『アキレスと亀』:2008、日本
群馬県。美術好きで富豪の倉持利助は、画商の菊田昭雄、画家の高輪と共に芸者遊びに興じ、邸宅へと戻った。利助はパトロンとして、 売れない頃から高輪の面倒を見て来た。利助の息子・真知寿が部屋で絵を描いていると聞き、高輪は「ちょっと見せてもらおうかな」と 興味を示す。高輪は感嘆し、「このまま成長したら、私なんか簡単に抜かされちゃうなあ」と言う。「大きくなったら被るといいよ」と、 彼は真知寿に自分の赤いベレー帽をプレゼントした。その日から真知寿は、画家になる夢を持った。
福見小学校に通う真知寿は、授業中でも絵を描いた。それをクラスメイトが指摘しても、担任は「倉持君はいいんだよ。将来はお父さんが フランスに連れて行って画家にするそうだから」と言う。授業を抜け出して絵を描きに行っても、教師は注意しなかった。真知寿が列車を 止めても、倉持の息子なので運転手は注意できずに困り果てた。利助は、絵を見るセンスを持っていなかった。高輪は菊田から一枚の絵を 「どうやって売りましょう」と相談され、「印象派の絵だって言って売っちゃえば。分かりゃしないから」と言う。菊田に「フランスから 高輪が持ち帰った絵で、その内に必ず価値が上がる」と吹き込まれた利助は、購入を決めた。
蚕が全滅して利助の製糸工場の操業が停止し、株価が大暴落する。関連会社の倉持銀行も経営破綻し、利助は芸者と首を吊って心中した。 葬儀に乗り込んだ菊田は、ヤクザの借金取り立てを冷淡な態度で手伝った。真知寿の部屋を見たヤクザは「ガキの絵なんか金にならない」 と言い、見向きもせずに立ち去る。菊田はヤクザを嘲笑い、「案外、金になるんだよ。こういうのを騙して売るのが画商だからよ」と言う 。彼は真知寿を突き飛ばし、一枚の絵を持ち去った。
邸宅を追い出された真知寿は、後妻である母・春と2人きりになった。春は利助の弟・富輔夫妻が暮らす村へ行き、真知寿を預かって もらおうとする。富輔は「何勝手なこと言ってるんだよ。弟の俺が困ってても一銭も貸してくれねえで」と追い払おうとするが、妻が 「まだ小さいんだし」となだめた。富輔は「2、3年だけ預かってやる。後は知らねえからな」と吐き捨て、春は真知寿を置いて去った。 鶏のエサやりを命じられたのに真知寿が絵を描いているのを見て、富輔は激怒した。一方、菊地は絵画好きの社長に「12歳で死んだ天才 少年の絵」と嘘をつき、真知寿の絵を売り付けた。
翌日、富輔夫婦が百姓仕事に出た後、真知寿が命じられた庭掃除をしていると、村に住む知恵遅れの男・又三が現れて「あっそぼ」と誘う 。2人は地面に絵を描いた。帰宅した富輔は、全く仕事が片付いていないので真知寿を叱った。妻が庭に描かれている鶏の絵を発見し、 「ホントに絵が好きなんだよ。絵、描かせてあげなよ。学校も行かせてあげなよ」と告げる。富輔は「なんで俺がそんなことしなきゃ いけねえんだよ」と言いつつも、真知寿を小学校へ通わせてやることにした。真知寿は授業中に絵を描き、教師に叱責された。
放課後、帰る途中で又三が絵を描いていたので、真知寿は隣に座って絵を描いた。春が崖から身を投げて自殺した。顔半分が血だらけに なっている母の死体を見た真知寿は、それを部屋の壁に描いた。それを見つけた富輔は、「出ていけ、この恩知らず」と激怒する。真知寿 は養護施設「ひまわり児童園」へ送られることになった。バスで村を出る途中、絵を描こうと飛び出した又三はひかれて死亡した。
