『RONIN』:1998、アメリカ&イギリス

フランスのパリ。アイルランド人のディアドラの下に、謎の人物に雇われた各国の元諜報員らが集結した。元CIAのアメリカ人サム、フランス人のヴァンサン、元KGBのドイツ人グレゴール、アメリカ人のラリー、そして武器の専門家スペンスの5名だ。
サム達がディアドラから指示されたのは、ある連中が持っているブリーフケースを入手するという仕事だ。ブリースケースの中身も、それを持っている連中のことも、サム達には一切知らされない。それでも彼らは作戦を立て、準備に取り掛かる。
彼らはスペンスが先頭に立って武器の調達に出掛けるが、サムが相手の罠に気付いて銃撃戦となる。大口を叩いてリーダーのように振る舞っていたスペンスだが、サムに素人同然であることを見抜かれ、ディアドラにチームから追い出される。
やがてサム達はニースで強奪作戦を結構するが、グレゴールが裏切ってブリーフケースを持ち去ってしまう。グレゴールは、ロシア人のミキにケースを売り飛ばそうとしていた。サムはアルルの街でグレゴールを発見するが、撃たれて負傷する。さらに黒幕だったシーマスがグレゴールを捕まえ、配下のディアドラと共に逃走してしまう…。

監督はジョン・フランケンハイマー、脚本はJ・D・ザイク&リチャード・ウェイズ、製作はフランク・マンクーゾJr.、製作協力はエセル・ウィナント、製作総指揮はポール・ケルメンソン、撮影はロバート・フラッセ、編集はトニー・ギブス、美術はマイケル・Z・ハナン、衣装はメイ・ルース、音楽はエリア・クミラル。
出演はロバート・デ・ニーロ、ジャン・レノ、ナターシャ・マケルホーン、ステラン・スカルスガルド、ショーン・ビーン、スキップ・サダス、ジョナサン・プライス、ミシェル・ロンズデール、フェオドール・アトキン、カタリーナ・ヴィット、ベルナルド・ブロック、ジャン・トリスカ、ロン・パーキンス、ドミニク・グリアメッティー、アラン・ベックワース、ダニエル・ブレトン、アミドゥ・ベン・メサウド他。


フランスを舞台にしたアクション映画。
サムをロバート・デ・ニーロ、ヴァンサンをジャン・レノ、ディアドラをナターシャ・マケルホーン、グレゴールをステラン・スカルスガルド、スペンスをショーン・ビーン、ラリーをスキップ・サダス、シーマスをジョナサン・プライスが演じている。
なお、脚本のリチャード・ウェイズはデヴィッド・マメットの変名。

タイトルの『RONIN』というのは、元諜報員を日本の武士“浪人”に見立てて付けられている。劇中では赤穂浪士の話も出てくるが、自分達で切腹を選んだかのように勘違いされている(実際は幕府に詰め腹を切らされたのであって、本意ではない)。
その勘違いだけならまだしも、ここに出てくる連中は赤穂浪士とは全く違っている。「金が欲しいからとにかく仕事するよ」というのは、大義のためにテロ行為に及んだ赤穂浪士とは何の共通点も無い考え方だ。だから、赤穂浪士の話は何の意味も無い。
ここに出てくる連中は浪人というより、むしろ傭兵に近い感じがある。

彼らが浪人ではないというだけではなく、諜報機関という居場所を失った男達の焦燥、悲哀、苦悩、そういった心情が全く見えてこない。とにかくキャラクターとして軽すぎる。コミカルという意味ではない。人物としての深みが無いということだ。
キャラクターの中身が浅いから、アクションが無いところで間を持たせることに苦労する。だからといって、キャラの薄さを誤魔化すために次々とアクションが連続するというわけではない。サスペンスの緊迫感も、話の弱さに負けて持続しない。

チームは5名で構成されているが(ディアドラは除外)、それぞれの出身国が違っているという以外に、キャラクターの描き分けが不充分。一応、それぞれに専門分野があるのだが、それを使って見せ場を作ろうという意識はあまり感じない。
話せない事情があるサムはともかくとして(彼には「実は浪人じゃなかった」という、要らないドンデン返しがある)、他の連中には、チームに参加した理由を説明させた方が良かったのではないだろうか。「ただ金が欲しいから」というのと、何か理由があるのとでは、キャラクターとしての厚みが随分と変わって来たはずだ。

5名の内、1人は前半の早い段階でチームから抜ける。1人はあっさり裏切る。1人は大した見せ場も作らないまま死亡する。最初にチームを抜けたスペンスは、何となく意味ありげな感じで姿を消すのだし、是非とも再登場させるべきだったと思うのだが。
で、最後に残ったのはサムとヴァンサンの2人だけなのだが、では2人の絆が描かれているのかというと、そういうわけでもない。ヴァンサンが「サムのために行動する」と言い出しても、そこまで友情が深まっているようには見えないから不自然に感じる。

サムは序盤、優れた判断力を持つプロフェッショナルとしての行動を見せるが、途中からはマヌケになってしまう。グレゴールには逃げられて大騒ぎになるわ、ディアドラを撃てずに逃げられるわと、人を逃がすのが得意技かと思えるほどだ。
サムが最後にディアドラを逃がそうとするのも意味不明。どうやら「サムはディアドラと惹かれ合うようになっていた」ということらしいのだが、どこでどうなって2人が惹かれ合ったのか、全く分からない。そんなに2人の関係は描かれていないのに。

最初に明かされなかったケースの中身は、最後まで謎のままだ。しかし、それは別に構わない。問題は、登場人物の行動が謎だということだ。彼らはどういう気持ちで行動するのか、何をやろうとしているのか、それが分からない。
グレゴールがガキを殺そうとする辺りは、完全に意味不明。シーマスがノコノコと現れるのも意味不明。顔を見られて困るなら、最後までサム達に任せるべきだろう。そのために彼らを雇ったはずなのだし。わざわざリスクを犯して裏切る意味が分からない。

意味不明といえば、何よりもミキの恋人の有名スケート選手としてカタリナ・ヴィットが出演しているのが意味不明。終盤はアイススケート場が舞台となるのだが、カタリナ・ヴィットを出演させるためにそういう展開にしたとしか思えないほど無理がある。
無名役者を使った低予算のスモール・バジェット作品ならば、「その割には頑張っている」と好意的に取ってもらえたかもしれない。しかし、これだけのキャストを集めて、「中盤と終盤のカーチェイス以外に見るべきものは無い」というのでは厳しい。

 

*ポンコツ映画愛護協会