『リンガー! 替え玉★選手権』:2005、アメリカ

弱気な会社員のスティーヴ・バーカーは、入社から2年半に渡って事務的な仕事ばかりを担当していることに満足していなかった。彼は勇気を振り絞り、上司のヘンダーソンに責任ある仕事への配置転換を申し入れた。「チャンスが欲しい」と語る彼に、ヘンダーソンは昇進を告げた。部屋を去ろうとしたスティーヴは、ヘンダーソンから清掃係のスターヴィーに解雇を通告するよう命じられた。スティーヴはスターヴイーを気のいい奴だと感じていたが、ヘンダーソンは「あいつは使えない」と冷たかった。
清掃中のスターヴィーはスティーヴが明確に用件を伝える前に、解雇通告を察知した。彼は「それは困る。子供が5人もいるし、それに妻が死んだ」と泣き出した。不憫に思ったスティーヴは「他の仕事を斡旋しようと思って」と言い、自分のアパートの庭師になることを提案した。するとスターヴィーは、すぐに報酬を訪ねた。スティーヴは今と同じ週給350ドルで雇おうとするが、「ここには思い出がある」とスターヴィーが言うので、400ドルを出すことにした。
ある日、スターヴィーが芝刈り機で事故を起こし、左手の指を切断する怪我を負ってしまう。すぐにスティーヴは彼を病院に運び、手術を受けさせようとする。担当医のアーメッドは「大丈夫です。指は繋がります」と言うが、スターヴィーが健康保険に加入していなかったため、スティーヴは2万8千ドルと麻酔代の支払いを要求された。それが支払えなければ、手術は出来ないという。指を凍らせておける2週間が手術のリミットだと、アーメッドは説明した。
スティーヴは金を工面するため、2年前に1500ドルを貸した叔父のゲイリーに電話を掛けた。しかしゲイリーはチンピラのマイケルから4万ドルを借りており、スティーヴに返す金など持っていなかった。バーで飲んでいたゲイリーは、マイケルと手下たちに捕まってしまう。ちょうど店のテレビでは、マイケルがファンだというスペシャル・オリンピックス選手のジミー・ワシントンを取り上げた番組が放送されていた。ジミーは5種競技で6連覇を果たしている無敵の王者だ。それを見たゲイリーは、あるアイデアを思い付いた。
ゲイリーはスティーヴの元へ行き、「お互いに金が必要だが、すぐに工面できる。スペシャル・オリンピックスに出場するんだ」と言う。スティーヴは高校時代に陸上をやっていたが、全国レベルの選手ではなかった。そもそも健常者なので、スペシャル・オリンピックスの参加資格は無い。しかしゲイリーは、「3日後の予選に知的障害者のフリをして出ろ。全国大会に出れば、お前に10万ドルを賭けて大儲けするんだ」と持ち掛ける。彼はジミーのファンであるマイケルと賭けをしようと目論んだのだ。
スティーヴは「インチキなんて出来ないよ」と断るが、ゲイリーは「友達が手術を受けられなくてもいいのか」と執拗に説得を試みる。病院を訪れたスティーヴは、スターヴィーが見舞いに来た子供たちに囲まれている姿を目にした。「保険が適用されなくても大丈夫。全ての指は要らないから」と元気に話すスターヴィーに、スティーヴは「必ず指が元に戻るようにしてあげるから」と約束した。スティーヴはスペシャル・オリンピックスへの出場を引き受けることにした。
ゲイリーはスティーヴにビデオを見せ、知的障害者の芝居を練習させる。ウンザリしながらも練習を繰り返したスティーヴは、ジェフィーという偽名を使って予選にエントリーした。ゲイリーと共に会場へ赴いたスティーヴは、すぐにグレンという出場者から声を掛けられた。いざとなると「やりたくない」と言って逃げ出そうとしたスティーヴは、ボランティア・スタッフのリンと出会った。一目惚れした彼は、高機能発達障害の知的障害者を装った。
リンはスティーヴを参加者の宿泊施設へ連れて行き、ルームメイトのビリーに紹介した。スティーヴがCDを落としてしまった途端、ビリーは強い怒りを示した。幾ら謝っても、彼の怒りは静まらなかった。組み分けの参考にするため、スティーヴは5種競技に挑戦することになった。100メートルや走り高跳びでは全く上位に入れなかったが、400メートル走では他の選手が転倒した影響でトップになった。最終的には、上位8人に残ることが出来た。
