『赤ちょうちん』:1974、日本
線路脇のアパートに暮らす久米政行は、霜川幸枝という女を部屋へ連れ込んだ。しかし幸枝は「眠かったし、悪いことしないって言ったから」と政行の相手をせず、布団に潜り込んで寝てしまう。不貞腐れた政行が眠ると、その間に幸枝は部屋から出て行く。政行は彼女が落としていった現金書留を見つけ、すぐに追い掛けるが、見失ってしまった。その書留には、熊本県の住所と霜川タミという宛名があった。政行は管理人から、早く出て行くよう迫られる。1週間後に建て替えが決まっており、他の住人は全て出て行った。しかし政行だけは管理人に抵抗し、ずっと居座っていた。
政行は有料駐車場で働く同僚の牟田修と共に競馬へ繰り出すが、金を使い果たした。そこで彼は現金書留から金を抜くが、それも全て使い果たした。書留に入っていた幸枝の手紙を読んだ政行は、その金が祖母への仕送りだと知った。政行は手紙と封筒を破った。アパートに戻った彼は、鉄パイプで部屋の窓ガラスが割られるのを目撃した。「畜生!」と怒鳴っていると、幸枝が現れた。政行は幸枝の足元にしがみ付き、手紙と封筒を差し出した。
政行は幸枝と共に荷物を運び、幡ヶ谷にある火葬場の近くのアパートへ引っ越した。ある日、政行が仕事から戻ると、幸枝の親友であるミキ子が来ていた。政行が土産の焼き鳥を出すと、幸枝の顔が引きつった。ミキ子は政行に、幸枝が鳥電感という一種のアレルギーであることを教える。鶏肉を見ただけでもダメなのだという。ミキ子が帰った後、政行はアパートの管理人である深谷ウメから、「あまり変な人を引っ張り込まない下さいよ」と苦々しい表情で注意された。
ある夜、政行と幸枝が銭湯から戻って来ると、犬飼という男が上がり込んでいた。ウメが勝手に鍵を開け、彼を部屋に入れたのだ。犬飼は、自分は前の住人で保険屋だと自己紹介した。彼は自分が買って来た寿司を食べるが、急にトイレへ駆け込んだ。犬飼は嘔吐して「その寿司、腐ってます」と言った後、苦しそうに腹を押さえた。夜勤に行かなければならない政行は、幸枝に「仮病だよ。落ち着いたら、追い出すんだ」と告げて部屋を後にした。
政行が仕事から戻ると、幸枝と犬飼は隣に布団を敷いて就寝していた。腹を立てた政行が大きな音を出しても、2人は全く目覚めなかった。翌朝、政行が目を覚ますと、もう幸枝は仕事へ出掛けており、犬飼はトイレ掃除をしていた。政行は幸枝が働くスーパーマーケットへ行き、「なんで泊めたんだよ」と不愉快そうに尋ねた。幸枝は「悪い人じゃないわよ。泊まる所が無いっていうし。それに、寂しかったんだもん。火葬場の近くで一人で寝るなんて怖くて」と述べた。犬飼は、そのままアパートに居付いてしまった。
ある日、政行と幸枝は、修、彼の恋人である莉代子、犬飼の5人で砂浜へ出掛けた。莉代子は政行に頼まれて犬飼と話し、アパートを出て行くよう説教した。幸枝が「可哀想よ」と擁護するが、莉代子は厳しい態度を貫いた。政行と修、莉代子が離れた場所で相談している間に、犬飼は幸枝に「貴方にはお礼をさせてもらいます。僕は癌で半年後に死ぬので、1500万円をあげます。でも先月から掛け金を払っていないので、それは払って下さい」と持ち掛けた。そこへ政行たちが戻り、彼を袋叩きにして放置した。
節分の日、ウメは「鬼は外、福は内」と大声で叫びながら、ドアに向かって豆を投げ付けた。新宿のアパートに住んでいる修の隣の隣の部屋が空いたので、政行と幸枝は引っ越すことにした。幸枝の妊娠が明らかになると、政行は中絶を要求して「俺のガキかどうか」と冷たく言い放った。幸枝が部屋を飛び出したので、政行は後を追った。公園で彼女を見つけた政行は、近付いて唇を重ねた。
