『愛と誠』:2012、日本

大きな別荘に住む少女は、スキーの最中にスピードを出し過ぎて崖から飛び出した。止まれなくなった彼女は、慌てて「助けて」と叫ぶ。その様子を見ていた少年が駆け付け、少女を助けた。彼は少女に「お金持ちの子だから助けたなんて思ったら、ぶっ飛ばすぞ」と告げた。それから11年後の1972年、東京。その時の少女・早乙女愛は高校3年生になっていた。彼女は早乙女財閥の一人娘だった。
額に大きな傷跡のある高校3年生の太賀誠は、不良たちと喧嘩になって次々に殴り倒していく。それを目撃した愛は止めに入り、「暴力では何も解決しないわ」と告げる。誠は「俺はお前みたいな気取ったブルジョア見てるとムカムカするんだよ」と冷たい態度を取った。愛が「負けないわ」と歩み寄ると、誠は平手打ちを浴びせた。警官隊が来たので誠が逃亡しようとすると、倒れていた愛が足を掴んで「逃げても何も解決しないわ」と言う。誠は警官に取り押さえられた。
誠が連行された後、愛は警官に「あの方はどうなるんでしょうか」と尋ねる。「おそらく少年院でしょうな」という言葉に、彼女は激しい驚きを示した。少年院送りになった誠は、すぐに釈放され、名門・青葉台学園に編入することが決まった。PTA会長である愛の父親が手続きを行ったのだ。愛は青葉台学園の3年1組の生徒であり、成績優秀、スポーツ万能だった。同じクラスに誠がやって来た。
担任教師は反抗的な態度の誠に腹を立て、額の傷を見て「まるで月光仮面だ」と口にする。誠はカッとなった。幼少時代、彼は額の傷をからかった同年代の連中を叩きのめしたことがあった。誠は「ポケットから手を出しなさい」と要求する教師を一発でKOし、「アンタが手を出せって言ったから出しただけだぜ」と言い放った。それを目撃した生徒会長の岩清水弘は、「悪魔のような奴だ」と呟いた。
誠が愛を見て「出たな、ブルジョア女」と言うと、岩清水は「早乙女君を侮辱するのは許さないぞ」と声を荒げた。誠は「このお嬢さんに惚れてんのか」と鼻で笑う。半年前、岩清水は愛に「岩清水弘は君のためなら死ねる」というラブレターを送っていた。愛に気持ちを伝えた弘は、彼女が父に頼んで誠を編入させたと知って動揺する。誠は愛に「私は貴方に正しい人生を歩んでほしいんです」と言われても、「金持ちの傲慢さには反吐が出るぜ」と相手にしなかった。
誠と愛が話しているところへ校長が来て、「調べたところ、彼は長野で何度も暴力事件を起こして退学になっている。警察にも何度も補導されてる」と話す。愛は「彼がこうなったのにも理由があるんです。本当は心の優しい、温かい心の持ち主なんです」と誠を擁護した。岩清水が「彼はどうしようもないクズだぞ。どうしてそこまでして」と言うと、誠は小さく笑い、「こんなクズを庇い理由はたった一つしかねえだろ。このお嬢さんは、俺に心底惚れてるんだよ」と勝ち誇ったように述べた。
校長が「警察に引き渡しなさい」と教師たちに言うと、愛は「おやめ下さい。この人の言っていることは、間違いありません。私は誠さんを愛しています」と言い切った。誠は「俺が真っ当な学生生活を送るために必要な物がある。金を寄越せ」と愛に要求する。彼のアパートも学費も生活費も全て早乙女家が用意していたが、それでも足りないというのだ。「生活費を稼ぐためにバイトしてたら、勉強する暇がねえだろうが。俺に真面目になってほしいんだろ?」と誠は語った。
これ以上は両親に頼れないと考えた愛は、純喫茶「窓」でウエイトレスのアルバイトを始めた。校則では、アルバイトは禁止されている。店の中に入ると、いかがわしい雰囲気が漂っていた。愛は思わず、たじろいだ。尾行していた石清水は「やめてくれ」と願うが、愛はバイトを始める。店では怪しげなショーが行われ、愛は男性客から口説かれて嫌な気分になるが、「耐えるのよ」と我慢した。
誠は繁華街でヤクザたちと喧嘩し、警察沙汰になった。石清水は「君は最低だ。君が繁華街で遊び歩いている間、早乙女君は君のために」と誠を非難し、愛のアルバイトのことを話した。石清水は誠を店に連れて行き、愛が客の求めに応じて踊っている姿を見せて「ここまでして早乙女君は。君のために。このままにしておいていいのか」と告げる。愛が帰宅すると、父の将吾と母の美也子が険しい顔で待っていた。誠が愛のアルバイト姿を撮った写真を2人に突き付け、口止め料として100万を要求していたのだ。
堪忍袋の緒が切れた将吾は金を支払う代わりに誠を退学させ、花園実業に転校させた。花園実業は不良ばかりが集まり、暴力のはびこる高校だ。女番長のガムコは子分を引き連れ、挨拶の無い誠の元へ乗り込んだ。誠は服従を迫る子分たちを冷笑し、ガムコを蹴り飛ばした。教室から去る誠を睨んだ子分たちは、「あんな奴、ぶっ殺しましょう」と言う。しかしガムコは、すっかり誠に惚れてしまった。
