『リセット』:2010、アメリカ
映写技師のポールは、ショッピングモールに入っている映画館で働いている。その日も彼は仕事をしながら、ロアノーク植民地集団失踪事件について取り上げた本を読んでいた。映写室を出た彼は売店へ飲み物を買いに行き、売り子の女から頭に装着したライトが付いたままだと指摘される。ポールが映写室へ戻った直後、停電が起きた。暗闇の中で同僚を呼ぶが、返事は無い。彼が廊下に出た直後に電気が復旧するが、なぜか大勢の人々の服が抜け殻のように落ちていた。
ポールがショッピング・モールへ行くと誰もおらず、やはり幾つもの服だけが抜け殻のように落ちていた。そこへ男性警備員が懐中電灯を持って現れ、フードコートも同じ状態であることを告げる。ポールと警備員は、建物の中を調べてみることにした。警備員は何かを目撃し、洋品店の奥へと足を進めた。しかしポールが調子が悪くなったライトを叩いて直している間に、警備員は服と懐中電灯をを残して消えてしまった。
病院にいたローズマリーは、急な停電で誰もいなくなったことに戸惑っていた。懐中電灯を持って歩き回っていた彼女は、照明の付いている手術室に辿り着いた。すると医者は服を残して消えており、腹を切開されたまま放置された患者が助けを求めていた。しかし手術室の電気が消えると、その患者も手術着を残して姿を消した。ローズマリーは自分の赤ん坊であるマニーを捜すため、その場を離れた。
朝になり、ベッドで目を覚ましたルークは枕元にある蝋燭の火を消した。彼は恋人のペイジが来ているはずだと考え、捜しながら電気を付けようとする。しかし電気は付かず、テレビやスマホの電源も付かなかった。エレベーターも停止していたため、ルークは階段を使ってマンションの1階まで移動した。しかしロビーには誰もおらず、外に出ると大勢の人々の服が落ちていた。まるでゴーストタウンのように車は放置され、人の姿は完全に消えていた。
72時間後。ルークは放置された車に乗り込むが、エンジンが掛からないので落胆する。男がドアを叩いて「明かりが必要だ。開けてくれ」と頼むが、ルークは無視する。男は諦めて立ち去った直後、ライターの火が無くなって姿を消した。ルークは別の車を調べ、拳銃を手に入れた。彼は明かりの付いたバーを見つけ、中に入る。誰もいないことを確認し、ルークは酒を飲んだ。彼が地下室を調べていると、黒人少年のジェイムスがショットガンを構えて現れた。ジェームズに脅されたルークは、仕方なく懐中電灯と拳銃を放棄した。
ルークはジェイムスが怯えているのを見抜き、名前を尋ねる。ルークが自己紹介すると、ジェイムスは彼がTVリポーターだと知っていた。ルークの要請に応じて、ジェイムスはショットガンを置いた。彼は母親がバーテンダーであること、近くの教会へ明かりを調べに行ったことを話す。地下室には発電機があり、ジェームズは母親から3時間ごとに燃料を入れるよう指示されていた。ルークは一緒に街を出ようと促すが、ジェームズは「ママが人を連れて戻ると約束した」と述べた。
ルークは「誰もいない。外を見てないのか。今は午前11時なのに、外は真っ暗だ。3日間屋外にいたが、夜明けは遅れ、日没は早まってる。日照時間は減り続け、人はどんどん消えてる。ママは戻らない」と現実を見るよう説くが、ジェイムスは「ママは戻る」と反発する。ルークは「何が起きてるか分からないが、突き止めるつもりはない。発電機の燃料が切れたら終わりだ」と言い、店を出て行こうとする。そこへ正気を失ったローズマリーが現れ、「マニーはどこ?」と喚いた。彼女は拳銃を手にして発砲し、その場に泣き崩れた。
ルークが酒を飲ませると、ローズマリーは落ち着きを取り戻した。「医者なの?」とジェイムスに問われた彼女は、理学療法士だと答えた。そして別れた夫が店の常連だったので、マニーを連れ去ったのではないかと考えたことを語った。ローズマリーはバッグの中に、電気を使わなくても明かりとして使える道具を幾つも詰め込んで持参していた。なぜ店に電気が付いているのかローズマリーが尋ねると、ルークが「非常用発電機だ。長くは持たない」と述べた。
助けを求めるポールの声が聞こえて来たので、ルークたちは店の外へ出た。怪我を負っていると気付いたルークは冷たい態度を取るが、結局は助けに赴いた。ルークは頭から血を流しているポールを店まで運ぼうとするが、懐中電灯が切れてしまう。ルークは発煙筒で明かりを確保し、彼に肩を貸して店へ向かう。ジェイムスは母の声を聞き、外へ飛び出そうとする。ローズマリーは慌てて制止し、「明かりの下にいなきゃダメよ」と諭した。
