田が現れ、ずっと封印されていた伝説のプログラムであること、天才と称されたサトシが作ったことを教えた。
俊彦はAIに、「これからは2人で、ひっそりと生きて行きたい」と告げた。黒澤は人見邸へ乗り込み、俊彦に銃弾を浴びせた。黒澤はAIを奪おうとするが、俊彦が間一髪で電脳世界へ逃亡させていた。ユウは部室を去ろうとするが、パソコンの画面にAIが現れたので驚いた。AIは自分が舞のコピーであることを説明し、「言ってないことがあるの。きっと舞は言ってなかったと思う。それを言ったら帰るわ」と告げる。AIは彼に、「誰にも会ってはいけないって言われてた。でも、突然外に放り出されて、お父さんの所に戻れなくなって。一人じゃ寂しくて」と語った。そんなAIには、ユウとキスした記憶が無かった。
ユウとAIが話す様子を、密かに合田が見ていた。ユウは俊彦に事情を聞こうと考え、人見邸へ赴いた。返事が無いので中に入ると、俊彦の死体は片付けられていた。AIはナオのパソコンに現れ、彼女を驚かせた。ナオは洋子とリカを呼び寄せ、AIの姿を見せた。黒澤がデジタルウェア社の日本支社へ戻ると、サトシが待ち受けていた。黒澤は拳銃を構えるが、ホログラムのザッカーに制止された。翌朝、ユウはノートパソコンにAIを移動させ、部室から持ち出した。合田はサトシと会い、情報提供の見返りに大金を受け取った。
ユウは洋子、リカ、ナオと合流し、バスに乗り込んだ。ザッカーは部下にAIの捕獲ハッカーを作らせ、発動を命じた。ユウたちは浜辺で楽しい時間を過ごすが、そこへザッカーの手下4人が現れた。ユウはノートパソコンを抱えて逃走し、崖から飛び降りた。サトシはリカと接触し、協力を持ち掛けた。AIはユウに、「私は舞じゃない。ユウと出会うことは出来ない。舞が羨ましい」と漏らした。ユウは仲間のトオル、ヒロユキ、カズマ、大木に電話を掛け、AIの声を聞かせる。ユウは彼らの車に乗せてもらい、AIを見せた。
ザッカーの手下たちが追って来たため、ユウたちは慌てて逃走した。ユウはリカに「ちょっとだけ舞と2人にさせて」と頼まれ、ノートパソコンを残して席を外した。リカはノートパソコンを盗み出し、サトシに引き渡した。ユウはサトシを追って殴り掛かるが、まるで歯が立たなかった。しかしサトシが頭痛に見舞われて苦悶したため、その隙にユウはパソコンを奪還する。だが、黒澤が洋子とナオを人質に取り、ノートパソコンの引き渡しを要求した…。

監督は三池崇史、原作は渡辺浩弐『アンドロメディア』(幻冬社刊)、脚本はキサラギ クリオ、脚本協力はNAKA雅MURA&江良至、製作は児玉守弘&平哲夫、エクゼクティブ・プロデューサーは滝本裕雄&春日たかし&稲葉貢一、プロデュースは濱名一哉&平野隆、プロデューサーは中澤敏明&中西誠、制作プロデューサーは西村大志&佐藤敏宏&井上文雄、撮影は山本英夫、美術は稲垣尚夫&石毛朗、照明は豊見山明長、録音・整音は中村淳、編集は島村泰司、VFXスーパーバイザーは曽利文彦、VFXプロデューサーは坂美佐子、音楽プロデューサーは伊秩弘将。
主題歌「ALIVE」作詞:伊秩弘将、作曲:伊秩弘将、編曲:水島康貴、歌:SPEED。
挿入歌「Feelin' Good-It's PARADISE-」作詞:m.c.A・T、作曲:富樫明生、編曲:富樫明生/鈴木直人、歌:DA PUMP。
出演は島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵、渡瀬恒彦、竹中直人、椎名桔平、原田健二、唐渡亮、クリストファー・ドイル、田口トモロヲ、辺土名一茶(ISSA)、宮良忍(SINOBU)、玉城幸也(YUKINARI)、奥本健(KEN)、北村一輝、問田憲輔、土師正貴、横山尚之、モンゴルマン、井出杏奈、吉川哲浩、伊藤隆太、東海孝之介、長田融季、ジョン・ギャロック、ミッシェル・ガゼビス、ミハイル・ワシレンコ、森羅万象、鈴木ひろみ、山之内幸夫、夏山千景、高野瀬裕史、村松ひでお、下崎憲治、辻井啓伺、剱持誠、高野弘樹、澤浩男ら。


