『悪魔の手毬唄』:1961、日本

流行歌手の和泉須磨子はマネージャーが運転する車に乗り、故郷である鬼首町鬼塚村へ向かっていた。途中で2本の丸太が道を塞いでいたため、マネージャーは車を停めた。その日は須磨子が録音した『鬼塚村手毬唄』の放送日で、彼女はトランジスタラジオを付けた。そこへ何者かが現れ、須磨子とマネージャーを立て続けに殺害した。岡山県鬼首町警察署には捜査本部が設置され、磯川警部は大勢の記者たちに囲まれた。しかし磯川は、まだ何の手掛かりも得られていないことを告げた。
鬼塚村へ向かうバスには、遠藤和雄という青年が乗っていた。お告げババア・おいとが途中で乗車したバスを、スポーツカーが追い抜いて行った。運転していたのは金田一耕助という男で、亀の湯旅館の前で車を停めた。彼は女中の光枝に鞄を渡し、宿泊することを告げた。旅館には吉田、石山、日下部という湯治客が宿泊していたが、金田一のような若い男は珍しいので光枝は驚いた。光枝は金田一の質問を受け、仁礼家が地域では随一の大金持ちであることを話す。石山が歌い始めると、光枝は毎度のことなのだと告げた。
仁礼家の主人である剛三は、辰蔵という男の訪問を受けていた。辰蔵は18年ぶりの帰郷で、5日前から多々良放庵の家で厄介になっていることを剛三に話す。露骨に不快感を示す剛三が訪問の理由を尋ねると、お悔やみだと辰蔵は述べた。須磨子の弟である源一郎、妹の里子、母の宮子、それに親族たちはテレビの前へ集い、須磨子の追悼番組を視聴した。最後の収録となった番組で彼女が『鬼塚村手毬唄』を歌い出すと、それを聴いていた剛三は顔を引きつらせて部屋を飛び出した。
歌い終えた須磨子は、村に古くから伝わる手毬歌であること、匿名の人物から手紙で教えてもらったことを説明した。旅館の客たちも、その番組をテレビで見ていた。金田一は遠藤に話し掛け、彼の名前や里子と同じ阪神大学の学生であることを言い当てた。その根拠を彼が説明すると、湯治客は感心した。金田一が温泉に入っていると、石山たちは刑事ではないかという推察を口にした。金田一が否定していると放庵が現れ、『鬼塚村手毬唄』を歌い出す。そして彼は、その歌を幼い頃から知っていることを語った。
遠藤が里子を呼び出して一緒に外を歩いていると、おいとが現れた。彼女が神のお告げとして命の危険に言及したので、里子は怯えた。源一郎は帰宅した里子に、変わった手紙は来なかったかと尋ねた。半年前に剛三が脅迫状を受け取っており、源一郎は須磨子の死と関係しているのではないかと不安を感じていた。しかし剛三は何かを隠している様子で、その関係を否定した。剛造から怒鳴られた源一郎は、激しく反発して自室へ戻った。
金田一は廊下に置いてあった目印が移動していることに気付き、扉の外にある非常階段の存在を知った。里子は須磨子から自分宛ての手紙を見つけ、姉が金田一を呼んだことを知った。そこへ剛造が来ると、荒っぽく手紙を奪い取った。発砲音が聞こえたので里子たちが源一郎の部屋へ行くと、彼は猟銃を抱えて死んでいた。剛造は山狩りのため、半鐘を鳴らして村の男たちを集めるよう指示した。金田一は目印を扉の前に起き、和雄を車に乗せて仁礼家へ向かった。
