『愛と平成の色男』:1989、日本

35歳の長島道行は恋人である真理が留守電に吹き込んだメッセージで、今から彼女が家へ来ると知る。長島は家を抜け出し、車を停めてアルトサックスを吹く。そこへ真理から電話が掛かって来たので、長島は受話器を取って話す。真理が「貴方と結婚したいの」と言うと、誰とも結婚したくない長島は考えさせてほしいと告げて電話を切った。車を走らせた彼は、妹であるルリ子の部屋へ赴いた。長島は不眠症が続いており、自分を徹底的に疲れさせて眠らせてくれる彼女が欲しいと思っている。
長島は歯科医を開業しており、ルリ子も看護婦として働いている。病院を訪れる女性患者たちは、長島に好意を寄せている。夜になると長島はジャズクラブへ行き、バンドのサックス奏者として演奏する。長島が店を出ると、真理が車で現れた。長島は「結婚のことは前向きに話したい」と告げ、「妹に会ってほしい」とルリ子のマンションへ真理を連れて行く。ルリ子は新興宗教の熱烈な信者を装い、真理を儀式に参加させる。長島は巧みな弁舌で、真理に「貴方との結婚は諦めるわ」と言わせることに成功した。
次の夜、長島はルリ子を誘い、銀座にオープンした新しいディスコへ出掛ける。由加という女が友人2人と「歯医者に行くのが面倒」と話しているのが聞こえたので、長島は声を掛けた。彼は3人に名刺を渡し、その場を去る。後日、予約を入れた由加は、歯の治療にやって来た。由加は長島に好意を抱き、勤務先である画廊へ誘った。彼女は銀座でホステスもやっていることを明かし、長島に名刺を渡した。ジャズクラブでの演奏を終えた長島は、馴染みのバーへ立ち寄った。
ギムレットを3杯飲んで店を出た長島は、由加がホステス仲間の百合、長島の大学時代の同級生で歯科医の神山、医療メーカー勤務の谷と一緒にいる様子を目撃した。探偵の気分だった長島はタクシーを拾い、4人を尾行してゴルフ練習場に到着した。由加から紹介されて百合を見た長島は、不眠症が治りそうだと感じる。長島は帰路に就く由加に「一緒に行ってくれる?」と言われ、「じゃあ送って行くよ」とタクシーに乗り込んだ。
由加は「ビールでも飲んでく?」と誘い、長島を部屋に連れ込んだ。その様子を、由加に惚れている神山が観察していた。長島は缶ビール1本を飲んだだけで、由加の部屋を後にした。神山は彼に声を掛け、「お前が由加をどうやって口説くか見たかったんだ」と告げた。翌日、長島は婦警として働く百合と遭遇し、「ゆっくり話の出来る所へ行きましょうか」と誘われる。その夜、百合はプールで泳ぎ、シャワーを浴び、長島と関係を持った。
次の朝、長島はルリ子に「昨夜はぐっすりと眠れたよ。不眠症が治ったんだ」と嬉しそうに言う。その後も長島は百合とは体の関係ばかりが続くが、結婚を求められてしまう。長島は何とか翻意させようと試みるが、彼女の決意が固まっていたので「考えてみるよ」と告げた。長島は久々に由加と会い、彼女がホステスを辞めたと知る。そこへ神山が来て、長島と由加が結婚すると決め付ける。彼女は「これから百合と同伴出勤だ」と告げ、その場を去った。長島は「あいつの言うこと、その気になっちゃダメだよ。口から出まかせで、僕たちの反応を楽しんでるだけなんだから」と話すが、由加は笑顔で「口から出まかせでも、的を射てるわ」と告げた。
長島はジャズクラブへ由加を連れて行き、サックスの演奏を聴かせた。日曜日、長島は百合に会おうとするが、留守電になっていたので由加を呼び出した。「今日は絶対、抱いてよ」と求められた長島は、「結婚について、ホントはどう考えてるの?」と質問する。彼女が「あと10年は無いかな。挫折でもしない限り、結婚は考えられないよ」と軽く言うので、長島は安心して関係を持った。次の日、長島が病院で由加の歯を治療していると、ルリ子が「初診の患者さん着いてます」と言いに来た。
長島が見に行くと、そこにいたのは百合だった。彼女は実家へ帰っていたことを話し、「こうして会うのが自然だと思ったから」と告げる。長島は鉢合わせしないように気を付けながら、交互に2人を治療する。百合は彼に、「結婚のこと、もう考えなくていいのよ。結婚という形式が嫌いなだけで、ずっと一緒にいるのはいいんでしょ」と言う。長島は由加に百合のことを質問し、高価なバッグやマンションを買ってもらっていることを知る。百合の治療に戻った彼は、実家がお金持ちなだけだと聞かされる。しかし彼女が大きな声を出したため、由加に気付かれてしまう。2人が喧嘩を始めたので、長島は慌てて仲裁に入る。
長島は週末を利用し、一関のオールナイト・ジャムセッションに参加する。彼はジャズクラブへ来ていた恵子という女性と知り合い、朝市に誘われる。恵子が「こっちにいると刺激が無くて。東京へ行きたい」と話すので、長島は「それなら行ってみない?」と持ち掛けた。恵子は「行きたい。私を変えて下さい」と言い、すぐに東京へ出て来た。長島は彼女とデートし、服をプレゼントして一緒にディスコへ繰り出した。長島は恵子の部屋を訪れ、「この部屋の記念日にして。旅立ちの思い出を作らせて。初めてじゃないから心配しないで」と言われる。しかし長島は「帰るよ。1人で寝られないなら、東京へ出て来た意味が無い」と告げ、セックスせずに立ち去った…。