ある日、管理人の広村ヒサ子が、家賃の支払いを求めて部屋に来た。幸枝は既に支払ったと主張し、意見が大きく食い違う。幸枝は証拠として、ヒサ子に印鑑を押してもらった手帳を見せる。だが、そこに印鑑は押されていなかった。政行が味方をしてくれなかったので、幸枝は泣いて抗議した。政行は莉代子が働くスナックで悪酔いし、部屋に戻って就寝した。翌朝、彼が目を覚ますと幸枝が姿を消していた。スーパーにも出勤しておらず、ミキ子も居場所は知らないという。部屋に戻った政行は、向かいのアパートに住むオカマの部屋にいる幸枝の姿を発見した。オカマは政行に、彼女が神田川へ身投げしようとしていたことを教えた。
政行は幸枝の出産を承諾し、2人は調布のアパートへ引っ越した。管理人の吉村クニ子と近所の主婦たちは、2人を奇異の目で見た。幸枝が出産すると、クニ子は「これを使って」とベビーカーを持って来た。しかしクニ子が窒息死した自分の赤ん坊のために買った物だと知り、幸枝はキッパリと断った。近所の少年が石を投げて窓ガラスを割ったので、幸枝は捕まえた。しかし少年の母親には「証拠も無いのに」と怒鳴られ、クニ子からは「共同生活を乱さないで」と注意された。
ある日、幸枝は赤ん坊を乗せたベビーカーを道に停めて、薬局に入った。薬局から出て行くクニ子を目撃した直後、ベビーカーが坂道を走り出した。幸枝が慌てて追うと、通り掛かった男がベビーカーを止めてくれた。その男は3年前から行方知れずだった幸枝の兄だった。幸枝から「3年もどこばウロウロしとったがね」と責められた彼は、「お前たちとおるとダメになると思ったけん」と釈明する。幸枝の平手打ちを浴びた彼は、情けない笑みを浮かべながら立ち去った。
アパートに戻った幸枝は、政行に「ベビーカーにはストッパーを掛けてあった。管理人が外したのよ。こんなアパート、いたくない」と吐露する。政行は彼女に、帰郷して祖母に赤ん坊を見せるよう勧めた。幸枝は喜んで準備をするが、祖母が死んだという電報が届いた。政行と幸枝は葛飾区に格安の家を見つけ、そこへ引っ越した。隣に住む松崎文子と夫の敬造は、とても親切だった。政行は文子の紹介で、彼女の息子・進と同じ工場で働き始めた。平穏な日々が続いたが、政行はその家で一家心中があったことを知った…。監督は藤田敏八、脚本は中島丈博&桃井章、プロデューサーは岡田裕、撮影は萩原憲治、美術は山本陽一、録音は紅谷愃一、照明は川島晴雄、編集は井上治、助監督は長谷川和彦、音楽は石川鷹彦。
主題歌『赤ちょうちん』作詞:喜多条忠、作曲:南こうせつ、編曲:石川鷹彦、唄:かぐや姫。
出演は高岡健二、秋吉久美子、長門裕之、石橋正次、河原崎長一郎、中原早苗、横山リエ、南風洋子、悠木千帆(現・樹木希林)、小松方正、山本コウタロー、三戸部スエ、山科ゆり、陶隆、中島葵、木島一郎、三川裕之、久遠利三、五條博、内田栄一、森みどり、原田千枝子、大谷木洋子、庄司三郎、中平哲仟、しまさより、浜口竜哉ら。
フォークグループ“かぐや姫”の同名曲をモチーフにした作品。
監督は『八月の濡れた砂』『修羅雪姫』の藤田敏八。
政行を高岡健二、幸枝を秋吉久美子、犬飼を長門裕之、幸枝の兄を石橋正次、修を河原崎長一郎、ヒサ子を中原早苗、莉代子を横山リエ、文子を南風洋子、クニ子を悠木千帆(現・樹木希林)、最初のアパートの管理人を小松方正、進を山本コウタロー、ウメを三戸部スエ、ミキ子を山科ゆり、敬造を陶隆が演じている。かぐや姫のファンや、『赤ちょうちん』という曲が大好きだという人は、絶対に見ない方がいい。
