『リーピング』:2007、アメリカ
キャサリン・ウィンターは奇跡と呼ばれる現象が全て科学的に説明できることを実証するため、仲間のベンと共に世界中を飛び回っている。かつて彼女は敬虔な聖職者であり、スーダンで布教活動を行っていた。しかし住民たちに雨乞いの生贄として夫と娘を殺され、信仰を捨てたのだった。そんな彼女の元に、旧知のコスティガン神父から電話が掛かって来た。キャサリンは話すのを嫌がるが、電話を受けたベンが受話器を渡したので仕方なく受け取った。
コスティガンはキャサリンに、彼女がアフリカにいた時の写真に異変が起きたことを話す。顔の部分だけが、コスティガンの見ている前で全て燃えてしまったというのだ。コスティガンが「これは神からの警告だ。写真の焦げた跡を並べたら、古代の印が出たんだ。鎌の形が上下逆さまになっている。君に危険が迫っている」と話すと、キャサリンは「危険なんて迫ってないわ」と冷たく電話を切った。
ダグという男がキャサリンを訪れ、調査を依頼して来た。ヘイヴンという湿地帯の町で川の水が真っ赤に染まる現象が発生し、科学と数学の教師をしているダグは調査役に指名された。町民たちは信心深く、出エジプト記に書かれている「十の災い」の1つではないかと危惧する噂が広まっているのだと彼は説明した。キャサリンが断ろうとすると、ダグは「女の子が疑われている。その子の兄が死んだ日から川が赤くなった。彼女が殺して川の水を赤くしたと思われている。まだ12歳の女の子だ」と述べた。
キャサリンはベンを伴い、ヘイヴンへと赴いた。町に入った2人は、住人のハンクと妻のイザベル、長男のハンクに出会った。イザベルは町では落雷が多いことを話しながら、町議会が開かれている教会へ2人を案内した。ブルックス町長に挨拶した後、キャサリンとベンは川へ向かう。真っ赤に染まった川を目の当たりにしたキャサリンとベンに、ケイド保安官は今朝になって魚の群れが浮かんで来たことを語る。キャサリンとベンは、調査のために魚と水を回収した。
ベンと別れて川の近くを調べていたキャサリンは、不意に現れた少女に腕を掴まれた。転倒したキャサリンの脳裏に、少女が川に倒れている少年の近くに立ち、その足元から水が真っ赤に染まって行く映像が飛び込んで来た。起き上がったキャサリンは逃げ出した少女を追うが、見失ってしまう。ダグと遭遇したキャサリンは、それが疑われている少女、ローレン・マコーネルだと知った。一家は町の人々との関係が悪く、森に暮らしていた。母のマディーが未婚で子供たちを放任していたため、町民は受け入れなかったのだ。
ローレンと死んだ兄のブロディーは、父親が違っていた。ブロディーの父は交通事故で死亡し、ローレンの父である巡回牧師はマディーを孕ませると姿を消した。ダグはそんなことを話しながら、かつて町があった森の一角へキャサリンを案内した。ハリケーンで壊滅した跡地や墓があるが、町民は誰も近付かないという。一方、ベンが川に留まって調査していると、何匹もの蛙が降って来た。ベンはキャサリンを呼び寄せ、「神の災いじゃないのか」と言い出す。キャサリンは、安易な決め付けをしないよう釘を刺した。
町にはホテルが無いため、ダグは自分の家にキャサリンとベンの部屋を用意していた。祖父から譲り受けた豪邸に、ダグは1人で住んでいた。家に入ったキャサリンは、どこかでブレスレットを無くしたことに気付いた。夜になり、3人はテラスでバーベキューをするが、焼き上がった食材に大量のウジやアブが群がった。家畜に異変が起きているというケイドからの連絡を受け、3人は農場へ向かう。牛が車に突っ込んで来た。ケイドと農場主のジムが駆け付け、暴れる牛を銃殺した。
ジムはキャサリンたちに、牛たちが急にへたり込んでしまったことを話す。4つの現象が聖書の内容と合致しているため、ベンは十の災いが実際に起きているのではないかと言い出す。キャサリンは反発し、聖書に書かれている災いを全て科学的に説明した。キャサリンはジムの息子であるウィリアムが農場と少女の絵を描いているのを見て、「この子は?」と尋ねる。するとウィリアムは「ああ、この子が牛を寝かせたんだよ」と告げた。その様子を、彼は見ていたのだという。
キャサリンはケイドに、ブロディーの事件について尋ねる。死因は不明で、川で倒れているという通報を受けたケイドが駆け付けると既にブロディーは死んでいたが外傷は無かったという。ブルックスは「ローレンか母親か、その仲間の仕業だ。あの連中は邪悪な儀式を行っている。やめさせないと、町は神の怒りで滅びる」と声を荒らげる。ジムの妻であるブリンが昨年のクリスマス、儀式を目撃したという。奉仕活動で家を訪れた時、マディーと仲間たちが呪文を唱えながら大きな動物を生きたまま解体していたらしいとジムは話す。
