『ラム・ダイアリー』:2011、アメリカ

1960年、プエルトリコ。ジャーナリストのポール・ケンプは新聞社『サンファン・スター』紙で働くため、サンファンにやって来た。彼はホテルで酒を浴びるように飲み、二日酔いで新聞社へ行く。会社の前には、大勢の人々が抗議に訪れている。ケンプはロッターマン編集長と会い、履歴書を渡した。そこには本を出版していること、スペイン語が堪能であることが記され、推薦状が添えられていた。それらが全て嘘だと見抜いた上で、それでもロッターマンはケンプを雇うことにした。
ロッターマンはケンプに発行部数が減り続けていることを話し、「社員には熱意が無く、態度も悪い。必要なのは新しい血だ」と告げた。彼はケンプに、カメラマンのボブ・サーラやスポーツ担当記者のドノヴァン、経理のヒューバートを紹介した。ケンプはロッターマンから、星占いコーナーとボウリングの記事を担当するよう指示された。星占いの担当者はハッテン場で強姦され、命を落としたらしい。ケンプが資料室にいると、ハル・サンダーソンという男が来て名刺を渡した。
サーラはケンプを酒場に連れて行き、「記者の募集に応募して来たのは1人だけだ」と明かした。そして彼は、「ウチの新聞社は、そう長くは持たない。もうすぐ潰れる」と告げた。店にモバーグというアル中の男が来ると、サーラはケンプに「関わるな。ウチの記者だが、会社の恥部だ。昼間は会社に来ないから、編集長もクビに出来ない」と述べた。ケンプがサンダーソンについて訊くと、サーラは「以前はウチの記者だったが、今はPRコンサルタントを自称して米国人に土地を売ってる」と語った。
サーラはサンダーソンについて、「彼が手下として使ってる記者のセグーラは、あくどい不動産販売を副業にしてる。サンダーソンはコネも多いし、知り合って損は無い」と述べた。ケンプがホテルに戻ってプールで泳ごうとすると、プエルトリコに進出したユニオン・カーバイド社のパーティーで貸し切りになっていた。ケンプがボートでビーチに出ると、全裸で泳いでいるシュノーという美女がいた。パーティーを抜け出して来たらしい。ケンプはバーに誘うが、「もう戻らないと」と断られてしまった。
ケンプはボウリング場の取材をするが、退屈で嫌になってしまう。不満を抱く彼に、ロッターマンは「酒の量を減らせ。タダじゃないぞ。月曜までにホテルを退去しろ」と命じた。モバーグが新聞社に現れたので、ロッターマンは首を通告する。モバーグは「未払いの給料を支払え」と要求し、ロッターマンと言い争いになった。ケンプはロッターマンから、マイアミ市長の取材で空港へ行くよう指示された。しかし飛行機がキャンセルで市長は現れず、ケンプは空港に来たサンダーソンから「話したいことがある」と告げられた。
サンダーソンはケンプを車に乗せ、海辺の家へ連れて行く。そこにはサンダーソンの婚約者であるシュノーがいた。ケンプとシュノーは、互いに初対面のフリをした。サンダーソンはケンプに、仕事の手伝いを持ち掛けた。ホテルを出たケンプは、サーラと同じアパートに引っ越した。そこはオンボロで、キッチンの水さえバルブの故障で出ないほどだった。サーラはケンプに、モバーグも住んでいること、ほとんど姿を見せないことを教えた。
サーラは鶏を飼っており、闘鶏で稼いでいた。その辺りでは怪物と呼ばれる鶏がいて3年間も負けておらず、サーラの鶏は歯が立たないらしい。サーラはケンプに、ノースビーチでは1万ドルも稼ぐ鶏がいること、レベルが高すぎるために怪物も行かないことを話した。ケンプが部屋で記事を書いていると、モバーグが工場から持って来たラム酒の醸造器を運び込んだ。彼はアルコール度数が強烈に高い原酒を飲み、気持ち良く酔っ払っていた。
ケンプはアメリカン・ドリームの現実を暴露する記事を執筆し、ロッターマンに提出した。それは、サンファンで公害汚染が進んでいることや、子供たちが貧困に苦しんでいることを指摘する内容だった。ロッターマンは「5年前なら取材を命じたが、今は放っておけと言う。もはやニュースじゃなく、これは現実だ。事実を突き付けても、誰も気にしない」と言うが、ケンプは「星占いじゃなくて、記事を書かせてくれ」と食い下がる。ロッターマンは「ウチは創刊当時から破産状態で、資金調達は広告に頼ってる。書けないこともある。それに、ここは、もはやアメリカだ。みんな勝者に憧れる。誰も敗者など見たくない」と彼に語った。
ケンプはサンダーソンの家へ行き、元海軍大佐のジンバーガーを紹介される。サンダーソンはジンバーガーに、ケンプをニューヨーク・タイムズの記者だと紹介した。サンダーソンはケンプを同席させ、ジンバーガーとセグーラ、彼の父親の5名で会合を開く。彼らは、ある島にホテルを建てる計画を持っていた。サンダーソンはケンプに、民衆を納得させるための巧妙な記事を執筆するよう依頼した。
ケンプは車で迎えに来たサーラに、シュノーに惚れたことを打ち明けた。サーラは「彼女にもサンダーソンにも深入りするな」と忠告した。2人は食堂に立ち寄り、サーラは酒とステーキを注文した。女店員が「厨房は終わりだからステーキは出せない」と言っても、彼は傲慢な態度でステーキを要求する。店主が出て行くよう求めても、サーラは生意気な態度を取る。ケンプは奥にいた男たちの不穏な空気を察し、サーラと共に車で逃げ出す。すると男たちは追い掛けて来て、車の窓ガラスを叩き割った。
ケンプはラム酒の原酒を口に含み、炎を放射して男たちを攻撃する。しかし駆け付けた警官に炎を浴びせてしまい、拘留された。夜間法廷で裁かれたケンプとサーラは禁固刑を食らいそうになるが、そこに現れたサンダーソンが保釈金を払って解放してくれた。サンダーソンはケンプに、翌朝の会合に遅れないよう告げた。ケンプとサーラは車を取りに戻るが、ドアが外されてマトモな状態ではなかった。
翌朝、ケンプが会合に赴くと、銀行員のグリーンや助手のモンクも同席していた。サンダーソンとジンバーガーたちは、米国政府が所有する島にリゾート施設を建設する計画を持っていた。一部は海軍の演習場になっているが、米国政府が借地契約を放棄するのだという。ケンプはサンダーソンたちと同様、計画を他言しないことを約束する誓約書にサインした。サンダーソンはケンプに、島へ視察に行く予定を告げた。彼はケンプに頼まれ、シボレーと金を与えた。
ケンプはサンダーソンから、シュノーを連れて来るよう頼まれる。ケンプはシボレーを運転し、シュノーを迎えにサンダーソンの家へ行く。シュノーはセント・トーマス島のカーニバルに参加することを話し、一緒に来るよう誘った。サンダーソンの元へ向かう途中、2人はキスの雰囲気になるが、ケンプは腰が引けてしまった。ケンプとサーラが新聞社へ行くと、2人が捕まったことが新聞沙汰になっていたため、ロッターマンが激怒していた。彼はケンプたちに、警察が捜していることを話した。サーラが「メキシコへ逃げる」と言うので、ケンプは一緒に島へ行かないかと持ち掛けた。
次の日、ケンプはサーラを伴い、サンダーソンの島へ赴いた。ジンバーガーとモンクも一緒だ。一行は島で設計士のラザーと会い、施設のプランについて説明を受けた。ジンバーガーはラザーに、「ケンプにはリゾートのポスターを書いてもらう」と説明した。ケンプはセント・トーマス島へ移動し、サンダーソンやシュノーたちと合流する。サンダーソンはケンプがサーラを島に連れて行ったと知り、「守秘義務はどうした?口が軽すぎるぞ。奴を巻き込んでは困る」と叱責した。
しばらくサンダーソンのボートで過ごした後、ケンプたちはバンドが演奏するクラブへ赴いた。するとシュノーは「もう帰ろう」と促すサンダーソンを無視し、楽しそうに踊り続ける。彼女が他の男と踊り出したので、サンダーソンは連れ出そうとするが、店の男たちに殴られる。争いに気付いたケンプとサーラは、サンダーソンを外に連れ出す。ケンプはシュノーの元へ戻ろうとするが、店員たちに「もう閉店だ」と凄まれ、彼女を残したまま立ち去った…。