そうじゃなくても、『赤ちょうちん』という曲を知っていて、そのイメージを壊されるのが嫌だという人は、やっぱり見ない方がいい。
『赤ちょうちん』という歌を知らなくても、不愉快な気分になるような映画は嫌だという人は、これまた見ない方がいい。
この作品は、とても不快感の残る映画だから。この映画が深沢七郎の短編小説『月のアペニン山』を無断借用していることは、一部で有名な話である(つまり盗作ってことだ)。
脚本を担当した中島丈博が、『月のアペニン山』から着想を得たことを雑誌で明かしたのだ。
本人は「盗作じゃなくて、着想のきっかけを貰っただけ」という釈明のつもりで、『月のアペニン山』に触れたんだろう。
だけど、あまりにも内容が酷似しているので、かなり苦しい。っていうか、もちろん無断借用も問題なんだけど、よりによって、なぜ『赤ちょうちん』の映画化で、『月のアペニン山』をチョイスしちゃったのかと。
2つの意味で完全ネタバレになっちゃうけど、『月のアペニン山』って、「近所付き合いが出来ずに引っ越しを何度も繰り返す妻は、実は精神を病んでいた」というオチの待っている話なのよ。
もうさ、その簡単すぎる粗筋を聞いただけでも、かぐや姫の『赤ちょうちん』と、まるで合いそうにないでしょ。まず「何度も引っ越しを繰り返す」という時点で、大間違いだよ。
最初に線路脇のアパートが写るので、そこで最後まで暮らすのかと思ったら、あっという間に引っ越しちゃうんだよな。
だけど『赤ちょうちん』の歌詞を考えたら、主人公カップルは同じアパートで最後まで生活し、そこで別れを迎えるべきだ。
それは、裸電球がまぶしくて、貨物列車が通ると揺れるような部屋であるべきだ。で、もう一つのポイントは、もちろん「女が発狂する」というオチである。
映画だけを見ていると、まあ伏線っぽいモノが全く無いわけではないが、しかし唐突に感じるオチだ。ただ、『月のアペニン山』をなぞったのであれば、そういうオチになるのは当然ってことだろう。
しかし、だからって納得できるわけではない。この映画で、そんなオチを持って来るってのは、どういうつもりなのかと。
かぐや姫の『赤ちょうちん』は女が別れた恋人を思い出す歌だから、最後にハッピーエンドが待っている必要は無い。だけど、陰鬱なエンディングってのは違うでしょ。
この映画に必要なのは観客の涙を誘うような展開であって、暗い気分にさせるのは違うのよ。言ってみれば、悲劇のカタルシスが欲しいのよ。政行と幸枝は、赤ちょうちんに誘われておでんをたくさん買う日は無いし、たまに贅沢をして酒を飲むってこともない。
政行は「月に一度の贅沢」じゃなくて、何度もスナックへ通い、ベロベロに酔っ払っている。仕事もせずにキャベツばかりをかじるようなことも無い。
幸枝が電話ボックスで泣き崩れることも無い。サンダルが重要な小道具として使われることも無い。
とにかく、歌詞とマッチングするような物語や場面が、まるで見当たらないのである。脚本だけでなく、演出の方でも、かぐや姫の『赤ちょうちん』を大事に扱おうとする意識が全く無いことは明白だ。
何しろ、窓ガラスを割られた政行が「畜生!」と怒鳴って飛び出したところで、その主題歌が流れて来るのだ。
なんちゅうタイミングだよ。まるで場面の中身と合ってないじゃねえか。まだ政行と幸枝は一緒に暮らしてないし。