ルークはバーに辿り着く直前で発煙筒を落としてしまうが、何とかポールを連れて中へ入った。ローズマリーはポールを寝かせ、傷の状態を確認する。ポールは建物の外へ出ようとしたらライトが消えたこと、何かに襲われて拉致されたこと、ライトが付いたら外にいたことを話す。さらに彼は、「どこだったのか場所は分からないが、奴らの声が聞こえた。体も無ければ魂も無い。あるのは影だけで、奴らの中に引き込まれた」と語った。
バーの電気が点滅を始めたので、ポールは「発電機の負荷を減らせ。不必要な電気は消せ」と指示する。ルークたちはゲーム機やジュークボックスの電源を切り、発電機をチェックする。電気が元の状態に戻ると、ポールは「1587年、カロライナ沖のロアノーク島はイギリスの植民地だった。117人の住民が住んでいたが、全員が食べ物も衣服も残して消えた。捜索隊が何日も調べたが、見つかったのは木の柱に彫られていたクロアトアンという謎の言葉だけだった」と語った。
ポールの具合が悪くなったので、ルークたちは再び彼を寝かせる。ポールはルークたちに、「もしかすると警告かもしれない。誰かが、この世のリセットキーを押した。消えた植民地が警告で、これがこの世のリセットなのさ」と言う。ルークは3人に、「ここから出るぞ。なぜ4人が集められたと思う?明かりだ」と言う。つまり彼は、これが罠だと考えたのだ。彼は6ブロックほど先にバッテリーの使えるトラックがあることを話し、ポールをシカゴの病院まで連れて行くと言う。
ルークは「停電後に衛星放送があった。生存者がいる」と述べ、「発電機とトラックを繋ぐしか無い」と訴える。他の3人が消極的な態度を示す中、ルークは「自分が生き残れた理由を考えてみた。生き残ろうとする執念のおかげだ。これがリセットなら新たな始まりであって終わりじゃないが、ここで答えは待てないと語る。ルークとローズマリーは店を出て、トラックへと走る。2人はトラックを押して、バーまで運ぼうとする。
ジェイムスはポールに頼まれ、ジュークボックスで曲を掛けた。しかし、そのせいで発電機に余計な負荷が掛かり、停電が起きてしまう。すぐに電気が復旧したのでポールはジェイムスに呼び掛けるが、返事は無かった。ルークとローズマリーは、懐中電灯を持ったブリアナという少女を見掛ける。2人は「こっちへ」と呼び掛けるが、ブリアナは走って逃げだした。ルークは追い掛けようとするが転倒し、懐中電灯が落ちて電気が消えてしまう…。監督はブラッド・アンダーソン、脚本はアンソニー・ジャスウィンスキー、製作はノートン・ヘリック&セリーヌ・ラトレイ&トーヴ・クリステンセン、共同製作はパム・ハーシュ&ピーター・パストレリ&リヴァ・マーカー、製作総指揮はエレイン・ヘリック&マイケル・ヘリック&ピーター・グレイヴス&ローレンス・マティス&ケリー・マコーミック&ケン・ヒアッシュ&ニック・クエステッド、製作協力はジョセフ・シュレイス&ニック・マーシャル&エヴァン・ヘリック、撮影はユタ・ブリースウィッツ、美術はスティーヴン・ベアトリス、編集はジェフリー・ウルフ、衣装はダニエル・ハロウェル、視覚効果監修はジョン・ベア、音楽はルーカス・ヴィダル、音楽製作総指揮はハワード・ヘリック。
出演はヘイデン・クリステンセン、タンディー・ニュートン、ジョン・レグイザモ、ジェイコブ・ラティモア、テイラー・グルーサイス、ジョーダン・トロヴィリオン、アーサー・カートライト、ニール・ハフ、ヒュー・マグワイア、エリン・ニコール・ブローリー、スティーヴン・クラーク、キャロリン・クリフォード=テイラー、ラリー・フェッセンデン、ニック・ユー他。
『マシニスト』『暴走特急 シベリアン・エクスプレス』のブラッド・アンダーソンが監督を務めた作品。
脚本を手掛けたアンソニー・ジャスウィンスキーは、 2002年の『Killing Time』に次いで本作品が2度目の劇場用映画となる。
ルークをヘイデン・クリステンセン、ローズマリーをタンディー・ニュートン、ポールをジョン・レグイザモ、ジェームズをジェイコブ・ラティモア、ブリアナをテイラー・グルーサイスが演じている。まず最初に感じるのは、「分かりにくいなあ」ってことだ。話が難しくて分かりにくいという意味ではない。ずっと暗がりのシーンが続くため、そこで何が起きているのかが分かりにくいってことだ。