監督はブルース・ロビンソン、原作はハンター・S・トンプソン、脚本はブルース・ロビンソン、製作はジョニー・デップ&クリスティー・デンブロウスキー&アンソニー・ルーレン&ロバート・クラヴィス&グレアム・キング&ティム・ヘディントン、共同製作はピーター・コーン、製作総指揮はパトリック・マコーミック&ジョージ・トビア&ビル・シヴリー&A・J・ディックス&グレッグ・シャピロ&コリン・ヴェインズ、撮影はダリウス・ウォルスキー、編集はキャロル・リトルトン、美術はクリス・シーガーズ、衣装はコリーン・アトウッド、音楽はクリストファー・ヤング。
主演はジョニー・デップ、共演はアーロン・エッカート、ジョヴァンニ・リビシ、マイケル・リスポリ、アンバー・ハード、リチャード・ジェンキンス、アマウリー・ノラスコ、マーシャル・ベル、ビル・スミトロヴィッチ、ジュリアン・ホロウェイ、ブルーノ・イリザリー、エンツォ・シレンティ、アーロン・ラスティグ、ティスビー・ゴンザレス、ナタリア・リヴェラ、カレン・オースティン、ジュリオ・ラモス、ラファ・アルヴァレス、サーシャ・メルセド、エドゥアルド・コルテス、カリマー・ウェストブルック、ギリェルモ・ヴァレドン、ウィリアム・チャールトン他。


