『愛のコリーダ』:1976、日本&フランス

早朝の料亭「吉田屋」。新入りの女中・阿部定は、年下の同僚・松子から誘惑された。松子は定に、店の主人・吉蔵と女将・トクが部屋で 性交渉に及ぶ様子を覗き見させた。松子は定に、吉蔵が河岸に出掛ける前に必ずトクと関係することを教えた。外出した定は、股間を露出 したまま眠っていた老乞食に、子供たちが雪玉を投げている現場を目撃した。老乞食は定を見つけるとハッとした表情になり、「お前の客 になったことがある。寝てくれ」と歩み寄る。定はニヤリと笑い、「知らないねえ」と突き飛ばした。
その夜、定が働いていると老乞食が現れ、「頼む、ほんのちょっとでいい、拝ませてくれ」と頼んで来た。定は「しょうがないねえ」と 言い、店の外に出て陰部を見せる。しかし老乞食のペニスは勃起せず、彼女は「もう諦めた方がいいよ」と告げる。仕事に戻った定は、 女中頭のお常から女郎上がりをバカにされてカッとなった。定が包丁を手にして襲い掛かると、トクや女中たちが慌てて止めに入った。 そこへ吉蔵が戻り、定をなだめた。
翌朝、定が廊下を拭いていると、吉蔵は「いい尻してるな。何人の男を泣かしたんだ」と話し掛けて来た。着物をはだけて尻を触られた定 は、嬉しそうに「私は亭主持ちの女なんです」と言う。吉蔵は「分かってる。亭主が事業に失敗して共稼ぎしてるんだってな」と告げた。 「ここは固いところだって聞いて安心して来たんですよ」と定が言うと、彼は「俺は硬い男だぜ」と自分のペニスを触らせた。
夜、吉蔵が飲んでいる座敷へ酒を運んだ定は、彼に求められて関係を持った。芸者の八重次が来たので、吉蔵は行為を終わらせた。彼は 時間と場所を変えて、また定とセックスした。定は「今から女将さんとやるんだろ」と嫉妬心を示した。2人が何度も関係を持っている ことに、トクは気付いた。ある時、定はトクに「急なことですが、お暇を頂きたくて」と告げた。トクは彼女に、水を交換する仕事を指示 した。定が水を換えて戻ると、トクは吉蔵とセックスしていた。トクは見せ付けるように体を動かしながら、「何もやめなくったっていい と思うんだけどね」と述べた。
吉蔵は定を連れて待合「みつわ」へ行き、そこでセックスした。2人は料亭「田川」へ行き、祝言の宴を開いた。吉蔵は定に、これからは 「旦那」でなく「吉っつぁん」と呼ぶよう促した。芸者たちが見ている前で、2人は床入りの儀式としてセックスを始めた。芸者たちは 半玉をからかい、陰部に鳥の置物を突っ込んだ。定は翌朝まで、吉蔵のペニスを握っていた。彼が小便に行こうとすると引き留めて「私の 中にすればいいじゃないか」と要求し、また2人はセックスした。吉蔵が小便から戻ると、また定は体を求めた。
ある朝、定が出掛ける準備をしていると、吉蔵は女将の前でセックスを始めた。定が外出した後、女将は吉蔵を心配して「あの女の人が 帰らない内に、お逃げになったらどうですか。今に殺されちゃいますよ」と声を掛けた。すると吉蔵は、いきなり女将を犯した。定は校長 と市会議員をしている大宮の元を訪れて布団に入り、「ひっぱたいてよ。つねって。髪を掴んで」と要求して彼の上に乗った。
大宮から金を受け取った定は吉蔵と共に待合「満佐喜」へ移り、またセックスした。定は彼に、大宮と会った時にヒステリーを起こし、 ひっぱたくよう要求したことを話した。すると吉蔵は、自分の顔を強く叩くよう要求した。定は彼に、家に帰ってもトクとセックスしない よう約束させる。帰宅した吉蔵が寝ていると、ガラスが割れる音がした。トクは「まさか、あいつじゃないだろうね」と言うが、吉蔵は 「もう寝ろよ」と面倒そうに言う。トクが睨んだ通り、それは定の仕業だった。
吉蔵が風呂場でヒゲを剃っていると、トクが入って来てセックスを求めた。吉蔵が「満佐喜」へ行くと、定が肉切り包丁を持って駆けて 来た。彼女が「白状しろ、女房とやっただろう」と問い詰めると、吉蔵は笑って「出刃にしろよ。なんで肉切り包丁なんて買ったんだよ」 と言う。定はペニスを握り、「懲らしめてやる」と上に乗る。吉蔵は「いいよ、懲らしめてくれ」と告げ、彼女を抱いた。
吉蔵が「この3日間、いなかったことを勘弁してくれよ」と言うと、定は「いなくなっちまうかと思ったんだよ」と口にした。彼女は吉蔵 が戻って来たことが嬉しくて、涙を見せた。吉蔵は「お互いの喉を締めると気持ちいいって聞いたことがあるんだ」と言い出し、定が 「じゃあ締めとくれよ」と口にした。吉蔵に首を締められても、定は一向に気持ち良くならず、「死ぬほど締めないと分からないのかも しれないね」と言う。しかし吉蔵は彼女が可哀想になり、死ぬほど締めることは出来なかった。定が「じゃあ私に締めさせておくれよ」と 言うので、吉蔵は彼女とセックスしながら首を締めさせる。
ある時、若い女中が定たちに、もう芸者が来なくなったことを告げた。いつ来ても定が吉蔵のペニスを舐めているので、変態だと言って 敬遠するようになったのだという。定が激怒して「お前が言ってるんだろ」と殴り掛かり、それを吉蔵が制止した。定は吉蔵に、「この子 、やっちゃってよ」と言う。「旦那さん、やめて下さい、お嫁に行けなくなっちゃう」と怖がる女中を、吉蔵は退出させた。
若い女中と入れ替わりで、68歳の芸者・菊竜がやって来た。彼女が三味線を演奏する中で、定はいつものように吉蔵とセックスをする。 定は菊竜に、「お姉さんから見ても、この人、いい男に見えるかねえ」と尋ねる。「とっても好いたらしい旦那じゃございませんか」と 菊竜が答えると、今度は「じゃあ、これもいいと思うかい」とペニスのことを訊く。菊竜が「目の豊楽でございます」と言うと、定は 「お姉さん、この人とやってみないかしら」と持ち掛ける。吉蔵は当惑したか、定が見ている前で菊竜とセックスした…。