誤って女子トイレに駆け込んだ誠は、高原由紀という生徒と出会う。ツルゲーネフの『初恋』を愛読する彼女は学校の雰囲気に似合わず、インテリで真面目そうに見えた。由紀に惚れている座王権太の子分たちは、2人が一緒にいる様子を目撃した。権太はヤクザの組長の息子であり、豪邸に住んでいた。子分たちは彼に、誠のことを報告した。誠は不良たちに「ちょっと顔貸せ」と言われ、付いて行く。
石清水は早乙女邸を訪れ、愛と一緒に勉強する。美也子は中間テストで学年1位だった石清水を褒め、「愛ももっと頑張らないとね」と言う。愛が「何のために頑張ってるんだろう?」と疑問を口にすると、石清水は「より幸せになる可能性が広がるからだよ」と告げた。「岩清水君の幸せは何?」という愛の質問に、彼は「愛する人が幸せになること」と答えた。愛は「さっきから胸騒ぎが止まらないの」と言い、勉強を中断して邸宅を飛び出した。
誠が花園実業へ行くと、大勢の男子生徒たちが待ち受けていた。しかし誠は全く怯まず、襲ってくる連中を次々に倒していく。そこへ愛が現れ、「やめて、誠さん」と叫ぶ。誠が無視して不良を殴り続けると、愛は「お願いだから、それ以上人を傷付けないで」と懇願する。誠は「この際だからハッキリ言っておくがな、お前という存在が、心からうっとおしい。二度と俺の前に姿を見せるな」と冷たく告げる。そこに石清水が現れ、「その言葉に二言は無いな」と問い掛けた。愛は「私の前で素直になれないのは当然よ。それでも貴方のために私は生きる。それが貴方への償いです」と誠に語る。その様子を、由紀が見ていた。
権太が学校に現れ、誠を一撃で吹き飛ばした。権太は由紀を見つけてデレデレするが、冷たく無視された。誠はフラフラになっても権太に立ち向かおうとするが、一方的に殴られて気を失った。愛は誠を入院させ、面倒を見る。彼女が病室を出ている間に、由紀が見舞いにやって来た。目を覚ました誠が勝手に退院しようとすると、不良たちがやって来た。誠は全員を叩きのめし、病院を後にした。
嫌な予感を覚えた愛は「私の幸せは愛する人の幸せなのよ」と語り、花園実業に転校した。石清水も、彼女を追って転校する。石清水の「そもそも大河誠はなぜ東京に来たんだろう」という疑問に対し、愛は「それは私にも分からない」と言う。石清水が「君と大河誠の間には何があったんだ?教えてくれないか」と訊くと、彼女は「彼が不幸な人生を送って来たのは私のせいなの」と口にした。
誠は由紀と一緒にいた。誠は「復讐するために東京へ来た。俺の人生をメチャクチャにしてくれた償いをさせるために」と話す。由紀が「貴方の人生をメチャクチャにした人って誰なの?」と訊くと、彼は「俺と一緒にいたら、いずれ分かるさ」と言う。「なんで私には、そんなにいろいろ話してくれるの?」と尋ねる由紀に、誠は「さあな。アンタが悲しい女って気がしたからさ」と告げる。すると由紀は「久々に聞いた。違うと思ったのに」と漏らし、顔を曇らせた。
由紀は「ちょっとしたくなっちゃった。付いて来て」と言い、ラブホテルに入った。セックスを求める彼女に、誠は「ホントに悲しい女だな」と告げて部屋を出る。由紀は「……殺す」と呟いた。2人は夜の歌舞伎町を徘徊した。誠は小さなスナックの女将・トヨを見て足を止める。トヨは浴びるように酒を飲んでいた。向かいにスナックに入った誠は、マスターから「あの女将、知り合いかい?ひでえ女だよ。ものすごいトラで、暴れ出したら手に負えなくて近所迷惑なんだよな」と聞かされた。
トヨが客に絡んで追い出す様子を見て、誠は立ち去った。由紀が「あの女なのね、人生をメチャクチャにした相手って。誰なの?」と口にすると、誠は「俺を捨てた女だ」と答えた。実は裏番長だった由紀は、スケバングループを集合させる。ガムコたちは土産として、愛を拉致していた。由紀は「この女をエサに、大河誠を呼び出しな。それから飲み屋の女も調べな。もしかしたら切り札になるかもしれない」と、冷淡に命じた。
誠は石清水から愛が拉致されたことを知らされ、初めて彼女が転校していたことを知る。しかし誠は冷たい態度で、「お前が助けに行ってやれよ。俺に付きまとうな」と告げる。石清水が「彼女は君に償いたいと思ってるんだ。早乙女愛は全てを懸けて大河誠のために生きると決心しているんだぞ」と語ると、彼は「俺はあのお嬢さんにこれっぽっちも恨みなんか抱いちゃいない」と告げた。すると石清水は「なら愛だ。君に対する純粋な愛だ。しかも無償の愛だ」と熱く語る。
石清水は土下座し、「頼む、早乙女君を助けに行ってくれ。彼女を助けられるのは僕じゃない。君なんだ」と頼む。「俺が助けに行ったら、ますますあのお嬢さん、俺に惚れちまうぜ。それでもいいのか」と誠が尋ねると、彼は「僕の幸せは、早乙女愛の幸せなんだ。彼女を助けに行ってくれ」と述べた。ガムコの調べで飲み屋の女が誠の母親だと知った由紀は、「使えるかもしれないねえ」と拉致を命じる。誠が歌舞伎町を歩いていると由紀が現れて素性を明かし、「私は自分をコケにする奴は許せないんだよ。お前をぶっ殺す」と言い放つ。近くのビルの屋上では、彼女の子分たちが愛を捕まえていた…。