磯川が部下たちを率いて仁礼家に駆け付け、源一郎の死体を確認する。そこへ金田一が現れ、死体に歩み寄った。磯川から素性を問われた彼は、私立探偵の金田一耕助だと説明した。剛造が不快そうな態度を示したので、金田一は磯川に名刺を渡して仁礼家を去ることにした。その名刺には、「自殺に見せ掛けた毒殺」と書かれていた。里子が和雄と話していると、仁礼家の親族である栗林が連れ戻しに来た。彼は金田一と和雄に対し、強い嫌悪感を示した。
おいとは放庵の訪問を受け、辰蔵の失踪を知らされた。底無し沼の近くで白い花を摘んだ金田一は、おいとに会った。おいとは金田一に、それが毒草であることを教えた。金田一が旅館に戻ると、里子が会いに来ていることを和雄が伝えた。金田一は目印が動いていないことを確認し、里子を部屋に招き入れた。里子は彼に、姉の手紙を読んだことを告げた。金田一は須麿子から手紙で依頼を受けたこと、村へ来た時には既に彼女が死んでいたことを明かした。
金田一は和雄と共に、里子を車で屋敷まで送り届けることにした。里子は金田一に、手毬唄を聴いた父が顔色を変えたことを話した。途中でオイルが撒かれており、3人は危うく底無し沼へ転落しそうになった。車が壊れてしまったため、金田一と和雄は徒歩で里子を屋敷まで送り届けた。金田一は和雄に、自分の助手を務めるよう命じた。里子が家を出ようとすると、彼女との結婚を目論む栗林は反対した。
栗林は剛造の機嫌を取り、無一文になれと要求する脅迫状の内容を聞き出した。栗林は宮子から青池という男のことを聞いており、脅迫状との関係について剛造に質問した。すると剛造は、青池の作男だった辰蔵が村へ戻って来たことを話す。金田一と和雄は放庵を訪ね、辰造が昨日から戻っていないことを知る。その居場所について放庵は、因縁の深い牧舎にいるのではないかと告げた。既に金田一は、そこが仁礼家の土地であることを知っていた。
金田一は和雄を伴って歩きながら、犯人が牧舎へ何かを運んだことを語る。牧舎にいる辰蔵を見つけた金田一は、源一郎が殺されたことを教えた。辰蔵は驚愕するが、何も話さずに2人を追い払う。金田一は和雄に、「里子君に万一のことがあるとすれば毒殺だよ。因縁だね」と言う。20年前、剛造は青池から土地や財産を全て巻き上げ、抗議に来た彼を高慢な態度で追い払った。1ヶ月後、困窮した青池が借金を懇願すると、剛造は冷たく拒絶した。半年後、辰蔵は剛造を訪ね、青池の妻が3人の子供と服毒し、手毬唄を歌いながら沼に身を投げたことを語って非難した。そのことがあるため、剛造は手毬唄を怖がるのだ。
金田一は「分かった」と言い、和雄を連れて牧舎へ戻った。辰蔵は牧舎を出て、仁礼家へ赴いていた。金田一は牧舎に入り、辰蔵が源一郎殺しの犯人を見たこと、犯人は気付かなかったことを説明した。さらに金田一は、犯人は鬼首村に住んでおり、その素性に辰蔵が気付くような言葉を口にしたのだろうと述べた。金田一は須磨子の手紙を受け取った時から捜査を開始していたことを話し、自分が警察の嘱託であることを明かした。金田一は和雄に、牧舎を外から見張っているよう指示し田。彼が旅館へ戻ると、助手の白木静子が待っていた。彼女は金田一に、須磨子の手紙から出た指紋に前科は無かったこと、消印は岡山だったことを報告した…。