ゲイリーはマイケルと会い、スペシャル・オリンピックスでの賭けを持ち掛けた。彼が「家を担保にして、ジミーが負ける方に10万ドルを賭ける」と言うと、マイケルは賭けを承諾した。スティーヴは他の参加者と共に、決勝に向けたトレーニングを積む。ランニングに疲れた彼が立ち止まっていると、参加者のトーマスが話し掛けて来た。適当に話を合わせていると、ジミーが高級車で現れた。ボディーガードやマネージャーを引き連れたジミーは、まさに王者の風格だった。
昼食の際、スティーヴは参加者のウィンストンやマーク、ルディーたちのテーブルへ行き、「いつもトレーニング、こんなにキツいの?」と尋ねる。ビリーは無言で別のテーブルへ移動し、他の面々も答えてくれなかった。グレンたちからバカにされたスティーヴは怒りのせいで、つい芝居を忘れてしまう。「喋り方が違う」と気付かれたスティーヴは慌てて誤魔化すが、執拗に追及される。リンが来たことで追及は止まったが、彼らの冷たい態度は変わらなかった。
リンから「明日、ランチでもどうかしら」と誘われたスティーヴは、喜んでOKした。しかし待ち合わせ場所に行くと、リンは婚約者のデヴィッドを連れて来た。そしてリンはスティーヴの相手として、知的障害者のヨーリーを誘っていた。4人はレストランへ移動し、昼食を取る。リンが「面白い話」を始めようとすると、デヴィッドは「君はいつもオチが無い」と自分が話し始めるが、まるで面白くなかった。スペアリブを頼んだスティーヴが無作法に食べながら饒舌に話すと、ヨーリーは不快そうな表情を浮かべた。リンとヨーリーがトイレへ行っている間に、デヴィッドはウェイトレスのブランディーをナンパした。リンと2人になった時、スティーヴは「デヴィッドは君がいる時は優しいけど、いない時に叩かれた」と嘘をついた。
施設に戻ったスティーヴはウィンストンたちに取り囲まれ、「バレてるぞ。騙されないぞ」と詰め寄られた。「すまない」と詫びを入れたスティーヴは説明を求められ、事情を打ち明けた。しかし長くて込み入った話を、誰も理解できなかった。ホワイトボードを使って丁寧に説明すると、ようやく彼らは事情を理解した。高校時代にスティーヴが出した記録を聞いた一行は、「ここに残ってほしい。ジミーばかりが勝つのは嫌なんだ。君はここじゃトップ・レベルだ。特訓すれば彼に勝てるかも」と述べた。リンはデヴィッドに確認を取り、叩いていないことを知った。スティーヴはリンからデヴィッドへの謝罪を求められ、彼に怯える芝居をした。
ウィンストンたちは早朝からスティーヴを叩き起こしてトレーニングを積ませ、肉体を作り上げるための食品も摂取させる。スティーヴは彼らに、学生時代は役者志望だったこと、しかし絶対に無理だと思って挑戦しなかったことを語る。するとマークは「成功するかどうかは分からないけど、やってみれば良かったのに」と告げた。他の仲間たちも、最初から諦めてしまったことに対しては否定的だった。
スティーヴはリンに日曜日の予定を聞き、コストコへ買い物に行くという彼女の手伝いを申し出た。リンがOKし、スティーヴは彼女と一緒に出掛ける。スティーヴはコストコで高校時代の同級生であるピーターから声を掛けられ、必死になって誤魔化した。彼はリンの車で一枚の写真を見つける。それはリンの兄のジェレミーだった。リンはスティーヴに、ジェレミーが知的障害者だったこと、数年前に死去したことを語った。それを聞いたスティーヴは罪悪感に苛まれ、教会へ出向いて神父に懺悔した。
スティーヴは練習でジミーと一緒に走るが、まるで歯が立たなかった。ゲイリーはスティーヴが恋のせいで集中力を失っていると気付き、「今は勝つことだけを考えろ」と説教した。ウィンストンたちとすっかり仲良くなったスティーヴは、一緒に映画館へ出掛けた。グレンはデヴィッドがブランディーとキスしている姿を目撃し、仲間たちに知らせた。デヴィッドが慌てて口止めすると、スティーヴは「誰にも言わない」と約束した。しかし施設へ戻ると、スティーヴは何食わぬ顔でリンに彼の浮気を暴露した。スペシャル・オリンピックスの本番が訪れると、スティーヴは4種目を終えて僅差で2位に付けた…。

