『レッド プラネット』:2000、アメリカ&オーストラリア

2000年、地球は過密な人口を抱え、環境汚染は急速に進んでいた。2025年、問題は深刻化し、人類は新たな星として火星を目指した。20年 に渡って無人探査機で藻類を送り、育成を試みた。酸素を生成するのが目的だ。実験は成功したかのように見えた。しかし突然、酸素 レベルが下がり始めた。原因調査のため、国際共同体の支援を受けて人類初の火星有人飛行が行われることになった。
宇宙船マース1号の乗組員として選ばれたのは、船長のボウマン以下、主任科学将校シャンティラス、短気だが優秀な副操縦士サンテン、 エンジニアで整備士だが性格に難のあるギャラガー、民間人から自惚れ屋の世界的工学者バーチカルと、火星地球化の専門家で予備要員 だったペテンギル。そして、海兵隊から借りた地形探索ロボットのエイミーだ。マース1号は巨大すぎるため、宇宙ステーションまでは シャトルで運ばれ、そこから半年の旅に出る。
2057年2月5日、出発から182日目。いよいよマース1号は火星の軌道に進入した。火星基地“ハブ”に向けて、クルーは着陸船を降ろす 準備に入った。その時、ソーラーフレアが発生し、放射線が船に侵入した。ボウマンは操縦室に留まり、クルーを着陸船へと避難させた。 ソーラーフレアは通過するが、メインパワーは落ち、システムも停止してしまった。
ボウマンはシステム立ち上げ作業に入り、他の面々は着陸準備を進める。しかし発射装置が動かず、そのままボウマンが残って手動で発射 させた。その直後、マース1号は火災に見舞われ、有毒ガスが発生する。ボウマンが必死に対処する内、ようやく火災は消滅した。一方、 ギャラガーたちは激しい衝撃を受けながらも、何とか火星に着陸することが出来た。
着陸の衝撃により、エイミーは応答しなくなり、本船との交信も不能となった。酸素の残量は、あと7時間半だった。ギャラガーたちはハブ を目指すことにするが、着陸の際に脾臓破裂の重傷を負ったシャンティラスは留まることを告げた。シャンティラスを残し、ギャラガーたち は歩き始めた。一方、ボウマンは手動力装置を復活させ、不完全ながらもマース1号のシステムを作動させた。
ギャラガーたちは移動の途中、送られたはずの藻類が全く見当たらないことに気付いた。彼らはハブに到着するが、そこは荒れ果てた廃墟と 化していた。酸素も水も見当たらず、ギャラガーとバーチカルは廃墟に腰を下ろして時の経つのを待った。一方、サンテンとペテンギルは 、崖の近くへ移動した。ペテンギルはサンテンの態度に腹を立て、彼を突き落として殺害した。ギャラガーとバーチカルの元へ戻った ペテンギルは、サンテンが身投げしたと嘘をついた。
宇宙服の酸素が底を突き、ギャラガーはヘルメットを外した。だが、すぐに彼は呼吸できることに気付く。酸素が生成されていたのだ。 一方、ボウマンはヒューストンと通信することに成功した。ヒューストンからは、あと31時間で船が軌道から落下すること、その前に エンジンを始動して脱出させることを告げられる。地上のクルーは絶望的だと、ボウマンは告げられた。
ギャラガーたちは、本線と連絡を取る方法を話し合う。ハブから4キロの地点には、1997年に送られた探査機があった。彼らは夜明けを 待って探査機へ向かい、その無線を使おうと考えた。廃墟に火を放って暖を取っているところへ、エイミーがやって来た。だが、着陸の 衝撃で軍事モードに切り替わっていたエイミーは、バーチカルの肋骨を折って逃亡した。
ギャラガーは、いずれエイミーが戻り、全員を殺そうとするだろうと告げた。翌日、ギャラガーたちは探査機を発見し、無線を修復して ボウマンと通信する。ボウマンはギャラガーたちに、その古い探査機を再始動させる以外に救出の方法が無いと告げた。本船の発射までは、 残り19時間しか無かった。さらにボウマンはギャラガーだけに、探査機には2人しか乗れないことを打ち明けた…。

監督はアントニー・ホフマン、原案はチャック・ファーラー、脚本はチャック・ファーラー&ジョナサン・レムキン、製作はマーク・ キャントン&ブルース・バーマン&ジョーグ・サラレグイ、製作協力はスティーヴン・ジョーンズ、製作総指揮はチャールズ・J・D・ シュリッセル&アンドリュー・メイソン、撮影はピーター・サシツキー、編集はロハート・K・ランバート&ダラス・S・プエット、美術は オーウェン・パターソン、衣装はキム・バーレット、視覚効果監修はジェフリー・A・オークン、音楽はグレーム・レヴェル。
出演はヴァル・キルマー、キャリー=アン・モス、トム・サイズモア、ベンジャミン・ブラット、サイモン・ベイカー、テレンス・ スタンプ、ジェシカ・モートン、キャロライン・ボッシ、ボブ・ニール他。


CM界で数多くの賞を受賞したアントニー・ホフマンが、初めて映画監督を務めた作品。
ギャラガーをヴァル・キルマー、ボウマンをキャリー=アン・モス、バーチナルをトム・サイズモア、サンテンをベンジャミン・ブラット 、ペテルギルをサイモン・ベイカー、シャンティラスをテレンス・スタンプが演じている。
原案&共同脚本は『ヴァイラス』のチャック・ファーラー。

