『愛の渇き』:1967、日本
杉本悦子が応接間に飾ってある裸婦像を見つめていると、窓の外にいた園丁の三郎が笑った。気付いた悦子は黙って盗み見するのが悪趣味だと咎め、雇い人の取る態度ではないと告げる。なぜ笑ったのかと彼女が質問すると、三郎は「奥様が美しかったからです」と答えた。悦子はカッとなり、平手打ちを浴びせた。杉本弥吉は土地の半分を売却するため、不動産屋をヘリコプターに乗せて広大な敷地を案内した。彼は朝鮮動乱が終わった十数年前に現役を引退し、現在は隠居生活を送っていた。
弥吉の邸宅では、長男の謙輔と妻の千恵子、離婚して出戻った長女の浅子と娘の信子と息子の夏雄、死んだ次男・良輔の妻である悦子、三郎、お手伝いの美代が暮らしている。夕食の時、弥吉は大学で週に1度だけギリシャ語を教える以外は道楽生活を送る謙輔を説教した。しかし謙輔は全く意に介さず、子供を作るよう求められると「種無しだから無理だ」と軽く告げた。彼が「お父さんと悦子さんに子供が出来たら引き受けてもいい」と語ると、弥吉は激怒した。しかし悦子と弥吉は、実際に肉体関係を持っていた。
謙輔は悦子が独裁者の弥吉を変えてくれたと感じており、「暴君に捧げられた生贄」と評して礼を述べた。千恵子は悦子に、謙輔も本当は惹かれているのではないかと述べた。しかし彼女は全く嫉妬心を見せず、理由を問われると「尊敬しているから」と答えた。弥吉は悦子の日記を勝手に読み、そのことが露呈すると「気持ちを知りたかった」と釈明した。最初から読ませるために用意した偽の日記なので、悦子は気にしなかった。
悦子は三郎に欲情を覚えており、靴下を贈った。三郎が納屋で鶏を絞め殺して羽根をむしり取る作業に従事している際、悦子は自分の靴下を履いていないことに気付いた。理由を訊かれた三郎が「勿体無い」と言うと、悦子は高価な物じゃないので履くよう促した。悦子は三郎の作業を眺めていたが、意識を失ってしまった。三郎は着物の襟元をはだけさせ、心音を確かめた。そこへ美代が来て「どうしたの?」と訊くと、彼は「どうもしやせん」と悦子の頬を軽く叩いて目覚めさせた。
悦子は靴下がゴミ捨て場に捨ててあるのを知り、三郎を問い詰めた。三郎は謝罪するが、美代が泣きながら自分が捨てたと告白した。悦子が理由を訊くと、彼女は「三郎さんから靴下を見せられ、奥様がただでくれるはずがないと疑った。三郎さんは怒って、お前にくれてやると置いて行った。男物で私は履けないので捨てた」と説明した。悦子は美代を連れ出し、三郎が好きなのかと尋ねた。美代は「嫌いです」と答え、三郎の方はどうなのかと問われると「分かりません」と告げた。
悦子は弥吉から応接間の裸婦像が無くなったことを聞かされ、心当たりは無いかと訊かれた。悦子は三郎の仕業だと確信し、自分が割ったと嘘をついた。弥吉は信じなかったが、悦子が涙を見せて謝罪したので受け入れた。三郎は悦子に問い詰められ、何も知らないと主張した。悦子が腹を立てると、彼は抱き付いて「どうして私だけを虐めるんでありますか?」と口にした。見つめられた悦子は激しく狼狽し、もう虐めないと約束した。
悦子は弥吉から一緒に東京へ出ないかと誘われるが、その場で断った。祭りの日、悦子は上半身裸で獅子舞を担ぐ三郎を見て興奮した。群衆に押された彼女は、三郎の背中に爪を立てた。同じ夜に美代の妊娠が発覚し、弥吉は家族会議を開いた。彼は「まず三郎に話を聞き、結婚の意志を確認する。結婚の意志が無ければ家から追い出す」という考えを明かし、悦子に意見を求めた。悦子が「私が話を聞きます」と申し出ると、弥吉は承知した。
悦子は動揺した気持ちのまま家事をして、誤って皿を割った。彼女は割れた皿を拾いながら、良輔が裏切った時のことを思い出した。三郎は悦子から美代の妊娠について問われ、自分がお腹の子の父親だと認めた。美代を愛しているのかと問われた彼は、愛していないと答えた。悦子から美代との結婚が弥吉の命令だと聞かされた三郎は、母と相談して決めると述べた。三郎が母に会いに行く前日、悦子は「一緒に東京へ行く」と弥吉に告げた。その前に彼女は、美代のお腹の子を堕ろしてしまいたいと述べた。「あの子だけは不潔で許せない」と彼女は語り、その強硬な態度を見た弥吉は「何が起こっても責任は持たん」と言った上で承諾した。三郎が故郷へ出発した後、悦子は美代に堕胎するよう持ち掛けた。美代は承諾し、堕胎して故郷へ帰った…。監督は蔵原惟繕、原作は三島由紀夫(講談社版)、脚本は藤田繁夫(藤田敏八)&蔵原惟繕、企画は大塚和 撮影は間宮義雄、照明は吉田一夫、録音は沼倉範夫、美術は千葉和彦、編集は鈴木晄、助監督は藤田繁夫(藤田敏八)、音楽は黛敏郎。
出演は浅丘ルリ子、山内明、中村伸郎、楠侑子、小園蓉子、紅千登世、石立鉄男、小高雄二、久遠利三、藤井昭雄、志波順香、岩間隆之、西原泰江、玉井謙介。
三島由紀夫の同名小説を基にした作品。
監督は『夜明けのうた』『愛と死の記録』の蔵原惟繕。
脚本の藤田繁夫は、これがデビュー作。同年の6月3日に「藤田敏八」と改名し、『非行少年 陽の出の叫び』で監督デビューする。