青年に成長した真知寿は、まだ画家の夢を諦めていなかった。彼は住み込みで新聞配達の仕事をしながら、絵を描き続けていた。しかし 配達途中で仕事をサボッて絵を描いてばかりいるため、新聞屋の親父に叱られる。真知寿は画廊を営む菊地の息子に、自分の絵を持ち込む 。しかし「こういう風景画はどこにでもあるでしょう。もうちょっとインパクトのある絵じゃないと今は売れないんです」と厳しい批評を 受ける。菊地の息子は「余程の天才じゃない限り、学校へ行って教わった方がいいですよ」と告げた。
真知寿は美術学校に行くため、新聞配達を辞めて印刷工場で働き始めた。そこで彼は、幸子という事務員の女性と出会う。喫茶店で話して いると、ウェイトレスの美江は「私をモデルにしてよ」と言って来た。美術学校の教師は高輪だった。才能が無いのがバレて、落ちぶれて いたのである。高輪は気力を失っており、生徒に何も教えようとしなかった。真知寿は幸子から、「私のこと、どう思ってるの」と質問 される。「好きです」と答えると、彼女は「だったら、いいけど」と満足そうに微笑した。
真知寿は現代アートに意欲を燃やす学校の仲間たちと共に、アクション・ペインティングを行った。夜は美江のヌードをアパートで描く。 しかし抽象的な絵を見た彼女は、「私、要らないじゃない」と言う。開店セールのチラシで首吊り死体を描いた真知寿は、社長から「最近 、君、おかしいよ。もうちょっと普通の物を作ってよ」と注意される。真知寿は仲間たちと、ペンキを乗せた自転車で壁に激突して絵を 描くアクション・ペインティングを行った。しかし、続いて車で壁に激突した仲間は、そのまま死んだ。
幸子は喫茶店に飾られた抽象画を見て、美江に「すごいじゃない。今度は私がモデルやってあげる。私なら彼の芸術、分かってあげられる と思う」と言う。真知寿が友人の死に落ち込んでいると、おでん屋の親爺は「アンタたち、アフリカ行って、飢えて死にそうな人の前に ピカソとおにぎり置いてごらん。誰だっておにぎり取るだろ。貧しい芸術なんて所詮、まやかしだよ」と辛らつなことを言われる。一緒に いた美術学校のクラスメイト・板垣は、帰り道に飛び降りて自殺した。
真知寿は幸子と結婚し、娘のマリも生まれていた。芸術家を目指す真知寿に稼ぎは無いので、幸子が稼いでいた。また真知寿は、画廊に絵 を持ち込む。しかし菊地の息子に、全て有名な芸術家の模倣だと指摘される。街で見掛けた中年男性の絵だけは「まあ真似よりはマシじゃ ない」と言われ、今度は同じタッチの人物画ばかりを描いて呆れられる。他の絵についても、「もっと冒険できないかな。筆で描くことを 止めてみたら」と言われた。
やがて年を取って中年になっても、まだ真知寿は芸術家の道を諦めていなかった。相変わらず、絵は全く売れておらず、生活は妻が支えて いる。マリは高校生になっていた。真知寿は前衛的な芸術を追い求め、幸子にも手伝わせた。貧乏生活を余儀なくされているマリは不快感 を露わにするが、真知寿は娘のことなど全く見ていなかった。真知寿は幸子に協力させ、夜中に商店街のシャッターに絵を描いた。しかし 商店街の店主たちに見つかって捕まり、消すように命じられた。交通事故の現場をデッサンしたことが新聞で報じられ、マリは耐えかねて 家を出る。それでも真知寿は、全く意に介さなかった…。監督は北野武、脚本・編集・挿入画は北野武、プロデューサーは森昌行&吉田多喜男、アソシエイトプロデューサーは久保聡&梅澤道彦& 太田和宏&那須野哲弥、ラインプロデューサーは小宮慎二、撮影は柳島克己、照明は高屋齋、美術は磯田典宏、録音は堀内戦治、編集は 太田義則、書道制作(タイトル/キャプション/クレジット)は柿沼康二、アニメーション演出は浜津守、音楽は梶浦由記、音楽 プロデューサーは森康哲。
挿入歌「聞かせてよあまい言葉」作詞・作曲:ジャン・ルノワール、訳詞:佐伯孝夫。