2005年に自殺したジャーナリスト、ハンター・S・トンプソンによる同名の自伝的小説を基にした作品。
監督&脚本は『広告業界で成功する方法』『ジェニファー8』のブルース・ロビンソン。
原作小説はトンプソンの親友であるジョニー・デップの勧めで出版され、彼が本作品のプロデューサーも務めている。
ケンプをジョニー・デップ、サンダーソンをアーロン・エッカート、モバーグをジョヴァンニ・リビシ、サーラをマイケル・リスポリ、シュノーをアンバー・ハード、ロッターマンをリチャード・ジェンキンス、セグーラをアマウリー・ノラスコ、ドノヴァンをマーシャル・ベル、ジンバーガーをビル・スミトロヴィッチが演じている。
ちなみにジョニー・デップとアンバー・ハードは、この映画での共演がきっかけで交際を始めた。

映画は1960年の時代設定だから、1937年生まれのハンター・S・トンプソンをモデルにしているケンプという主人公は、まだ20代前半のはずだ。
つまり、本来ならばケンプってのは「まだゴンゾー・ジャーナリズムとしての自らのスタイルを確立できておらず、模索の段階にある駆け出しのジャーナリスト」というキャラクターのはずなのだ。
ところが、それをジョニー・デップが演じることによって、「酒浸りで中年オヤジの三流ジャーナリスト」にしか見えなくなってしまう。

たぶん「出資者を納得させるためにはジョニー・デップの出演が不可欠」という事情があったんじゃないかと推測するが、サンダーソンやサーラのようなポジションで妥協してもらうことは出来なかったのか。
出資者としても、ジョニー・デップの出演は興行を考えれば必要だと思ったんだろうけど、ケンプを演じさせたことで、むしろマイナスに働いている。
同じように「酒浸りで自分のスタイルが確立できていない」という状態でも、それが20代前半かオッサンかによって、印象はガラリと変わって来るんだから。

ケンプはニクソンとケネディーのテレビ討論を見て、「呆れたね、呼吸するように嘘をつく。嘘だらけの人生なんて最低だ。もっと最悪なのは、ニクソンより腐った奴が現れて、奴が普通に見えてしまうことだ。ニクソンは負ける。でもケネディーは短命だろう」とサーラに語る。
そのコメントが、この物語において何の意味を持っているのかは全く分からない。っていうか、無意味なモノにしか思えない。
ケンプがジャーナリズム精神を持っているということをアピールしたかったのかもしれないが、何の足しにもなっていない。彼に記者としての熱い使命感があるとか、ジャーナリズムとしての意欲が旺盛だとか、そういうことは、ほとんど伝わって来ない。
だからニクソンを厳しく糾弾しても、せいぜい「テレビを見ている一般人の意見」レベルにしか聞こえない。アメリカン・ドリームの現実を暴露する記事を書いても、「使命感や義侠心にかられて執筆した」という熱意は感じられない。