キャサリンは悪夢にうなされ、目を覚ました。だが、起き上がった彼女が足元を見ると、それが現実であるかのような現象が起きていた。ベンはダグに、牛もアブも魚も全て健康な状態だったという調査結果を教える。キャサリンはマコーネル家を訪れ、ローレンやマディーと話そうとする。返事が無いので勝手に中に入ると、ローレンが現れた。ローレンがブレスレットをしているのに気付いたキャサリンだが、「いいわ。娘のだけど、貴方にあげる」と告げた。
ローレンが股から出血しているのを目にしたキャサリンは、怯えている彼女に「洗ってあげるわ。それは病気なんかじゃないの」と優しく告げる。キャサリンが雑巾で血を拭こうとすると、またローレンとブロディーの出て来る幻覚が脳裏をよぎった。雑巾は大量の血で染まり、キャサリンが我に返るとローレンは姿を消していた。キャサリンがローレンを捜していると、マディーが出て来た。マディーが「あの子を殺すんでしょ?」と言うので、キャサリンは「助けたいだけ」と告げた。
「助けなんか必要ない。分からないの?」と口にするマディーに、キャサリンは「息子さんはなぜ死んだの?」と尋ねた。マディーは「自業自得だよ。追い掛けたんだけど、あの子は足が速くて」と言う。そこへ背後からローレンが襲い掛かり、マディーの腕に噛み付いた。キャサリンが引き離そうとすると、ローレンは激しく抵抗した。マディーがローレンを押さえ付け、キャサリンに「分かっただろ?出て行きな」と叫んだ。その頃、町では子供たちの頭に大量のブヨが発生する事態が起きていた…。監督はスティーヴン・ホプキンス、原案はブライアン・ルーソ、脚本はケイリー・W・ヘイズ&チャド・ヘイズ、製作はジョエル・シルヴァー&ロバート・ゼメキス&スーザン・ダウニー&ハーバート・W・ゲインズ、共同製作はリチャード・ミリシュ、製作総指揮はエリック・オルセン&スティーヴ・リチャーズ&ブルース・バーマン、製作協力はケイト・ガーウッド、撮影はピーター・レヴィー、編集はコルビー・パーカーJr.、美術はグレアム・“グレイス”・ウォーカー、衣装はジェフリー・カーランド、視覚効果監修はリチャード・ユリチッチ、音楽はジョン・フリッゼル。
主演はヒラリー・スワンク、共演はデヴィッド・モリッシー、スティーヴン・レイ、イドリス・エルバ、アナソフィア・ロブ、ウィリアム・ラグズデール、ジョン・マコーネル、デヴィッド・ジェンセン、スチュアート・グリア、アフェモ・オミラミ、イヴォンヌ・ランドリー、サミュエル・ガーランド、マイルス・クリーヴランド、アンドレア・フランクル、マーク・リンチ、ララ・グライス、コーディー・サンダース、バージェス・Jenkinsジェンキンズ、サブリナ・A・ジュニウス、ジリアン・バサーソン、カレン・ユム、アクセル・C・カータジェナ他。
古いホラー映画をリメイクする目的で設立されたダークキャッスル・エンタテインメントが製作した、『ゴシカ』に続く2作目のオリジナル作品。
監督は『ロスト・イン・スペース』『アンダー・サスピション』のスティーヴン・ホプキンス。
キャサリンをヒラリー・スワンク、ダグをデヴィッド・モリッシー、コスティガンをスティーヴン・レイ、ベンをイドリス・エルバ、ローレンをアナソフィア・ロブ、ケイドをウィリアム・ラグズデール、ブルックスをジョン・マコーネルが演じている。この映画で扱われているのは、旧約聖書の『出エジプト記』に記されている「十の災い」だ。
それは神がエジプトにもたらした10種類の災害のことである。
具体的には、「水が血に変わる」「蛙が大量に発生する」「ブヨが大量発生して人々や家畜を襲う」「アブが大量発生して人々や家畜を襲う」「疫病が流行して家畜が全滅する」「腫れ物が出来る」「雹が降る」「イナゴの群れが発生する」「暗闇に覆われる」「長子が全滅する」という内容になっている。キャサリンは川の水が真っ赤に染まる現象についてダグから「十の災いではないかという噂が広まっている」と聞かされ、それだけで理解する。
もちろん彼女は専門家なので、出エジプト記の「十の災い」も、その中に水が血に変わる「血の災い」があることも分かっていて当然だろう。しかし、それを観客全員が知っているとは思えない。
キリスト教信者だったら、みんな知っているのが当たり前なのか。
