『AIKI』:2002、日本

プロボクサーの芦原太一は、新人戦準々決勝で逆転勝利を収めた。恋人チカを乗せてバイクを走らせた太一は、車との衝突事故で病院に 運ばれた。自動車を運転していたのは、小さな会社の社長・石川三郎という男だった。彼は金策に奔走したものの会社は倒産し、保険には 入っていなかった。彼は取り調べを受けている途中、警察署のトイレで首を吊って自殺した。
太一は担当医から、もうボクシングは諦めるよう告げられる。医者は、脊髄損傷による下半身麻痺は回復せず、死ぬまで車椅子の生活が 続くことを宣告した。同じ病室には、常滑という車椅子の患者がいた。彼は脊髄損傷の先輩を自称し、「勃起もしない」と口にした。 見舞いに訪れた友人は、「すぐにカムバックできる」「未来の新人王」などと調子のいいことを言う。太一は友人を追い払い、チカにも 「二度と来るな」と告げる。チカは太一の姉・民子から太一が車椅子生活になることを聞かされ、別れることにした。
石川の妻と息子が謝罪に訪れるが、太一は無視を決め込んだ。去ろうとする石川の息子に、太一は「お前の親父はクズだよ、クズ」と 言い放った。常滑は何かと理由を付けて入院を引き延ばそうとしているが、女医から退院するよう言われる。常滑はわざとコーヒーを こぼして火傷を負い、入院を引き延ばすが、女医は1週間後に退院するよう告げた。
太一が睡眠薬を溜め込んで自殺しようとしているのを知った常滑は、「まだ2ヶ月だろ」と声を掛ける。常滑は太一に、3人の息子がいる こと、妻が懸命に働いていること、自分が退院しないことが家族のためになることを話した。そして常滑は、「死ぬなんて10年早い。あと 1年だけ生きてみな。それでも面白いことがなきゃ、俺は止めねえよ」と告げた。
それから1年後。退院した太一は、バーで飲んだくれてカップルに難癖を付け、店員に追い出される。太一は1人で暮らしており、たまに 民子が世話をするためやって来る。民子は弟の世話をするため、結婚を延期している。太一はヘルパーを次々と解雇し、障害者年金で 自堕落に暮らしている。障害者の上に高校中退という学歴のため、仕事は見つからない。石川の妻から現金書留が届く度、太一はそれを パチンコに使う。
ある夜、いつものように酔っ払っていた太一は、チンピラに女性が絡まれている現場に遭遇する。太一は「レイプするの?俺も混ぜてよ」 と声を掛けるが、もちろんチンピラは相手にしない。太一はパンチを繰り出すが、全く力の無いものだった。チンピラに暴行を受けた 太一は、通り掛かったテキ屋の親分・権水松太郎に助けられる。権水は太一の男気を気に入り、馴染みのスナック『秘め事』へを連れて 行く。太一が障害のせいで無職だと聞くと、権水は「ええバイトがある」と言う。
太一は権水の紹介で、神社の祭りで数字合わせのクジを売る仕事をすることになった。だが、客は全く来ない。それを見ていた1人の女が 、太一に客を呼び寄せるコツをレクチャーした。女はサマ子という名で、非合法な賭場を専門に日本中をさすらうギャンブラーであり、 今は神社の巫女をしているという。宮司もギャンブル狂いなのでウマが合うらしい。「人生はクソだ」という太一に、サマ子は「どうせ 抜け出せないのなら、そこで楽しいことをしていたい」と口にする。
太一はボクシング・ジムに出向き、練習させてほしいと頼む。しかし会長は「障害者でも出来るバスケなどの方が」と告げ、やんわりと 断ろうとする。「団体競技は出来ない、格闘技しかない」と言う太一に、トレーナーはサンドバッグを打つよう指示した。太一はパンチを 打つが、トレーナーは「腹筋が効かないとバランスが取れない」と指摘した。太一はボクシングを諦め、空手など他の格闘技道場を次々に 訪れるが、いずれも入門を断られた。
太一は、神社の境内で行なわれた古武術の奉納演武を見学する。抜刀術などの演武が行われる中、大東流合気柔術天地会の順番となった。 その師範・平石正嗣は、掴み掛かって来る門弟を、力の入っていないような小さな動きだけで軽々と投げ飛ばした。それを見た太一は、 入門を願い出た。平石は、「今は忙しいので後で連絡します」と告げ、太一の電話番号を控える。
太一はサマ子から、平石がサラリーマンだと聞かされる。彼は自前の道場を持たず、公民館などで教えていた。平石は門弟に車椅子を用意 させ、自ら乗って動くことで、太一に大東流合気柔術の練習が可能かどうかを確認した。平石は太一に連絡し、入門を許可した。太一は、 合気上げや合気下げといった大東流合気柔術の動きを学んでいく。
太一はサマ子から、1匹の犬をプレゼントされる。サマ子は、その犬にフェイクという名前を付けていた。太一は『秘め事』のママの紹介 で、アダルトビデオが充実しているレンタルビデオ店でアルバイトを始めた。太一は合気柔術の学び、フェイクとロードワークをする。 民子は太一に「もう大丈夫そうだから」と告げ、結婚することを決めたと明かした。
ある日、フェイクとロードワークに出ていた太一は、チンピラに見つかって取り囲まれる。太一は合気柔術で対抗しようとするが、車椅子 のバランスを失って力が上手く入らない。太一は車椅子から引き摺り下ろされ、叩きのめされた。太一は、「実戦で役に立たないのなら、 何のための格闘技なのか」と苛立つ。そんな太一に、平石は「合気は超能力ではない。相手をまず受け入れなければ」と諭す。答えを探す 太一は、車椅子のブレーキを外して合気柔術を行うことを思い付いた。
新たな練習が上手く行く中、太一は常滑と再会してバイバイアグラという薬を渡される。その薬を試すと、常滑が言っていた通り見事に 勃起した。そこへサマ子が現われ、彼女に誘われるようにして太一は肉体関係を持った。しかしサマ子は賭博絡みでトラブルに巻き込まれ 、宮司に「しばらくいなくなるけど修行だけは続けるように」という太一へのメッセージを託して姿を消した。
北アフリカ・マグレブ共和国の皇太子がお忍びで来日し、大使館で古武道の演武会が催されることになった。平石は3人の演武メンバーの 中に、太一を選んだ。当日、法月流拳法師範は荒っぽい動きを見せ、実戦に使える格闘技だということを皇太子にアピールする。順番が 訪れ、太一が車椅子で相手を軽く投げると、皇太子は驚きの表情を見せる。そこへ「茶番だ」と叫び、法月流拳法師範が乱入した。彼は 平石に対し、対決を申し入れる。最初は拒否した平石だが、挑発を受けて「太一くんがお相手します」と告げる…。

