『ルール』:1998、アメリカ&フランス

雨の夜、女子大生のミッシェルは車を走らせていた。ラジオからは、うペンドルトン大学のコミュニティーFMが流れている。DJのサーシャが、学生リスナーと話している。ミッシェルはカセットテープを入れ、音楽を聴き始めた。車がガス欠になったので、ミッシェルはガソリンスタンドに立ち寄った。不気味な店員のマイケルは、代金を支払おうとしたミッシェルに「クレジットカード会社から電話が掛かって来ている」と告げて事務所へ呼んだ。
マイケルが入り口を施錠したので、ミッシェルはガラスを割って脱出した。慌てて車を発進させたミッシェルに、マイケルは「誰かが後部座席に隠れてる」と叫んだ。後部座席に潜んでいた人物は、斧でミッシェルを殺害した。同じ頃、大学ではサーシャの番組が続いている。生徒のパーカーは友人のナタリーと転入生のブレンダに、1973年にスタンレー寮の教授が起こした大虐殺について話す。だが、新部員のポールは、ただの作り話だと軽く告げる。ブレンダはパーカーの話に興味を抱き、怖がるナタリーを誘ってスタンレー寮へ行く。生徒のデイモンと遭遇した後、ナタリーが寮に戻ると、ルームメイトのトッシュが男を連れ込んでいた。
翌日、ナタリーやブレンダたちは、ウェクスラー教授の都市伝説に関する講義を受ける。彼は具体例を挙げ、都市伝説は何かの教訓を意味しているものだと説明する。授業を終えたナタリーとブレンダが校庭に出ると、警備員のリースが学生新聞を回収していた。その一面には、ミッシェルの死亡事件が掲載されている。扇情的な見出しを付けたポールはディーン・アダムス学長に注意されるが、軽く受け流した。インタビューを求められたナタリーは、ポールの態度に腹を立てる。
警察はミッシェル殺害の犯人として、行方をくらましたマイケルを追っていた。しかし学生たちの間では、犯人は大学内部にいるのではないかという噂が広まった。部屋に戻ったナタリーは、アルバムを開いた。彼女に取ってミッシェルは、高校時代にチアリーディング部で共に汗を流した親友だった。デイモンはナタリーの心が弱っているところに付け込み、彼女を誘って車で外へ連れ出した。森でナタリーを口説き落とそうとしたデイモンだが、あえなく失敗した。小便をするために車を出て行ったデイモンは、何者かに襲われて罠に掛けられる。ナタリーがコート姿の犯人から逃げるために車を発進させると、罠が作動してデイモンは死んだ。
ナタリーは警備員室へ駆け込み、リースに事情を知らせる。しかしリースを連れてナタリーが現場に戻ると、車もデイモンの死体も消えていた。「前の事件と同じ犯人かも」とナタリーは言うが、リースは「有り得ない。ガソリンスタンドの男は逮捕された」と告げる。大学の生徒たちも、ナタリーの話を全く信じなかった。デイモンが悪戯好きな生徒だったため、今回もナタリーを脅かすための仕掛けだろうと思われたのだ。パーカーはナタリーから状況を聞き、都市伝説になぞらえた悪戯だと語った。ナタリーは「犯人が都市伝説を現実にしようとしているんじゃない?」と不安そうに告げても、パーカーや恋人のサーシャたちは笑って本気にしなかった。
ナタリーは都市伝説について調べるため、図書室へ行く。サーシャも来ていたので、2人は一緒に都市伝説の本を読む。その中には、夜にヘッドライトを消して走行する車に関する伝説もある。しかし、サーシャは「これは都市伝説じゃなくて、不良の嫌がらせよ。みんな良くやってるわ。夜、わざとベッドライトを消して走るの。対向車に注意されたら殺す。だから、私は絶対に注意しない」と語った。