そんな序盤で「生きてることは、ただそれだけで、哀しいことだと知りました」とか歌われても、まるで心に響くモノはねえぞ。政行が「畜生!」と怒鳴って飛び出したところへ幸枝が来て、政行が彼女の足元にしがみつき、破った現金書留と手紙を差し出す。2人は何か喋っているようだが、ずっと主題歌が流れている中で、セリフは聞こえないようになっている。
そしてシーンが切り替わると、2人は荷物を運んで引っ越している。
政行の「それが僕らの始まりだった」というナレーションが入るが、なぜ始まるのかサッパリだよ。
政行に大事な金を使われて、それでも幸枝が彼と一緒に住み始める感覚が全く理解できない。幸枝の鳥アレルギーが判明するシーンは、ものすごく不安を煽るようなテイストで描かれている。
そもそも鳥アレルギーという設定を持ち込んでいる時点で首をかしげたくなるが、持ち込むにしても、もうちょっと軽い感じに出来なかったのかと。
この映画、序盤から色々なことを、やたらとシリアスなタッチで描いているんだよな。
それって、かぐや姫の『赤ちょうちん』のイメージとは全く違う。歌の方だと、「貧乏だけど、慎ましくも幸せな生活を送っていた」というイメージがあるのよ。だけど、この映画だと、「小さな幸せ」ってのが、ほとんど見えて来ない。
政行と幸枝が直面する不愉快な出来事、嫌な出来事は具体的に描かれているけど、ハッピーな出来事って、赤ん坊が産まれる時ぐらいでしょ。
2人が感じる幸せって、ホントに「小さな幸せ」でいいのよ。例えば、友人から果物を貰って、それを半分ずつ食べるとかさ。
そういうのが、何も無い。嫌な出来事、不幸せな出来事のパーセンテージが、この映画は圧倒的に多すぎる。
だけど、何をモチーフにしているのかを考えたら、少なくとも前半は「嫌なこともあるけど、2人は基本的に幸せ」ってのを、もっと見せて欲しい。
前半から、暗くて陰気なムードが全体を包み込んでいるんだよな。
しかも、描かれるエピソードは、「切ない出来事」「悲しい出来事」じゃなくて、不快感しか感じさせてくれない出来事ばかりだ。序盤に待ち受けているのは「管理人が勝手に男を部屋に入れて、その男が居座ってしまう」という不愉快な出来事で、その後も、どのアパートでも管理人は嫌な人。
なんだよ、その嫌がらせみたいな設定は。
あと、犬飼がアパートに転がり込むことで、いきなり2人の生活を3人にしちゃってるのも、愚かしいとしか思えんぞ。なぜ「2人のアパート」という状態を序盤から崩してしまうのか。
っていうか、後半だとしてもダメだし。
その犬飼は引っ越したら二度と登場しないし、行き当たりばったり感がハンパないぞ。それと、このカップルが全く魅力的に思えないんだよな。
不幸になっていく大きな要因は、男の器の小ささと、女の心の弱さなんだけど、そこに全く同情できないし、あまり愛が見えない。大体さ、貧乏なのに、なんで何度も引っ越しているのかと。
で、引っ越すたびに管理人が嫌がらせをしてくるって、ちょっとしたホラーだよ。
それが幸枝の思い込みだとしたら、それはそれで「女が精神を病んでいる」というホラーになっちゃうし。最後に見つけた家で過去に一家心中があったってのも、サスペンス的な展開だし。
この映画に必要なのは切なさのはずなのに、なんでサスペンス寄りになっちゃってんのかと。
それもこれも、全て『月のアペニン山』を拝借したことが悪いのだ。既存の小説を拝借するにしても、もっと他に適したモノがあったはずだぞ。(観賞日:2013年3月1日)