出演はビートたけし、樋口可南子、柳憂怜、麻生久美子、中尾彬、伊武雅刀、大杉漣、大森南朋、吉岡澪皇、筒井真理子、円城寺あや、 徳永えり、仁科貴、寺島進、六平直政、ふせえり、大林丈史、不破万作、ビートきよし、大竹まこと、三又又三、林田麻里、アル北郷、 お宮の松、松坂早苗、丸岡奨詞、北見敏之、風祭ゆき、武重勉、山野海、こばやしあきこ、須永慶、諏訪太朗、ボビー・オロゴン、 電撃ネットワーク、芦川誠、小林太樹、石道光代、はやしだみき、新納敏正、重松収、マダ村越、古屋治男、國本鐘建、嵯峨周平、 森下能幸、大塚よしたか、大西武志、加藤四朗、馬場彰ら。
北野武の14作目となる長編映画。
『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』に続く、芸術家3部作の第3作。
中年時代の真知寿を演じるのは、もちろんビートたけしだ。
中年時代の幸子を樋口可南子、青年時代の真知寿を柳憂怜、青年時代の幸子を麻生久美子、利助を中尾彬、菊田を伊武雅刀、富輔を大杉漣 、菊田の息子を大森南朋、少年時代の真知寿を吉岡澪皇、春を筒井真理子、富輔の妻を円城寺あや、マリを徳永えり、高輪を仁科貴が 演じている。どうやら夫婦愛を描きたかったようだが、北野監督はストーリーテリングも下手なら男女の恋愛を描くのも下手なので、真知寿と幸子との 出会いのシーンからして上手くない。
幸子は登場した次のカットで、もう真知寿と喫茶店で話している。
真知寿の方からアプローチしたとは思えないので、たぶん幸子から誘ったんだろう。
だが、なぜ真知寿に興味を持ったのか、まるで分からない。
それに、やはり最初に話し掛けるシーンは必須だろう。もっとヒドいことに、なんと板垣の自殺からシーンが切り替わると、真知寿と幸子は結婚しているのである。
つまり、「芸術に没頭する男が、自分を理解する女と出会い、心を惹かれ、結婚する」という過程は全く描かれていないのだ。
真知寿は友達の死で落ち込み、芸術活動への自信を失っていたんだから、「幸子が彼を励まし、勇気付ける」というシーンがあってからの 同居シーンなら、その程度のショートカットはOKだ。
でも自信喪失&板垣の自殺から、いきなり結婚はダメでしょ。それと、男女の恋愛劇だけじゃなくて、真知寿の芸術家としての迷走ぶりも、描写が不充分だ。
シーンが切り替わると、もう違う方向へ走っている。「そっちへ行くに至った経緯やきっかけ」が、まるで描かれていない。
青年時代の冒頭には、菊地の息子から「インパクトが欲しい」と言われるきっかけがあるけど、それだって迷走するタイミングが悪い。
そう言われてから、アクション・ペインティングをやるまでに、かなりのシーンを重ねているもんね。
だから、その言葉が引き金になっているようには感じられない。ぶっちゃけ、真知寿がアクション・ペインティングに参加するのは、「友人たちが始めたから、それに引きずられて」という風に見える。
主体性が無いのはいいとしても、そっちへ走るきっかけが明確じゃないのだ。ボンヤリしているのだ。
「インパクトが欲しい」からって、アクション・ペインティングである必要性は無い。
そこには、「インパクトのある芸術の中で、なぜアクション・ペインティングという形を選んだのか」という部分の理由説明が欲しいのだ。この映画の真のテーマは、『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』と同じだ。
北野監督は「もっと芸術家を高く評価しろ」と主張したいのであり、それは即ち「もっとオイラを認めてくれ、分かってくれ」という 訴え掛けである。