そもそも、ケンプが何を考えているのか、どういう意識で過ごしているのか、それが全く見えて来ないんだよな。
主体性が皆無で、ただフラフラと流されているようにしか見えない。
彼はサンダーソンの計画に加わるが、「保釈してもらった借りを返すために片棒を担ごうとするが、本当は嫌なので計画を撤回させようとする」とか、「違法行為だと分かっているので、その手伝いをすることに苦悩する」とか、そういうことは何も無くて、ただボーッとした状態で流されている。

ストーリーの歩みはとてもノロノロしていて、1時間が経過しても、ほとんど前に進んでいないように感じられる。
だからと言って、当時のプエルトリコの状況を詳細に描写することで、何かを訴えようとしているような気配も乏しい。
何を描きたいのか、どういう方向へ物語を転がして行こうとしているのかも良く分からない。
ケンプがサンダーソンから違法な不動産取引への協力を要請され、その辺りがメインなのかなあと、ボンヤリではあるが、ようやく筋道が見えてくる。しかし、そこも充分には膨らまない。
ケンプはシュノーに惚れるが、ロマンスの部分が大きく膨らんだり次々に展開したりするわけではない。

サーラが闘鶏で稼いでいることが描写され、ノースビーチでは闘鶏で1万ドルも稼ぐ奴がいるとか、レベルが違うから怪物も遠征しないとか、そういう説明があるが、本筋に影響して来るのかというと、何も無い。
他にも、「これって本当に必要なのか」と思うような箇所が幾つもある。
サーラが食堂で傲慢な態度を取り、ケンプが不穏な空気に気付いて一緒に逃げ出すというエピソードや、ポンコツ状態になった車でサンダーソンの事務所へ向かっていたらパトカーに停止を求められるエピソードや、ようするに「酒浸りのオヤジたちのバカな行動」に過ぎないわけで。
そういう部分を重視して全体を軽妙なタッチでまとめてくれたら面白いコメディー映画になったかもしれないが、これはコメディー映画ではない。ちっとも弾けていない。

クラブの一件があった後、ケンプはサンダーソンからお払い箱にされ、保釈金を撤回されてお尋ね者になる。
するとケンプはサンダーソンやセグーラたちの悪事を暴く記事を書き、ロッターマンに掲載を要求する。
ロッターマンが「お前はジャーナリズムからかけ離れている」と批判するのは正解で、そこにジャーナリズム精神を見出すことなど不可能だ。
ケンプは今までサンダーソンに保釈金を払ってもらったり車や金を貰ったりして世話になっており、捨てられた後で義憤にかられた態度を見せても、「嘘つけ」と思うだけだ。

終盤、モバーグが手に入れた強烈なドラッグを摂取したケンプは幻覚の中で金魚に話し掛けられ、それによって悟りが開けて記事が書けるようになる。
つまり「ドラッグのおかげで自分のスタイルを見つけ、ジャーナリストとして成長することが出来ました」ということになっているのだ。
たぶんハンター・S・トンプソンは実際にそういう経験をしたんだろうけど、そういうことを堂々と描いてしまうことに、ただ呆れるだけだ。
それは「モラルに反しているのでダメ」ということではなく、「バカバカしい」という意味でね。

ロッターマンが逃げ出すと、ケンプは有志を集めて新聞を発行しようとする。
もちろん、そこにも使命感や義侠心など見えないし、だからケンプの行動を応援する気も沸かないが、とりあえず「無事に発行して腐敗を暴く」というところへ着地するのが筋ってモンだろう。
だが、なんと「闘鶏で稼いで新聞の印刷費用を工面するが、印刷機が差し押さえられたのでサンダーソンの船を盗んで逃げ出しました」という結末なのである。
実話がベースだからそうなるんだろうけど、どうにも締まらない。
最後に「ケンプはニューヨークへ戻ってシュノーと結婚した。ジャーナリストとして成功した」ということがテロップで表記されるが、どうでもいいわ。

主人公の中心に芯が通っていないだけでなく、映画全体のピントもずっとボヤけたような状態で時間が過ぎて行く。
結局、「オッサンが若い頃にバカやってたのを武勇伝として語っている」という、ものすごくカッコ悪い回顧録をダラダラと綴っているようにしか思えない。
しかも若かりし頃のはずなのにジョニデがやってるから、「いい年した酒浸りのオッサンがフラフラしてる」というだけにしか見えないし。
なので、どうにもならない映画にしか感じない。

(観賞日:2014年1月25日)

 

*ポンコツ映画愛護協会