監督&原作&脚本は天願大介、製作は伊藤梅男&石川富康&岡田真澄(正式には眞澄だが、クレジットは真澄)&高野力&長澤一史& 長橋恵子、企画は猿川直人、プロデューサーは飯野久&松田康史&古賀俊輔、製作総指揮は中村雅哉、撮影は李以須、編集は阿部亙英、 録音は矢野正人、照明は李龍禹&石丸隆一、美術は稲垣尚夫、擬斗は秋永政之(オフィスワイルド)、合気柔術指導は岡本正剛、 音楽はめいなCo.&浦山秀彦&熊谷陽子、
エンディングテーマ「愛撫ガッチュー」作詞・作曲はトータス松本、歌はウルフルズ。
出演は加藤晴彦、ともさかりえ、石橋凌、火野正平、原千晶、木内晶子、桑名正博、菅田俊、田口トモロヲ、ミッキーカーチス、 清水冠助、小木茂光、三上寛、佐野史郎、余貴美子、永瀬正敏、松岡俊介、我修院達也、神戸浩、角替和枝、深浦加奈子、川島郭志、 吉田智則、弓削智久、川村亜紀、松井涼子、富家規政、荒井賢太、安保由夫、斎藤歩、林希、詩音(現・太田詩音)、清水伸、薬袋一久、 則友謙司、田口陽介、ブリテリ(現・木下真利)、柾川めぐみ、七世一樹、田村泰二郎、大山峻護、稲宮誠、 十貫寺梅軒、清田馨、鈴木一功、サム・ルー、吉宮君子ら。