監督は渡辺邦男、原作は横溝正史『宝石』連載・講談社刊、脚本は渡辺邦男&結束信二、企画は猪又永一、撮影は渡辺季、録音は加瀬寿士、照明は元持秀雄、美術は進藤誠吾、編集は祖田冨美夫、音楽は山田栄一。
出演は高倉健、小野透、北原しげみ、大村文武、神田隆、小林裕子、八代万智子、志村妙子(太地喜和子)、山本麟一、永田靖、花澤徳衛、増田順司、中村是好、石黒達也、山口勇、不忍郷子、花岡菊子、大東良、北山達也、岡部正純、関山耕司、北峰有二、岡野耕作、高須準之助、日尾孝司、河合絃司、大野広高、沢彰謙、仲塚光哉、菅原壮男、都健二、山田甲一、山之内修、木村梢、赤尾静子ら。


横溝正史の同名推理小説を基にした作品。
監督は『喧嘩富士』『水戸黄門海を渡る』の渡辺邦男、脚本は『幽霊島の掟』『維新の篝火』の結束信二。
金田一を高倉健、遠藤を小野透、静子を北原しげみ、源一郎を大村文武、磯川を神田隆、光枝を小林裕子、須麿子を八代万智子、里子を志村妙子、栗林を山本麟一、剛造を永田靖、放庵を花澤徳衛、吉田を増田順司、辰蔵を中村是好、石山を石黒達也が演じている。
ちなみに志村妙子は、後に太地喜和子という芸名で活躍することになる。

横溝正史の金田一耕助シリーズは、東映では片岡千恵蔵の主演で1947年から1956年まで6本が映画化されている。
そこに『悪魔の手毬唄』は含まれていないが、その理由は簡単だ。その当時、まだ『悪魔の手毬唄』は発表されていなかったのだ。原作は小説誌『宝石』に1957年8月号から1959年1月号まで連載されていたので、ちょっとの差で間に合わなかったのだ。もちろん、まだ片岡千恵蔵が金田一シリーズの主演を続けていれば、映画化される可能性もあったわけだが。
ともかく、東映の金田一耕助と言えば片岡千恵蔵のイメージがある。そして会社を限定しなければ、たぶん多くの人がイメージするのは角川春樹事務所のシリーズで主演を務めた石坂浩二や、TVシリーズで長く金田一を演じた古谷一行ではないだろうか。
他にも渥美清や中尾彬、西田敏行や豊川悦司など、映画やTVドラマで数多くの役者が金田一耕助を演じている。
だが、高倉健が金田一耕助を演じていたことを知る人は、それほど多くないと思う。

東映のトップだった片岡千恵蔵の当たり役を高倉健に演じさせているってのは、当時の東映が現代劇のスターとして彼を育てたいという考えを持っていたことの表れだろう。
ただし「東映」としての製作ではなく「ニュー東映」の製作ってのがポイントだ。
東映は観客動員が他社を引き離して1位だった1960年に第二東映を設立し、制作本数を倍にして稼ぎを増やそうと目論んだ。他社から引き抜いた時代劇スターを使っての製作だったが興行収入は伸びず、途中で「ニュー東映」に改名して現代劇中心のラインアップに変更した。しかし、東映と比べて二流という様相は変わらず、わずか2年で終焉を迎えた。
つまり東映じゃなくてニュー東映の主演ってことは、期待されているけど、まだ今一つの人気に留まっていたってことだ。

この映画を見て違和感を覚える人は、たぶん少なくないだろう。
なぜなら、金田一耕助が一般的に知られている彼のイメージとは大きく異なる上に、物語も「こんな話だったかなあ?」と首をかしげる内容になっているからだ。
実際、金田一のキャラクター造形も、物語の内容も、原作からは大幅に逸脱している。
「原作を読んでいる観客も驚かせよう」という目的で、大幅に改変しているわけではない(それは片岡千恵蔵版で比佐芳武がやったことだ)。
そもそも脚本担当の結束信二は「こんな感じの話」と大まかに説明を受けただけで、原作を読んでいないのだ。そりゃあ、まるで違う話になるのも当然だろう。

金田一耕助はオープンカーを走らせて、スーツに短髪、サングラスという姿で颯爽と登場する。金田一耕助のくせに、オシャレで都会的で二枚目の男なのだ。
彼は旅館に到着すると光枝に「ほら、重いよ」と告げて鞄を放り投げ、煙草を吸い始める。
とにかく何から何まで、コレジャナイ感が強い。
まあスター映画としては珍しくもないことではあるのだが、「金田一耕助」というキャラクターに俳優が近付いていくのではなくて、高倉健という俳優にキャラクターを寄せているのだ。

人気歌手は大空ゆかりではなく和泉須麿子で、しかも恩田の娘ではなく仁礼家の長女になっている。
そもそも恩田幾三は存在していない。だから恩田が詐欺を仕掛けた過去も存在せず、仁礼家も登場しない。
青池家に関する言及はあるが、青池リカが亀の湯の女将を務めているわけではない。
リカも歌名雄も登場せず、青池源治郎が殺害されたという過去も無い。
里子は左半身が真っ赤な痣に覆われておらず、そもそも青池家ではなく仁礼家の娘だ。