監督は三池崇史、原作は梶原一騎・ながやす巧『愛と誠』(講談社プラチナコミックス所蔵)、脚本は宅間孝行、脚本協力は高橋美幸、エグゼクティブプロデューサーは井上伸一郎&椎名保、製作は池田宏之&藤岡修&遠藤茂行&平城隆司&奥野敏聡&阿佐美弘恭&木下直哉&伊藤秀裕&堀義貴、企画は土川勉&伊藤秀裕、プロデューサーは杉崎隆行&鷲頭政充&坂美佐子&山崎美春、アソシエイトプロデューサーは石綿智巳、ラインプロデューサーは今井朝幸、企画協力は高森篤子&永安福子、特別協力は真樹日佐夫、撮影は北信康、照明は渡部嘉、録音は中村淳、美術は林田裕至、編集は山下健治、スタントコーディネーターは辻井啓伺&出口正義、振付はパパイヤ鈴木、音楽は小林武史、主題歌は一青窈『愛と誠のファンタジア』。
エンディングテーマ: かりゆし58『笑っててくれよ』 作詞・作曲:前川真悟、編曲:久保田光太郎。
出演は妻夫木聡、武井咲、斎藤工、大野いと、安藤サクラ、市村正親、伊原剛志、余貴美子、一青窈、加藤清史郎、叶高、前田健、内野智、馬場徹、大槻博之、長谷川公彦、亜矢乃、山田真歩、渡邉紘平、黒石高大、大勢待桂一、戸井智恵美、日向寺雅人、青木健、藤沼剛、山入端佳美、菊池明明、菊地廣隆、夏目鈴、木村亜梨沙、河村春花、日下雄一朗、鈴木ゆき、二瓶めぐみ、石田健、小林麗菜、春名友美、長谷川とき子、ホリケン。、能見達也、右門青寿、山内健嗣、幸将司、マコト、斎賀正和、福沢重文、野依健吾、小川陽平、椋田涼、平野貴大、粟島瑞丸、河井誠、深澤高治ら。


