『赤い月』:2004、日本

昭和20年、満州の牡丹江。森田波子が屋敷で子供達と一緒にいると、牡丹江省地方保安局の田村中尉らと警官隊が乗り込んできた。その中 にいた顔見知りの男・氷室啓介が保安局特捜班長だったと知り、波子は驚いた。彼らは森田家のロシア人家庭教師エレナがスパイだと断定 し、拘束に来たのだ。エレナは口を割らず、この場で殺せと言った。氷室は上官の命令を受け、自ら彼女に手を下した。
昭和9年、波子は夫の勇太郎、長男・一男、長女・美咲、次男・公平の5人で、小樽から満州へやって来た。牡丹江駅には、関東軍の 参謀副長・大杉寛治が出迎えに来ていた。森田酒造の社長である勇太郎は、関東軍の庇護によって会社を大きくした。昭和19年、森田酒造 は軍の人間を招いて宴を開いた。勇太郎と波子は協和物産社員の塚本から、新人の氷室啓介を紹介された。
宴には、ハルビンから大杉も駆け付けた。勇太郎は大杉が波子の初恋の相手だと知りながら、あえて2人きりにさせた。会社が成功した のは大杉のおかげだったが、勇太郎は決着を付けるつもりだったのだ。だが、波子と大杉は恋の炎を再燃させていた。勇太郎は波子の目の 前で自分の指を詰め、今からは自分一人の力で事業を大きくしてみせると誓った。
牡丹江省地方保安局事務官・牧田将一は、ロシア人スパイのピョートルを捕まえていた。牧田はピョートルの娘エレナを人質に取り、 自分たちの手先として動くよう命じた。保安局はエレナを監視するため森田家の家庭教師として送り込み、氷室は監視役となった。表向きは 、ピョートルが仕事で出張している間のお目付け役ということになっていた。一男はエレナに惹かれ、氷室に剣道対決を申し入れた。氷室 に完敗した後、一男は出征していった。波子は「万歳など言えない」と出陣式で腹を立て、氷室をダンスに誘った。
昭和20年夏、氷室は波子から好きな人の有無やエレナとの関係を問われ、冗談めかして彼女を口説く。後日、波子は氷室とエレナが裸で 抱き合う様子を覗き見た。波子はエレナがスパイだと密告する文書を保安局に送り付けた。氷室はエレナを擁護するが、牧田は聞く耳を 持たなかった。氷室は命令を受けて森田家へ出向き、エレナを殺害した。
森田家が爆撃を受け、波子は美咲と公平を連れて逃亡する。波子は氷室に助けを求め、軍用列車に乗せてもらえることになった。使用人の 村中や池田らが留まって勇太郎と言うので、波子は子供たちを連れて氷室と会う。波子は避難許可証を受け取り、列車に乗った。しかし列車 は爆撃を受け、停車する。そこへハルビン残留軍の高島少佐が現われ、日本が無条件降伏したこと、連合国の武装解除を受け入れたことを 説明した。
ハルビンの避難場所に到着した波子は、勇太郎と再会した。そこへソ連兵が現われ、45歳以下の男子を強制労働に連れて行くと告げた。 勇太郎は46歳だったが、自ら志願して連行されていった。タバコ売りの仕事を始めた波子は、鄒琳祥という男から勇太郎が病死したことを 聞かされる。さらに鄒琳祥は、ある男から荷物を返すよう頼まれたと告げる。その男とは、氷室だった。彼は撃たれて右足が不自由に なっており、痛みを抑えるためにアヘン中毒となっていた…。

