『ALIVE』:2003、日本

八代天周は恋人・原みさ子を強姦した6人の男を惨殺し、恋人まで殺害して死刑判決を受けた。彼の死刑は執行されるが、電気椅子の電流 の弱さゆえに天周は死ななかった。刑務所長は天周に、既に死刑は執行されて書類上は死亡したことになったと告げる。そして彼は天周に、 生きるか死ぬかという選択肢を与えた。前者を選んだ天周は、麻酔銃で撃たれて意識を失った。
天周が意識を取り戻すと、ある研究施設内部の外部から遮断された無機質な部屋だった。部屋には先客がいた。天周と同じく死刑を執行 され、そして生き残った権藤という男だ。スピーカーから男の声が響き、天周と権藤は何かの実験に参加させられていることを知る。希望 があれば、武器や女以外は何でも用意すると男は言う。天周と権藤は、新しい服と食事を要求した。
権藤が荒っぽい態度で話し掛けても、天周はクールを貫いた。それに怒った権藤は、自分を見るなと要求する。2人の様子は、研究員の 小島や部下の三枝明日香らによって監視されていた。だが、管制室の様子は天周と権藤からは分からない。やがて小島は明日香に対し、 食事の回数を減らして室温を上げるよう指示を出す。天周と権藤を苛立たせるのが目的だ。
権藤が犯した殺人について語り始め、天周はみさ子のことを連想する。耐え切れなくなった天周が言葉を遮ろうとすると、権藤は逆上して 襲い掛かってきた。天周は瓶を手に取り、権藤を昏倒させた。それ以来、権藤は天周に敵意を示すようになる。小島は2人の精神をさらに 追い込むため、1時間ごとにブザーを鳴らすよう明日香に命じた。
隔離されてから9日目、天周と権藤が目を覚ますと、ガラスで仕切られた部屋の向こう側に1人の女性がいた。その女性・百合華は、 自分が魔女だから隔離されているという。百合華は性欲を剥き出しにする権藤に対し、天周を殺せば自分の部屋に入れると告げる。天周は 、全く似ていないにもかかわらず、百合華にみさ子の面影を見る。権藤の発言をみさ子に対するものだと思い込んだ天周は殴り掛かり、 執拗に殴り続ける。しかし、ふと我に返り、殺す寸前で手を止めた。
国家安全顧問機関の徳武が部下の松田を伴い、研究施設にやって来た。徳武は管制室へ乗り込み、研究の成果を尋ねる。小島が無視しよう とすると、徳武は彼に暴行を加えて脅しを掛ける。成果が上がっていないことを知った徳武は、百合華を拘束するという政府の意向を口に する。明日香は必死に懇願し、研究の続行を求める。実は、明日香は百合華の妹だった。
百合華には“異次物”と呼ばれる正体不明の物体が棲み付いている。それは彼女の肉体と精神を蝕んでおり、このままでは死んでしまう。 小島達が進めている研究とは、異次物がより強大な殺意をもつ生命体へ移動する性質を調べるためのものだ。そこで、2人の凶悪な死刑囚 が異次物の移動先の候補として実験台に選ばれたのだ。これまでは1人の死刑囚で実験が繰り返されており、2人を使うのは初めてだ。 徳武は研究員に対し、1週間の猶予を与えた。
12日目に目を覚ました天周は、権藤が百合華の部屋にいるのを見て驚く。権藤は、勝手に入り口が開いたのだと言う。権藤は百合華に 襲い掛かるが、変貌した彼女の犠牲となった。百合華は天周に、異次物に取り憑かれた父親が妹を襲ったこと、妹を助けるために父親と 戦って異次物に憑依されたことを語り、助けを求める。だが、異次物が百合華の精神を乗っ取り、天周にみさ子の幻影を見せる。幻影は 「本当は汚れた私を許せなかったんでしょう」と問い掛け、天周の精神を刺激する。
天周の中で殺意が高まり、異次物は彼へと移動した。それを確かめた徳武と松田は、小島と明日香を除く研究員を射殺した。政府は異次物 の軍事利用を企てており、研究員は邪魔な存在だったのだ。徳武は待機させておいたSWAT部隊に連絡を入れ、天周を捕獲するよう 命じた。だが、天周は恐るべき破壊力を発揮し、SWAT部隊をあっという間に全滅に追い込んだ…。

監督は北村龍平、原作は高橋ツトム、脚本は北村龍平&山口雄大&桐山勲、プロデューサーは佐谷秀美&服巻泰三、 テクニカルプロデューサーは篠田学、撮影は古谷巧、編集は掛須秀一、照明は田村文彦、美術は林田裕至、第二班監督は山口雄大、 視覚効果スーパーバイザーは進威志、アクション・コレオグラファーは下村勇二、音響効果は柴崎憲治、音楽は森野宣彦&矢野大介。
出演は榊英雄、りょう、小雪、菅田俊、小田エリカ、坂口拓、國村隼、杉本哲太、ベンガル、石橋蓮司、小沢仁志、松岡俊介、殺陣剛太、 水上竜士、木村慶太、青木稔、BOBA(田中要次)、濱近高徳、北見誠、渡辺成紀、松原末成、高橋正宇、高橋清文、吉原歩、伊沢響、 谷門進士、窪園純一、SHIBATA NAONOBU、松本実、新井雄一郎、大場一史、片山武宏、古宮基成、吉田浩之、堀内俊成、金澤大朗、 後藤竜治、小原剛(オハラ・ゴウ)、沢田豊志、小林昌美、松田賢二ら。