1973年から1976年に掛けて週刊少年マガジンに連載された梶原一騎原作・ながやす巧作画の同名漫画を基にした作品。
誠を妻夫木聡、愛を武井咲、岩清水を斎藤工、由紀を大野いと、ガムコを安藤サクラ、将吾を市村正親、権太を伊原剛志、トヨを余貴美子、美也子を一青窈、幼少期の誠を加藤清史郎、3年1組の担任教師を前田健が演じている。
監督は『ヤッターマン』『忍たま乱太郎』の三池崇史。
脚本は『花より男子ファイナル』の宅間孝行。

三池崇史は梶原一騎の弟である真樹日佐夫に依頼され、『愛と誠』を映画化することにしたらしい。
そりゃあ真樹先生に頼まれたら、ちょっと断れないわな(ちなみに、真樹日佐夫は生徒役で一瞬だけ出演しているらしい)。
ただ、普通に考えたら、『愛と誠』の映画化という企画自体が無謀だ。
あれは1970年代だからこそ成立したテイストの漫画であり、2012年という時代に真正面から取り組んで真面目に映像化しても、ギャグにしかならない。

脚本を依頼された宅間孝行は、これをミュージカル映画に仕立て上げた。
まともにやっても厳しいんだから、そういうアプローチにするというのは、そう悪くない考えだと思う。
っていうか、『愛と誠』を2012年に映画化するという企画において、かなり素晴らしいアイデアに思える。
ただし問題は、監督が三池崇史ってことだ。
この人は過去に『カタクリ家の幸福』というミュージカル風の映画を撮っているが、肝心なミュージカルシーンがグダグダで雑な仕上がりだったのだ。

本作品のミュージカルシーンに言及する前に、まずはプロローグ的な冒頭シーンから。
幼少時代の誠と愛が出会うシーンを簡易なアニメで描いているんだけど、その絵柄が可愛いタッチなのに違和感。
原作は劇画タッチだし、アニメに挟まれる文字も「愛は平和ではない」「愛は戦いである」「武器のかわりが誠実であるだけで」「それは地上におけるもっともはげしい きびしい」「みずからをすててかからねばならない戦いである」という激しくて熱いモノを感じさせるのに、幼い愛の声を担当している声優も含め、なんかスウィートなんだよな。
その絵柄に、「激しい戦い」への序章を感じさせるモノが無いのよ。

1972年に時代が移り、誠が登場して不良たちとケンカになる。
ここで誠が西条秀樹の『激しい恋』を歌い出し、最初のミュージカルシーンになる。
もちろんリップ・シンクだが、アフレコの歌は妻夫木本人の声だ。妻夫木も不良役のダンサーたちも一緒に踊っており、それはダラダラしたものではない。ちゃんとした振り付けがあるし、ダンサーの動きも揃っている。
だから、「今回は面白いミュージカル映画になっているのかも」と期待した。
だが、踊るのは少しだけで、すぐ喧嘩になってしまうのよね。

誠の喧嘩を止めに入った愛は、「私を殴ってから行きなさい。私の屍を」と言っている途中で胸ぐらを掴まれる。
その時の「えっ」というリアクションは、なんかコメディー的だ。
「その芝居は変だろ」と思ったが、その後に誠の「ちょっとぐらい可愛い顔してるからってよ」というセリフに対して愛が後ろを振り返り、すぐさま誠の「お前だよ」というツッコミが入るので、わざとやっているのだと理解した。
その後の誠のビンタも、倒れた愛が彼の足を掴んで止めるのも、もう明らかにギャグを狙ってる描写なんだよね。