悦子を浅丘ルリ子、謙輔を山内明、弥吉を中村伸郎、千恵子を楠侑子、浅子を小園蓉子、美代を紅千登世、三郎を石立鉄男、良輔を小高雄二、不動産屋を久遠利三、信子を志波順香、夏雄を岩間隆之が演じている。これは浅丘ルリ子という女優を堪能するための映画であり、それ以上でもそれ以下でもない。「悦子を演じているのが浅丘ルリ子」ってことで、成立している作品だと言っても過言ではない。
最終的には悦子が「身勝手で酷い女」に落ち着くのだが、「浅丘ルリ子だったら、しょうがないかな」と思えてしまう。
仮に許せなかったとしても、納得は出来てしまう。
若き浅丘ルリ子の魅力は存分に味わえるし、役者としての力は存分に発揮されている。悦子は気位の高い上品な女性として振舞っているが、それは表面的な立ち振る舞いに過ぎない。実際には三郎に翻弄され、心は激しく揺れ動いている。
冷静で落ち着いた態度を装っているが、気持ちが休まることは無い。三郎への欲情を抑えるのに必死で、妄想ばかりが膨らむ。自分への態度や美代との関係で、苛立ちや焦り、不安を覚えて苦しむ。
三郎は悦子を誘惑しているわけじゃないし、無意識でフェロモンを放っているわけでもない。その若い肉体や、粗野なたくましさに、悦子が一方的に惚れたのだ。
三郎は「無頓着すぎる男」と評されるが、実際には「ちょっと白痴なのか」と思うぐらいのキャラに造形されている。
この男の造形だと、悦子が虜になるには少し弱いのではないかと感じる。それと、演者が石立鉄男というのも、ミスキャストではないか。様々な箇所で、演出の手腕を見せるために凝ったことをやろうとする蔵原惟繕監督の意欲が強く感じられる。途中で息切れすることは無く、最後まで続く。
冒頭、悦子が裸婦像を見つめていると、激しく破裂して粉々になる。実際に割れたわけではなく、「悦子の性欲が爆発しそう」という心情を表現するための映像だ。
弥吉が土地を売るために不動産屋を案内するシーンでは、空撮の映像が入る。
夕食のシーンに切り替わると、集まった面々を天井から捉えるショットになる。悦子の心情は、第三者のナレーションで説明されることもあれば、本人のモノローグで語られることもあるし、実際に独り言を喋らせるケースもある。会話の内容を文字を表示し、役者の声を使わないシーンもある。
台詞にエコーを掛けて強調するシーンもある。コマ落としのシーンもあれば、スローモーションのシーンもある。悦子の妄想を、そのまま映像化するシーンもある。
悦子が良輔の裏切りを回想するシーンでは、数枚の静止画を並べている。
白黒映画だが、悦子が三郎と手を繋いで走り出す妄想シーンの直前に、1カットだけ画面が赤く変化する。そして映画の最後も、また画面が真っ赤になる。悦子は三郎が美代を妊娠させたことを知った時、彼女を愛しているのかと尋ねる。悦子にとって何より重要なのは、そこに愛があるのかということだ。
愛していないという答えを聞き、悦子は三郎との幸せな時間を妄想する。彼女は三郎に惚れているのだから、美代との結婚は嫌なはずだ。
しかし彼女は三郎が美代を妊娠させたことを確かめると、彼への罰として結婚を命じる。それは三郎を苦しめるための命令だ。
この辺りから、悦子は危ないラインを踏み越えて行く。悦子は自分で結婚を命じておきながら、三郎の子供が産まれるのは嫌なので美代に堕胎を要求する。堕胎した美代が帰郷を決めて餞別の金を求めると、「お金目当てなのね」と大喜びし、弥吉に大金を渡すよう促すだけでなく自分の金も渡すと告げる。
悦子の中では、堕胎を命じたことへの罪悪感が渦巻いていた。なので「美代は金目当てだった」と決め付けることで、少しでも罪の意識を和らげたかったのだ。
列車で去る美代に非難された悦子だが、既に自分は罪を受けていると思っている。
なぜなら、三郎に結婚を命じたことや、美代に堕胎を命じたことで、激しく苦しんでいるからだ。悦子にしてみれば、美代が去ってくれたのは「邪魔者がいなくなった」ということになるはずだ。しかし実際には、「堕胎させたことで、三郎から怒りを浴びたい」と望んでいる。それが贖罪に繋がるからだ。
しかし三郎は、全く気にしちゃいない。むしろ美代を愛していない上に、母から「まだ結婚は早い」と反対されたので、彼にしてみれば都合が良かったのだ。
何しろ彼は、どうしようもないぐらい無頓着な男だからだ。それは「悦子が三郎の愛を得ることも出来ない」「三郎は悦子の思い通りにならない」ということも意味している。
狡猾に立ち回っているつもりの悦子だが、そのことには全く気付いていなかった。悦子が苛立ちをぶつけると、不意に三郎は抱き締めて接吻する。そして彼は悦子を押し倒し、情事に及ぼうとする。
そもそも悦子は三郎の肉体や粗野な荒々しさに惹かれたのだから、それは望んでいた行為のはずだ。
しかし、いざという時になって初めて、悦子は自分の過ちに気付く。彼女は抵抗して悲鳴を上げ、弥吉が鍬を持って駆け付ける。
悦子は鍬を奪い取り、三郎を殺害する。なぜ殺したのかと弥吉が問い掛けると、悦子は「私を苦しめたからですわ」と答える。
精神のバランスを失った女は、自らの手で破滅的な結末を選ぶのだ。(観賞日:2025年4月21日)