監督・脚本は大島渚、製作代表はアナトール・ドーマン、製作は若松孝二、撮影は伊東英男、照明は岡本健一、美術は戸田重昌、録音は 安田哲男、編集は浦岡敬一、音楽は三木稔、演奏は日本音楽集団。
出演は松田英子(松田暎子)、藤竜也、中島葵、松井康子、芹明香、小林加奈枝、殿山泰司、九重京司、白石奈緒美、野田真吉、堀小美吉 、松廼家喜久平、小山明子、東祐里子、南黎、青木真知子、阿部マリ子、岡田京子、安田清美、藤ひろ子、三星東美、石井喜美子、 富山加津江、福原ひとみ他。


阿部定事件を題材にしたハードコア・ポルノ映画。
定を演じたのは、オーディションで58人の中から選ばれた松田英子(松田暎子)。
吉蔵を藤竜也、トクを中島葵、「田川」の女将を松井康子、松子を芹明香、菊竜を小林加奈枝、老乞食を殿山泰司、大宮を九重京司が 演じている。
また、監督の妻である小山明子が、「満左喜」の芸者役で1シーンだけ出演している。

過激な性表現を求めた大島渚監督は、日本では狙い通りの作品を完成させることが出来ないと考え、アルゴス・フィルムのアナトール・ ドーマンの協力を得て、撮影したフィルムをフランスに送って編集作業を行っている。
オーディション参加者は全裸になり、オマンコが最もキレイだということで松田暎子が選ばれた。
劇中では藤竜也と彼女が実際にセックスをしており、しかも膣の中に射精している(松田暎子は避妊用にリングを装着している)。
もちろん日本公開版ではボカシが入って隠されているが、海外版ではハッキリとチンコもマンコも写っているし、フェラチオや本番行為も バッチリとカメラに写し出されている。

とにかく説明不足が甚だしい。
定と吉蔵がどういう人物なのか、どういう経緯で定が女中として働くようになったのか、彼女の過去に何があったのか、男関係はどう だったのか、そういった事柄に関する説明は皆無に等しい。
定が女郎上がりであること、夫の事業失敗で共稼ぎしていることが、セリフで軽く語られるだけ。
途中で登場する大宮は、校長と市会議員をしていることがセリフで語られるが、定とどういった関係なのかは説明が無い。

