『あかね空』:2007、日本
深川で永代寺出入りの老舗の豆腐屋「相州屋」を営む清兵衛と妻のおしのは、幼い息子の正吉を連れて橋を渡っていた。常陸屋と遭遇した夫婦が話し込んでいる間に、正吉は人形芝居の一座に興味を示して付いて行った。清兵衛とおしのは正吉がいないのに気付いて周囲を捜索するが、どこにもいなかった。20年後、長屋に住むおふみは、井戸水を飲んで「ええ水や」と感心している永吉という男に声を掛けた。永吉は京から出て来たこと、長屋で豆腐屋を始めることを彼女に語った。
おふみは買い物に付き合うと言い、半ば強引に永吉へ連れ出した。おふみは商売繁盛の願掛けとして、永吉を八幡様へ案内した。帰り道で相州屋を目にした永吉は豆腐一丁を購入し、その大きさや硬さに困惑した。翌日から永吉は開店準備に取り掛かり、おふみの父で桶屋の源治や母のおみつを含む長屋の住人たちが協力してくれた。永吉が豆腐屋「京や」を開店すると、長屋の女たちが一斉に押し寄せた。永吉は江戸の木綿豆腐ではなく、京の絹ごし豆腐を作っていた。
豆腐商人の平田屋は京やの豆腐を手に入れ、豆腐売りの嘉次郎に差し出した。彼は嘉次郎に屋号入りの飯台を渡し、京やがある蛤町界隈では値下げして豆腐を売るよう要請して「値下げ分は肩代わりする」と言う。それは京やを狙い撃ちにした戦略であり、平田屋は上方から来た店を潰そうとしていたのだ。深川を縄張りにする嘉次郎は挨拶の無かった永吉に腹を立てていたが、豆腐の安売りは断って「半端なことはしなくても、人は俺から豆腐を買うぜ」と自信を見せた。
おしのは京やを訪ねて豆腐を買い、永吉を凝視した。嘉次郎は京やの豆腐を味見し、その美味しさに驚いた。しかし京やの豆腐を美味しいと感じたのは、おふみを含む一部の人間に留まった。木綿豆腐に慣れた多くの客は、京やの豆腐を「柔らかくて不味い」と感じた。そのため、京やには全く客が来なくなり、長屋の住人も嘉次郎から豆腐を買うようになった。永吉が豆腐を買いに行くと、嘉次郎は自分に挨拶が無かったことを咎めて立ち去った。
豆腐が売れないことに落ち込んだ永吉だが、おふみに励まされてやる気を取り戻した。嘉次郎はおふみに永吉を見直したことを告げるが、「商売で張り合っても無駄だ」と話す。その上で彼は、茶屋や料理屋なら京やの豆腐が売れるかもしれないと助言した。清兵衛はおしのが京やの豆腐を毎日買って来るので、「どういう了見だ」と腹を立てる。するとおしのは、永吉に正吉の面影を重ねていることを明かした。そこへ永吉がおふみと共に現れ、永代寺に豆腐を寄進したいので許可が欲しいと清兵衛に頭を下げた。清兵衛は無愛想な態度を取りつつも、「勝手にやんな」と了解した。永吉は永代寺に豆腐を寄進し、おふみに礼を述べた。
10日後、清兵衛は永代寺を訪れて僧侶の西周と話し、永吉が毎日30丁の豆腐を寄進していることを知った。病を患っている清兵衛は激しく咳き込みながら、おしのの頼みを聞いてもらえないかと西周に告げた。永代寺が50丁の豆腐を買ってくれることになり、永吉は大喜びでおふみに知らせた。おふみは永吉と結婚することになり、両親に挨拶した。病状が悪化して寝込んだ清兵衛は、その日が永吉とおふみの祝言だとおしのから聞いた。清兵衛は息を引き取り、おしのは正吉がいた頃を思い出した。
18年後、天明三年七月。浅間山の噴火や飢饉によって穀物の値段が上がり、米問屋が襲われる事件が頻発していた。永吉とおふみは栄太郎&悟郎&おきみという3人の子供に恵まれ、相州屋の後を借りて表店に移動していた。栄太郎は外回りを担当し、悟郎とおきみは豆腐作りを手伝っていた。永吉は豆腐の値上げを拒否して栄太郎の反発を招くが、おふみに説得されても考えを変えなかった。豆腐屋の寄合に参加した栄太郎は、値上げした上州屋や武蔵屋たちから激しい突き上げを食らった。寄合で値上げしていないのは京やだけで、栄太郎は足並みを揃えるよう詰め寄られた。
栄太郎は助け船を出してくれた平田屋に誘われ、初めて賭場を訪れた。予想外の大金が手に入り、彼は興奮した。1人の男が博奕に負け、イカサマを指摘した。代貸の卯之吉が怒っていると、親分の傳蔵が現れた。男がドスを抜いて襲い掛かると、傳蔵は取り上げて制圧した。卯之吉は傳蔵の指示を受け、男の右腕を折って追い払った。栄太郎は夜遅くまで出歩くようになり、永吉が咎めた。おふみは付き合いがあると言い、栄太郎を庇った。