脚本 監督は森田芳光、企画・製作は鈴木光、プロデューサーは青木勝彦、撮影は仙元誠三、照明は渡辺三雄、録音は橋本文雄、美術は今村力、編集は川島章正、助監督は明石知幸、監督助手は篠原哲雄&蝶野博、音楽は野力奏一、音楽プロデューサーは梶原浩史、サックス指導者は勝田一樹&小林哲雄。
出演は石田純一、鈴木保奈美、武田久美子、財前直見、久保京子、鈴木京香、桂三木助、和気香子、田辺美佐子、石森かずえ、木村敦美、沖藤恵美、千葉都季代、佐藤恒治、原良馬、佐藤文裕、渡辺直樹、池田達也、角晋一、田辺健彦、井出幸彦、川道信介、小谷徹、東野光展ら。


『そろばんずく』『悲しい色やねん』の森田芳光が監督&脚本を務めた作品。
森田芳光が総指揮と脚本を務めた『バカヤロー!』シリーズで映画界に進出した光和インターナショナルが、バンダイ&松竹と組んで製作している。長島役の石田純一は、初めて出演した一般映画『鉄騎兵、跳んだ』(1980年)以来となる2度目の主演。
ルリ子を鈴木保奈美、百合を武田久美子、由加を財前直見、真理を久保京子、神山を桂三木助が演じている。
恵子役の鈴木京香は、これが女優デビュー作。

この映画が公開された1989年と言えば、日本はバブル景気の真っ只中だった。
テレビの世界ではトレンディー・ドラマが大人気で、そのブームに乗って一気に知名度を高めたのが石田純一だった。
1988年の『抱きしめたい!』で初めてトレンディー・ドラマの主要キャストに起用され、同年の『追いかけたいの!』、翌年の『君の瞳に恋してる!』とフジテレビのトレンディー・ドラマに3作連続で出演し、まさに「トレンディー・ドラマの申し子」とも言える活躍を見せていた。