出生に関する秘密は事件に絡まず、「閉鎖的な村の因習」とか「忌まわしき血筋」といった要素は含まれない。
古くから伝わる手毬歌は登場せず、だから見立て殺人も発生しない。
「手毬歌になぞらえた見立て殺人」ってのは原作の肝になる要素なのだが、なんせ脚本家が原作を読んでいないもんだから、そんなのはお構い無しなのだ。
で、そのままだと『悪魔の手毬唄』というタイトルと内容が合わなくなるので、「青池の妻が自殺する時に手毬唄を歌っていた」ということにしてある。

犯人から匿名の手紙を受けた須麿子は新曲として手毬唄を録音するのだが、「もしも須麿子が録音しなかったら犯人の狙いは外れるよね」ってのが気になる。
あと、たぶん犯人としては、その録音が終わってから、須磨子を殺そうと目論んでいたはずだよね。だけど、須磨子を殺した時点で録音が済んでいるかどうか、どうやって犯人が知るんだろうってのは引っ掛かる。
それと、実際に青池の妻が歌っているのを聞いたわけでもない剛造が怯えるってのは、ちょっと無理があるかな。
あと、犯人は剛造が手毬唄を怖がると分かっているからこそ須磨子が歌うよう仕向けたんだろうけど、「剛造が手毬唄を怖がる」という情報をどうやって知ったんだろうか。

金田一は旅館で須磨子の追悼放送を見た後、遠藤の素性をズバリと言い当てて推理の根拠を詳しく説明する。
事件とはまるで無関係な部分で、卓越した観察力と推理力をアピールしているわけだ。
主人公の能力を序盤で示しておくってのは、映画の手順としては間違っていない。ただし金田一耕助が主人公ってことを考えると、違和感は否めない。そんなトコで得意げに推理を披露するのは、「らしくないなあ」と思ってしまう。
しかも肝心の事件に関しては、なかなか犯人を突き止められず、犠牲者が増えているわけだし。

遠藤を学生だと見抜いた根拠について、金田一は「無意識に眼鏡を拭こうとしたが、胸のポケットに入っているはずのハンカチが無かった。それで左のポケットに手を入れたんですよ。そのポケットからハンカチと一緒に、筆で書かれた仁礼里子様という封筒が見えたんです」などと説明する。
しかし、それに該当するシーンは、そこまでに描写されていない。つまり、説明されて初めて、そんな出来事があったことを観客は知らされるわけだ。
廊下の目印(小石なのか何なのか、ブツの正体は良く分からないけど)が移動していることに金田一が気付くシーンがあるが、それも同様で、その時になって初めて「そこに目印があった」ということが明かされる。だから、あらかじめ金田一が目印として置いてあったのか、たまたま目印のような役割を果たすことになったのか、その辺りも良く分からない。
そこに関しては、「伏線として提示されているのに、あまり効果的には機能していない」という問題もある。解決編に入った際、犯人にアリバイがあるかどうかってのが、そんなに重要な意味を持たないのよね。

金田一は「昨夜、辰蔵は牧舎で犯人を見てる。その男は気付かずに行ってしまったが」などと語り、犯人が青池であることを指摘する。しかし、犯人が青池だという根拠は何も無い。
「辰蔵が見ていた」という根拠については「血の跡が付いている」ってことを指摘するが、その説明の時に初めて血の跡が写し出される。
金田一は「青年団と警察が牧舎を調べに来た時、辰蔵は草むらに隠れた」と語り、その証拠として血の付いた草が倒れていることを示す。だが、周囲の草が倒れていることも、そのシーンで観客には初めて明かされる。
観客には手掛かりを与えない内に金田一が推理し、その時に初めて根拠を示すので、こっちは謎解きの面白さを全く味わえない。