渡辺浩弐の同名小説を基にした作品。
監督は『極道黒社会 RAINY DOG』『中国の鳥人』の三池崇史。脚本の「キサラギクリオ」は、映画を製作したTBSテレビ事業局に所属していた平野隆の変名。
当時の人気グループだったSPEEDが映画初主演を務めている。配役は舞&AI役が島袋寛子、洋子が今井絵理子、リカが上原多香子、ナオが新垣仁絵。当時のDA PUMPのメンバーも、舞のクラスメイトとして出演している。配役はトオル役がISSA、ヒロユキがSINOBU、カズマがYUKINARI、大木がKEN。
他に、俊彦を渡瀬恒彦、黒澤を竹中直人、サトシを唐渡亮、合田を田口トモロヲが演じており、終盤にザッカーの後任となる中国語の男として椎名桔平が友情出演している。
ザッカーを演じているのは、ウォン・カーウァイ監督作品などで知られる撮影監督のクリストファー・ドイル。どういう繋がりで出演に至ったのかは謎。ユウ役の原田健二は第10回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで審査員特別賞を受賞した人で、これが役者デビュー。洋子とナオをナンパしようとする禿頭の男役で、北村一輝が1シーンだけ出演している。

原作小説とは内容が大幅に異なっており、ほぼ「原案」と言ってもいいような改変ぶりとなっている。
原作は「芸能事務所の社長から依頼を受けた男が人気アイドルのダミーとしてバーチャルアイドルを作り出す」という内容なので、そこは「SPEED」がアイドル的な人気を持つグループだったことを考えれば、そのまま使えるような気がするんだけどね。
でも、そこの設定を全く使わず、アイドルとは何の関係も無い内容に改変している。
そのくせ明らかに「アイドル映画」としての作りにしてあるんだから、何をどうしたいんだか。

どうせアイドル映画として作っているんだから、例えば「SPEEDの島袋寛子が何らかの事情で仕事を続けることが出来なくなり、技術者の作成したバーチャルアイドルを使ってグループを存続させる」という話にでもすれば、傑作になることは無理だとしても(それは絶対に無いと断言できるが)、もう少しマシになった可能性はあると思うんだよね。
芸能界を舞台にしておけば、色々と楽屋落ちを入れることも出来るし、SPEEDやDA PUMPの歌唱シーンも無理せずに挿入できるし、メリットばかりのような気がするんだけどね。「SPEEDがSPEEDの役で出演する」という形にすれば、「いつもの自分」でいいわけだから、演技の部分でも負担を軽減することが出来る。
この映画、「SPEEDの演技力の稚拙さ」ってのも、かなりのマイナスなんだよね。まあ演技経験なんて全く無いわけだから当然っちゃあ当然だけど、どうしようもなく下手なのよね。「大根芝居とは、このことだ」というぐらいのドイヒーっぷり。
仮に優れたシナリオや演出だったとしても全てを台無しにするぐらいの破壊力があるので、それを考えても、本人役にしておいた方がマシだったかなと。

脚本&演出の批評に入るが、序盤からキャラの出し入れに失敗している。
舞は始まって10分程度で死亡するのだが、この段階でナオは一度も登場していない。これは明らかに間違いで、まずは「舞と仲良くしている面々」のキャラ紹介と相関関係を示しておくべきだろう。
俊彦にしても、コンピュータを操作している様子がチラッと写るだけ。だから、舞との関係性は全く分からないし、優れた技術者であることも伝わらない。
そういうのを全て排除して、舞の死亡事故を描くことに焦る意味なんて何も無い。

舞がトラックにはねられると、ゆっくりと運転席から降りて来た男の足元が写し出される。
「特に動揺した様子も無く、声を発することも無い」という描写で、しかも顔を写さず足元だけで処理しているので、その犯人が後から物語に絡んで来るのか、あるいは単なる事故ではなく殺人だったのかと思ったら、放り出されたまま映画は終わってしまう。そうなると「単なるひき逃げ事故」と解釈せざるを得ないわけで、だったら意味ありげな描写にしてあるのは何のつもりなのかと。
ひき逃げ事故の直後、ナオが舞からのメールを読むシーンや俊彦が病院へ駆け付けるシーンが短く入り、コンピュータに向かっている俊彦の「超えてはならない神の領域を犯してしまった」というモノローグが語られる。すると、パソコンの画面にAIが登場する。
そういう手順にすると、舞の事故が起きた直後なのに、あっという間に俊彦が「じゃあ舞のコピーを作ろう」と考え、あっという間に技術を完成させているように見えちゃうのだ。
それは構成として、明らかに失敗している。

「俊彦が娘の死を受け入れられず、コピーを作ろうと考え、そのための技術を研究する」という手順を省略したいのは理解できる。
そんなトコに長く時間を割いている余裕なんて無いからね。
でも、だからって単純に「事故のシーンの直後にAIを誕生させる」という構成にしたらマズいってことは、誰でも簡単に理解できることであって。
そこを省略したいのなら、例えば冒頭にコピーを作ろうとしている俊彦を登場させて、回想として経緯や事情を説明するとか、色々と方法はあったはずでしょ。