車椅子のデンマーク人武術家オーレ・キングストン・イェンセンの実話をモチーフにした作品。
天願大介監督は約10年前に彼に関する記事を目にして、この映画を企画したそうだ。
大東流合気柔術は実在する古武道で、平石のモデルとなっているのは映画の合気柔術指導も担当した大東流合気柔術六方会宗師・ 岡本正剛氏。岡本氏とイェンセン氏はエンドロールで登場する。
太一を加藤晴彦、サマ子をともさかりえ、平石を石橋凌、常滑を火野正平、民子を原千晶、チカを木内晶子、権水を桑名正博、法月流拳法 師範を菅田俊、石川を田口トモロヲ、宮司をミッキーカーチス、平石の弟子・川添を清水冠助、太一の担当医を小木茂光、太一のボクサー 時代のセコンドを三上寛が演じている。また、レンタルビデオ店の客役で佐野史郎、スナック『秘め事』のママ役で余貴美子、バーテン役 で永瀬正敏が、それぞれ出演している。

加藤晴彦は、残念ながら役者不足だろう。
その大きな理由は、ガタイが出来ていないってことだ。
「ごく普通の弱っちい男が合気柔術と出会って変わっていく」ということなら、体付きはどうでもいい。だが、太一は「新人王候補の プロボクサーだった」という設定だ。それにしては体が引き締まっていない。「軽い階級だから」ということではなく、ただのヒョロヒョロなのだ。
ともさかりえは、途中までは適役かと思ったが、後半のあるシーンになって役者不足をさらけ出す。
そのシーンとは、太一とサマ子のベッドシーンだ。ここで太一は脱いでいるのに、サマ子は裸にならないのだ。
ここは展開としては、絶対に裸になることが必要だった。それが出来ないのなら、ベッドシーンそのものが要らない。ベッドシーンが 無くても、それはそれで成立する。
ベッドシーンも含めて考えると、サマ子のポジションに必要なのは「ダメ人間にとっての、エロいフェロモンを秘めた天使」なんだよな。
もっと具体的に書くと、仮にこれがハリウッド映画であれば、そこにピッタリなのはドリュー・バリモアだよ。
もちろん日本にドリュー・バリモアはいないけど、あの濡れ場で脱げないのであれば、ともさかりえはミスキャストということになる。

序盤で太一は事故に遭って下半身不随になるのだが、それならば冒頭のボクシングの場面では栄光に浸らせるべきだろう。
この映画では「KO勝ちした後もキレたように相手を殴り続ける」という描写になっているが、それだと勝利の喜びが見えない。
ただ太一の乱暴さしか伝わらない。
そうなると、「充実したボクサー人生から急転直下の悲劇」という落差が弱くなる。

「カムバックは無理、死ぬまで車椅子生活」と言われて吐くぐらいショックを受けるぐらいだから、太一は冒頭のボクシング場面での キレっぷりからしても自暴自棄になって周囲に当たり散らすようになるのかと思ったら、おとなしい態度を見せる。だからってヒドく 塞ぎ込むというほどでもなく、「オドオドした小心者チックな態度」になっている。
友人が来た時に、ようやく太一は「テメエらの顔なんて見たくない」と苛立ちを表現する。ただ、それもどこか遠慮がちに見える。 「病気で弱っているから声に力が入らない」ということなのかとも思ったが、直後のシーンでは常滑に思い切り怒鳴っているので、
そうではないようだ。
ってことは、芝居がおかしいってことだ。
その後の、例えばバーで飲んだくれてカップルに難癖を付けるシーンの演技などを見ると、病院での太一の態度のおかしさは演出の問題 じゃなく、加藤晴彦の芝居が上手くないってことなんだろう。