犯人は源一郎の死を自殺に見せ掛けているのに、剛造は即座に山狩りを命じている。すぐに金田一が駆け付け、磯川に毒殺であることを教えている。
そうなると、犯人が自殺に偽装した意味が全く無い。
そもそも、須磨子の死は明らかに他殺であり、むしろ犯人はラジオを死体に乗せることで「これは他殺です」ってことをアピールしているぐらいだ。
それなのに、源一郎の時は自殺を偽装し、里子は事故に見せ掛けて殺そうとするのは一貫性が無いと感じるぞ。
恨みがあることをアピールしたいのか、したくないのか、どっちなんだよ。

あと、自殺に見せ掛けて毒殺する意味が、そもそも理解不能なんだよな。
どうせ警察が調べれば、自殺じゃないことは簡単に分かるでしょ。発砲していたら弾丸が命中しているわけで、それが発見されないんだし。実際、捜査本部の調査で、すぐに毒殺ってことは判明しているわけだし。
あと、毒で殺したのなら、発砲音は何だったのかと。
っていうか、自殺に見せ掛けて毒殺するにしても、発砲に見せ掛けるというのは無理があり過ぎるでしょ。源一郎を毒殺するには屋敷に潜入して飲み物に毒を混入する必要があるはずだが、どうやったのかは全く分からないし。

金田一が遠藤に「里子君に万一のことがあるとすれば毒殺だよ。因縁だね」と告げると、剛造と青池の間に存在する20年前の因縁が回想劇として説明される。
だけど、それは金田一が聞き込みを行い、手掛かりを集めて突き止めた情報ではないんだよね。
それなのに、なぜか金田一は20年前の因縁を知っていることになっている。なんでだよ。
そこに大きな疑問があるから、金田一が知らないはずの回想シーンが描かれた後で彼が「分かった」と口にしても、「何がだよ」と言いたくなる。

金田一は「里子君に万一のことがあるとすれば毒殺だよ。因縁だね」と言うし、「犯人の家族は毒を飲んで自殺してる。同じ毒で仁礼の長男が殺されてる。恐ろしい20年間の執念だよ」と語る。
しかし、ハッキリとは分からないが須磨子は撲殺のようだし、少なくとも毒殺ではない。里子の時も、事故死に見せ掛けて殺そうとしている。それに源一郎にしたって、自殺に偽装している。
ホントに恨みを晴らす目的で仁礼の一家を狙うなら、「あの時と同じ毒で殺した」ってことを、もっと強くアピールすべきじゃないのか。
それと、「素手に青池は死んでいる」ってことのアピールが弱いから、「死んだはずの青池が生きていて復讐している」という仕掛けの意味合いまで弱くなってしまう。
青池の妻と子供たちが死んだ時の様子は説明されているが、青池に関しては剛造の「青池一家はもう死に絶えているんだ」という言葉ぐらいなんだよね。「昭和18年の洪水で身許不明の4人の死体が発見され、村の人々が衣服や体の大きさから青池だと推定した」ということが語られるのは、もう終盤になってからだ。

映画開始から1時間が過ぎた辺りで、白木静子が登場する。
これがシリーズ作品であり、今までずっと彼女がレギュラー出演していたということなら、遅ればせながら登場しても別にいいだろう。
でも単品だし、そこまで金田一は遠藤を助手として使っていたので、違和感が強いわ。
片岡千恵蔵版では白木静子が助手としてレギュラー出演していたので、それを踏襲しているってのは分かるのよ。ただ、事情は分かるけど、存在意義は皆無に等しいぞ。

途中から栗林という男が、いつの間にか登場している。 金田一が源一郎の死体を確認した後、里子を連れ戻す時に初登場しているのだが、何の紹介も無いもんだから「お前は誰なんだよ」と言いたくなってしまう。
しかも、かなりギクシャクした形で登場する上に、こいつが単なる邪魔者でしかないんだよな。
なんで「里子に邪な気持ちを抱く男」というキャラクターを登場させるかねえ。こんな奴は本筋に全く関係が無いし、無駄に話をゴチャゴチャさせるだけだわ。ミスリードとして機能するわけでもないんだし。

(観賞日:2015年5月10日)

 

*ポンコツ映画愛護協会