監督はバリー・W・ブラウスタイン、脚本はリッキー・ブリット、製作はピーター・ファレリー&ブラッドリー・トーマス&ボビー・ファレリー&ジョン・ジェイコブス、共同製作はマーク・S・フィッシャー&クレメンス・エマニュエル・フラネク、製作総指揮はティム・シュライヴァー、撮影はマーク・アーウィン、編集はジョージ・フォルシーJr.、美術はアーラン・ジェイ・ヴェッター、衣装はリサ・ジェンセン、音楽はマーク・マザースボウ、音楽監修はトム・ウルフ&マニッシュ・ラヴァル。
主演はジョニー・ノックスヴィル、共演はブライアン・コックス、キャサリン・ハイグル、ジェフリー・エアンド、エドワード・バーバネル、ビル・コット、レナード・フラワーズ、レナード・アール・ハウズ、ジェド・リース、ジョン・テイラー、ルイス・アヴァロス、ゼン・ゲスナー、スティーヴ・レヴィー、アル・“トレイン”・ディアス、マイク・セローン、テリー・ファンク、ジャナ・アンボート、ボー・ケイン、モハメド・M・アーメッド、ブラッド・リーランド、カサンドラ・L・スモール他。


『ビヨンド・ザ・マット』のバリー・W・ブラウスタインが監督を務めた作品。
脚本のリッキー・ブリットは『ファミリー・ガイ』などTV作品を手掛けて来た人で、映画は本作品が初めて。
スティーヴをジョニー・ノックスヴィル、ゲイリーをブライアン・コックス、リンをキャサリン・ハイグル、ウィンストンをジェフリー・エアンド、ビリーをエドワード・バーバネル、トーマスをビル・コット、マークをレナード・アール・ハウズ、グレンをジェド・リース、ルディーをジョン・テイラー、スターヴィーをルイス・アヴァロス、デヴィッドをゼン・ゲスナーが演じている。
ジミー役のレナード・フラワーズは、実際にスペシャル・オリンピックスの有名アスリート。

たぶん本作品の企画は、プロデューサーとして名を連ねているピーター・ファレリー&ボビー・ファレリーの主導だろうと思われる。
彼らは結合双生児が主人公のコメディー映画『ふたりにクギづけ』も手掛けており、「障害者が普通に使われるコメディー映画を作りたい」という意識を強く持っている兄弟だ。
ただ、この映画の場合、「健常者が障害者に成り済ます」というネタを扱っているので、ちょっと微妙なラインかなあと思ったりする。

ファレリー兄弟からすると「障害は個性の一部」であり、だから例えばハゲやデブが笑いのネタにされるように、障害も笑いのネタとして使われるべきだというのが彼らの考えだ。
障害者を「可哀想な人」としてシリアスに描くだけでなく、時にはコメディー映画に障害という要素を持ち込んでもいいんじゃないかってのは、素直に賛同できる。
ただし、その扱い方は、かなり慎重に配慮する必要があるってのも確かだろう。雑に扱えば、間違いなく「差別だ」ということで激しい非難を浴びることになる。
そこはハゲやデブをネタにするのとはワケが違う。ハゲやデブを嘲笑するようなネタを過激に描いても、それで抗議運動が起きるようなことは無いだろう。

この映画で扱いが難しいのは、前述した「健常者が障害者に成り済ます」という物語の根幹となる部分だ。
最初にスティーヴをお人好しとして描写し、「怪我をした友人の手術代を支払うため」という事情を設定することで、「私欲のためなんかじゃないし、許してあげようと思えることだ」という形にしてある。
ただし、早い段階でスティーヴの「障害者を騙している」という罪悪感が消えてしまうのは気になる。しかも、リンに一目惚れしてからは、「彼女と仲良くなるために知的障害者を装う」という要素が入って来て、そこは明らかに私欲のためなのよね。
そうなると、スティーヴのインチキからは「情状酌量の余地」が無くなる。