冒頭から、世界設定、状況設定に関する説明が、映像フォロー無しのナレーションのみで処理される。
だが、省略はそれに留まらない。その後も、火星到着までサクサクと進む。
そのサクサクぶりたるや、ずっとダイジェストが続いているのかと勘違いするぐらいだ。
出発前にナレーションで簡単なキャラ紹介をするだけなので、宇宙に出てからキャラ紹介がてら軽くエピソードでも用意してあるのかと 思ったら、特にこれといったキャラ紹介のための出来事は無い。
いや、一応は酒を飲んだりシャワーを浴びたり、幾つか行動はあるのだが、そこでの登場人物の印象は全く残らないのだ。
そして、数人のキャラなどは全く存在感が無いまま、すぐに火星へと到着する。
そこまでは何も無いに等しく、ナレーションとダイジェストによって慌ただしく進めるのであれば、いっそ火星到着の直前から話を 始めればいいのに。

ボウマンが宇宙船に留まることになり、ここでチームを2つに分けてしまうのも疑問。
一方では火災発生や有毒ガスの危機に遭遇し、一方では無事に着陸できるかという危機があり、それを並行して描くのだが、スリルが倍に なるでもなく、相乗効果が生まれるわけでもない。
単純に意識が散らばってしまうだけだ。
全く別の目的に向かっての行動なのだから、そうなるのも当然だ。

シャンティラスを置き去りにするシーンが、あまりにも淡白だ。
一応はギャラガーが「置いていけない」と口にしているが、ホントに口先だけ。粘ることなく、あっさりと置き去りにして立ち去っている。
いわば死とイコールの別れなのに、「ちょっと出掛けて来ます」程度の軽い別れの如くに描いている。
事前に神や信仰について語っていたシャンティラスのセリフも、死を印象的なものとするための前振りとしては、全く効果無し。

酸素が無くなっていく中で、ギャラガーたちがウダウダと喋って過ごしているのは時間(映画の上映時間)の無駄。
酸素も水も無いと判明した時点で、誰かがヤケになってヘルメットを外すなどして、さっさと火星に空気があることを明かしてしまった方がいい。
どうせ、そこで全員が死ぬはずがなく、どうにかして助かることは分かり切っているのだし。

ボウマンは脱出に向けての行動に集中しているが、地上組の行動目的は後半に入るまでボンヤリしている。火星に降り立ったからには、 そこで任務を果たすための行動があるのかというと、それは無い。火星に酸素があることに気付くが、その秘密を探るわけでもない。
で、本船との通信が繋がると脱出という目的が鮮明になるが、そうなると、ますます酸素の謎やハブ崩壊の謎はどうでも良くなる。
そういうミステリーに直面させておきながら、それに関連付けてキャラを動かすことが無いのである。
また、エイミーが襲ってくるという展開もあるが、これは前述したような火星での不可思議な現象とは無関係だ。
なので、ますます散漫な印象を受けてしまう。

この映画で大きな過ちを犯していると感じるのは、ハードSFっぽい雰囲気を装っていることだ(ボウマンの名は『2001年宇宙の旅』から 取っているし)。
しかし綿密な科学考証に基づいて作られたハードSFっぽい印象で進めておきながら、「なぜそんな行動を取るのか」「なぜそんなことが 起きるのか」というところで、粗がたくさんあるのよね。
例えば原因不明のトラブルが発生した時に、まずは無人探索機で調査するという選択肢は無いのかと思ってしまう。そういう調査のための 無人メカを作るテクノロジーは無いのかと。
また、メインパワーが停止した時に、なぜ選択の余地無しで「すぐに着陸船を火星に発射する」ということになるのかが良く分からない。
そこでシステム復旧のために全員で作業するとか、そっちの方がリスクは少ないような気もするんだが。判断基準はどうなってるのか。
ハブが崩壊していた(トラブルが発生していた)ことが、到着するまで全く分からなかったというのも奇妙だ。そこに地球との通信設備は 無かったのかと。他にも、色々と不可思議な点がある。

終盤になって「実は虫が藻を食べて酸素を作ってました。藻だけじゃなくて何でも食べる虫でした」という種明かしがあって、その虫が 人を襲うんだが、ペテンギルが大量の虫を道連れに自爆した後、残ったギャラガーが逃げ惑ったり戦いを繰り広げたりというところで 話を盛り上げることは一切無い。
ようするに、さんざん引っ張って登場させた大ボス的存在のはずの虫は出オチに近く、登場シーンだけで役割がほとんど終了しているのだ (登場のタイミングも遅いし)。
もう細かい科学考証なんて度外視して、キャッチーなヴィジュアルとドッカンバッカンの派手な特効で見せる分かりやすいSFとして 割り切ってしまえば、そこそこ楽しめるB級映画になれた可能性は秘めていると思う。
どうせ粗っぽいシナリオなんだし、いっそのこと、「人食い虫が襲ってくる、おバカなテイストたっぷりのホラーSF」にしちゃえば 良かったのに。

 

*ポンコツ映画愛護協会