平田屋は傳蔵と会い、永吉が相州屋を乗っ取ったと吹き込んだ。彼は京やを潰すために栄太郎を賭場へ誘ったことを明かし、協力を要請した。永吉はおふみに、栄太郎に帳簿を任せて隠居する考えを語った。おふみは喜ぶが、永吉の栄太郎の夜遊びを咎めたので腹を立てた。永吉から栄太郎のことになるとムキになると指摘された彼女は、「アンタは自分に似た悟郎が好きなのよ」と声を荒らげた。永吉が反論すると、おふみは「アンタは私の気持ちなんか何も分かっちゃいない」と憤慨して走り去った。
傳蔵は手下の役者に永吉のことを調べさせるが、悪い噂は何も出て来なかった。役者はおふみが悟郎を産んだ1ヶ月後に父を、おきみを産んだ年に母を亡くしていることを傳蔵に話した。さらに彼は、おしのが店を永代寺に預けて田舎に帰ったこと、寺が居抜きで京やに貸与していることを教えた。傳蔵が京やの様子を見に行くと、おふみが姿を見せた。傳蔵は豆腐を買うことにするが、器を持っていなかった。おふみが店の器に豆腐を入れている間に、傳蔵は店の匂いを嗅いで頬を緩ませた。
栄太郎は博奕に使える金が無くなり、平田屋に相談した。平田屋は彼に金を貸して証文を入れてもらい、印鑑も用意した。栄太郎は賭場で負け、また平田屋に金を借りた。傳蔵が器を返しに京やへ行くと、おふみがいた。そこへ栄太郎が姿を見せると、傳蔵は借金の30両を返すよう要求した。おふみは自分が肩代わりすると言い、店に入った。傳蔵は栄太郎に、「二度目はねえぜ」と鋭く告げた。彼はおふみから金を受け取り、その場を後にした。
栄太郎はおふみの制止を振り切り、壷に貯めてあった店の金を持ち去ろうとする。そこへ永吉が戻り、栄太郎が賭場に出入りしていることを得意先で聞いたと話す。栄太郎が豆腐屋の仕事を扱き下ろすと、永吉は激怒して殴り付けた。彼は金を持って行くよう告げ、勘当を言い渡した。京やを飛び出した栄太郎から助けを求められた平田屋は、勘当された彼を冷たく突き放した。栄太郎は憤慨して持ち出した金を突き付け、証文を渡すよう要求した。
栄太郎は廓に入り浸り、自堕落な暮らしを送るようになった。永吉は西周に呼び出され、井戸や土地の権利を買い取らないかと提案された。西周は彼に、おしのと四十九日法要の時に話した内容を明かす。おしのは正吉が万が一にも戻ったら権利書を渡すよう頼み、30年が経過ても現れなければ永吉に譲り渡すよう伝えていた。子供たちに店を残せると喜んで寺を出た永吉は、栄太郎の後ろ姿を目撃した。彼は後を追うが、すぐに見失った。その直後、永吉は早馬を避け切れずに激突し、大怪我を負ってしまう…。監督は浜本正機、山本一力『あかね空』(文藝春秋刊)、脚本は浜本正機&篠田正浩、 エグゼクティブ・プロデューサーは稲葉正治、プロデューサーは永井正夫&石黒美和、企画は篠田正浩&長岡彰夫&堀田尚平、原作は撮影は鈴木達夫、照明は水野研一、美術は川口直次、録音は藤丸和徳、編集は川島章正、音楽は岩代太郎。
出演は内野聖陽、中谷美紀、岩下志麻、中村梅雀、石橋蓮司、泉谷しげる、角替和枝、勝村政信、武田航平、細田よしひこ、柳生みゆ、小池榮、六平直政、村杉蝉之介、東貴博(Take2)、鴻上尚史、津村鷹志、石井愃一、吉満涼太、伊藤高史、綾田俊樹、橘ユキコ、平山慶子、林和義、佐藤学、石丸ひろし、浜田大介、粟野史浩、宮田大三、朝倉えりか、枝川吉範、加藤英真、副田紗名、谷口公一、青山龍世、立花三津夫、片口太仁、高柳能将、中内正子ら。
直木賞を受賞した山本一力の同名小説を基にした作品。
監督は『ekiden〔駅伝〕』『僕と彼女の×××』の浜本正機。
脚本は浜本正機と彼の師匠である『梟の城』『スパイ・ゾルゲ』の篠田正浩が共同で担当している。
永吉&傳蔵を内野聖陽、おふみを中谷美紀、おしのを岩下志麻、平田屋を中村梅雀、清兵衛を石橋蓮司、源治を泉谷しげる、おみつを角替和枝、嘉次郎を勝村政信、栄太郎を武田航平、悟郎を細田よしひこ、おきみを柳生みゆ、西周を小池榮、卯之吉を六平直政が演じている。最初のシーンで感じるのは、「セット感が強いなあ」ってことだ。