この映画で北野監督は、真知寿という男を「才能の無い芸術家」として描いている。一見、それは本人を卑下しているようにも思える。 だが、それは北野監督の照れだ。
そういう風に描いておきながら、その裏には「オイラは素晴らしい芸術家なんだぞ」というプライドが透けて見える。この映画に北野監督は「芸術を諦めず、ずっと継続することが大切」というメッセージを込めており、本来ならば芸術家への応援歌になる はずの作品だ。
ところが北野監督は素直じゃないので、ストレートに応援歌を歌おうとしない。
その結果として何が起きているかというと、まず「芸術家&芸術の全否定に見えてしまう」ということだ。
この映画では「インチキな画商」や「デタラメな画家」ばかりが登場し、誠実に芸術と向き合った上で成功した芸術家は誰一人として登場 しないのだ。もう1つ、主人公に全く共感できないという問題も生じている。
まず少年時代、「真知寿は画家になる夢を持った。又、持たされた」と、そこで既に言い訳が入っちゃうのはダメでしょ。まるで「周囲の 期待のせいで、画家になる夢を持たされた」みたいなことを言っちゃダメだ。
その少年時代の真知寿だが、邸宅を追い出されてバスに乗ったところで泣き出しても、そこだけ急に取って付けたようになっている。
「泣いた芝居をしている」ということが露骨に見えるので、それだけでは彼の感情が全く伝わって来ない。
それは明らかに、父の死に対する悲しみじゃないし。
母が死んだ時も、全く悲しみの感情を見せない。だから同情心も沸かない。
ただし、同情心は沸かないが、不快感までは至っていない。青年になった真知寿が仕事を途中で投げ出して絵を描いているのを、好意的に見ることは出来ない。
「芸術家は普通の仕事や日常生活をマトモにこなすことが出来ない」というのを描きたいんだろうけど、周囲に迷惑を掛けていることに 対して全く悪びれた様子が無く、平然としている。
おまけに、それを「まあ仕方がないか」と許してやりたい気持ちにさせるような、明るさや屈託の無さを持っていない。陰気で無口な 奴だ。
例えばさ、こいつがウド鈴木だったら、「なんか憎めないなあ」ということになると思うのよ。そういう「愛嬌」が無い。
とは言え、それでも「不愉快で嫌悪感たっぷりな奴」というところまでの印象を受けることは無い。中年時代に入って、とうとう「共感できない」や「好感が持てない」から「不愉快で嫌悪感を抱く」へと振り切ってしまう。
真知寿は仕事から戻った幸子に「遅いよ、何やってるんだよ。ちょっと手伝ってくれよ。急いでやらなきゃダメなんだよ」と命令する。
妻が生活の全てを支えてくれていることに何の感謝もせず、申し訳ないという態度も見せない。
ものすごく身勝手で、そして偉そうなのだ。そして真知寿は、娘のことなんて全く眼中に無い。
ちっとも可愛がらないとか、話し掛けようとしないとか、そういうレベルではない。全く視界に入っていないのだ。自分の娘として認識 していないかのような扱いなのだ。
そのくせ、幸子が出て行って金に困るようになると、援助交際をしているマリの元へ行って金を借りる。
マリが死んでも全く悲しまず、遺体に口紅を塗ってアートの材料に使う。真知寿は「家族に迷惑を掛けて済まないとは思うけど、でも芸術の道を諦めきれない」という苦悩や葛藤を全く示さない。
青年時代はモラトリアムだし、まだ自分だけの問題だから、そこは別にいいとしよう。
だけど家族を持っても、その家族に迷惑を掛けていることに対して、何の苦悩も罪悪感も抱かないというのは、もう無理。
ハッキリ言うけど、ただの唾棄すべきクズだよ。
最終的に、そんな男の元に妻が戻っても、それをハッピーエンドだとは思えないし、共感も出来ないよ。(観賞日:2012年2月9日)