高橋ツトムの同名漫画を基にした作品。
北村龍平監督にとっては『あずみ』に次いで公開された作品ということになるが、撮影されたのは本作品の方が先だ。
天周を榊英雄、百合華をりょう、明日香を小雪、松田を菅田俊、みさ子を小田エリカ、小島を國村隼、権藤を杉本哲太、 徳武をベンガル、刑務所長を石橋蓮司が演じている。
また、権藤の髪を切る護衛役の俳優は「BOBA」と表記されるが、これは田中要次のこと(彼の愛称がBOBAなのだ)。

北村監督にストーリーテリングの能力など最初から期待していないので、デタラメで陳腐なシナリオは気にしない。
ただ、ダイアローグの羅列によって話を進行していくのだが、このセリフ劇の、かったるいことと言ったら。
ほぼ密室劇で場面転換に乏しいというのもキツい。
「臨界」とか「憑依」というタイトルで章分けしている構成も、たたでさえ沈滞感たっぷりの作品に、余計なブツ切り感を足していると いうマイナス効果しか感じない。

また、榊英雄が主役としては完全に役者不足を露呈しており(何しろ場面ごとに顔が違うので、顔の印象さえボンヤリしているほどだ)、 ハイテンションの杉本=モヒカン=哲太が1人で引っ張らざるを得なくなっているのだが、それは苦しい。
それに、途中で退場してしまうわけだし。
榊英雄が、芝居が上手くなくても色の濃い役者ならもう少し何とかなったと思うが、薄い。
「この映画だから」とか、「このキャラだから」ということではなく、主役を張るタイプの役者ではないと思う。

この映画を見て、改めて北村龍平監督に対する私の認識が間違っていないことを確認した。
彼は混じりっけ無しのB級アクション監督だ。間違ってもメジャー製作で全国公開されるビッグ・バジェットの忍者映画を手掛けるような器ではない。
これは何も、完全に北村龍平がダメな映画監督だと言っているわけではない。
日本でマトモにB級アクションを撮れる監督がどれほど存在するのかと考えた時に、彼のような人材は貴重なのだし。

北村監督はハリウッド志向が強い人だと思うが(それはタイトルロールで主要キャストが英語表記されることからも伺える)、私も彼が 日本映画界よりもハリウッド映画界に向いていると思う。
ただし、「ハリウッドでメジャー・プロダクションのビッグ・バジェット作品を手掛けても充分に成功できるだけの優れた才能を持った監督」 という風に北村監督を評価しているわけではない。
そうではなく、日本ではB級アクション映画のマーケットが狭いから、ハリウッドの方が向いていると思ったのだ。
日本ではB級アクション映画のマーケットが狭いから、B級アクションのセンスを持っている大半の監督は、Vシネマやそれに準じる作品(1週間程度の単館公開で「劇場公開作」にしてしまう Vシネマ同然の映画)の世界で生きる道を探すことを余儀なくされる。
「大作アクションが撮れる」と勘違いされている一部の監督を除けば、そこしか生きる道が無いのが現実だ。

しかしアメリカなら、B級アクション映画の市場は存在する。
北村監督は既にハリウッド進出を果たしているが、ミレニアム・ピクチャーズでジャン=クロード・ヴァン・ダム主演のB級刑事 アクションを撮ったり、アンドリュー・スティーヴンス・エンターテインメントでドルフ・ラングレン主演のB級SFアクションを 撮ったりする位置まで行ける可能性は充分にあると思う。
何しろ、勘違いしたスタイリッシュ映像しか無いようなヘボいアクション演出をする監督も、アメリカには存在するんだから。

ただし勘違いされると困るので補足しておくが、私は北村監督のアクション演出が優れているとは思わない。
この映画でも、天周とSWATの戦いは細かくカットを割って激しく絵を動かしているのだが、ゴチャゴチャしていて何がどう動いているのか良く分からない。
北村監督は止め絵のヴィジュアル・イメージはあっても、動画に対するセンスが鈍いのではないか。
最後の戦いは見やすいものになっているが、そのゲーム感覚の格闘は、クライマックスとしての盛り上がり度数は低い。
天周も敵(原作には登場しない映画オリジナルの存在だそうだ)も、キャラとしてのテンション、熱が低いし、迫力不足。

北村監督は何を勘違いしたのか、前半は全くアクションシーンが無い。
本人にアクション特化の監督だという自覚が無いとは思えないが(フィルモグラフィーはアクション映画ばかりなんだから)、 「アクション以外のこともやれますよ」とアピールしたかったのか。
たぶんサスペンスや心理ドラマをやりたかったんだろうが、ただ重苦しくて退屈な時間がひたすら続くだけ。
後半に入るとアクションシーンも登場するが、しかし一気にギア・チェンジするわけではなく、退屈モードは続く。
マトモなアクションって、SWATとの戦いと、最後の戦いと、その2つぐらいじゃないか。
終盤に入ると、「政府が別で入手していた異次物とのクローニングが成功してゼロスという人間兵器が完成したので、Bプランである 死刑囚の実験は不必要」と言い出し、今までの話を無意味にしてしまうという、ラッセル・マルケイもビックリの展開が待ち受けている。

幾らハリウッド志向が強いとは言っても、タイトルロールだけでなくエンドロールのクレジットまで全て英語表記になっているのは、もはや不快感さえ抱いた。
もしかすると「海外配給も考えていたから」ということもあるのかもしれないが、それでも主なマーケットは日本なのだ。
にも関わらず日本語クレジットが無いなんて、不親切でしかない。
「ジョークとして意図的にやっている」ということならともかく(それでも不愉快だけど)、北村監督は明らかに「かっこいい」と思ってやっているわけで、日本人の観客をバカにしてんのかと。

 

*ポンコツ映画愛護協会