定と吉蔵がどこにいるのか、どういう状況なのかも、まるで把握できない。
2人が「みつわ」へ行ったのは「家出をした」ということなのだが、その段階で分かりにくい。
「家出しなきゃいけない状況になった」という経緯も描かれないし、「家出しよう」と言い出すシーンも無い。
2人で出掛けた場所が「みつわ」で、宴を開くのは別の場所なのだが、それも分かりにくい。
途中で「みつわ」から「満左喜」に移動したことも分かりにくい。

定と吉蔵が金に困り、定が金策のために、かつて交際していた大宮を頼ったという事情も分からない(ついでに言えば、それまで荒れた 生活を続けていた定は彼から更生するよう諭され、吉田屋で働くようになったのである)。
途中で定が幼い子供たちと遊んでいるシーンがあって、一方で吉蔵は帰宅しているのだが、これも状況がサッパリ分からない。
実は、それは「定が吉蔵と別れ、かつて関係のあった遠縁の男・稲葉の元に身を寄せている」という状況なのだが、そんなの何の説明も 無かったら分かるわけがない。
「阿部定事件について詳しく知っている」という前提条件が無ければ、何が何やらサッパリなのだ。

大島監督は、とにかく本番行為が描きたくて、そのために都合のいい題材として、阿部定事件をチョイスしただけだ。
阿部定事件を描きたかったわけではない。
事件や阿部定について深く掘り下げようとか、新しい視点から男女の関係を描き出そうとか、そんな意識は全く無い。
あっという間に定と吉蔵はセックスして、あっという間に家を出る。
中身はとても薄っぺらい。
っていうか、全編に渡って、ただ定と吉蔵がヤリまくっているというだけの作品である。

「ヤリまくっていると言っても、それなりに物語はあるんだろ?」と思うかもしれんが、そんなモノは皆無に等しい。 ホントに、上映時間の大半が濡れ場なのだ。
なぜ吉が定を誘ったのか、なぜ定が彼を受け入れたのか、そんなことの説明は無い。
ただ単に「セックス好きの男と女が性欲で結び付いた」というだけである。
そこに恋愛感情など無い。愛のドラマなど無い。
あえて言うなら、定は彼のチンコを愛したということだ。たまらなく彼のチンコが好きで、だから彼を殺した後でチンコを切ったのだ。

そんなわけだから、やっぱり本作品を語る上では、「本番をしている」という部分だけが売りになる。
で、そういうモノを持ち込んだことも含めて、芸術映画と言われたりもしているが、単なるポルノ映画に過ぎない。
しかし、ポルノだからダメだというつもりは無い。個人的には、芸術よりもポルノの方が遥かに素晴らしいと思っている。
だからこそ、「これは芸術だ」と謳われると、「いや、そりゃ違うだろ」と激しく反発したくなる。

本作品の内容を描くために本番行為が必要不可欠だったのかというと、そんなことは絶対に無い。
そりゃあ、他の映画における性行為の描写が、ものすごくヌルかったり、非現実的だったりするってことは認める。
前戯も無しでいきなり挿入するとか、パンツを脱がないで腰をカクカク動かしているだけとか、そういうバカバカしい描写を見たことも ザラではない。
しかし、だからって、実際に本番行為をする必要性が、どこにあるのか。

「リアリティーのある本番シーンを撮りたい」ということなら、本当にセックスしているように見える演出をして、本当にセックスして いるような演技を役者にさせればいいだけのことだ。
それをやらずに、実際にセックスさせちゃうってのは、ある意味では演出家としての仕事放棄、もしくは怠慢である。
実際に本番行為をやらせたら、そりゃあ本物のセックスシーンになるのは当たり前で、そんなのは素人だって撮れる映像だろう。

たぶん大島監督の中にあったのは、溢れるほどの反骨精神だったんだろう。
日本の映画界における性描写の規制、公権力の介入に対して強い反発を抱き、「だったら俺は本番行為を撮ってやる」という気持ちが燃え 上がったのではないか。
「それによって映画が面白くなるかどうか」というのは全く考えておらず、とにかく激しい反抗心だけで突っ走った結果、この映画が 出来たんじゃないだろうか。

まあ、どうであれ、ハードコア・ポルノ映画としてのクオリティーが高ければ文句は無いんだけど、最も肝心な、その部分がダメという 悲しい現実がある。
申し訳ないけど、こっちのリビドーを全く刺激してくれないのよ。
その理由は簡単で、残念ながら、松田暎子に魅力が足りていないのだ。まず美人じゃないしね。相手が色男の藤竜也だけに、かなり見劣り してしまう。
美人じゃなくても、男を魅了するだけの妖艶さがあればともかく、色気も感じないのよね。

(観賞日:2011年11月17日)

 

*ポンコツ映画愛護協会