トレンディー・ドラマで女にモテモテの色男を演じていた石田純一は、プライベートでも同じような人だった。そのことは、今では多くの人々が知っているだろう。
そんな石田純一がセルフ・パロディーのような役柄を演じたのが、この映画である。
長島は美女と見れば片っ端から声を掛け、口説いてモノにしようとする。しかも彼はモテモテなので、簡単に美女を落としてしまう。二股どころじゃ済まないぐらい女癖は悪いのだが、長島は全く悪びれる様子が無い。
それでも許されてしまうのが、長島という男なのである。

長島は決して、女にモテようと思っているわけではない。彼は女にモテるために、色んな言動を取っているわけではない。本人はごく自然に行動しているだけで、それが結果的に「女にモテる言動」になっているだけだ。
長島は色んな女に声を掛けるが、それも彼に取っては当たり前の行動だ。綺麗な女がいたら声を掛けるのは礼儀であり、口説くのはマナーなのだ。
だから患者に痛み止めの薬を出す時、「彼とキスさせるの嫌だから、やっぱりやめようかな」と軽口を叩く。それは口説こうしているわけではなく、ただ自然に口を突いて出て来た言葉だ。
モテようとしているわけじゃないから、彼はガツガツしていない。とてもスマートで、とてもオシャレなのだ。

もしも「なぜ長島が女にモテモテなのか」「複数の女と関係を持っているのに、なぜ嫌われないのか」ってのを疑問に思った人がいたら、「だって石田純一だからね」ってのが答えになる。
演じているのが石田純一だから、女にモテるのは当然なのだ。そして石田純一だから、「他に女がいても構わない」と思われるぐらい相手をメロメロにしてしまうのも当然なのだ。
それは周知の事実どころか、公知の事実と言ってもいい。
トレンディー・ドラマで活躍していた頃の石田純一には、それぐらいモテ男としての説得力があったのだ。

この時代、都会に住んでいて、ある程度の金を持っていた人々は、みんなバブルに浮かれていた。特に、いわゆる「ギョーカイ人」と称されていたような人種は、思いっきりバブルに踊らされていた。
監督の森田芳光にしても、バブルに踊らされて、こんな映画を撮ってしまったのだ。
しかし石田純一は、バブルに踊らされていなかった。そもそも彼は、「そういう生き方をする人」だったのだ。
そんな彼に、ある意味では時代が追い付いたのだ。そしてバブル景気の時代にピッタリの人間として、石田純一が輝いたのだ。

長島という男は、何から何までキザな奴だ。それは「格好を付けている」のではなく、「普通に振る舞っているのに、結果としてキザになってしまう」ってことだ。
それは冒頭シーンから、顕著に示されている。
まず留守電を受ける言葉が、「お電話ありがとう。君が僕を必要な時に、お留守をしてごめんなさい。誰よりも早く連絡をしますので、どうぞ熱いメッセージを」と来ている。
真理が来ると知った彼は白いスーツに身を包んで逃亡し、品川ナンバーの高級車を停めてアルトサックスを吹く。

真理から「部屋の掃除に行くって約束してたの、覚えてないの?」と電話が掛かって来ると、「部屋より心を綺麗にしたかったから」と長島は爽やかに告げる。
ここで「はあっ、何言ってんの?」とか無粋なことを言っちゃうような女は、この映画の住人になれない。だから真理は、そんなことを言わないし、もちろん怒ったりもしない。「私の心も綺麗にしてほしいの」と甘える言葉を口にする。
「さっきは、貴方が死んじゃったのかと思って、とても寂しかったわ」と、「んなわけねえだろ」とツッコミを入れてほしいのかと思うような言葉まで口にする。
長島を愛する女たちも、みんな「キザの世界の住人」として振る舞ってくれるのだ。

そんな真理から「結婚したいの」と言われた長島は、「2、3日、考えさせてくれないかな」と全く口調を変えずに告げる。
いきなり結婚を求められたんだから、動揺しても不思議ではない。しかし彼は全く動じず、淡々と応対している。
ルリ子に芝居をさせて別れることに成功した長島は、真理に「去って行く君に演奏する。リクエストは?」と尋ねる。そして真理が車で去るのを見送りながら、彼女が希望した『グッドバイ』をアルトサックスで演奏する。
「別れは、ほんの8小説だった」と、そんな時でもキザなモノローグを吐く。