監督は降旗康男、原作はなかにし礼、脚本は井上由美子&降旗康男、製作は富山省吾&史杰、プロデューサーは史杰&山田健一、 協力プロデューサーは金忠強&和田康作&森知貴秀、製作統括は島谷能成&平井文宏&森隆一&高原建二&石黒堯&古屋文明&細野義朗、 撮影者は木村大作、編集は川島章正、録音は紅谷愃一、照明は渡辺三雄、美術は福澤勝広、音楽は朝川朋之。
出演は常盤貴子、伊勢谷友介、香川照之、布袋寅泰、大杉漣、山本太郎、エレナ・ザハーロヴァ、ヴァレリー・ドルジェンコフ、 斎藤千晃、佐藤勇輝、蟹江一平、反田孝幸、山中聡、不破万作、翁華栄、田中隆三、木村栄、永倉大輔、山本与志恵、金子藍、 岩崎ひろし、野口雅弘、大久保運、稲井田純、有本梨花、糠信義弘、瀧本武、錢波、鄭龍進、児玉頼信、伊藤幸純、米谷真一、平本亜夢ら。


なかにし礼が実体験を基に執筆した同名小説の映画化作品。
監督は『鉄道員(ぽっぽや)』『ホタル』の降旗康男。
波子を常盤貴子、氷室を伊勢谷友介、勇太郎を香川照之、大杉を布袋寅泰、 鄒琳祥を大杉漣、牧田を山本太郎、エレナをエレナ・ザハーロヴァ、ピョトールをヴァレリー・ドルジェンコフ、美咲を斎藤千晃、公平を 佐藤勇輝、田村中尉を蟹江一平、森田一男を反田孝幸、村中を山中聡、池田を不破万作が演じている。

冒頭のシーンから、色使いに違和感を覚えた。
木々の緑だけが強調されており、それ以外の色調が抑えられているのだ。
回想シーンだということを示すための演出家と思ったら、それ以降も例えば宴のシーンで波子のドレスの赤色だけを強調するなど、 色調をいじっている。
なんでも撮影したフィルムをデジタルデータに変換し、コンピュータで色調を調整しているらしい。
で、これが単なる悪ふざけにしか見えないんだよな。
色調を変えることの効果や狙いがサッパリ分からないのよ(例えば冒頭で木々の緑を強調することの意味がどこにあるのか)。
ただ面白い道具を入手したから、はしゃいでいるだけにしか思えない。
その色使いが、また下品でケバケバしいんだ。色の残し方も、なんかボヤけてるし。
木村大作も「撮影者」という妙な表記にこだわるならば、もっと映像にこだわってほしいと思ったりしたんだが、こだわった結果が アレなんだよな。

主要キャストは、揃いも揃って討ち死に状態。
常盤貴子は、第一声で「ああ、こりゃダメだ」と思わせる、逆の意味での説得力がある。
かしこまった台詞回しが、全く口に馴染んでいないのだ。
流麗で上品な女性としての喋りや立ち振る舞いが全く出来ていないし、ましてや時代がかった役柄なんて無理。
「安いアバズレが、自分を上品な女だと思い込んで振る舞っている」としか見えない。
っていうか、見終わった後で、ようやく「そうか、波子って金持ちの夫人だったんだよな」と気付いたんだが。

あと、この映画の濡れ場でヌードになっていない辺り、常盤貴子の女優としての心構えはどうなのかと思ったりするんだが。
いや、別になんでもかんでも脱げばいいとは言わないが(そりゃエロい気持ちからすりゃ何だって脱いでくれた方が嬉しいが)、この 映画においては脱がないとイカンのじゃないか。
松坂慶子だったら迷わず脱ぐぞ。
余計なお世話かもしれんが、TVドラマ『悪魔のKiss』でのヌードを無かったことにするような女優としての生き方は、 考え直した方がいいんじゃないの。

ヒロインがその始末なのだから、それを取り巻くメンツは彼女を補う芸達者を揃えないとシャレになんないのに、彼女を取り囲む男どもも 冴えない。
伊勢谷友介は、時代や舞台設定には意外にも馴染んでいるものの、やはり芝居の稚拙さは如何ともし難い。
この人が多くの映画人に重用されている理由が私には良く分からないが、少なくとも演技力が理由ではないはずだ。
布袋寅泰は、ガタイの良さと軍人っぽい顔付きだけで選ばれ、芝居は二の次というキャスティングだったのか。
まだ「無骨な軍人」としての役回りだけなら何とかなったのかもしれないが、「波子に密かな思いを寄せる」というロマンスの芝居も 要求されるキャラクターなわけで、そりゃあ彼が悪いと言うよりも配役した製作者が悪いよな。
香川照之は、前述した2名とは比較するのが申し訳ないぐらい、演技力は達者に持っている俳優のはずだ。
だが、大作映画の準主役クラスで配置されたことが何かを狂わせてしまったのか、全く精彩を欠いている。