最初に舞が声を掛けた時、リカは顔も合わせようとしないのだが、その理由は分からない。
「トオル君が来るなんて聞いてない」と口にして立ち去るので、トオルのことが関係しているのかと思いきや、後になって「ユウはいつだって舞のことばかり。なんで私のことを気にしてくれないの」と告げるシーンがある。つまり、ユウに惚れていたので、嫉妬していたわけだ。
でもね、そのことをユウに吐露するのは、舞が死んだ直後なのよ。それなのに舞の死を悼むことよりもユウへの嫉妬心をぶつけるって、どうかしてるだろ。
そもそも舞が死んだ直後なんだから、そりゃあユウが彼女を気にするのは当たり前だろ。もしかしたら「過去のシーン」という設定なのかもしれないけど、だとしても表現が下手すぎて伝わらないし(っていうか、たぶん回想シーンじゃないし)。
そこはともかく、他のトコでは何度か回想シーンが挿入されているけど、それらも全て上手くハマってないんだよね。俊彦が研究から手を引いた時のことをザッカーが回想するシーンとか、海で遊んだ時のことをユウたちが回想するシーンなんかも、全て時間の浪費にしかなっていない。

ユウが部室のパソコンを操作していると、急に「あかずの間」の画面が表示される。外部から誰かが操ったのかと思ったが、そうではないらしい。
でも、なぜ急に「あかずの間」の画面が出たのかは不明。
で、パスワードに「MAI」と入れると、なぜか簡単に入れてしまう。
ただし、入れたからって何があるわけでもない。ずっと封印されていたらしいが、何の意味があるプログラムなのか、それを開けたことによって何が起きるのかはサッパリ分からないまま、そのシーンは終わってしまう。

部室を去ろうとしたユウは「ボタンを押す」という操作でパソコンの電源を切る。それは強制終了であって正式なシャットダウンじゃないはずだが、そういうイレギュラーな手順を普通にやっているので、「いつもの方法」ってことらしい。
インターネット研究会なのに、妙な方法を取るもんだね。
で、AIが現れて「舞のコピー」と説明されると困惑していたはずなのに、「一人じゃ寂しくて」と彼女が言うと「一人じゃねえよ。洋子やリカ、ナオさんだっているじゃないか」と告げる。
あっという間に、彼はAIを「舞」として認識したらしい。
なんて物分かりがいい奴なんだ。

トオルたちが車でザッカーの手下から逃走するシーンは、ハンドルが外れたり、ドリフのコントみたいな爆発頭になったり、車の天井から氷柱が垂れたりと、なぜか急にコミカル度数がアップする。
ひょっとするとトオルたちをコメディー・リリーフにしたかったのかもしれんけど、そこまでの喜劇ノリが少なすぎるので、場違いで笑えないシーンになっている。
しかも、「車が爆発したけど無事だった」というシーンの後、いきなりトオルたちがノリノリで挿入歌のパフォーマンスを始めるので、失笑しか出ないわ。

登場人物の行動理由は、ことごとく不明確。もはや不明確ではなく、「デタラメ」と表現した方が適切かもしれない。
ザッカーがAIを狙う理由は、どうやら「バーチャルの自分に魂を与える」ってのが目的だったようだが、そんなことをして何の意味があるのかと。少なくとも、劇中で描かれるほど過激な手段を取ってまで果たそうとする目的ではないだろう。
黒澤が終盤に入ってザッカーを裏切るのも、何の意味があるのかと言いたくなる。彼はAIのデータを自分の脳内に取り込もうとするんだけど、それで何がしたいのか、どうなりたいのかと。
その時に使う巨大な機械も、どういうモノなのかサッパリ分からないし。

サトシの行動理由も、これまたサッパリ分からない。
彼は俊彦に「貴方がそれ(自我覚醒のプログラム)を持っている限り、悲劇は繰り返される」と言っているので、じゃあAIを破壊するのが目的なのかと思いきや、なぜかザッカーと手を組む。
でも終盤に入ると寝返り、今度はウイルスをコンピューターに侵入させる。
このウイルスってのが、まるで「サトシが血を垂らしたらウイルスが侵入した」って感じの描写になっているのも滑稽。
なぜか急にパソコンのケーブルがモンスター化し、サトシを拘束して殺害するのも意味不明。

ユウはノートパソコンにAIを移動させ、それを悪党に奪われないよう必死で逃げ回ったり、奪われたノートパソコンを奪還したりしている。
だけど、AIは電脳世界のあちこちへ幾らでも自由に移動できるんだから、ノートパソコンを奪われたら別の場所に移ればいいだけでしょ。
だからユウたちが守る対象、敵が奪おうとする対象を「ノートパソコン」にしているのは、もちろん話を作る上で分かりやすくなるというメリットはあるだろうけど、明らかにAIの設定と矛盾しているのよ。
ただしユウのノートパソコンは何があっても絶対に壊れず、崖から転げ落ちても普通に使えるぐらい頑丈なので、それはそれで価値があると思うけどね。

だから、最終的にAIが「自分がいたら、いつまでも敵が追って来るから迷惑が掛かる」ってことでユウにノートソパソコンを海へ捨てるよう頼むのも、悲しい結末として描いているのは分かるけど、まるで感情が揺さぶられない。
前述したように、AIは電脳世界を自由に移動できるので、敵が追って来ても簡単に逃げられるはず。
それにノートパソコンを捨てたとしても、敵は「AIが消えた」ってことを確認できないし。
あと、AIは増殖だって出来るはずなんだけど、その技を使おうとしないのも不可解。

(観賞日:2016年6月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会