チカは太一が下半身不随になったことを知らないまま彼に接していたはずなのに、だからこそ無神経に「きっと太一ならすぐにカムバック できるよ」などと言っていたはずなのに、民子から「弟は一生、車椅子生活になる」と聞かされた時、全く驚いた様子を見せない。
これは、どういうことなんだろう。単純に、反応が鈍いということなんだろうか。私には理解不能なシーンだった。
太一は、石川の妻と息子が訪れるシーンに、急に冷徹な態度のイヤな奴に変貌する。それなら、そこまでのシーンでも、太一のイヤな態度 をアピールしておくべきだったと思う。そこだけが突出しており、「特異なシーン」になってしまっている。そこを浮き上がらせないため には、その後のリハビリ場面でも真面目にやらず悪態をつくなどの態度が欲しかった。

石川に対する恨みで極端に感情が高ぶったということはあるだろうけど、どうも太一の態度・行動に一定したモノが無いという 印象を受ける。
それは退院した後のシーンでも、同じことが言える。
飲んだくれてカップルら絡んだりチンピラに殴り掛かったりという荒っぽい態度を見せる一方、権水には「ほっといてくれ」と反発する ことも無く最初から丁寧な態度で接しているし、露店の仕事を紹介されると「やってられっか」と放り出すことも無く、素直におとなしく やっている。
太一が自殺願望を抱くという場面があるが、「もう生き甲斐を失った。生きる意味が無い」とまで彼が感じているという印象を受けない。
軽々しい気持ちに見える。
まず事故に遭う前の「ボクシングが人生の全て、そこに情熱を注いでいる。そして栄光へと確実に近付いている」というアピールが弱いし 、入院した後の病院におけるツラい生活の描写も物足りない。

問題は色々と見つかるが、何はともあれ前半戦が「不慮の事故で障害者となった主人公がひねくれてしまい、自堕落で何の目的も無い日々 を過ごしていたが、生き甲斐を見つけて前向きな気持ちに変化していく」という筋書きにおける前フリ部分になっていることは分かる。
で、まだ生き甲斐を見つけてからの後半戦で挽回できるチャンスは、充分に残されている。
だが、太一が大東流合気柔術と出会うことによって、挽回のチャンスは失われる。
監督が大東流合気柔術を学んだ車椅子格闘家の実話に感銘を受けて企画した作品だから、そこを外すことは出来ないってのは分かる。
ただ、それは充分に承知した上で、それでも「何か他のモノ、障害者には難しいと思われるようなスポーツを選んでくれたらなあ」という思い は消えない。

太一が大東流合気柔術の演舞を見るシーンで、どうやら彼は惹き付けられたらしいが、私は全く魅力を感じなかった。ただ同じリズムで、 同じパターンの動きを繰り返しているだけのモノ、として感じなかった。特にスゴいことをやっているという印象も受けない。
いや、ほとんど動かず相手を倒していくのはスゴいことかもしれんけど、なんか地味なんだよな。ほら、気で相手を大きく吹っ飛ばすという 「ウサン臭いけど派手なパフォーマンス」があるけど、ああいうインパクトには欠ける。
で、インパクトには欠けるくせに、ウサン臭さだけはあるんだよな、これが。本当の大東流合気柔術がどうなのかはさておき、少なくとも 本作品で描かれる大東流合気柔術は「ウサン臭さたっぷり」の武道だ。一通りの動きの説明はあるものの、「どういうメカニズムによって 、ほとんど力も入っていないような動きで相手を投げ飛ばすことが可能なのか」ということに関して、論理的で説得力のある説明は無い。