ただ、それよりも問題なのは、「なんかヌルくねえか?」ってことの方じゃないかと思う。
ここまで書いて来た内容とは完全に矛盾してしまうのだが、もっと思い切った中身に出来なかったものかと。
障害者をネタにしているにも関わらず、過激な部分は皆無に等しいし、とても健全で明朗なコメディー映画であるが、それは果たして望ましい形なのだろうか。どうにもコメディーとしての弾けっぷりが不足しているんだよなあ。
途中から、「これって知的障害者に成り済ますんじゃなくて、女性に成り済ますとか、別の職種に成り済ますとか、そういうことでも良かったんじゃないか。むしろ、その方が思い切り弾けることが出来て面白くなったんじゃないか」とさえ考えるようになってしまったぐらいだ。

前述の「スティーヴがリンと仲良くなりたいという目的で知的障害者の芝居をする」という部分に関しても、「リンの婚約者が他の女を口説くようなロクでもない男」という設定にして、「スティーヴがイカサマ芝居でリンと仲良くするのも、結果的には彼女に婚約者の本性を教えることに繋がっているので悪いことじゃなかった」という形を作り出す。
スティーヴの芝居がバレても、「仲間たちは非難せず、ジミーに勝つために協力する」という展開にしてある。そのジミーを「大勢の取り巻きを引き連れた嫌な奴」にして、健常者のスティーヴが勝利しても酷いと思われないようにしてある。
そういう風に、「スティーヴの行為は決して非難されるものではない」という言い訳を色々と用意しているのが、「あまりにも気遣いが過ぎるんじゃないか」と感じてしまうのだ。
ウィンストンたちが全てを許して受け入れ、ジミーに勝つために協力し、すっかり仲良くなる気のいい連中じゃなかったら、スティーヴの芝居は「卑劣で酷い行為」になるわけで。
それを回避するための方法が、「周囲に悪役を用意したり、彼を非難せずに仲良くなる連中を用意したりする」ってのは、めくらましに近い手口にも思えてしまう。そして、そういうことばかりに気を取られて、喜劇としての面白さが犠牲になっているように思えてしまう。

「障害者を傷付けないように」「差別的な描写にならないように」ということに神経質になりすぎて、それこそ腫れ物を扱うようになっているんじゃないかと感じてしまったんだよなあ。
障害者をネタにして、慎重に扱おうとしたせいでヌルいコメディーに仕上がったら、全く意味が無いと思うのだ。
「障害者をネタにしているのに過激なコメディー」に仕上がっていてこそ、障害者を喜劇に取り込む意味があるんじゃないだろうか。
ただ、それを考えると、ホントは「健常者が障害者をネタにする」という形よりも、「本物の障害者が障害を笑いのネタにする」ってのがいいんじゃないかと思ったりもするんだけどね。

あと、色々と気遣いはしているけど、それでもスティーヴに対する不快感は拭えないぞ。
こいつ、途中で罪悪感を表現するシーンは用意されているけど、結局は終盤まで障害者のフリを続けるのだ。
ウィンストンたちに受け入れられると、「金儲けのために知的障害者を装っている」ということに対する罪悪感は完全に消えてしまう。
そしてリンと仲良くなるために知的障害者を装っていることに関しても、彼女の兄のことを聞いた時には罪悪感を抱くけど、すぐに忘れてしまい、その後も知的障害者を装ってデヴィッドの浮気を暴露したり、彼女とダンスをしたりする。
「彼は決して悪くない」と正当性を主張させるための仕掛けを中途半端に用意したことで、むしろスティーヴの卑劣さが浮き彫りになっているような気もするぞ。

それと、そういう展開にしてしまうと、スティーヴが知的障害者を装っていたことが明らかになった後、それでも「リンと両想いになりました」という着地を用意していることが承服できないんだよな。
「嘘はついていたけど、リンに対する気持ちは本物だったから」ってのは、何の言い訳にもならないしね。
リンの慈善精神や同情心を利用して仲良くなろうってのは、他の女と浮気するデヴィッドを批判できないぐらい卑劣な行為なんだから。

(観賞日:2014年3月19日)


第28回スティンカーズ最悪映画賞(2005年)

ノミネート:【最悪の主演男優】部門[ジョニー・ノックスヴィル]
<*『Daltry Calhoun』『デュークス・オブ・ハザード』『リンガー! 替え玉選手権』の3作でのノミネート>

 

*ポンコツ映画愛護協会