サーシャが去った後、図書カードをチェックしたナタリーは、デイモンが借りていたことを知った。その頃、トッシュは部屋に侵入して来た人物に襲われ、口を塞がれてベッドに押し倒された。部屋に戻って来たナタリーは、彼女がまた男を連れ込んでいると誤解し、そちらに視線を向けずにベッドへ潜り込んだ。ナタリーがヘッドホンで音楽を聴き始める中、トッシュは犯人に惨殺された。翌朝、目を覚ましたナタリーは、「電気を付けなくて命拾いしたな」という壁の血文字を目にした。
リースとアダムスの尋問を受けたナタリーは、部屋に誰かがいたことは確実だと証言する。しかしトッシュが躁鬱病の薬を服用していたこともあり、自殺として処理された。ポールはナタリーがミッシェルと高校で同級生だったことを突き止め、「なぜ隠していた」と質問する。ナタリーは冷たく追い払おうとするが、ポールは「やるべきことをやってるだけだ」と口にする。一連の事件が都市伝説を真似た殺人だというナタリーの考えに、ポールは懐疑的な態度を示した。
大学ではスタンレー寮の殺人から25年周年を記念したパーティーが開かれることになっていたが、ナタリーはそこで何かが起きるのではないかと考える。大虐殺が事実かどうか確かめるため、ポールとナタリーは長く働いている大学の用務員に問い掛ける。すると用務員は、ウェクスラーに尋ねるよう告げた。質問時間にも関わらず、ウェクスラーは教授室にいなかった。ポールはドアの鍵を開け、部屋に侵入した。ナタリーも付いて行き、室内を調べる。すると、そこには斧やコートがあった。
ウェクスラーが戻って来たので、ポールとナタリーは侵入を気付かれてしまう。アダムスに呼び出された2人は斧やコートのことを報告し、ウェクスラーが犯人だと主張する。ウェクスラーは「都市伝説の講義で使う小道具だ」と説明した。ポールはスタンレー寮の出来事について、ウェクスラーに質問した。するとアダムスは、リースとウェクスラーに部屋から出るよう指示した。アダムスはナタリーが過去に1年間の観察処分を受けていることを指摘し、アダムスには記者の解任を通達した。
ポールから観察処分の理由について質問されたナタリーは、荒っぽい態度で拒絶した。ナタリーがプールで泳いでいるブレンダを眺めていると、コートの人物が歩いて来るのが見えた。ブレンダが襲われると感じて焦ったナタリーだが、単なる勘違いだった。彼女はブレンダに、ミッシェルとは親友だったが2年ほど連絡を取っていなかったことを明かす。その理由について、ナタリーはミッシェルとドライブに出掛けた時のことを話す。ミッシェルの提案で、2人は車のライトを消して対向車を挑発した。パッシングで注意する車が現れたので、すぐに追い掛け、笑いながらハイビームで煽った。すると相手の車はスリップ事故を起こし、運転していた青年は死亡した。
ナタリーが「しばらく実家に戻ろうと思ってる」と言うと、ブレンダは「パッと騒げば気も晴れるわ。だからパーティーに行きましょう」と誘った。一方、ポールは机の引き出しに昔の新聞記事を見つけ、ウェクスラーがスタンレー寮の虐殺事件で唯一の生き残りだったことを知った。駐車場で車に乗ろうとしたアダムスは、リースに声を掛けられる。週末に警備員の増強を検討すべきではないかと言うリースに、アダムスは「あまり事を大げさにするな」と告げる。リースが去った後、アダムスは何者かに襲われて命を落とした。寮ではパーティーが始まり、生徒たちが大いに盛り上がる…。

