『私がウォシャウスキー』:1991、アメリカ
V・I・ウォシャウスキー、愛称はヴィク。彼女はシカゴに住む私立探偵だ。新聞記者のマーリー・ライアーソンが恋人だが、彼は女癖が悪い。ある日、ヴィクは元ホッケー選手のバーナード・“ブーンブーン”・グレイフォークから依頼を受けるが、彼はミシガン湖の埠頭で何者かに殺害される。ヴィクは早速、殺人事件の調査に乗り出した。
ブーンブーンには、ホートンとトランブルという2人の兄がいた。トランブルの妻ペイジは、かつてブーンブーンと結婚していた。ブーンブーンら3兄弟は海運業者の息子達で、多額の赤字を抱えた会社の売却を巡って対立していたらしい。
ヴィクはギャングの親分アール・スマイセンから事件から手を引くよう告げられ、暴行を受ける。ヴィクの父の親友の警部補ボビー・マロリーも、事件に関わるなと彼女に警告した。それでも、ヴィクはブーンブーンの娘キャットと協力し、調査を続行する…。監督はジェフ・カニュー、原作はサラ・パレツキー、映画原案はエドワード・テイラー、脚本はエドワード・テイラー&デヴィッド・アーロン・コーエン&ニック・ティール、製作はジェフリー・ルーリー、共同製作はダグ・クレイボーン、製作総指揮はペニー・フィンケルマン・コックス&ジョン・P・マーシュ、共同製作総指揮はジョン・バード・マヌリス&ローレン・C・ワイズマン、撮影はジャン・キーサー、編集はC・ティモシー・オメーラ、美術はバーバラ・リング、衣装はグロリア・グレシャム、音楽はランディ・エデルマン。
主演はキャスリーン・ターナー、共演はジェイ・O・サンダース、アンジェラ・ゴーサルズ、チャールズ・ダーニング、フレデリック・コフィン、チャールズ・マッコーハン、スティーヴン・メドウズ、ナンシー・ポール、ウェイン・ナイト、リニー・ゴッドフレイ、アン・ピトニアク、スティーヴン・ルート、ロバート・クロットワーシー、トム・アラード、マイケル・G・ハガーティー他。
推理作家サラ・パレツキーの生み出した女探偵をスクリーンに登場させた作品。
ヴィクをキャスリーン・ターナー、マーリーをジェイ・O・サンダース、キャットをアンジェラ・ゴーサルズ、マロリーをチャールズ・ダーニングが演じている。小説が基になっているが、内容は映画オリジナルのようだ。
原作は未読だが、タフな女探偵役にキャスリーン・ターナーというのは、悪くない人選だと思う。
ただ、このヒロイン、合気道の達人という設定で、これがネックになる。
キャスリーン・ターナーは、ドタバタした動きしか出来ていないのだ。
というか、あれって空手だろ、どう考えても。
あと、もう1つ、ヴィクが簡単に男を口説き落とせるような女として描かれているのだが、それもキャスリーン・ターナーでは苦しいだろう。そんな男にモテモテのキャラじゃないぞ。むしろ、男にモテないキャラクターの方が似合っているんじゃないか。ただ、この作品の問題点は、キャスティングよりも、やはりシナリオと演出だろう。一言で表現してしまえば、安っぽい。あと、ピコピコ系の音楽も、微妙にチープ。もっとハードボイルドに作ってるのかと思ったら、やたら軽いのね。ただし、軽妙というより軽薄。
演出は、淡々とエピソードを消化しているだけで、どこでタメを作るとか、どこで盛り上げるとか、どこで緊張感を持たせるとか、どこでスピード感を出すとか、そういう工夫が、あまり感じられない。たぶん、アクションシーンは見せ場なんだろうけどねえ。登場人物も、とりあえずシナリオに従って出すだけ出してはいるが、キャラクターを立てようという意識は弱いように思える。せめてヒロインのヴィクだけでもカッコ良く見えればマシだけど、なんか場面ごとにコロコロと態度が変わってるしなあ。
脚本も、伏線を張り巡らせておいて、それが後になって生きてくるというわけでもない。ヒントや証拠を1つずつ積み上げて犯人に辿り着く面白さがあるわけでもない。キャラクターの出し入れも、どうにも上手くない。なんちゅうか、すんげえ平坦だし。がさつなヴィクと生意気盛りのキャットの関係は、話の滑り出しを考えると、もっと使わないといけないだろう。しかし、この2人が協力して行動を開始するのは後半に入ってから。もう少し早くから2人を組ませないと、バランスとしては悪いように思える。
ただ、ヴィクをヒロインとして活躍させるためには、逆にキャットを相棒として目立たせすぎるのは避けるべきだろう。キャットは相棒ではなく、その他の脇役と並列に近い扱いにしておいて、ヴィクには基本的に単独で行動させた方がいい。
父親を失ったキャットの悲しみは、もうちょっと生かした方がいいんじゃないだろうか。父親が死んだ直後は悲しむけど、その後は、ずっと陽気なのよね。悲しみを押し殺して強がっているというのではなく、まるで悲しみなんて忘れたかのような感じ。