話の展開は、慌ただしいわ、唐突だわ、ブツ切りだわ、薄っぺらいわと、散々な状態。
勇太郎が「これからは一人で会社を大きくする」と言って急に指を詰めるというキチガイじみた行動を取ったり、何の流れも無く何の 意味も無く大杉が特攻するという無駄死にっぷりを見せたり、波子が最後に「ありがとう、満州」と笑う理解不能な締め括り方をして いたり、もうボロボロ。
やたら「生きる」「生きる」ということを登場人物が口にするが、その押し付けがウザいこと、ウザいこと。

身も蓋も無い言い方をすると、この物語を111分で収めること自体がそもそも無理だったんじゃないかという気がする。
ただし、「型破りでタフネスでパワフルで自立した女性」であるはずの波子が、「アバズレで支離滅裂な利己主義者」にしか見えないのは 、やはり脚本のせいだと言わざるを得ないだろう。
原作は未読だが、波子はなかにし礼の母親がモデルなのだし、自分の母親を嫌悪感と不快感しか抱かせないような女性として描写するとは思えないもんな。

しかも、波子の利己主義者ぶりは、タダモノではない。
氷室を独占したいというジェラシーからエレナを死に追いやっておきながら、何の罪悪感も抱かず平然としていられる厚顔ぶりだ。
共感とは真逆の位置にいるキャラクターと言っていい。
彼女はエレナを殺した氷室を「悪魔のように冷たい男」と称するが、いやアンタには負けるよ。

波子は使用人や社員が満州に残って勇太郎を待つと告げると、「死にたかったら勝手に死になさい」と捨て台詞を吐いて去る。
自分が「何としてでも生き延びたい」という考え方に基づいて行動するのは結構だが、他人の考え方を認める寛容さが全く無いのだ。
さらにスゴいことに、この人はいざとなったら子供たちより自分を優先する。
そして子供たちよりも氷室を優先するぐらいの男好きだ。
子供に労働を押し付けておいて、自分は氷室とセックスするぐらいの男好きだ。

折に触れて「戦争に行くのは愚か」とか「国のために命を捧げるのは愚か」だとか日教組や社民党じみた主張を波子に言わせたりして いるが、大まかに言うと映画全体を通してのメッセージは「どんなことをやっても、生き延びた奴が一番偉い」ということだ。
独裁者や大量虐殺者が聞いたら大喜びしそうなメッセージが、この映画に込められている。
このメッセージのスゴいところは、「生きるためなら何をやってもいい。自分が生き延びるための殺人は許される」というモノではないと いうことだ。
「私利私欲で人を殺しても、罪を償う必要は全く無い。生きていればOK」という考え方なのだ。
「生きることで罪を償う」いうモノではない。
エレナを殺した波子の生き方を見る限り、「人を死に追いやっても関係ないね」ということだ。

波子は終盤、氷室を引っ張り込んでセックスしているのを子供たちに見つかり、「お前たちは私自身だから、私が死んだらお前たちも死ぬ。 だから私は生きる。そして生きるためには愛が必要だ」と、氷室とセックスしたことを釈明する。
というか、完全に開き直る。
で、「いつか、きっと分かる」と言うが、その論理はサッパリ分からないし、分かりたくもないね。
少なくとも、生きていくために氷室が必要だとは全く思えないんだよ。
そんで、氷室は自首することを決めて、波子は彼と別れて日本に戻るんだから、やっぱり必要無いってことじゃねえか。
ようするに愛が云々と口では言っても、ヤリたいだけでしょ。

(観賞日:2007年1月26日)


第1回(2004年度)蛇いちご賞

・女優賞:常盤貴子
・男優賞:布袋寅泰

 

*ポンコツ映画愛護協会