だとしても、やはり十の災いに関する説明は入れておくべきだろう。この映画が「誰もが十の災いの内容を知っている」という前提で進んでいくことには、大いに疑問があるぞ。「どこかで見たような描写」「どこかで見たような展開」というのを頻繁に感じる内容だ。
ひょっとすると、「オカルト映画は、どれも似たり寄ったりの内容になってしまう」ということがあるのかもしれない。
ただし、だとしても、もうちょっと工夫が必要だろう。むしろ、どれも似たり寄ったりになってしまう傾向があるとしても、それに甘え過ぎているんじゃないかと思ってしまう。
過去の作品からネタを引っ張って来て、それを繋ぎ合わせているような印象を受けてしまう。まるで怖くないんだけど、その原因の1つは「なかなかキャサリンが揺るがない」ってところにあるんじゃないかと思う。
ベンは信仰を失っていないので、蛙が空から降ってきた段階で「神の災いではないか」と言い出すのだが、キャサリンはキッパリと否定し、科学的な説明を用意する。
その後、キャサリンはローレンとぶつかって倒れた時に幻覚を見たり、3つ目と4つ目の災いを目にしたりするが、それでも「神の災いだ」というベンの考えを全面的に否定する。
それは「ホントはそうかもしれないという不安に見舞われているが、恐怖を振り払う意味でも否定する」ということじゃなくて、ホントに科学的な現象だという確信を持っているんだよね。だけど、ヒロインが怯えたり慄いたりしてくれない中で観客を怖がらせるってのは、そう簡単な作業ではない。
恐怖映画では、ヒロイン(男性でもいいけど、どちらかといえば女性であることが望ましい)が怪奇現象や怪物に怯えたり悲鳴を上げたりする様子を見せることで観客を怖がらせるってのが常套手段だ。
この映画の場合、いきなり悲鳴を上げさせるところまで行く必要は無いし、そこまでやると逆に萎えるだろう。
だけど、「自分の理解を超える怪奇現象を体験したキャサリンが、科学的に上手く説明できないことで戸惑いを覚え、不安になり、信念に揺らぎが生じる」という展開にした方がいいんじゃないかと思うんだよね。後半に入ると、キャサリンが卵を割ったらフライパンが真っ赤になるとか、ローレンを追い掛けたら夫と娘の殺された場所に瞬間移動するとか、そういう描写があるけど、それは全て彼女の見た夢。
一応、「起きたら足元が夢の中と同じような状態になっている」という描写はあるけど、でも夫と娘が殺されたのは過去の出来事なので、「夢だと思っていたら現実だった」ということではないのは丸分かり。
そんな悪夢や幻覚よりも、もっと「怪奇現象でヒロインを怖がらせる」という部分に集中した方がいいんじゃないかなあ。
悪夢や幻覚の中で怖いことがあっても、それは実際に起きていることではないからね。実を言うと、終盤までキャサリンの「全て科学で説明できる」という信念が全く揺らがない状態でストーリーを運んだとしても、恐怖を煽ることは出来なくもない。
キャサリンの周囲で、思わず悲鳴を上げるほど恐ろしい現象を幾つも起こせばいいのだ。
それが科学的な現象であろうと超常現象であろうと、怖いものは問答無用に怖い。
だから、そこでヒロインが心底から怯える様子を見せれば、観客の恐怖を喚起することに繋がる。しかし、ここで問題になるのは、扱っているのが「十の災い」ということだ。
「水が真っ赤に染まる」「蛙が降って来る」「ブヨが大量発生する」「アブが大量発生する」というのは、不安を感じさせる出来事ではあるが、あくまでも「不気味な出来事」の範囲で留まってしまう。
もちろん、雰囲気でジワジワと怖がらせるという意味では、そんなに間違っているわけではない。
ただ、キャサリンが直接的に攻撃を受けるとか、誰かが惨殺されるとか、そういったことを起こさないまま話を進めるのであれば、前述した「キャサリンの揺らぎや迷い」ってのを入れながら物語を進めないと、ちと寂しいことになるんじゃないかなと。
単純に恐怖劇だけで引っ張ろうとするのは、ちとキツいんじゃないかなと。もっとキャサリンの心理的な恐怖や不安を積極的に利用した方がいいんじゃないかなと。後半、川の水が全て人間の血液だという分析結果を受けたキャサリンはコスティガンに電話を掛け、「ローレンはサタン崇拝者によって生み出されたサタンの化身」「神の所業をサタンが模倣した」という説明を受ける。
その辺りでは、すっかりオカルトを信じる方向に気持ちが傾いているんだよな。
でも、そこまでに揺らぎや迷いが全く見えなかったので、なんか急に方向転換したような印象を受ける。
彼女の心情の移り変わりを、もうちょっと丁寧にやってほしいなあ。(観賞日:2014年5月20日)