ミステリアスな雰囲気作りのため、全てを明らかにせずに進めるということなら分かる。でも、そういうことじゃなくて、伝えるべき基本的な情報までもが見えにくいのだ。
暗闇というのは本作品にとって何よりも重要な要素であり、絶対に外せないというのは理解できる。
ただ、そのせいで何が起きているのか伝わりにくくなるってのは本末転倒じゃないかと思うのよね。次に感じるのは、「そんなに簡単に72時間後まで飛ばしちゃうのかよ」ってことだ。
72時間ってことは、怪奇現象から3日後になる。その日数が経過するまでに、生き残った人々は「何が起きているのか」と考え、それを探ろうとするはずだよね。友人や知人は無事なのか、確かめようとするはずだよね。生活インフラが全てストップしているわけだから、その中で食料や水分を補給するために何か行動を取るはずだよね。
そういうサバイバルとしての行動を全てスッ飛ばして3日後まで安易に飛ぶってのは、雑な構成だと感じるのよ。
その「72時間」という時間の飛躍がストーリー展開にとって重要な要素を持っているのだとすれば、まだ分からんでもないのよ。例えば、後から「実は72時間が経過する間に、こんなことが起きていた」と明かすミステリーとしての展開があるとかね。
でも、そんな仕掛けは何も用意されていない。ただ単にショートカットで3日後まで移動しただけに過ぎないのだ。
「それなら、別に72時間後じゃなくて翌日でも良くねえか?」と言いたくなるぞ。それで何か支障があるのかというと、特に無いはずであって。むしろ72時間後に飛ぶことで、「こいつらは3日間、どんなことを考え、どんな行動を取って来たのか」ってのが引っ掛かってしまうわ。
最初は困惑や不安、恐怖や焦りばかりだったルークたちが少しずつ状況を理解し、生き残るために必要なことは何なのかと考えて適切な行動を取るようになっていくという手順を、ちゃんと描くべきだと思うのよ。
そこを省略して、72時間後に飛ぶと既にルークは「明かりが無ければ消滅してしまう」ってことを理解した状態にあるってのは、すんげえ勿体無いでしょ。
サスペンスやミステリーとしての損失は、かなり大きいと思うぞ。そりゃあ72時間後じゃなくて翌日にした場合、「すぐにルークたちが出会う」という部分で不自然さや御都合主義が見えてしまう懸念はある。とは言え、会わせないまま単独行動を続けさせると、話を進める上で何かと不都合になる。
ただ、そこに関しては、「2人組を用意しておけばいいんじゃねえか」と思うのよね。
で、その2人組をメインにして話を進めれば会話劇も作れるし、何かと都合がいいんじゃないかと。生き残りは絶対に一人ぼっちじゃなきゃ不自然ってわけではないし。
それに、例え72時間後であろうと、翌日であろうと、「明かりの付いた店に生き残った人が向かう」ってのは、そんなに不自然でもないはずだし。ローズマリーが酒を飲んで落ち着いた後、「医者なの?」とジェイムスに質問されると、まだ異常が起きる前の病院での様子が回想劇として短く挿入される。さらに、停電が起きた瞬間のローズマリーの様子も、翌朝に無人の街を走って自宅へ戻る様子も描く。
そこは普通に説明しちゃうのかよ。
だったら後から回想として描くんじゃなくて、時系列順に描いておけばいいでしょ。
なんで72時間後に飛んで、彼女の今までの行動だけは回想シーンとして挟むかね。この構成は納得しかねるわ。ローズマリーがバーで発砲して泣き崩れた後、カットが切り替わるとポールが路上に倒れている様子が写し出される。彼は頭に怪我をしており、近くにはライトが落ちている。
バーに担ぎ込まれると、彼は「フェアレーン・センターで働いていて、外に出ようとしたらライトが消えて、闇の中から何かに襲われ拉致された」と説明する。
だったら、それを映像として見せようぜ。観客を不安にさせて話を盛り上げるには、間違いなく貢献するような出来事でしょ。
肝心な部分を省略し、台詞だけで済ませるセンスは理解不能だ。ポールはルークたちに、1587年にロアノーク島で起きた住民失踪事件について語る。なぜ彼がそんな出来事を知っているかというと、映写室で本を読んでいたからだ。
冒頭でその描写があるので、整合性は取れている。ただし、強引だという印象は否めない。
そして強引ということ以上に、「ただの映写技師がそんなことを急に言い出しても説得力に乏しい」という問題がある。
それはルークたちに対してじゃなくて、観客に対しての説得力だ。