監督はジェイミー・ブランクス、脚本はシルヴィオ・ホータ、製作はニール・H・モリッツ&ジーナ・マシューズ&マイケル・マクドネル、製作総指揮はブラッド・ラフ、製作協力はブライアン・パーカー、撮影はジェームズ・クレッサンティス、編集はジェイ・キャシディー、美術はチャールズ・ブリーン、衣装はメアリー・クレア・ハナン、音楽はクリストファー・ヤング、音楽監修はエリオット・ルーリー。
出演はジャレッド・レトー、アリシア・ウィット、ロバート・イングランド、レベッカ・ゲイハート、ジョシュア・ジャクソン、ナターシャ・グレッグソン・ワグナー、ロレッタ・デヴァイン、タラ・リード、マイケル・ローゼンバウム、ダニエル・ハリス、ジョン・ネヴィル、ジュリアン・リッチングス、ゴード・マルティノー、ケイ・ホートリー、アンジェラ・ヴィント、J・C・ケニー、ヴィンス・コラッツァ、バラージュ・クース、ステファニー・ミルズ他。


『ラストサマー』のニール・H・モリッツが製作に携わった作品。
脚本のシルヴィオ・ホータは、これがデビュー作。
監督のジェイミー・ブランクスは、オーストラリアで自主映画を作っていた人物。まだ『ラストサマー』が製作される前に撮ったショート・トレーラーをニール・H・モリッツが気に入り、今回の監督に抜擢した。本作品が長編映画デビュー作となる。
ポールをジャレッド・レトー、ナタリーをアリシア・ウィット、ウェクスラーをロバート・イングランド、ブレンダをレベッカ・ゲイハート、デイモンをジョシュア・ジャクソン、ミッシェルをナターシャ・グレッグソン・ワグナー、リースをロレッタ・デヴァイン、サーシャをタラ・リード、パーカーをマイケル・ローゼンバウム、トッシュをダニエル・ハリス、ディーンをジョン・ネヴィルが演じている。
アンクレジットだが、マイケルをブラッド・ドゥーリフが演じている。

登場人物の表記順からしても、劇中での扱いからしても、ポールとナタリーがメインの男女ということになる。
ところが、この2人が全く共感を誘わない連中なので、ちとキツいものがある。
まずポールに関しては、いわゆる「マスゴミ」である。純粋に好奇心が旺盛な男なのではなく、「ジャーナリズムとはセンセーショナリズムである」を体現しているようなクソ野郎である。
新聞記事を書くためなら人の心を傷付けても平気というタイプの男で、その軽薄でデリカシーの無い言動が、いちいち神経を逆撫でする。

ナタリーに関しては、後半に入って「そりゃ犯人に狙われても仕方が無いわ」という過去の行為が判明する。
悪戯で車を煽って死なせているんだから、そりゃあ恨みを買うのは当然だろう。
本人は「ミッシェルがどんどんスピードを上げたから止めようとしたけど、なぜか言い出せなくて」と釈明しているけど、そんなのは何の言い訳にもならない。
しかも、被害者遺族に対して罪滅ぼしのための行動を何かやっているのかというと、何もやっていないみたいだし(だからこそ、被害者と犯人の関係に気付いていないんだろう)。

都市伝説を模倣した連続殺人というのは「見立て殺人」の一種ではあるのだが、マザー・グースや聖書を題材にしたケースとは異なり、殺人現場が装飾されているわけではない。殺人に至る経緯が都市伝説を模しているというだけだ。
「だけ」と書いたのは、それだと見立て殺人としての面白さがイマイチ発揮されないってことなのだ。
やはり現場や死体の状況など、経緯ではなく結果の部分が何かのルールに基づいている形じゃないと、そこの面白さは出ない。
都市伝説を真似しているだけだから、殺し方にケレン味は無いし。

ミステリーではないので、製作サイドも見立て殺人としての面白さを出そうという意識はあまり持っていなかったんだろう。
その代わりに、ルールを設定したことによる面白さが他の部分で表現されていれば、それは一向に構わない。
問題は、他の面白さも感じないということなのだ。
「ひょっとすると『スクリーム』に便乗するために突貫工事で仕上げた安普請の映画じゃねえのか」と思ってしまうぞ。
終盤に入ると、もはや都市伝説なんて無関係の連続殺人になっちゃうし。

まず冒頭、「後部座席にあるカセットテープを取ろうとしたミッシェルが、向こうから走って来た車を激突しそうになる」という展開でサスペンスを作っている時点で、演出センスに疑念を抱いてしまう。
なんで都市伝説と無関係な部分で緊張感を煽るかね。
しかも、そこを「ぶつかりそうになって回避し、安堵した直後に何らかの理由で死亡」という見せ方にするなら、まだ分からんでもないけど、そうじゃない。
しばらく時間が経過して、ガソリンスタンドまで移動してから、ようやく事件が発生するんだから、緩急の付け方も悪い。

スタンリー寮でブレンダが霊を呼び出そうとした時、ナタリーは不気味さを覚える。でも、実際は何も無いし、後から「実は本当に幽霊がいた」ということが明らかになるわけでもない。
ウェクスラーが授業で実験を行った時、デイモンは苦悶して倒れ、生徒たちはパニック状態に陥るが、それはデイモンの悪戯だ。
そういうのは、ルールに基づく連続殺人とは何の関係も無い。
前述したような「何も無いと思わせた直後に何かを起こす」という見せ方をするわけでもない。
だったら、そういう無関係な箇所で不安を煽ったり恐怖を喚起したりするってのは、得策とは思えない。

