『ライジング・サン』:1993、アメリカ

日本企業ナカモトのロサンゼルス支店ビル落成記念パーティーが行われていた夜、会議室でシェリル・オースティンという女性が死体で発見された。ロス市警のウェブ・スミス警部補は、別に連絡を受けたジョン・コナー警部と共に現場に急行した。
警備責任者のタナカは協力を拒むが、日本に住んでいたこともある日本通のコナーが上手く交渉したことで、捜査は前に進む。シェリルは殺害直前、会議室で男と性交渉を持っていた。彼女がセックスの最中に首を絞められて興奮するという性癖の持ち主だということも分かった。
コナーとスミスは監視用のビデオを入手しようとするが、事件が起きた46階を撮影したビデオだけが何者かに差し替えられていた。コナーはナカモトのヨシダ社長と面会し、消えたビデオを提出してもらう約束を取り付ける。
シェリルの住む場所に向かった2人。そこは日本人が愛人を囲う別宅で、シェリルの部屋にはエディ・ナカムラと一緒に映った写真が数多くあった。精液鑑定の結果、犯人はアジア系の人間だと判明。それでもコナーはナカムラを犯人ではないと考える。
しかし、ナカモトから提出されたビデオには、殺害現場から立ち去るナカムラの姿が映っていた。スミスはグラハム刑事と共にナカムラの別宅に向かうが逃げられてしまう。そして逃走したナカムラは、車ごと爆発して死亡してしまう…。

監督&製作はフィリップ・カウフマン、原作はマイケル・クライトン、脚本はフィリップ・カウフマン&マイケル・クライトン&マイケル・バックス、製作総指揮はショーン・コネリー、撮影はマイケル・チャップマン、編集はスティーヴン・A・ロッター&ウィリアム・S・シャーフ、美術はディーン・タヴォウラリス、衣装はジャクリーン・ウェスト、音楽はトール・タケミツ(武満徹)。
出演はショーン・コネリー、ウェズリー・スナイプス、ハーヴェイ・カイテル、ケイリー=ヒロユキ・タガワ、ケヴィン・アンダーソン、マコ(マコ岩松)、レイ・ワイズ、スタン・エギ、スタン・ショウ、ティア・カレル、スティーヴ・ブシェーミ他。


公開当時、ジャパン・バッシングだという批判もあった作品。
しかし、これは批判するのではなく、間違った日本観を嘲笑するための映画だと思う。というより、中身が薄くてショボイ作品なので、それぐらいしか楽しめる部分が無いのだ。

基本としては「優れた能力はあるが一匹狼のベテラン刑事と、猪突猛進型の若い刑事が、コンビを組んで事件を解決する」という話。ハリウッドに行けばたくさん転がっている筋書きだ。
それを膨らませているのは、奇妙な日本観だけなのである。それ以外は何も無い。

スカタンなストーリー展開、チープな犯人探し。「実は日米貿易に絡む意外な真相が隠されている」などというオチは待っていない。
でも、犯罪理由がイマイチ分からない。犯人がシェリルを殺す理由って、全く無いような気がするんだけど。

で、犯人はナカムラの仲間に殺されてしまうのに、セメントに埋もれていく犯人を眺めながら「ああ、助からねえなあ」と放置するコナー。
そこで殺人が行われているのに、ナカムラの仲間を追うことはない。それよりもヨシダ社長とのゴルフが大事なのだ。

で、最後の最後に「実は犯人はヨシダ社長かもしれないわよ」と匂わせておきながら、それは解決しない。
結局、本当にヨシダ社長が犯罪に荷担しているのかどうかは全く分からない。

さて、この映画の意図せぬメインテーマとなっているデタラメ日本について。
いきなり漢字で「日昇」の文字。どうやら「ライジング・サン」のことらしい。続いて『用心棒』を真似た西部劇のカラオケ映像と、カントリー音楽を歌うケイリー・ヒロユキ・タガワ&ヤクザの面々。
その時点で、既にトンチキな匂いが漂っている。

ショーン・コネリー演じるコナーは日本通のはずなのだが、日本についての知識はかなり誤ったものである。どうやらエセ日本通らしい。
ちなみにコナー刑事、なぜか首を絞められた跡を見ただけで、「この女は窒息マニアだ」と判定する。凄い洞察力だ。

日本では、別宅というのは各部屋に愛人を囲うための場所である。しかも家のはずなのに受付があって、そこにはヤクザがいて、机の上にはカールが置いてある。日本では上司と部下は「センパイ」「コウハイ」と呼び合うのが普通である。
というのがコナーの解釈だ。

ナカムラを演じるケイリー・ヒロユキ・タガワが、なかなかの活躍ぶりを見せてくれる。
お猪口に注いだ日本酒を、愛人の乳首に付けてから飲むナカムラ。さらに裸の女性を寝かせて胴の部分に寿司を並べている。女体盛りってことか。

どう見ても日本人とは思えない俳優が日本人の役だったり、日本人役のはずなのにカタコトの日本語を喋っていたり、日本の科学研究所の名前が「ハマグリ」だったりする。
音楽を担当したのが武満徹という事実には、なんだか泣けてくる。

問題は、ここで描かれている「デタラメな日本」が、笑わせようという意図によるものではなく、マジメに日本を扱おうとした結果であるということである。
事前にスタッフが日本に関する勉強までしたらしいが、どういう勉強をしたんだか。

 

*ポンコツ映画愛護協会