やっぱり、専門家や研究者というキャラの方が適していることは確かなわけで。ポールが住民失踪事件を語った後、ルークがテレビ局を捜索した時の様子が回想シーンとして挿入される。
そこで感じるのはローズマリーの時と同じで、「なんで後から回想の形で入れるのか」ってことだ。
そこにミステリーとしての意味や醍醐味があるのなら、「実はこんなことがありまして」という見せ方をするのは正解と言えるだろう。でも、先に見せておいて不都合なことなんて、何も無いのよ。
回想シーンでは、「生中継に出ていたペイジのVTRをチェックしたら、急に暗転して悲鳴が聞こえ、そのまま映像は復旧しなかった」ってのをルークが見ている。でも、それを後から見せられても、「だから何なのか」ってことなのよ。その後、シカゴのリポーターがカメラに向かって「昨日の停電後、闇から死んだ兄の呼ぶ声がした。それは罠だ。必ず明りの近くにいるように。信用できるのは手元にある明かりだけ」と語る様子をルークが見ている。
つまりルークは、その情報によって明かりが必要であることを学んだわけだ。
でも、それもペイジの映像と同じで、後から見せている意味が全く無い。
むしろ時系列のまま構成し、「ルークが必要な対策を知り、それに基づいて行動を取る」という流れに繋げた方がいいと思うのよ。ジュークボックスを使ったせいで停電が起きるというボンクラな展開の後、「ポールが呼び掛けても洗面所に行ったジェイムスの返事が無い」→「起き上がったポールが洗面所に行くと、ジェイムスが消えている」→「地下室へ行くと奥の扉が開き、電気が付いている」→「地下道を歩いて行くと行き止まりで、向こうから1つずつ電気が消えて、最後は闇に飲み込まれる」という展開がある。で、カットが切り替わると電気が復旧した洗面所にジェイムスがいて、戻るとポールが服を残して消えている。
つまりポールは最初の停電で消えており、その後の映像は全て彼の見た幻覚ってことなんだろう。ちなみにジェイムスはケミカルライトの輪を首に掛けていたので、停電でも生き残れたわけだ。
ポールが死ぬのは自業自得だし、ジェイムスが生き残るのも一向に構わない。ただ、「なんで幻覚を現実のように見せ掛ける」という表現を、そこで唐突に入れちゃったのかと。
現実のシーンだけでは観客を充分に怖がらせることが出来ないのだとすると、それは不足があるってことだから、そっちを増やすべきであって。幻覚(もしくは夢)に頼るってのは、考え方が間違っていると思うぞ。単に「明かりが無いと人は消滅する」というだけじゃなくて、「闇は生きている」という設定だ。
だから明かりが消えた途端、ルークたちに闇が迫り、飲み込んでしまおうとする。
その「闇が生命を持っており、どんどん広がりながら人間を飲み込もうとする」ってのが上手く表現されているのかというと、まあ微妙ではある。
なんせ基本的に屋外は暗闇だから、その中で「闇が広がって行く」ってのを表現しようとしても、黒に黒だから見えにくいでしょ。明るい場所に闇が侵食していく様子なら、映像として分かりやすいけどさ。ただ、映像表現として地味でイマイチということよりも引っ掛かるのは、「闇の擬人化が過ぎやしませんか」ってことだ。悪霊か悪魔のような存在にしたかったのか、母親の声でジェイムスを誘い出そうとしたり、赤ん坊の泣き声と乳母車でローズマリーをおびき寄せたり するのだ。
人間のミスを待つだけじゃなくて積極的に仕掛けさせることで闇の恐怖を高めようとしたのかもしれないけど、むしろ完全に逆効果。
「意思を持たないはずの闇が生きているかのように浸食してくる」という部分が恐怖の肝なのに、悪魔モドキにしちゃったら、得体の知れない恐怖が消えちゃうでしょ。
ホントにアメリカ人って、すんげえ安易に恐怖の対象を得体の知れる存在にして、台無しにしちゃうのが好きだよなあ。一応はキリスト教の思想が込められているようで、聖書に関わるネタが色々と使われているようだ。
ただ、あまりにも不親切で手掛かりが少なすぎるし、その謎を解きたいという欲求は全く刺激されない。
それと、「ひょっとするとキリスト教に対する知識や思想が無いから理解できないのか、楽しめないのか」と思った人に朗報を。
キリスト教国家であるアメリカ合衆国でも、この映画の評判は散々なモノだった。
つまり、キリスト教に詳しいかどうかは、この映画の評価に全く影響を及ぼさないってことだね。(観賞日:2015年9月20日)