ようするに三池監督は、この映画をコメディーとして作っているということだ。
ただ、それはアプローチとして間違っているんじゃないか。
「熱くなりすぎて、激しくなりすぎて、それが結果的に突き抜けて喜劇のように感じられる」「過剰なぐらいに熱血や純愛をやったら、笑えるモノになった」という形でやるべきであって、コメディーのテイストにしちゃうのは違うのよ。
あくまでも「熱血青春純愛映画」として作って、それを過剰に飾り付けることによって、結果的に笑えるモノにするべきだ。

分かりやすく言うと、昔の大映ドラマみたいなノリでやれば良かったんじゃないのってことよ。
登場人物は真面目に行動したり喋ったりしているのに、それが笑えてしまうという形になっているべきだ。自分から笑いを取りに行くようなことをやらせるべきではない。
この映画、愛がド天然キャラに設定されているので、彼女が何か話したり行動したりするとコメディーになることが多いが、なんで誠や愛に漫才みたいな掛け合いをやらせるのかと。
しかも、その2人だけに留まらず、由紀までボケをカマしたりするし。

『激しい恋』のシーンは、喧嘩というアクションがあることで、2コーラスまで歌っても気にならなかった。
だが、2曲目以降も全て2コーラスを歌い切るってのは、退屈に繋がっている。斎藤工が『空に太陽があるかぎり』を歌う2つ目の歌唱シーンで、早くもダレる。
そこは1コーラスでいいよ。ダンスに見るべきモノがあるなら2コーラスでもいいけど、そうじゃないんだからさ。そこは斉藤1人だけだし、そんなに踊っていないし。
せっかくクラスメイトがいるんだから、斎藤がそんなに踊れないのなら(そして踊らせないのなら)、そいつらをバックダンサーにして踊らせれば良かったのに。

武井咲が『あの素晴らしい愛をもう一度』を歌うシーンも同様で、やっぱり退屈になる。
誠を捕まえに来た教師たちをバックダンサーにして踊らせればいいのに、『空に太陽があるかぎり』の時のクラスメイトと同じく、ただ突っ立って見ているだけ。
そんな感じだから、「ほとんどキャラが踊っていない低質のミュージカルシーン」になってしまう。
有名俳優に対する振り付けが簡単なものであっても、バックダンサーを利用すれば、ちゃんと見られるモノに仕上げることは可能なのに。

大野いとが『夢は夜ひらく』を歌うシーンで、彼女は全く踊っていないし、バックダンサーもいない。伊原剛志が『狼少年ケン』を歌うシーンは、彼と子分たちは踊るけど、周囲の野次馬は突っ立っているだけ。
そういう「見ているだけの傍観者」の多さは、ミュージカルシーンの質を著しく下げてしまうのた。
それと、1970年代のヒット歌謡で統一すりゃいいのに、1960年代のTVアニメ主題歌である『狼少年ケン』や、映画オリジナル曲『愛と誠のファンタジア』の歌唱シーンを盛り込んでいるのは違うなあ。
エンディングテーマ曲も、映画に全く合っていない。
いい歌なのに、勿体無いぞ。

全4部構成の原作では、途中で砂土谷峻というキャラクターが登場し、誠と敵対する。
完全ネタバレだが、最後に誠を刺し殺すのも彼だ。
この映画版では砂土谷が登場しないが、尺を考えると、その判断は理解できる。
ただ、そのせいで誠を刺すキャラがいなくなったからって、その役割を青葉台学園の担任教師に振るのは無理がありすぎる。ただ殴られたってだけで、刺し殺すほどの恨みを持つかね。

この映画、134分もあるのだが、それは長すぎるぞ。
内容云々に関わらず、136分という時点でかなりのマイナスなのに、しかもこの内容だから、尺が長いのはますますダメだよ。
カルト映画を狙っていたとしても、90分以内に収めるべきだったと思うぞ。
ミュージカルシーンの幾つかを1コーラスにして、それとトヨの絡むエピソードはカットしていい。その方がまとまりは出る。
まあ、この映画で、そこを削った程度のまとまりなんて、たかが知れているけどさ。

(観賞日:2012年11月11日)

 

*ポンコツ映画愛護協会