たぶん色合いが最も大きな原因じゃないかと思われるが、ちっとも本物の江戸らしさが伝わって来ない。「セットで撮影して背景は合成しています」みたいな印象が、ものすごく強いのだ。
いや実際にどんな形で撮影したのかは知らないけどさ、でも少なくともロケーション撮影じゃないことは確実なわけで(あんな橋は実際に存在しないので)。
で、その「作り物でござい」ってことを、わざと誇張しているのかと疑いたくなるほどなのだ。それは冒頭シーンを過ぎてからも、まるで変わらないんだよね。正吉が行方不明になるシーンには、かなりの強引さを感じる。
彼が人形芝居の一座に付いて行った後、おしのは5秒後ぐらいに「息子がいない」と気付いて周囲を捜索して呼び掛けている。ところが、随分と長い橋なのに、もう人形芝居の一座も正吉もいないのだ。それは、あまりにも不可解だ。
あと、そのシーンから始めている構成自体にも、疑問がある。この始まり方だと、清兵衛&おしの夫婦か、あるいは成長した正吉がメインなのかと思っちゃうのよね。でも、主人公は永吉で、彼とおふみの関係が物語の軸になっている。
永吉に「実は成長した正吉」という設定があるわけでもないので、正吉の失踪シーンから始めるのは「なんか違う」と感じてしまう。
そこは後から回想として挟むような形でもいいんじゃないかと。そこが物語の最も重要な要素ってわけでもないんだし。永吉が相州屋を購入する時、おしのはいない。だから、おしのは京やへ豆腐を買いに来た時、初めて永吉を見たことになる。
でも、それで「永吉に正吉の面影を感じて見つめる」という様子を描くのは、あまり上手くない。
そうじゃなくて、おしのが永吉と出会うシーンを先に描いて、それを経て「おしのが豆腐を買いに来る」という流れにした方がいい。
そうすれば、「豆腐を買いに来たのは永吉に興味を抱いたからであり、その理由は正吉の面影を見たからだ」ってのが伝わりやすくなるはずで。京やの豆腐を買うことに清兵衛が怒った時、おしのは永吉について「とても気持ちのいい、真っ直ぐな子でねえ」と評する。
でも、そんな風に言えるほど、彼女は永吉と接していなかった。豆腐を買いに行った時、少し喋っただけだ。
どうやら毎日通っていたようなので、そこで何度も会っていたという設定なんだろう。ただ、そこを省略しているので、こっちには全く伝わらない。
ただし省略がダメなんじゃなく、1シーンでいいから「おしのが永吉は気持ちのいい真っ直ぐな子と感じた」ってのを納得させるやり取りを描けばいいのだ。永代寺が豆腐を買ってくれると知った永吉がおふみに知らせた後、カットが切り替わると「おふみが両親に結婚の挨拶をする」という様子が写る。
おふみが最初から永吉に惚れていたのは、ものすごく分かりやすくアピールされていた。どこに惚れたのかはサッパリ分からんが、それは置いておくとしよう。
問題は、永吉がおふみに惚れたことは全く描かれていなかったったことだ。
つまり恋愛劇が全く描かれていないわけで、なので手順を幾つも飛ばして唐突に結婚が決まったような印象なのよ。おふみが両親に結婚の挨拶をするので、そこから新婚生活が描かれる展開へ移るのかと思いきや、カットか切り替わると病状の悪化した清兵衛の様子が描かれる。
これはシーンの繋げ方として、明らかにマズい。
それが祝言の日なので、そこが終わった後に新婚生活が始まるわけだから、時系列として間違っているわけではないのよ。
ただ、先に祝言のシーンを描くか、逆に病状の悪化した清兵衛を先に描いて後から「おふみの両親への挨拶から祝言へ」という手順にした方がいい。原作通りだから仕方がないんだろうけど、18年後に飛んだ時に「要らない月日の経過だなあ」と感じる。
永吉とおふみの祝言が終わったら、そのまま新婚生活に入って話を進めた方がいいんじゃないかと思ってしまう。
18年後に飛ぶと夫婦喧嘩や父子の確執などが描かれるが、引き付ける力は一気に弱くなっている。
様々な波乱が起きたり緊迫感の高まるような出来事が起きたりするんだし、むしろ本来なら18年後に飛んでから本格的な物語が始まると言ってもいいぐらいなのだ。でも、「細かいトラブルはありつつも、永吉とおふみが周囲の人々に支えられて、小さな幸せを紡いでいく」という平穏な物語の方が心地良く見終えることが出来ただろうなあと。