長島がキザに振る舞うのは、もちろん他の女の前でも同じだ。
由加の部屋へ行った時は、照明の暗さを見ると「世界を明るくするために、買い物行って来る。さっきコンビニ見たんで、行って来るよ。君の部屋に1人で入る感激、味わいたいからね」と言う。
そして由加も真理と同じく、キザの世界の住人である。
「泊まってかないの?」「今日泊まってったら、泊まらない日が寂しくなるよ」「じゃあ、ずっと泊まればいいのに」「そういう甘い言葉に甘えるほど、僕は甘かない」と、小粋な会話を長島と交わす。

もちろん百合だって、同じ世界の住人だ。
彼女が「結婚相手と恋愛相手は違うのかしら」と問い掛けると、長島は「出来れば一生、恋愛していたい」と言う。
「結婚してもらえないかしら」という要求に、長島は「海の底から急に聞こえてきたような声だね。こうして思い出を作るだけじゃいけないのかな」と告げる。
百合は「情事の思い出は指で数えられるけど、生活の思い出は指で数え切れなくなると思うの。生活の中の情事が理想だから」と、ちゃんとキザな言葉を口にする。

劇中では長島のモノローグが何度か挿入されるが、彼は独り言や心の声までも常にキザだ。
例えばルリ子の部屋から景色を眺めた時は、「動いているようで、動いていない都会の朝。時代は平成に変わって、プロ野球の様子も少しずつ面白さが変わって来てるらしい。都会の僕に関係の無い出来事は、みんな曖昧に見える。確かな夢を見てみたい」と口にする。
ただ夜の街を歩くだけのシーンにも、「僕は探偵のようにピストルを持っている。歯医者の時はジャズメンであるというピストルを、ジャズメンの時は歯医者というピストルを。平和な町は寂しすぎる。かぐわしい事件を待っている。シャネルのような匂いの事件を」というモノローグが入る。

登場人物の行動は総じて軽薄だし、口にする言葉は総じて無意味だ。
だが、それこそがバブル時代なのだ。重厚である必要性など無いし、深い意味など求めない。
景気がいいんだから、楽しければOK。そういうバブル時代の人々の生き方が、この映画の登場人物に投影されているのだ。
長島は石田純一をセルフ・パロディー化したキャラクターだが、バブル時代の「金を持っている二枚目の遊び人」ってのは、そういう男がバカみたいに大勢いたのだ(もちろん都会に限定してのことだけどね)。

バブル景気の崩壊と共に、長島のような連中は消えて行った。お金が無くなってバブリーな遊び方が出来なくなったり、あるいは自分を見つめ直して生き方を変えたりしたのだ。
しかし石田純一はバブルが弾けても、何も変わらなかった。全くブレることなく、相変わらずのプレイボーイぶりを発揮し続けた。
そう考えると、石田純一って実は凄い人なのである。
この映画は、そのことに改めて気付かさせてくれた。
でも気付いたからと言って、それが何かの役に立つことは、たぶん無い。
っていうか絶対に無い。

森田芳光はフジテレビの製作で、とんねるずが主演を務めた『そろばんずく』という映画を手掛けているが、あれも「いかにもバブル」という印象の強い作品だった。
しかし本作品は、それに輪を掛けてバブルっぽさが色濃くなっている。
鈴木保奈美、武田久美子、財前直見といった女性陣の顔触れも、やはり「いかにもバブルの時代」と思わせる。最後が「長島がヘリコプターで海外へ向かう」というシーンになっているのも、これまたバブルっぽい。
全体を通して、良くも悪くもバブル時代を強く感じさせる内容に仕上がっている。
もしもバブルがどんな時代だったのかを知りたい人がいたら、その参考になる映画と言っていいだろう。

(観賞日:2017年4月30日)

 

*ポンコツ映画愛護協会