この映画を見る観客は、「都市伝説について詳しい」という条件をクリアしておく必要がある。そうじゃないと、犯人が事件を起こしても、その段階では「どういう都市伝説を模倣しているのか」ってのが分からないからだ。
そして、そこが分からないと、模倣していることの意味が無い。
2つ目の事件では、発生した後にパーカーが「こういう都市伝説があった」ということを語り、ナタリーも1つ目の事件が都市伝説の模倣だったことに気付いているが、後から説明されて「あれは都市伝説の模倣だったのか」と分かっても、インパクトは弱い。
前述したマザー・グースや聖書の見立て殺人とは違って、そういうのは先に分かっていないと意味が薄い。

この映画で実行される殺人が他の見立て殺人と大きく異なるのは、「犯人だけでは成立させられない」ということだ。
死体や事件現場を装飾する類の見立て殺人なら、殺人を遂行した後に犯人が作業をすれば成立する。
しかし、劇中で行われる一連の犯行は、犯行の経緯が都市伝説を模倣しているので、被害者や犯行現場に存在した人間の協力が必要になる。
そういう人たちが都市伝説と同じように行動してくれないと、見立てが成立しないのだ。

具体的に例を挙げるなら、まず冒頭の殺人では、マイケルを不気味な店員としてミッシェルが怖がる必要がある。
マイケルが車内の犯人に気付き、ミッシェルを事務所に招き入れてから入り口の鍵を閉める必要がある。
ミッシェルがマイケルの説明を待たずに脱出し、車を発進させる必要がある。
それらの条件を全てクリアしないと、後部座席に隠れていた犯人がミッシェルを殺すことは不可能なのだ。
マイケルが鍵を閉める前に事情を説明したり、自ら犯人を退治しようとしたりすれば、その時点で計画はパーになってしまう。

2つ目の殺人にしても、まずデイモンがナタリーを車で森へ連れ出す必要がある。ナタリーがデイモンの誘いを断る必要がある。デイモンが何かしらの理由で車の外へ出る必要がある。彼がロープで足を吊られるまで、ナタリーが気付かずに車内に留まっている必要がある。
3つ目の殺人では、ナタリーがトッシュの方に視線を向けたたり、灯りを付けたりしたら全て終わりだ。
つまり、犯人の見立て殺人は、ものすごくギャンブル性の強い行為なのだ。
なぜか犯人は運が異常に強かったようで、全てのギャンブルに勝っているけど。

ポールやナタリーが犯人として疑いを抱くのはウェクスラーだ。つまり観客にも、彼を犯人だと思わせようと目論んでいるわけだ。
だからこそロバート・イングランドをキャスティングしているという部分は大きいんだろう。
でも、彼が犯人じゃないことは、たぶん大半の観客が予想できるだろう。それぐらい、ミスリードが露骨すぎる。
その後にナタリーが用務員やポールを疑う展開があるので、ウェクスラーは噛ませ犬みたいな扱いってことだな。
しかも、25年前の虐殺事件からして、本筋には何の関係も無い。ウェクスラーを疑わせるミスリードのためだけに用意されている設定だ。
それはさすがにダメだろ。

完全ネタバレだが、犯人はブレンダだ。彼女はナタリーとミッシェルがやらかした事故で死んだ青年の恋人だったのだ。
それが判明した時点で、犯行の動機は納得できる。しかし、それ以外の部分で謎が幾つも生じる。
まず、「一連の事件をブレンダが遂行するのは困難じゃないか」ってこと。かなりの腕力が必要な犯行ばかりだぞ。
もう1つは、「ミッシェルとナタリー以外の人を殺す必要性が全く無い」ってことだ。
無関係の人々を殺した理由については、「ブレンダがイカれてゲーム感覚で連続殺人をやっている」という説明を用意してしまう。
いやいや、それだと犯人のキャラがブレブレになっちゃうでしょうに。

(観賞日:2014年6月5日)

 

*ポンコツ映画愛護協会