「そんな作品じゃないし」と言われたら、その通りではあるんだろう。でも、そう思わせるほど、18年後の物語に力が無い。描写に繊細さが欠けており、「何故そんなことになるのか」と引っ掛かることが多い。
あと、18年後になると、そこまでの物語で出て来た主要キャラとの関係が放り出されるのも勿体無いんだよねえ。
清兵衛は京やのために尽力してくれたのに、それを永吉とおふみが全く知らないままで息を引き取っている。おしのは帰郷しちゃうし、源治とおみつは死去しているし、嘉次郎も出て来なくなるし。
長屋の人々との交流を軸にした物語の方が見たかったなあと思っちゃうのよね。18年後に切り替わった途端に永吉と栄太郎が揉めているが、そこまで親子関係がこじれた理由が良く分からない。
おふみが栄太郎ばかりを特別扱いする理由も良く分からない。
おふみは「永吉が自分に似ている悟郎を好いている」と怒るのも、言い掛かりにしか聞こえない。
夫婦で「栄太郎は外回り、悟郎は豆腐作り」と決めたはずなのに、おふみが今になって永吉を責めるのも、どういうことなのかサッパリだ。ただのヒステリーにしか見えない。勘当された栄太郎が出て行った直後、おふみが過去を回想するシーンがある。そこでは、おふみが目を離した隙に幼少期の栄太郎がヤカンに触れて火傷を負った出来事が描かれている。
なので、おふみは罪悪感から栄太郎を特別扱いしていたってことなんだろう。
ただ、その回想を挟むタイミングが、あまりにも遅すぎるよ。
あと、それの時の後遺症で今も栄太郎に影響が出ている様子は、まるで見られないのよ。なので、そこまでおふみが気に病む必要はあるのかと思ってしまう。内野聖陽に永吉&傳蔵の二役を演じさせている意味が、全く分からない。「永吉と傳蔵が瓜二つ」という設定が物語の中で使われることも一度も無いんだし。
そもそも、劇中で「永吉と傳蔵が瓜二つ」として扱われる箇所も全く無いんだよな。栄太郎が賭場で傳蔵を見た時も、「父親に瓜二つ」とは全く思っていない。傳蔵が京やへ来た時、おふみが「永吉に瓜二つ」と驚くことも無い。
傳蔵が橋で人形芝居を回想するシーンがあるので、たぶん「傳蔵は成長した正吉」ってことなんだろうけど、そこもハッキリさせないまま終わるので中途半端だし。
っていうか、傳蔵の正体が正吉であったとしても、やっぱり内野聖陽が二役を演じる意味は薄いし。永吉は西周から権利書のことを聞かされた時、初めておしのの尽力を知る。
でも、彼がおしのと清兵衛に感謝する様子は薄いし、ドラマとしてはペラペラだ。
その直後、永吉は早馬に蹴られて大怪我を負うが、これがバカバカしくて呆れてしまう。
「栄太郎を追って見失った」という事情はあるにせよ、「ボーっとしていたら早馬に気付かずに蹴られる」という状況がマヌケすぎるのよね、そのせいで、ちっとも彼に同情できないのよ。栄太郎が何の同情も出来ないクズでしかないので、そんな奴のせいで永吉や京やが苦境に立たされる展開は「なんか嫌な感じ」という印象が強すぎる。
永吉が死んだ後、遅れ馳せながら栄太郎が反省したり後悔したりするのかと思いきや、おきみに「お父ちゃんが死んだのは、お兄ちゃんのせい」と責められると「どうせみんな、そう思ってるんだろ。おめえらばかりで、まとまりやがって」と悪態をつく。
栄太郎が「こじらせた奴」という設定なのは分かるけど、擁護できる部分なんて何も無いぞ。
そもそも、こいつが偏屈になった理由がサッパリ分からないから、擁護するための材料が無いのよ。平田屋が乗っ取りに来ると、栄太郎は「自分が返済するから店には手を出さないでくれ」と頭を下げる。
でも、その程度じゃリカバリーとして全く足りていないからね。最後も傳蔵の温情で助かっているだけで、栄太郎は平田屋を救うために何も出来ていないんだし。
それと、傳蔵が京やを守る側に立つのは流れとしては分かるけど、あまりスッキリした結末になっていないのよね。
何しろ、彼は永吉と全く関わりが無かったので、物語としての締まりが悪いんだよねえ。(観賞日:2021年10月15日)