平石は「合気は超能力ではない」と言うけど、この映画で描かれる合気は超能力以外の何者でもないぞ。
超能力でないとすれば、それは「ある意味でのプロレス」ってことになる。
ようするに、「相手が望んで投げられている」ってことだ。
太一が練習を始めても、「相手が太一に都合のいい場所を掴みに行き、自分から投げられている」という風にしか見えないのよ。実際は どうだか知らないけど、そのようにしか見えないんだから仕方が無い。
結局、「それって相手も大東流だから成立する動きでしょ。こっちが望むように動いてくれなきゃ成立しないでしょ」という風にしか解釈 できないのだ。合気って基本的にそういうモンなのかもしれんけど。
「何も知らない素人だから分からないのだ」と言われれば、そうかもしれない。ただ、わずかな期間だけど、私は合気道を学んでいた 時期もあったんだけどね。

「大東流合気柔術とは何ぞや」という説明は薄いし、太一が1つずつステップアップして上達していくという過程が薄い。最初は軽く 「これなら簡単に出来そうだな」と考えていた太一が、大東流合気柔術の奥深さや難しさを実感し、真剣に取り組むようになっていくと いう変遷も見られない。
子犬だったフェイクが成犬になっているので随分と年月は経過しているんだろうけど、それが全く感じられない。
なので、太一が短期間で大東流合気柔術を習得しているように感じられる。
っていうかさ、子犬だったフェイクが成犬になってるのなら、繰り返しになるけど随分と時間は経過しているはずでしょ。だったら、 まだ太一が大東流合気柔術を始める前に争いになったチンピラが、彼を原っぱで見つけて報復するってのは、えらく根に持ってんだなあと 思っちゃうよね。まあ車椅子が目印になるんだろうけど、良く覚えてたよな。
っていうか、今そんなに近くに住んでいるのなら、良く今まで出会わなかったよな。まあ細かいことかもしれんけど。
細かいついでに書いておくと、バイバイアグラで勃起してる太一がサマ子に缶ビールを放り投げて渡すシーンがあるが、すぐにブルトップ を開けたらビールが吹き出ると思うぞ。
もう1つ細かいことを書いておくと、なんでエンドロールはウルフルズの曲で締め括らず、短いインストの穏やかな曲を繋げてんのかと。
そこはウルフルズで終わらせていいでしょ。

本編の批評に戻るが、終盤の展開が失笑モノとなっている。
それまで「人を倒すための武術は現代では要らない」みたいなことを言っていた平石が、なぜか法月流拳法師範の挑発を受け、対決を受諾する。
それはおかしいでしょ。そこはあくまでも拒絶すべきだろ。
っていうかさ、最初に太一が法月流拳法師範の挑発に対してケンカ腰になって立ち向かってるんだが、それって大東流合気柔術の「心」を 会得していないってことにならないのか。
法月流拳法の連中は演舞で打撃しか見せていないし、太一と対決する時も師範はずっと打撃で攻撃していたのに、なぜか急に腕を掴みに 行く。で、太一に投げ飛ばされる。それまで突きや蹴りはかわす一方だったのに、相手が腕を掴みに来たところで、太一は投げ飛ばしてる。
完全にプロレスじゃん。
ようするに、相手が掴みに来てくれないと勝てないってことでしょ。
法月流拳法師範の「茶番だ」という言葉が発端で設けられた戦いだけど、それこそ茶番だよな。
その場面の後、「平石が法月流拳法の連中を返り討ち」というシーンがあるけど、そこも相手は全く蹴りを使わない。
仮に蹴りや武器で来られていたら、どうだったのかと。

あと、太一が大東流合気柔術家として成長したというところで話を締め括ればいいものを、失踪したサマ子を探しに行くという展開に 持って行くのは違うと思うなあ。
そもそも、サマ子の退場も変な感じだったし、別に旅に出す必要なんて無いと思うぞ。
大東流合気柔術に太一が生き甲斐を見つけたはずなのに、なんかサマ子に生き甲斐を見つけたみたいな感じになっちゃうじゃん。

 

*ポンコツ映画愛護協会